日 記Yasu9808
98年7月〜12月の日記です
1998年8月00日()
ちょっと 変と思ったこと
8月(1998年8月)中頃の暑い日のことだった。美容院へ来るお客さんが
大学病院へ入院したというので母さんと私と一緒にお見舞いに出かけた。私
が、「病室はどの部屋なの」 と聞くと 母さんは
「私 大学病院って 初めて来たもんで どこやわからへん」と言った。私は
「だって去年 ばっちゃ(母さんの母親)が入院したとき来たし ○○さんが
入院したときも見舞いに来たがね」 と言ったがピンとこない様子だった。
そのお客さんについては 病院の受付で尋ねて お見舞いはすませてきた。
何かちょっと調子がおかしいとはっきり感じたのはその時だった。偶然か
その後一週間ぐらい後のこと ある新聞の読者のページに「妻が痴呆症に」
という記事か出ていて「最初は気にならないくらいの変調だった」と書いて
あったのを見て とても気がかりになった。(妻53歳と10ヶ月)
中学3年の娘には、その新聞を見せて「おそらくこの病気だろう」と伝えた。
「少し休養すれば直るよ」といわれて安心
1998年8月下旬
よく頭痛がして「疲れる」と言うので華陽診療所へ診察してもらいに行きかぜ薬
をもらってきた。(8月末) 物忘れなどでも相談してきた。
数日後 二回目に行った時に、さらにくわしく相談した。 県立病院への紹介状を
書いてもらえるよう としこさんが 電話をしておいてくれた。その紹介状をもらって
きた。母さんは、「どうして ひとのことをそんなこと言って電話するんや」と言って
いた。
1998年9月中旬
(総合内科一回目の診察)県立病院では始め総合内科に掛かり 頭のレントゲン写真、
断層写真で診察してもらった。(9月中ごろ)
交通事故 火災 遭難 その他 体や心に傷を受けることはなかったか?
精神的ショックを受けるようなことはなかったか?
仕事や家族関係の中で緊張 ストレス強まることはなかったか?
と尋ねられたが 近々そのようなことはなかった。
「仕事のことで 知らず知らずのストレスが強まっているのかも知れません、ちょっと
ゆっくりなさったら」と言われた。
1998年9月**日()
(神経内科二回目の診察)2回目の診察の時は、としこさんにかわりに付き添って行って
もらった、状況をつぶさに言って、診断をえようと、あまりにリアルにあるいは多少
オーバーぎみに 母さんのことを医者に言ったので、帰ってきてから「いくら
きょうだいでもあんな言い方はないよ」と怒っていた。
リアルに言ったのは何らかの診察の所見を得たいためだった。
特に病名に対する所見は出なかった。
私が特に気を使ったことは、見慣れぬ行動に対して 本人にどう対応するかと言うこと。
頭の病気ならば、異常行動を本人の努力で直すことは出来ない。
本人が尋ねた時以外にあまりに言い過ぎることは、神経を使わせ返って悪化するのでは
ないかと言うことだった。
1998年9月25日()
仕事の上でも、支障の出てくることが出てきた。例えば前日のタオルが洗ってない。とか。
一つ一つを取ってみると、正常な時でもあることでも、項目が増え、頻度が増してくれば
病的変化になる。その現象をどう判断すべきかは難しいところだ。
そんなとき としこさんが 「だいぶおかしいよ」と私に言った。
先日の本人を目の前に置いて、あまりにリアルに医者に言い、自分はそうあらねば
ならないと無意識的に感じ、病気が悪くなりはしないかと心配だった。
医者は「疲れかも知れない、ちょっとゆっくりなさったら」いわれるだけだった。
原因の指摘はまだ無い。ゆっくりすれば治る、おかしいはずがないので
「おかしくないよ」とちょっと強く言った。
としこさんは むっとして 互いに よからぬ感情的になることがあった。
1998年9月27日()
母さんが「このごろとしこさんがいろいろ言うからいやなんやて」と言った。
もちろん 善意で、「しっかりせにゃいかん」といったり、不整合の点や、忘れて
いることを指摘しているにすぎないが。
1998年9月**日()
(神経内科三回目の診察)「外傷や 細菌による炎症などは見られずきれいなものですよ。
その程度の物忘れはよくあることです。メモをとっておいて活用したり、仕事も大事だけれ
ども仕事を控えめにして、休養の時間を取り、かんばって行けば大丈夫ですよ。」
といわれて安心し 美容院の仕事もひかえめにして休息も取れるようにして
2ヵ月ほどすぎた。(1998年8月から11月まで)
1998年10月15日()
としこさんが かなり落ち着いたトーンで言われた。
私がまだ 「母さんは おかしくない」と思っている、として
「文機さんは、家事の方のことしか見ていないので わからないかも知れないが、
仕事では あちこっち ミスや手落ちがあるようになってきている。
家事の方は気楽にやれるからミスはないかも知れないし、ミスがあっても
我慢できることもあるけれど仕事はそう言うわけに行かないしね」
「家事でも ミスがあるようになりました。でも医者は何ともないと言っています。」
↓(右側
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「でもおかしい」 と思ったこと
1998年11月中旬
(神経科の診察)「でもおかしい」 と思った。と言うのも、その間にも物忘れの傾向が
わずかに進んだように見られた。昨日、一昨日の記憶は 感性に訴えるものは覚え
ている。言葉で伝えられたことの一部は覚えていない。
不安の塊が頭をもたげてきて、「どこかに原因をしっかりつかんでくれる病院は
ないか」と思い悩む 日々が続いた。どこと言う病院もわからないので同じ県立病
院の神経科(県立病院には精神科がないので精神科相当の科である)に診察に
行った。
神経内科の診断(「 大丈夫ですよ。」)は ここではやむをえにいことであった。
物忘れや 痴呆状態になる元の病気は幾種類もある。
レントゲンやCRT 生活状態の聞き取りで 物忘れが何に起因しているか
どの病気による物忘れか識別するのは むつかしいからだ。
そして他の原因である場合には、休養をして体調を整えれば直っていったり、
その原因特有の症状があらわれたりして、治療の方向が出てくるからです。
. それに 一般に患者や家族に対して、励ましをするのが医者の役割の一部
だろうから・・・・ (1998年11月)
私が病気の原因や治療の方向性を出さないことに対する 外野席の声も悩みの種
一方では「医者に見せているのか」と言われ、他方では「医者みたいな頼っていてば
かりはいかん」逆の声で私を悩ます。決め手のある診断が出なかったことが原因であった。
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(2001/10/02に追加した感想)
ここでの後からの反省は、アルツハイマー性痴呆であることを疑って
早く専門の医者で診断結果を告知してくれる医者に診察してもらうことだ。
この時までは痴呆とか ボケというのは70歳くらいの老人の病気だと思
っていた。若年性アルツハイマー、という病気があるなどと言うことは
全く知らなかった。
早く解ることの利点
1,本人に生活の意志決定を促すことが出来る。
2,周囲も生活や、治療計画を立てやすい。
3,介護の環境を整えやすい。
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「神経科」では......
. 岐阜県立病院神経科でも
交通事故 火災 遭難 その他 体や心に傷を受けることはなかったか?
精神的ショックを受けるようなことはなかったか?
仕事や家族関係の中で緊張 ストレス強まることはなかったか?
と尋ねられた。
超音波のMR I 断層写真で診察してもらったが「外傷」「萎縮」などは見ら
れないとのことだった。
神経科の3回目の診察の時に(1998年12月)MMSテストが24点
でした。
このころ 興奮を抑える薬として、胃薬をもらってきた。
原因は何か 何の病気か 私には わからなかったのが その時
の現状だった。
「リハビリテイーション室で検査をしてみましょう」と医師の先生から
言われるので1998年12月から1999年2月まで
週一回 30分 10回 リハビリ室で 何かをやってもらってきた。
「付き添いの方は ココで待っていてください」ということだったので別の
ところで待っていて どんなことをしてもらったのか わからない。
5〜6回過ぎたあたりで 母さんが
「あんな幼稚園みたいなこと何の訓練にもならないし面白くもない」
と言っていた。
察するに本人が「訓練をしている」と思うことが行われていたらしい。
私が思うには その何かを始める時まで 付き添いが付き添っていて
「じゃ やってみてね」とか言って 席を離れる
のがよいと思う。
※MMS=(Mini-Mental State)=ミニ メンタル ステイト
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楽しいことがあったら お知らせしたいと思います。
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