日記Ynas0312
※ 読者のみなさんの参考のために
母さん(田口靖子)は 本日(2003.12.31)現在59歳2ヶ月。
アルツハイマー 発病後5年4ヶ月
2003.12.31(水) 雨
−−◎8時30分起き。
−−◎朝の散歩は小雨のため10分間コースを行ってきた。
−−◎市役所から配られる印刷された紙の門松を玄関に貼り、夜店で買ったしめ飾りを付けた。
各部屋に餅を飾り、あちこちからもらったカレンダーを1月の表示にしてお正月の
準備は完了だ。
−−◎母さん「おっちゃん ありがとう。わるいねー、すみませんねー」としきりに言っていた。
−−◎娘は友達のとこへ遊びに行った。とボーリングに行ったという。
10年ぶりくらいにボーリングをやったと言い、(初めてにやったに近い)点数は
最も高いのが78点で母さんの一番低かった時の点数より低かった。
私「母さんのレベルに達するには まだまだ だなー。と言うか母さんが常人を
越えた力をまだ保持していると言うことかなー」
−−◎年越しそばを食べながら、私が家族のリーダーとしてこの一年間の総括をいい、
それぞれが意見を言った。母さんは「ふむふむ」と言ったり見当違いのことを
しゃべったりしていた。娘はいろいろしゃべっていた。
母さんはおおむね楽しく生活している。娘は大学に入り自宅通学で他に○○検定試験と
△△検定試験の2種類の検定試験に合格したこと、私は還暦となり、勤務者当時の
年金を受給するようになったこと。その他を含め10項目のまとめをした。
−−◎例年NHKの「紅白」はあまり見なかったが、今年はところどころ見た。母さんも
11時まで起きていて見ていた。「森進一や」とか 資料映像の坂本九が出てくると
「九ちゃんや、坂本九や」とか知っている顔が出てくると言っていた。
2003.12.30(火) 晴れ
−−◎7時30分起き。
−−◎田圃方面へ散歩。
−−◎数日前から年賀状の差し出し整理をしていたが、差し出しは例年のごとく30日
になった。去年は最終残りを夜10時頃出したが、今年は午前中の違いだった。
中央郵便局名物の「ポストマン」または「ドライブスルーポスト」本年も
出動していた。局の駐車場が少なく、前面の道路が狭いため、停車できない
からだ。「ドライブスルーポスト」ならば 停車したとしてもほんの数秒である。
のろのろ運転しながらでも出せないことはない。一人ひとり局舎内のポストへ行くと、
3分から5分停車しなけれはならないが、そうすると局用に無関係の人も
巻き込んで周辺道路四方八方渋滞となり、通り過ぎるだけでも30分〜1時間
かかることになってしまう。
−−◎玄関前や駐車場をかたずけ、簡単に掃除をした。母さんも掃き掃除とちりとりで
取り ゴミ袋にいれるのを一生懸命やってくれた。
花屋さんで花を2人で買いに行き店(=今は母さんの居室)に飾ってあげた。
−−◎午後の散歩は行かなかったが、母さんは散歩に行く分くらい結構動いていた。
−−◎4時頃、私が急に気分が悪くなってきて、母さんにはテレビを見させておいて
30分くらい寝た。起きたらすっきり気分は良くなったので、室内の整理作業を続行した。
−−◎母さんの今日の記憶。
午前中、としこさんが用事で来ていた。
午後になって母さんが私に聞いた「としこさんは帰ったのかなー」
私「さっき帰ったよ」
母さん「朝の内に来ていたと思ったけど...」
私「そう、朝の内に来ていたよ、良く覚えていたねー」
−−◎娘は、他地方の大学へ行っていて帰省している子のところへ遊びに行った。
2003.12.29(月)曇り
−−◎7時30分起き。
−−◎田圃方面へ散歩。元気良し
−−◎岩戸公園から金華山へ母さんを連れて行った。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
散歩についていってもらった。踏切で、母さんが「危ないから」と言い、道を
横道の方へ曲がったとのこと。ボール投げ遊びをしてもらった。
郵便局へ年賀はがきを出すために、いっしょに行ってもらった。
−−◎夕方、家族で、正月用飾り等を買いに出かけた。
−−◎歯磨きの復活。
今年4月頃から歯磨きをしていなかった。当時一週間くらい、歯磨きをしていない
様子だったので、数回(=数日)促したがやらなかった。以来 もう出来なくなった
ものと思い放っておいた。
11月27日に一回磨かせた。12月10日から、毎晩ブラシをとってやり、
磨かせている。3日磨いて、次の日は拒否はしないが事実上磨かない日もある。
今日はかなり入念に磨いていた。
一度出来なくなったら、もう出来ないのだと思っていたが、その能力があって
やらないでいることについては、働きかけをすれば、復活するものだ、
と言うことがわかった。
2003.12.28(日) 晴れ
−−◎8時起き。
−−◎田圃方面へ散歩。
−−◎ケアマネージャーから電話があった。数日前、年末年始の予定変更について、
私の方から電話連絡していたが、外仕事中で、直接話せなかったので、
再確認の電話だった。変更後の予定で勧められることになった。
(12月30日から1月5日まではヘルパーさんの来訪を休みにしてもらうことにした)
−−◎NHKの○○氏来訪。私がNHK氏としゃべっていると母さんニコニコし
わかったような顔をして「ふん ふん」と返事をしていた。2人並んで
そばにいたので当たり障りのない世間話はNHK氏は当然、母さんの方にも
話しかける。母さん「そうだね」とか言っていた。
NHK氏「ちょっと前雪がちらついていて」
母さん 「そう、雪がふっとった。」と。
この限りでは、病気とは見えない雰囲気だった。
話しは受信契約の方に進み、私が冗談めいて
「NHKの受信者捕そくの監視体制(人的組織)も相当なもんですね」
NHK氏「いやいや 今日伺ったのは、衛星の航空写真による物で キャッチャー
と言うシステムで5000世帯くらいを一枚の写真に写し BSやCSの丸形アンテナ
をとらえることが出来ます。それに基づいてお話しに伺ったわけです」と言うことだった。
私「普通契約の方は来年度1年分支払い済みで、BSについては1月1日に調整を
済ませて、1月から契約します」
NHK氏「結構です、けっこうです。あと数日しかないのに今月からとは言いません。
日割り計算もやっかい ですから」と
私「政府が内政への国民の眼を、外国へ向けることによって、散らそうとしている時
一層 国民の立場に立ってすすめてもらいたい」と意見を言った。
−−◎夕方、苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。母さんの気分は安定していた。
本日の歩行総計約4.7Km
−−◎母さんを風呂に入れた。脱衣がいつものように、説得に応じず、抵抗を排して、
すすめたので、時間と物理的体力が必要だった。
浴室にはいってからも「こわかった、こわかった」と言っていた。
すぐに自分から湯舟に入った。湯舟の中で私が背中を洗ってやり、外に出たので
手足その他も洗ってやった。自分でもまね事のように洗っていた。
ひととおり洗ったので「外で待っているよ」と言い、台所で待っていた。
適温だったせいか、湯舟に15分くらい入っていた。
出てきたので、バスタオルをかぶせ、着衣を一枚づつとってやると自分で着た。
脱衣にくらべると、短時間だ。その後は機嫌は良かった。
2003.12.27(土) 晴れ
−−◎8時起き。
−−◎田圃方面へ散歩。(2.2Km=35分)
−−◎朝食。
−−◎生協配送日。
−−◎午後から郡上方面へ行ってきた。奥地まではいると道路が凍結していた。
母さんは元気で気分は安定していた。途中夕方になったころ「恐い 恐い」
と言っていたが、すぐに治った。
−−◎外出から帰ったら、玄関の戸の枠にNHKの「契約のお願い」とのメモが挟み
込んであった。円アンテナを付けた(自分で取り付けたので目下調整中)のが
12月14日のことだったから、13日目に来た。NHKの受信者捕そくの監視体制は
結構鋭い。
2003.12.26(金) 曇り
−−◎6時40分起き。
−−◎9時15分、歩いてデイサービスへ
−−◎12時30分、歩いてヘルパーさんと共に帰宅。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
“散歩”に4回付いていってもらった。近くにパトカーが止まっていて、
「こわかった、こわかった」と言っていたが、すぐに「月の砂漠」の歌
などを歌っていたとのこと。
母さんがパトカーを見るのは駐在所か事故直後の交通事故現場を
通りかかった時のようだ。事故後の光景は過去何回か見ている。
昨日も2Kmほど先のところで事故があり、つぶれた車を見かけて
「こわかった、こわかった」と言っていた。
駐在の前は無関心で通り過ぎるけど、つぶれた車や倒れている人との関係で
パトカーが「こわい、こわい」となったのだろう。
−−◎1時30分から3時30分まで、母さんぶらぶら、
その間にデイサービスで昼食を食べてきたのに、卓上に出してあった
生のグラタンとおにぎりを食べてしまった、
−−◎3時30分、苧ヶ瀬の池
母さん「今年はなんかごちやごちゃになってしもうた」
母さん「そやけどあーやってやれば...」
母さん「おっちゃん、置いていくもの持っておる」。
私「????お金か?」
母さん「うん」。
私「お金ならいっぱいあるから」
母さん「あー良かった。ありがとう、ありがとう」
そこまで話してから、「いっばいあるよ」というのは、いくら訳のわからない
母さんに安心させるために話すにしても、自分ながらちょっと違うと思って
「生活に最低限必要な払いは出来るよ」と言い直した。
散歩中の動きとは、まったく関係のない母さんの“話し”だったわけだが...。
2003.12.25(木) 晴れ
−−◎6時30分起き。
−−◎娘は学校へ。すでに冬休みに入っているのだが、期中の休講分が、冬休みに
「雪崩れ」込んできて、8時50分から、午後5時40分までみっちり22日、24日
25日、26日、通常よりも過密スケジュールで講義があるという。
−−◎8時30分から、田圃方面へ散歩、気温は下がっているが、風が無く、陽射しは
あるので歩くには快適。
今日の“出来事”は靴の件。
サンダルを履いていたので、靴を足元まで持って行き履き替えるよう促した。
いつもはここで普通に履き替えて出ていくのだが、今日は履き替えようとしなかった。
数回促したが替えなかった。ちょっと歩くだけだから別にサンダルでも差し支えない
と思って、シャッターを開けると、母さんは靴を手に持ったまま外へ出た。
家の端の方まで行って戻って来た。私は靴をうちの中においてくるように言おうと
思ったが、機嫌を損ねると思って言わず散歩に出発した。靴を右手に持ったまま
40分間歩き続け途中一回左手に持ち替えた。
靴を持ってはいたものの、いろいろ見つけた物についてしゃべったりする態度は
いつも通りだった。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、10:00から11:59まで、
自転車置き場の屋根の上でとなりの猫が寝そべったり遊んだりしていた。
その様子をヘルパーさんといっしょに車の中から見ていたり “お話し”を
したりしていた。新聞の見出しを読んでおしゃべりをしていたとのこと。
もどってからはバトミントンをした。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
大洞の粗大ゴミセンターへいっしょに行ってもらった。そのあとつづけて
苧ヶ瀬の池へ行き、3人で一周散歩してきて、もどってきた。
車の中でちょっとだけ受け答えしていた。散歩中にもちょっとだけ受け答えしていた。
−−◎5時30分から町内の忘年会があり、ふたりづれで出席した。
会場は近くだったが小型バスが迎えに来た。全員知っている人だが、
隣り合わせに座った人が、散歩中 言葉を交わしたりする婦人だったので
母さんは愛想良くなにやらしゃべっていた。
14世帯のうち10世帯(10人)が出席された。(うちは2人で1人分で
総計は11人。男4人、女性7人)
母さんは終始笑顔で、時折話しに加わろうとする動きを示し、隣の席の人が
ジュースをついでくれた時「ありがとうございます」と言っていた。
病気の状況についての話しも出てくるので、聞かれるままに、簡潔に
説明した。元々町内の人の中に奇異の目はなかったが、本人を見て、説明も
聞いたりすると、奇異の目の派生は無くなるだろう。
私の側に壁が無くなると言うことでもある。
母さんは知った人ばかりで安心していたのか、1時間半笑顔で過ごし
「帰ろう、帰ろう」とは言わなかった。1時間半経過した後、食べ物も
なくなってきた時「足が痛い」と言いだし、皆が座っているのに、ひとり立って
窓際へ行ったり戻ったりしてソワソワしだした。
班長に断って、バスには乗らず、1.5Kmを散歩代わりに歩いて帰ってきた。
−−◎この1年間、何人かのヘルパーさんに来てもらっての効用で気づいたことは
@言葉が失われないで残っていること。
A感性的記憶力を保持していること。
言葉も時間と空間を越えた話しもあるが、目に見える瞬間的なことは事実を
反映している。しゃべる相手が居なかったり、しゃべったことに誰も反応して
くれなかったりすれば、常人でもしゃべる熱意を失いしゃべらなくなる。
病気そのものに加えて環境が病を左右ようだ。
感性的記憶力 ヘルパーさんを他の人(集金に来た人など)と識別出来るし
この日記にも書いた雪の風景の昨日との違いや、施設にあった“でかいかぼちゃ”
その後かたずけられて無くなったことなどについての言動は、記憶が保持されている
こと事を表すものである。
2003.12.24(水) 曇り
−−◎母さん内科の診察日、9:10、すこやか診療所に行った。
はじめに本屋の病院であるみどり病院で胸部レントゲンを撮った。
これが大変だった。下着は着ていてもいいがカーディガンやブラウスは
脱がなくてはならない。レントゲンの先生にも手伝ってもらって説得し、
ジャンパーだけは無理矢理脱がせたが、両腕を組んでかがみ込むように
しているので、脱がせることが出来なかった。
カーディガンやブラウスを来たまま、普通背後から照射するが乾板に背を
向けるようにして、逆からとってもらった。
レントゲンの結果に異常はなかった。
−−◎終わった後近くの喫茶店へ行き、気持ちをほぐしてから帰宅した。
−−◎午後からは母さんの下着を買いに衣料品スーパーへ行った。婦人服
売り場で探すのだから、母さんはわかってもわからなくてもいっしょに
いなければならない。初老の じさま が下着売り場に ひとりでうろうろ
していたら、変である。母さんはだいたい白系統がいいと言うので、
サイズを私が確かめて、選択しお金は私が支払った。
今年初め頃は、その場でお金を渡し、私がそばにいて支払うことが出来たが
今は支払いをすることが出来なくなっている。
−−◎母さん気持ちは落ち着いている1日だった。
2003.12.23(火) 晴れ
−−◎自衛隊のイラクへの派兵に反対する。派兵を取り止めるよう政府に要求する。
60年前の国民的惨禍を思い起こすべし。
−−◎母さん8時30分まで寝て居た。娘も休みで寝ていた。
−−◎10時から、田圃方面へ散歩。10時になると寒さもゆるみ、風もなかったので
いつもより遠くまで行き、約3Km歩く。道路に雪は無かったが 田畑には
一面に雪があり、母さんは「雪や 真っ白や」と言い歩いていた。
−−◎数ヶ月前(調べたところ9月17日)に無くなっていた一塊のパンが物置の
空き箱の中にあるのを発見した。3ヶ月経過していたが、乾燥していたせいか、
カビはそんなにひどくなく ビニール袋に入れてありカビが飛散しておらず
被害は最小限だった。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
暖かく、数回“散歩”についていってもらった。機嫌は良かった。
川のそばで 鳥を見たり、「大きい鯉がいる」と教えてくれたりした。
歌を口ずさみ、会話も多く出たとのこと。
戻ってからはボール投げ遊びをしてもらった。
−−◎夕方娘と3人で ばっちゃの家に行き1時間くらい過ごしてきた。
ばっちゃの様子も変わりはなかった。母さんは私に食卓の上にある
お菓子をとって差し出し「食べやー」と言ったり、いつもと変わりがなかった。
−−◎アルツハイマー病の治療、介護を取り巻く状況は発展途上である。
目指すは、@早期発見のための徴候の発見と確定。(これがアルツハイマー病だ
といえる、他の病気との違いを識別する)。
A発見されたら、それを治療する方法の発見開発が必要である。
B50年くらい前の時代に「ヨーロッパに比較的多く日本に少なかった」
とされているがそれは真実か?真実ならば何故そうだったのか?の解明。
治癒または病気悪化の停止が第一段階の発展さすべき問題である。
アルツハイマー病についての諸問題は1980年代になって、新聞、雑誌、
書籍等に登場し、国民の間では関心のある人、直接関係のある人の意識に
のぼり始めた。体が不自由になった老人を対象に介護保険が登場し、
その中に物忘れ、不安感、それに伴う思考と行動の混線を伴うアルツハイマー病の
患者の介護も取り入れられることになった。
介護保険では「自立を促進する」とあるがアルツハイマー病は日々自立が
崩れていき、終いにはひとりでは生きていけなくなる病である。
法制度としてそれを見据える必要がある。
諸施設もヘルパー制度も人間の長い歴史過程から見れば発生したばかりである。
(「病院」の歴史。一例として看護婦(士)の歴史などと比べて)
それくらい老人への社会的対策が放置されてきた結果であり、アルツハイマー病
については社会的認知がようやく始まったばかりである。そのため諸施設も
ヘルパー制度も急ごしらえで作らなければならなかった。
それでもある方が良いか、ない方が良いかというとあった方が良い。
しかしその内容は、今後充実が期待される“発展途上”である。
ヘルパー制度では、一般に思考と行動の混線を伴うアルツハイマー病患者
への対応の訓練の充実が期待される。介護保険ではそこまで想定していない。
諸施設での対応も同様で 介護は病人1人に対して介護士1人、
または病人1人に対して介護士2人(交代も含めて)が期待される。この点でも
介護保険ではそこまで想定していない。
将来、そこに至らなければならない“発展途上”の問題である。
2003.12.22(月) 曇り
−−◎朝の散歩は20分くらい、1.2Km程行った。
−−◎少なくなった雪
岩戸公園へ散歩に行き、車から降りて歩き出すと言った。
母さん「昨日よりも雪が少なくなっているね」(本当は一昨日来た)
私「うん、歩く道のところはほとんど融けているね」
一昨日来た時の光景がこころの中にあったようだ。
−−◎方向指示器のランプ。
車でどこかへ出かける時はだいたい母さんが運転する私の左側に座っている。
信号で停車した時に母さんが言った。
「不思議に思ったんやけど 何もないのにランプが光っている」
と言う。見ると前車が左折しようとして表示ランプをピカピカさせていた。
私も左折しようとしていた。特に不思議とは思わなかったが
私「左へ廻ろうとして、信号を出しているのやわ」
左へ曲がりきった時に“不思議”の意味がわかった。
その車の方向指示ランプのカバーガラス(またはプラスチック)は
バック表示ランプと同じ白か透明だった。たぶんその内側に細工がしてあって
点灯するとオレンジ色に光ったのだろう。
走行中“白”であるところを見ていたのにオレンジに光ってので“不思議”に
思ったのだろう。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
雪解けのぬかるみのある中を“散歩”に行った。
ヘルパーさんのお話によると「雪でぬかるんているので、私に”すべるで
こっちへ....”とか、気を遣って下さいました。」とのこと。
母さんが口ずさんだ歌は今日はスキーの歌だったそうだ。月の砂漠から
雪景色にふさわしく、スキーの歌に変わったのか。
室内では ボール遊びをしたり、宝塚のテレビを見ながらお話しをしたりした。
−−◎今日ここには、いろいろ出来なくなっている中で、「出来ている」ことを三つ
「雪景色の昨日からの変化に気づく」、「白の部分がオレンジ色に光ったことに気づく」
「歩いている時に、人が濡れたり、滑ったりしないよう気を遣う」をあげた。
何を保持しつつ 何が先に無くなっていったかを 後々知るためである。
−−◎夕食の調理をしている時、いろいろ手伝おうとしていた。
お皿の上にキッチンペーパーをひろげて置いたり、白菜を部分的に使用し
残りを除けておいたら、それをボールに入れて水に浸けたり、母さんの
おやつであるメロンパンをお皿に置いたり、リンゴをむいたりしていた。
そのほかあまり役に立たないことを「これは これやろ」などと言いながら
まじめな顔をしてやっていたので、私は「あー、ありがとう」と言いながら
行為の訂正をしていった。
2003.12.21(日) 晴れ
−−◎8時30分起き。
−−◎快晴で朝日は強いが朝から冷え込み強し。外は雪で真っ白(積雪17センチ)。
表の幹線道路はすでに雪はないが、横町はそのまま雪があり、轍の跡が
数本有り。母さんの気分は平静、朝の散歩は出ないでうちの中を行ったり
来たり。
−−◎10時NHKテレビで高校駅伝「女子」を見ていた。その時画面下にhttp//...
とインターネットアドレスが紹介されていた。
私が独り言のように「インターネットでマラソンを見て、何を見るんやろね」と言うと
母さん「さあ 私わからん」と言った。
−−◎「おい おい」と言い続けると何回かに一回は自分の方に来る。事を
経験により得て、「おいおい」と言う。
−−◎テレビでモーニング娘のメンバーが何人か出演するドラマをやっていて、母さんは
それを見ていた。ドラマが終わった後 出演のひとり安倍なつみ=「ナッチ」が
出演時の感想で「勉強になったし、楽しかった。終わってほっとした」
と言うような意味のことをしゃべっていた。
母さんはテレビ画面のそばまで行って「良かったね、頑張ってやりー」とか
画面のナッチにいろいろしゃべりかけていた。子ども番組やモー娘の番組は
好きなようだ。
前日は「あっ浅丘ルリ子や」と画面を見てすぐ反応して私に言った。
2003.12.20(土) 朝から 雪 途中 やんでいたが 3時頃よりまた降り出した。
−−◎7時30分起き。散歩は無し。
−−◎9時30分、生協配送車来る。
−−◎昨日、どこからか、宅配便が来て、業者西濃運輸の「持ち帰り」になっていた。昨日中に
「本日9時から12時までの間はいる」と連絡しその間に配達に来ることで了解していた。
やはり昨日、郵便物も「持ち帰り」になっていた。郵便局にも同様の連絡をした。
郵便局は9時30分に配達に来た。西濃運輸は12時になっても連絡もなく配達にも
来なかった。所用があって外出した。帰宅してみると「12時11分」に来たとのメモが
はいっていた。
−−◎母さんに雪景色を見せるため岩戸公園へ行った。散歩と言うことではなく、雪を
踏みしめるために車から降り散歩コースの3分の1ほどのところまで歩いた。
はじめは喜んでいたが、そのうち「寒い、寒い」「冷たい、冷たい」と言いだした
ので適当に戻ってきた。
−−◎夕食を作っていた。母さんが近づいてきて布巾の代わりにタオルをとってくれたり
サイズの違う皿を並べてくれたり、手伝っているつもりでいた。
煮物をしていて、沸騰寸前だったのでふたをとっておいた。
母さんが、その鍋にふたをした。噴きこぼれを防ぐことが頭にあって
声を荒立てて「ふたをしないで!」とふたを取り去った。
母さんは プイッとそこを立ち去った。1分か2分して「ごめんね、おっちゃん」と言った。
ここまでは いつもよくあることだ。私の軽度の叱責には 内容がなんであれ
こう言えば納まる、と理解しているようだ。
「いいよ いいよ」と言うと、また去っていった。
しばらくしてまた戻ってきて小声で言う「壊れてしまった。なにもわからへん」と
3回くらい言った。私は言う言葉がなく「そおう、わからなくなったの」と言うと
「うん、わからへんようになった。」と言った。
私「いいよ いいよ。今作っているから..。もうすぐだよ」と言った。
母さん「うんうん」と言い、煮上がったばかりの 配分前のかぼちゃを
味見用の小皿にとって「熱い熱い」と言い、フーフー吹きながら食べていた。
この光景の流れの中で、「壊れてしまった。なにもわからへん」と言うもの言いは
自分の現状をわかっているから出てきて言葉のように思える。
−−◎10時頃は雪が上がり星空が見えた。
2003.12.19(金) 曇り 後 雨 後 雪
−−◎6時30分起き。
−−◎7時46分、田圃方面へ散歩。
−−◎9時15分、車でデイサービスに連れて行った。私が付き添って昼まで過ごした。
パズルとぬり絵をした。母さんの気分は良かった。笑い声もあった。
体操は見ているだけでやらなかった。
付き添いが邪魔にならないか 心配していたが「全然邪魔ではありません」との
ことだったので良かった。
「日数(利用日)を増やされますか」との提案もあった。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
風が強く寒かったが、“散歩”に4回行った。
バトミントン遊び、(今日は、ヘルパーさんがラケットで打ち、母さんが素手で
受け、投げ返すやり方)盛り上がっていた。
−−◎脇田自動車へ行き、車のタイヤをスタッドレスタイヤと交換してきた。
その時は晴れたり曇ったりしていたのに3時頃から雪が降り始めた。
母さんは出窓をのぞいていて
「おっちゃん、おっちゃん、ちょっと来てみー、雪やよー」と叫んでいた。
私「あーっ、雪やねー、となりの屋根が真っ白だ」
大きい雪が降っていたがやがて雨に変わり、1時間後くらいにふたたび
雪に変わった。初雪だった。
−−◎雪で 母さんのお風呂は中止した。
歯磨きは 「さあ 歯磨きして寝よう」と 洗面に連れて行きブラシを差し出すと
今日は 今日はすぐ磨き始めて1分くらい磨いていた。
−−◎雪は 深夜もコンコンと降り続けている。
2003.12.18(木) 晴れ
−−◎7時30分起き。
−−◎8時、田圃方面へ散歩。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、10:00から11:59まで、
「寒い、寒い」と言いながら“散歩”に行き、ヘルパーさんについていってもらった。
戻っては出ていき、4回行ってきた。散歩中に「お城が見えるよ、見てみー」と
言っていたとのこと。いつも見えるのだが、今日は遠くへ目がいっていたらしい。
ボール投げ遊びや、停車中の車の中でぬいぐるみ遊びをしてもらった。
−−◎買い物、昼食。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
ヘルパーさんが2人来られて、母さんの“散歩”は午後も4回出た。
ボール投げ遊び中にも笑い声が聞こえてきた。
お帰りの時も今日は、ニコッと会釈し外に出て振っていた。
−−◎ケアマネージャー来訪。1月の利用計画書を出した。
−−◎夕食後は新築開店の食品スーパー「バロー」岩田店へ買い物に行った。
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静岡県の S・K 様 お便りありがとうございました。(2003.12.17)
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2003.12.17(水) 晴れ
−−◎7時30分起き。
−−◎9時20分にヘルパーさんが来られ、9時25分に病院へ向けて出発。
病院では、ヘルパーさんといっしょに待っていてくれた。ぬいぐるみ遊びを
してもらったり、「お話し」を聞いてもらったり、機嫌は良かった。
帰宅したのが10時55分
私が母さんを散歩に連れて行き、その間に店(=今は母さんの居室)の
掃除をしてもらった。手の爪を切ってもらった。(9:20〜11:29まで)
−−◎洗濯干し、昼食用意、
−−◎また今日も歯磨きをさせるのに手間取った。
歯磨きは まず@母さんが自分でやるか、A私がやってあげるか、
B放置するか。三つに一つの選択である。
今日は、おだやかな口調で「じゃー、歯磨きしようか」と切り出した。
「うん」と言ってブラシを受け取り、水道で洗って置いた。
もう一度取ってあげると、洗って置いた。数回繰り返したので、
「磨いてあげるから、こちらを向いて」とブラシを差し出すと、「自分で磨くから」
と言った。「じゃ、磨こうか」と言うと トイレの方へ行ったり、二階へ行ったりして
その間にブラシを洗っておくことを繰り返した。この辺までは私もおだやかに
話していた。歯磨きをしないで放置するならおだやかに働きかけを終わればよい。
後1時間でもねばって説得を繰り返すか、威嚇してでも「正義」を押しつけ
やらせるか のどちらかである。怒ってやらせる方法を選んだ。
「ブラシを洗っているだけではいかん。すぐ磨きなさい。自分で磨くと
言ってたではないか」と大声で言い。動作は緩やかにブラシを口に近づけた。
ブラシを取って自分で磨き始めた。左側を少し磨いただけだったが、中断してブラシを
洗っていたので、これまでと思い、「おー磨いたね、良かった良かった」
と言って二階へ連れて行き就寝させた。歯磨きの時間は30分以上かかっていた。
−−◎昨日のことだが母さんがヘルパーさんに どこかの 二人姉妹の話しをし
「いまごろ、どうして見えるかなー」と言っていたという。
25年くらい前にいた、新潟県出身の なぐもさんと言う姉妹のことだ。1年間くらい
妹さんが母さんの店に勤め、ねいさんは市内の別の会社に勤めておられた。
ねいさんが新潟県へ帰られたので、妹さんも店を辞め、いっしょに帰って
行かれた。母さんの遠い記憶が呼び出されている感じだ
母さんの気持ちがゆったりしている時、遠い記憶にあることをしゃべるようだ。
2003.12.16(火) 晴れ
−−◎7時30分起き
−−◎8時、薬を飲ませ、田圃方面へ散歩に行った。
「寒い、寒い」と言っていたが、寒さの程度に関係なく感じたままを言うので
寒さが続いていれば「寒い 寒い」と言う。かまわず散歩を続行した。
外で今日母さんが気が付いたこと。
カラスが物音に驚いて「カァー」と鳴き飛び去ったこと。
「お月さんが、半分残っておる。おもしろい」
犬がいる。塀の中側か 物陰にある犬小屋に。人が通ると「ワン」「ワン」となく。
見えないところで犬がないていると、母さんは必ず「フフフッ」と笑う。
−−◎9時、朝食。
−−◎母さんをテレビとか、うちの中を行ったり来たり、あっちの物をこっちへ、
こっちの物をあっちへとか、気ままにさせておいて、倉庫の整理をした。
−−◎12時、昼食。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
ヘルパーさんが来られた時、ジャンバーを着替え中。厚手のジャンバーに
着替えた。
母さんはじめは散歩のつもりで外へ出たが、車に乗り込んでしまって、
ぬいぐるみ遊びや、お話しを聞いてもらっていた。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
車の中で遊んでいた。退屈になったらしく2回ほど呼びに来た、
ヘルパーさんにも行ってもらって、岩戸公園へ連れて行った。晴れだったが
太陽が雲に隠れかげっていて風も少しあった。一周散歩してきた。
バトミントンのスポンジボールがすり減ってしまっていた。ヘルパーさんが
お手製で作ってきてくれた。母さんはその時の関心が他にあったようで
長くやらなかったが ボールは調子が良さそうだ。
−−◎本日も平穏無事に過ぎた。
−−◎歯磨きに、取り組み始めて一週間になる。昨日はブラシを渡したが
手にとって洗ってかたずけてしまって歯磨きをしなかった。
深く追求しなかった。
今夜も ブラシを渡したが一回目は手にとって洗ってかたずけてしまい磨こう
としなかった。新しい2本目を軽く洗って「昨日も磨いたから、はみがきしよう」
と言いながら渡した。(昨日は磨かなかったが、その前日までは3回連続
磨いていたからそう言った。)ブラシを持ったまま、「自分でやるからいいわ」
と言って、洗面へ行ったり、トイレへ行ったり、二階へ行ったりしていた。
2本目も洗ってかたずけてしまった。
3本目を洗って渡した。私も自分の歯ブラシを持って来て磨き始めた。
横を向いていたので前の方へ行き見えるようにして自分の歯磨きをした。
私「自分で磨くって言ったんやから磨いて」でも磨こうとしなかった。
「虫歯で歯が痛くなる」とか「口が臭くなる」とか言ったが磨かなかった。
「よし 磨いてあげよう」と言いブラシを口のところへ地かずけ行った。
それでも、磨かなかった。磨かせるよう、いろいろやっていたら、磨き始めた。
で「おお、もうこれで歯が痛くならないよ。よかったよかった」と言い、
「100数えるまでみがこ」と言った。右、左と順番に磨いて行った。
100数えた後も少し磨いていた。
2003.12.15(月) 晴れ 曇り
−−◎私6時30分起き、母さん7時15分起床。
−−◎7時40分から、田圃方面へ散歩。
−−◎朝食後、家事処理後、郵便局、仕入れ先等へ母さんを連れて外出。
得意先へ品物配達を続けてすませ、用件が終了したので、その足で、
岩戸公園へ行き一周散歩して戻ってきて12時30分だった。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
3人でクリスマスツリーをセットした。室内が華やかになった感じだ。
そのあとは、外は、天気も良く、風もなく、おだやかな散歩日和で
母さんは“散歩”に出て、戻ってきたと思ったら、また出て、何回も
“散歩”についていってもらった。
テレビを見て、ぬいぐるみ遊びもした。
何かしゃべっていたからこのヘルパーさんにだいぶん慣れてきたようだ。
−−◎ヘルパーさんが来てもらっている間にだいぶん歩いた模様なので
夕方の散歩は中止し、私は気疲れがしていたので 母さんには
気ままにさせ40分間昼寝した。
−−◎娘が帰宅し、夕食後、買い物に行った。
−−◎「恐かった」とか「おっちゃんありがとう」とか「寒い、寒い」とか言っていた。
2003.12.14(日) 晴れ
−−◎7じ30分起き。
−−◎田圃方面へ散歩。
−−◎朝食後、岩戸公園へ散歩。
−−◎そのあと、NHKへ電話をしてからBSテレビアンテナを設置した。
テレビ本体はBSテレビが受信できるテレビだったが、ずーっとアンテナを
取り付けておらず、受信できなかった。アンテナはベランダに取り付け、
ケーブルを共通配線ラインに添って貼り付けていき、共通配線穴から
室内に取り入れ天井の隅をたどり、壁に添ってテレビ本体におろした。
娘が学校が休みだったので調整は手伝わせた。私がアンテナを動かし
娘はテレビの前にいて、受信状況を見て、ケータイ電話で「あっ映った」とか
「薄くなった」とか「消えた」とか言って知らせてくる。適切な場所で停止した。
まだ画面が不安定なので、目下調整中である。
−−◎昼頃、母さんはシャッターを動かしていたが、自力でシャッターを開けた。
母さんが外に出たので私も付いて出た。母さんは満面の喜びの表情だった。
私もつられて、「おーっ、開いたね」と言い「世紀の偉業を成し遂げた感じだね」
と付け加えた。
交通事故の危険性と迷子にならなければ外に出ることは何の害悪もないのだが
−−◎「ありがとう」と言う時と「すみませんねー」と言う時と、ちょっとニュアンスが違う。
出来ないことをやってあげると「ありがとう」と言い、靴下を履かせてあげるとか
寝る時に布団を掛けてあげるとかしてやると、笑いながら「すみませんねー」
と言う。前者は決まっているので「ありがとう」と言い、後者は出来るのだけれど
こんな事までしてもらってわるいねーとの気持ちがあって、「すみませんねー」
と言っているようだ
−−◎本日も大過無し。
2003.12.13(土) 曇り 時々 晴れ
−−◎生協配送日。
−−◎8時50分より、田圃方面へ散歩。少し小寒い。
−−◎消耗品を配達に母さんを連れて行った。届けるだけで短時間だったので
とくに問題は起こらず、
−−◎午後は買い物に行ったくらいで、寒かったので公園への散歩は行かなかった。
母さんは幼児みたいに、「おっちゃん、おっちゃん」と言って、二階へ行けば
二階へ、物置に行けば物置へと、付いてきたが、「うん、うん」とか「おいおい」
とか返事をして気ままにさせておき、とくに問題は起きなかった。
−−◎前々からそう言っていたが、公園を歩いていて、話題がとぎれている時に
ふと「おっちゃん、ありがとう」と何回も言う。うちにいる時も時々言う。
ヘルパーさんに足を洗ってもらっている時は、「ありがとう」とか「すみませんねー」
とか必ず言う。
このごろ言う回数が多くなってきた感じだ。
−−◎明日から、寒くなると言う天気予報だったので、風邪に気をつけねば...。
−−◎ここ1年くらい、母さん歯磨きをしていない。4月頃、7回くらい(7日間)歯磨きを
するよう勧めた。練り歯磨きをつけて手渡しても、それを水道で洗い流し、
歯磨き立てに納めるだけだった。7日目の時は、私が「歯を磨かなあかん」
と怒って終わりだった。
以来意志無き行為を強要しても、やらなければ 危険だから無理矢理やることも
出来ない。こちらも腹立ちをするので以来取り組んでいなかった。
今回は4日前から、就寝前に歯磨きペーストをつけないで、言い方は
軽い言葉かけで、やって良し、やらで良しの雰囲気で勧めた。
はじめ2回(2日)はやらなかった。約15秒間外側だけ磨いた。
今日は外側、内側もそれぞれ3往復くらい磨いた。合計1分間くらいだったか。
うがい用にコップに水を渡すと飲んでしまった。ペーストをつけていなかったし
飲んでしまったものは仕方がない、「ぶくぶくして、ペェーとはき出すんだよ」と
と一言だけ言ったがそのまま寝させた。
これから自分出来るうちは 歯磨きを復活し続けることにする。
2003.12.12(金) 曇り のち 晴れ 時々 小雨
−−◎6時30分起き、
−−◎8時から、田圃方面へ散歩。(2.2Km)
−−◎9時15分から、歩いてデイサービスへ行った。私の付き添いつき。
始めは木片パズルをやった。目の錯覚をする形で、私が一生懸命やり、
母さんは見て居た。
他の人は別の紙細工をやっていたが、母さんは出来そうにもなかったので
ぬりえをやった。今日は桔梗の花だった。私が塗りかけて、「さあ、ここを
塗ってみようか」と色鉛筆を持たせてやると、「ふふん」と笑いながら色鉛筆を
取り、塗って居た。少し塗ると手を休めたり、色鉛筆をケースに戻してしまったり
していた。ちょっと間をおき、ころあいを見て、色鉛筆を渡すとまた塗り始めた。
「体操」はいつものように、手をぶらぶらする運動と、足踏みと前後に動かす
運動はやっていた。全くやらないと言う気持ちがあるのでもないようだ。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
デイサービスが終わった後、3人で歩いて帰った。(往復2.4Km)
15分くらい“散歩”に行ってきた(1Km)。気候はいつもより寒くなってきていた。
うちの車の中で ぬいぐるみ遊びやお話し相手をしてもらった。
−−◎そのあと私は諸事を処理し、3時30分から苧ヶ瀬の池へ散歩に行き
一周してきた。(2.2Km)
本日の歩行総計約7.8Km
−−◎本日お風呂の日、脱衣工作1時間、浴室25分、着衣5分。
母さんの風呂は、本人の自発性や、軽微な説得では 風呂に入ろうとしないことは、
昨年の105日間はいらなかった経験から明らかである。
それでも毎回、はじめのうちは、説得に努める。
今日も40分経過したので、大声で威嚇し(私の声は通常は普通だが、大きい声を
出す時は たとえば小学校の体育館で大勢集まっている時 マイク無しで
後ろの席でもはっきり聞こえる程度)、拒んでいるのを押さえて、無理矢理
脱がせた。混線している思考がますます混線したのか台所へ行ったり、店へ行ったり
二階へ行こうとしたりしていた。
やっと風呂へ誘導しはいらせた。
今日は風呂へ入ってもはじめのうちふるえていて口をきかなかった。ようやく
しゃべったことが「恐かった。恐かった。」と言って居た。
私「恐かったかも知れない。風呂にはいるというごく普通のことを拒んだからだ。
風呂に入ろうか と言った時、さっさと服を脱いではいれば、恐くもなんともないよ
これからも、風呂を拒むだろう。その時は大きい声を出し、服を脱がせるか、
または大きい声を出さない時は衣服をハサミで切断する。(過去2回切断した)
だから 恐いのは続くだろう」とだまかしてもしかたがないので現実的な
展望を言った。もちろん母さんに意味はわからないだろう。
母さんは「恐かった恐かった」と言いその後黙っていた。
感情を込めて怒鳴り散らしたので、恐怖心はかなり後々まで残っていた。
母さんの自己というものが強烈に、働いているということだ。
説得によっては風呂には入らない。しかしこのようにしてでも風呂に入れることが、
妥当であるかどうかは、疑問である。
−−◎母さんの発病前は、発病後も一年あまり前までは、母さんを大声で怒鳴ったような
ことはなかった。自分のことは自分でする、のが大まかな方針であるし、
家事は母さんが自分も忙しい中よくやってくれたし、私も少しはやった。
何か新しい物事では、怒鳴って可能になる物でもなく、出来る物は出来るし
出来ない物は出来ないのだから...。
病気以後やさしさも倍加(子どもに接するように)したし、怒ったり、怒鳴ったり
するのも倍加した。(風呂と薬を飲むことのみ。)(出来ないことがあっても、
物を移動したり無益なあるいは、支障を来すような“作業”をしても怒ったり
怒鳴ったりはしていない)
2003.12.11(木) 曇り
−−◎7時30分起き。
−−◎母さん、昨夜は2回階下へ降りていった。一回目は12時ころ、5分くらいして
連れ戻しに行き、おとなしくあがってきて寝た。2回目はおそらく2時30分
ころだった。居ないことに気が付いたが、私も半寝の状態で「見に行こうか」
と思っていたが、結局迎えに行かなかった。
次に見た時は寝ていた。どのくらい階下にいたのかは不明。
−−◎8時、田圃方面へ散歩。
−−◎9時、朝食。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、10:00から11:59まで、
テレビを見ながら「お話し」、家のまわりを一周散歩にヘルパーさんについて
行ってもらった。もう一回散歩に行き、こんどは朝の散歩コース(=35分くらい)
へ行った。日差しが無く寒かったようだった。
ボール投げ遊びをし、停めてある車の中でぬいぐるみ遊びをした。
車の暖房が効きすぎたせいか10分ほど居眠りしたとのこと。
機嫌は良かった。
−−◎岩戸公園へ行き、一周散歩をしてきた。特に変わった光景は無し。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
訪問時、母さんの目線がヘルパーさんの目に向かっていなかった。
まあはじめはこのようなものだろう。
私がいっしょにいて、アルバムを見ようとしたが見なかった。
ボール遊びを勧めたが母さんがしなかった。
で家の周辺を3人で散歩に行った。
戻ってきて 私が手を取って座らせておき、ビデオを見た。
ケアマネージャーが立ち寄られ、いっしょに少しアルバムを見ていた。
母さん外へ出かけて戻ること2回か3回、店から台所へ引っ込んだり、
事務所へ来たりすること数回、ころあいを見て店へ連れて行ったが。
落ち着き無し、後30分のところで、私も横に座り、手を押さえてテレビの
子ども番組を見させて座っていた。私は居眠りをしていた。
帰られる時も、母さんは顔を合わせなかった。
−−◎曇っていて、雨の心配があったので夕方の散歩は行かなかった。
−−◎特段のこと無し、りんごの皮はむけないが 柿の皮はむける。
柿を(少し大きめの)自分でむいて3個も食べた。りんごも同じように
かごに入れ見えるようにしてあるのに、柿をむいて食べた。数日前のこと
「リンゴをむいて」と私が差し出すと「うんうん」と返事だけはしていたが
むかないままそこにあった。
2003.12.10(水) 晴れ
−−◎7時30分起き。
−−◎眠っている時の「夢」は起きて考えてみるととんでも無いものが多い。以下は娘の夢。
−−−3人でボーリングに行っていた。3回目くらいまでは私(娘)の調子が
良ストライクとかスペアが出ていた。「投げはじめだから余力はあるから調子がいいわ」
と夢の中で思っていた。
母さんその時までは普通にやっていた。次の順番になってボールを投げた時
ボールは空中、高さ腰のあたりを平行に飛び ピンの上にある向こう側の
壁に当たった。壁は壊れずボールはストンと落ちた。−−−−
−−◎10時20分、田圃方面へ散歩。
途中10m幅ほどの水が比較的澄んでいる川があり、橋の上を歩いている時、
「おるおる」(居る)と 母さんが言う。見ると白鷺が2羽浅瀬に立っていた。
岸辺にそれより大きいグレーの同型の鳥が居た。
「あっ白鷺がおるねー」と相づちを打つ。
先に進み川下の橋を戻ってくる。母さんが立ち止まり欄干から下を
覗いてまた「おるおる」と言う。見渡したところ鳥は居なかった。
「何が居る?」
「そこにおるがね」
それは川の中にいた。60センチから70センチの大きな鯉が3匹泳いでいた。
この川は、雨の無い日が続くと、流れがほんの少しになるので、鯉がこんなに
大きく成長することはない。雨の多い時に、どこかの池から流されてきて
今年は雨が多く、水量も保たれ、今まで生きていたのだろう。
−−◎道ばたにカリンが落ちていた。庭木にカリンを作っている家もあるので、
こどもがちぎってきて、遊んでいるうちに捨てたのだろう。
ここでも母さん「なんかある」と言った。この前の時にはみかんを見つけた。
粗大ゴミや 空き缶 傘 靴 なども捨ててあると言うか放置してあると言うか
道ばたにあることがある。そういう時はいつも「なんかある」と私に教えてくれる。
あるべき物があっても、それほど母さんの注意を引かないが、
あるべき物でない物があると注意を引くようだ。頭の中の「あるべき状態」
の風景があるようだ
−−◎10時50分に、パンの朝食を食べた。今日は早めに公園に連れて行ってやって...。
と思っていたが、台所の整理をして、洗濯を干して、薬を飲ませて、
郵便局に行ってきて、ついでに農協の野菜直販にもよって、とやっているうちに、
午後1時になってしまった。1時ならば昼食だ。和そばを作って食べているうちに
2時半になった。ご飯の残量を見て、夕食分を洗ってセットして、ようやく公園の
散歩にと、木曽川河川敷公園へ出発した。車で数百メートル進んだところで
母さんの足元を見ると、かかとの高いサンダルを履いていた。先ほど
母さんが「行こう、行こう」と言っていた時は靴を履いていたのに...。
これでは、公園に行っても少ししか歩けはしない。引き返し靴を替えて再度
出かけた。今日は1400m地点で折り返し、往復2.8Km歩いた。
本日の歩行総計約5Km
−−◎先週12月5日に、デイサービスで母さんの体重を量ってもらったところ54Kgあった。
この日記では、母さんの発病を1998年8月(54歳11ヶ月)として書いている。
その発病2年くらい前までは体重は44Kgから45Kgのところで、ずーっと
安定していた。発病前1年の体重の記録も記憶もないが、発病時ころから年末頃に
かけて40Kgを下回るほどに減少していた。
その後、週2日休みにするとか、仕事を軽減していき、食事も安定させ、気分的にも
ストレスが軽減するようすすめて、体重が増えていった。現在30歳代、40歳代の
平常時体重を10Kgも越えている。体への負担を考えると、ふとりすぎは
また心配なことである。
2003.12.9(火) 晴れ(外気温、朝=7℃、昼3時=9℃、夜9時=7.5℃)
(室温暖房無し、朝=13℃、昼3時=17℃、夜9時=14.5℃)
−−◎7時40分起き。
−−◎9時10分、田圃方面へ散歩。ちょっと肌寒し、母さん「寒い、寒い」とは言いながら
帰るとは言わなかったので、そのまま行った。すずめが群れて飛んでいた。
−−◎10時、母さん朝食(パン)。その間に洗濯等処理。
−−◎11時45分、岩戸公園へ散歩に行ってきた。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
朝の散歩コースをいっしょに行ってもらった。風か冷たかったが元気に
車のナンバーを読んだり、スズメの数をかぞえたりしたとのこと、後半は
うちの停めてある車の中で ぬいぐるみ遊びや、おしゃべりをしていた。
よく笑い 楽しく過ごした。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
来られるとすぐにヘルパーさんを引き連れて“散歩”に行った。
寒かったのであまり遠くへは行かず、停めてある車の中でぬいぐるみ遊びや
おしゃべりをしていた。車の中が母さんの座り心地がいいならそれても
かまわないと思った。ぬいぐるみ遊びをしたりヘルパーさんを相手に
おしゃべりをしているのだから、店(=今は母さんの居室)の椅子にいても
どこでも同じ事だから。(この「おしゃべり」というのは、時間の混線、
空間=場所の錯綜、主題の思いのままの推移で意味のわからないお話し
なのだが)、それでも人と接していて何かの動きをしている事が大事なことだから。
その後、バトミントンを少しやった。その後、岩戸公園へ私もいっしょに車で行き
一周散歩してきた。
ヘルパーさんが私に「そのうちに シャンプーなどもさせてもらっていいですか」
と言われたので、「状況を見て、よろしくお願いします」とお願いした。
−−◎夕方は、例によって苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。夕陽も沈みちょっと風が出てきて
寒かったが元気に歩いた。「恐いこわい」とは言っていたが支障はなかった。
散歩途中に、服を着せられた小さな犬などに出会うと(今日は服を着せられた小犬
3匹会った。)母さん、「可愛い」と連発していた。
帰り途中、いつもはあまり寄らない食品スーパーで野菜物を主に買い物をしてきた。
いちごを2パック目を取ったので私が「もう買ったよ」と言うと
「一個では足らないやろう」と私が異な事を言うとばかりに微笑んでいう。
私「そうだねー」と言って2パック買った。バナナも5個入りを2パック、
何故か 葱も4本入りを2束買った。その他の物は一個ずつだった。
−−◎夕食後は、雑貨と本を買いに行った。
2003.12.8(月) 晴れ のち 曇り
−−◎6時40分、二人とも起きた。家事、諸用。
−−◎8時30分、田圃方面へ散歩に出かけたが「寒い、寒い」と言うので200m
程行って、戻って来た。外気温は低く、それと共に室温も低くなった来ているが
店(=今は母さんの居室)の室温は22℃〜23℃に保たれている。
「この部屋にいるのが一番快適である」と母さんが感じるようにしてある。
その他の部屋は寒い。
○3輌の列車の件。散歩中に JRの列車が3輌通過した。
「3台通った。3台通った」と正しく2回繰り返し言った。
−−◎いつもの朝食。
−−◎10時から、外用で母さんをつれて外出、ついでに年賀状、室内用の花、
ポインセチア、シクラメンなどを買ってきて飾った。
−−◎岩戸公園へ散歩、岩戸公園では職員の人が、風圧式大型掃除機で(普通
は空気を 吸い込むが、空気を外へ出し、その力で落ち葉を一カ所に集める)
落ち葉を集めておられた。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
来訪時間近くになって、外に出ているとヘルパーさんが自転車で遠くに見えた。
私が母さんに「あっ誰か来た。」と言うと「あっ来た」と言った。
「誰かなー?」と聞くと「知っておる」と言い、そろそろ顔も見える位置になっていて
笑顔で迎えた。
来られるとすぐに、“散歩”に出て一旦戻ってからもう一度出ていった。
3回目は私もいっしょに行って30分コースを歩いてきた。
ぬいぐるみ遊び、バトミントン、テレビを見ながらお話し、過ごした。
終わりがけ20分くらいは、私も椅子にかけていて私は居眠りをしていた。
−−◎夕方は苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。夕刻で薄暗くなりかけていて
「恐かった。恐かった」を連発していた。
「つぶされてしまった。ダメになってしまった。」とも行っていた。(数回のみ)
この「つぶされてしまった」は家の前にいる時なども ときたま言うことがある。
−−◎テレビで6人の人物を2人ずつ映して、紹介していた。母さんはそれを見ていて
「1・2」。「3・4」。「5・6」と数え、画面には2人しか映っていないのに「6人いる」
と正しく全部の数を言っていた。
−−◎娘が作った3センチくらいの飾り用のぬいぐるみがある。“ちび○○ちゃん“と
呼んでいる。娘が帰宅した時にそれが飾ってある定位置になかったため
「ちび○○ちゃんをどこへやったの?」と聞き、「あーぁ、ちび○○ちゃんが
いなくなってしまった。」と言っていた。何か無くなるのはいつものことだから、
特別強い意味を込めているわけではない。私はどこかに落ちていると思い、
そのあたりをさぐっていた。母さんも私の後に付いてきていた。
そして「ちびさんがおらんよ」と言った。
常日頃母さんは現状とは別のことを考え別の思考で動いている。
娘のことをときたま「ちびさん」という。で私は「ちびさんは帰ってきたから
椅子のとこにもういるよ」と言った。
母さん「○○(娘)はいるけど、ちびさんがおらんていっとたよ」と言った。
そこで私は初めて今探しているちび○○ちゃんのことを言っているのだと気が付いた。
最近(ここ数ヶ月)では発見した物とか、「さあ、食べよう」とか「靴はいて」とか
「手を洗おうか」など 直接動きに関係する言葉は通じているが、行動に無関係な
言葉が通じていたことは珍しい。
機能の残存と状態の記録である。
2003.12.7(日) 曇り 時々小雨(外気温、朝=5℃、昼3時=9℃)
(室温暖房無し、朝=14℃、昼3時=17℃)
−−◎8時20分起き。
−−◎朝食、母さんにはいつも朝は“喫茶店”仕様のパンとサラダ、笹かま とか
かにかまの練り製品、または卵焼き、干しプルーン、生のフルーツ、
牛乳屋さんのオレンジ牛乳などだが、今日はご飯が主の普通の朝食にした。
30分くらい経ってもおかずを少し食べてほとんど食べていなかった。
でもう一度肉まんを焼いてあげた。
−−◎12時30分から、大矢田へ行った。100段近い石段を登り切り戻りは
石段でない参道を戻る。
距離は岩戸公園と同じくらいだが、運動量は多い。帰宅3時30分
−−◎時々「何にもわからへん」と言うことがある。
思考は物を見聞きして過去の経験と照合し、自分の枠組みに位置付けようとする。
その思考活動を「理解」の思考行動とする。
その「理解」の思考行動を上部組織が観察し それを理解しているか理解していない
かを 判断する。上部組織が自分は何らかの事柄について「何にもわからへん」
状態であると判断し、言葉を通じて表出されたと言うことである。
その上部組織は脳の「古層」に属すると考えられる。
2003.12.6(土) 雨
−−◎母さん8時30分起き。9時朝食。朝の散歩は行かなかった。
−−◎生協配送日。
臭気の感覚について。
生協の配送の人が 新製品の宣伝で、ペットボトルの“リンゴ酢”をプラコップに
注いで、試飲に供していた。母さんはその臭いをかいで「変な臭いがする」と
言い飲まなかった。その臭いは、酢と酒とリンゴジュースの臭いの混じったような
その製品名らしい臭いで、その製品ならば 特別「変な臭い」と言うわけではない。
ところで母さんは 一年くらい前まで「おなかが気持ち悪い」と言った時に
時として「変な臭いがする」と言っていたこともあった。しかし最近では
いい匂いにもわるい匂いにも 何か言ったことが無かったので、臭いの感覚が
薄れてきているのかなーと思っていたが“リンゴ酢”の臭いに反応したので
臭い感覚は機能していることがわかった。
−−◎娘が大学へ行くというので乗せていってやった。土曜日は時刻が変更で乗り
遅れたと言っていた。帰り道 岩戸公園へ立ち寄ったが、傘をさして歩き途中
小暗く小寒いので「恐い、戻ろ」と言うので一周しないで戻ってきた。
秋日和にあかくあざやかなかえでも雨に濡れゆったりとした風情だった。
−−◎外にあった植木鉢を室内の出窓に飾った。鑑賞と霜よけのために。
−−◎3時30分 雨が上がり曇ってはいたが、外出できそうだったため、
苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。
子どもの教育の話しの中に「適度な運動は脳細胞の活性化と骨格を強くし
筋肉の活性化を促す」 とある。
他方、脳細胞は幼児期を過ぎると生成されないとする説が一般的であるが、
脳細胞も生成するとの仮説もある(ただし壊れていく方が多いので生成が追いつかない)。
次は私の仮説
痴呆患者の歩行行動は、「古い脳神経系」からの生命維持のための指令である。
それによって脳細胞を作り出し、活性化する。歩行療法を取り組んだ結果
いろいろな行動や作業を拒否しても歩行行動を拒否したことはない。
「新しい脳神経系」の願望と結合して行動を起こすことが出来る。
筋肉活動や運動神経の働きが保持される方向に作用する。
過程でおこなわれる探索行動(行為)はそれなりの 知的活動であり、それなりの
生き甲斐にもつながる。
問題は崩壊の速度の方が生成よりも速いと言うことと、生成された脳細胞の活性化
のためには、人間の幼児期からの気の遠くなるような総体験を幼児がそうである
ように自己の願望として(苦痛を伴うような訓練は不可)、繰り返さなければ
ならないと言うことである。それが出来る条件が出来れば......。
−−◎夜、先日買ってきた母さんの靴が「固くて足が痛い」と言っていたので
やわらかめの前マジュック留めの靴を買ってきた。
2003.12.5(金) 晴れ(室温、朝=11℃、)
−−◎私、6時40分起き、母さん7時30分起き。
12月にはいってから、灯油ストーブを出してきて朝方使用している。
昨年(11月5日)と比べると25日遅くストーブを出した。
本年の気候は、5月頃、一週間くらい、夏を思わせる暑い日があった。
しかしその後、雨の日が多く、8月のまで例年ほど暑くならず、今年は夏が来ないか
と思ったほどだったが、お盆を過ぎてようやく暑い日がやってきた。
それも9月10日頃から、涼しくなり、おだやかな気候の日が10月、11月まで
続いく 過ごしやすい気候の年だった。
例年、年によっては7月、8月、9月と30℃前後の日が続き、11月に急に
寒くなる年もあった。
−−◎母さんは、だいたい同時に起きてきて、私が、家事をしている間、30分、
日によっては1時間くらい、「ねー、ねー」と言ったりしてうろうろしている。
適当に受け答えしてしゃべったりしてはいるが、もうちょっと相手をしてあげると
いいかも知れない、と思うのだが、最低限の「家事」もしなければならず、
お相手することに、行動を当てることが出来ない。
朝の散歩まで少し待て
−−◎8時30分から、田圃方面へ散歩。きょう見つけた物は「すずめがいっぱい飛んでいる」
ことだった。
−−◎9時15分、徒歩でデイサービスに出発。(1.2Km=約15分、往復で2.4Km)
今日もぬり絵をした。始め私が少しぬってやると、休み休みぬっていた。
外を見たり、他のお客さんの話や物音を聞いたりしていた。しかしこの場所を
避ける気分や、「帰ろ帰ろ」とは言わずしまいまで落ち着いていた。
私がトイレ行き、ちょうどトイレにはいったころ母さんが席を立ち付いてきたらしい。
職員の人がいっしょに母さんに付いてこられて、たぶん「トイレに行かれただけだよ」
とか言われて、笑顔で席に戻ったという。私が見た時は母さんは席に近づき
座ろうとしているところだった。
最初にここへ行った時と比べると、どの職員さんとも笑顔でしゃべることが出来る
ようになった。
「体操の時間」は10種類くらいあるうち、はじめの3種類くらいは、無関心なのか、
わからないのか、見ているだけやらなかった。やろうとしないのかと思うと、そのうち
手を動かしたり、足を前後させたりして見よう見まねでやっていた。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
デイサービスが終わった後、3人で歩いて帰った。
“散歩”の時、コリー犬を飼っている家の人が庭先におられ、近づいていって
一言二言しゃべってきたとのこと。後はうちの車の中でお話し相手をしてもらった。
−−◎ヘルパーさんが帰られた後、これからどうしようかと思案したが、今日はもう
4.6Km歩いているから、遠くへ散歩に行くことは取り止めて、30分間だけ
岩戸公園へ散歩に行き、戻って、2時15分から、駐車場の掃除をした。
いくつかのプランターには、雑草が生え枯れてしまったままだった。
近所の家の庭木の落ち葉が舞い込んで、小道具や、プランター棚の下に
たまっていた。全部移動して、掃き掃除をした。母さんは一生懸命、掃き掃除を
やってくれた。掃き残しはあったが、落ち葉と雑草で、ゴミ袋に2袋あった。
掃き残しは、私がもう一度掃いた。でも母さんがやってくれたおがげで
助かった。私が掃いていると、何回も「おっちゃんありがとう」と言っていた。
なんで「ありがとう」なのか意味がわからなかったが、冗談半分に、
「いいって、いいって、おっちゃんと母さんの仲やないか」と言うと笑って
「うんうん」と言っていた。掃除は1時間半くらいかかった。
かたずけた後、近所の周辺を一周散歩してきた。
−−◎本日はお風呂の日。7時から工作を開始して、浴室にはいったのが8時30分
だった。浴室では、「恐かった。恐かった」と言っていた。「さっさと服を脱いで
お風呂にはいれば別に恐くないよ、でも今はもうお風呂に入っているのだから
恐くないよ。ほら にぃーっ」とおどけた顔をしたら、「ふふっ」と笑っていた。
25分くらい浴室にいて、洗ったり、浴槽に使ったりしながら出た。
着衣は、このごろ少しだけ指示しないと着れなくなった。(パンツとかシャツとか
取ってあげるとそれを持って、バスタオルのまま店(=今は母さんの居室)の
方へ行こうとしたりする)靴下も縮めてはかせてやらないとむつかしい。
お風呂を出て30分くらいしたら、もう脱衣の時のことは忘れてしまっていた。
2003.12.4(木) 晴れ
−−◎8時30分、田圃方面へ散歩(2.2Km=40分)
−−◎9時30分、母さん朝食。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、10:00から11:59まで、
はじめはテレビのこども番組を見ながらお話し、“散歩”に2回出て
付いていってもらった。朝の散歩コース、ぽかぽかと暖かく気持ちよさそうに
していたとのこと。
後半は NECへ修理品を取りに 母さんも「いっしょに行く」というので
ヘルパーさんに同行したもらった。
−−◎昼食後、岩戸公園へ行き一周散歩。戻って来ると、まだ歩き不足か 外へ出たので
家の周辺をひとまわり、向こうから歩いてくると、駐車場のところに午後からの
ヘルパーさんの車があった。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
来週から、午後のヘルパーさんが交代になるので、今までの I さんのほか
2名の新しい人が来られた。ボール遊びをしたり、“散歩”についていって
もらったりした。3人来られてちょっと気分が高ぶったが、支障は起こらなかった。
一番なれている人だったので、交代になることがちょっと残念だった。
−−◎その後、公園への散歩は行かないで、同じ朝の散歩コースわ一周して来て
から食品の買い物に行った。
本日も夕方日没のころ「恐いこわい。暗くなると恐いもん」と繰り返し言って
いたが、興奮状態になることはなかった。
本日の歩行総計約6Km
−−◎夕食後は、娘と3人で本屋さんへ行き、1時間コースのドライブに行き帰宅した。
娘は“学習”、母さんはテレビ、私は雑用をして日が暮れていった。
2003.12.3(水) 晴れ
−−◎7時30分起床。母さんも同時に起きた。私の風邪気味は治っていた。
−−◎8時40分、県立病院へ、
最近の 落ち着いた、時に朗らかなようすを報告すると、
女性ホルモンの注射をしてくれた。(看護婦さんが)。漢方薬の薬のことを聞かれた
ので 「1日3回、なかなか飲まないので余っている」と言うと、「今月は無しにして
余っているのを続けて飲みなさい」と言われた。
診察の前中待合いへはいるとき、今日は不安傾向があったが、前もって
準備させ、落ち着くようにしていたところ何事もなく診察してもらった。
−−◎「注射が痛い、痛い」と言っていたので、気分直しにそのあと喫茶店「チボリ」へ
行った。池の鯉を見ながら、食べた。岩戸公園へ行き一周散歩をしてきて、続きに
金華山ドライブコースへ行った。今日はお年寄りの方の「登山者」が多く、ここは
車道、歩道、兼用なので、車はそろりそろりと進んで行った。
帰宅は11時、
−−◎今日も 布団を干し、洗濯に、昼食の用意とすすめ、食後事務整理と、
仕事に取りかかっていると、母さんは5分を置かず、「おっちゃん、おっちゃん」
とか「ねー、ねー」と呼びに来る。適当に なま返事をしておいて、机に向かう。
−−◎2時6分、木曽川河川敷公園へ連れて行き散歩、1.5Km地点で折り返し
40分間歩いてきた。いろいろ珍しい物を発見する名手である。
「なんかある」と言うので、母さんの言っている物が「何」であるかわからない。
私「どこに?なにがある?」と聞いた。遊歩道脇に人の背丈の胸の高さで
二股に分かれた木があり、歩く位置から見るとこちら側の枝が見え向こう側の枝は
見えない。のぞき込むとみかんが挟んであった。誰かが置いていったのだろう。
私「こんなところにみかんが置いてあるねー」としばらく「観察」した後通過した。
そのみかんは角度的に道路の通行方向に沿って5mくらい先に行った位置からは、
見えた。通過してきた後方の位置からも見えたのだろう。私の視界にもはいって
いたのだろうけれども、意識にはみかんのことは無かった。
私は全行程を考慮して歩く(誰でも普通のことだが)、母さんは行程は私に「付いていく」
事を考えておればいいので、みかんが意識されたのだろう。
ここ1ヶ月ほど散歩で 足を引きずらなくなっている。発病後2年目くらいから
歩くたびに履き物で地面を擦る様になっていた。どんな履き物の時でも同じだった。
−−◎母さんに手伝わせるふりをして布団と洗濯物の取り入れた。夕食準備中に、
おなかが空いたのか、自分で柿をむいて食べていた。朝食時の食欲はないが
午後から夜にかけて食欲が出てくるようだ。
2003.12.2(火) 晴れ
−−◎7時30分起き。
−−◎9時から、修理品を持って、NECへ母さんと共に行った。
−−◎10時母さん朝食。
−−◎久しぶりに、晴天になったので、布団を干した。布団の下の たたみに
ダニ除け殺虫剤を注入した。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
今日は晴れで風が強かったが、4回“散歩”に出た。元気に歩き、“お話し”も
した。とのこと。笑い声があり元気だった。終わりがけ20分くらいは
我が家の車の中でヘルパーさんとお話ししていた。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
テレビのこども番組や、母さんの写っているビデオを見ながらお話し
ボール投げ遊び、バトミントンなどをやってもらった。だんだん風が強くなり
“散歩”は途中で引き返して来た、駐車場の車の中で“お話し”など。
手の爪切りをしてもらった。
−−◎私は、ちょっと寒気がしたので(カゼ引きまでにはなっていないが)早めに
7時半に寝た。母さんは娘のまわりをうろうろしたり、テレビを見たりしていて
早めに9時ころ寝た。
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静岡県の S・K 様 お便りありがとうございました。(2003.12.1)
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2003.12.1(月) 曇り
−−◎私6時40分起き。母さん8時起き。
−−◎8時40分田圃方面へ散歩。
−−◎母さんに朝食を食べさせ。洗濯、台所後処理。
−−◎午前中、岩戸公園へ散歩。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
母さん ニコニコ顔で出迎えた。ボール投げ遊び、テレビを見ながらお話し、
バトミントン、駐車場の車の中でお話し、何回かの散歩、のお相手をしてもらい
気分良く過ごしたようだ。私は事務所にいたが、後半のうち30分間昼寝した。
−−◎帰られた後は、雨が降りそうな気配だったので、公園へは行かず、朝の散歩と同じ
田圃方面へ散歩に行き、早めに夕食の用意を始めた。
−−◎ 散歩の途中で自転車に乗ったご婦人から「○○(妻の旧姓)さんじゃない」と声を
かけられた。母さんは思い出さない様子だったので、
私が「すみません。記憶がなくなっていく病気になったんです」とあらまし状況を説明した。
その方は○○さんと言い、立ち話で要領よく 誰かを説明してくれた。
話しによると、
美容学校の同期生で、40年ぶりに会った。ちょっと前からここを通る時、
一度声をかけてみようと思っていたが、チャンスがなかった。
卒業後そちら方面に勤めていたが、店を持ってやり始めた。
旦那が「どうしょもないやつで」離縁した。こどもはいい子で、所帯を持っている。
こどもも独立したし、店も苦労が多いのでやめてしまって、今は食品関係に
勤めている。ここの前の通りを毎日通っているんや。
ちっとも変わらないのですぐわかった。
と言っておられた。
母さんはにこやかに笑顔でいたが うろで返事をしていた。私はそういう反応
だったにもかかわらず声をかけてもらって良かったと思った。
私「それはそれは、呼び止めていただいて、ありがとうございます。こんな状態で
忘れてしまっていることが多いのですが、心のどこかで記憶を呼びさましていると
思います」と答えた。
−−◎本日の歩行総計約5Km
−−◎行方不明などになると、緊張するが、ドアを閉めていっしょにいるので無断外出
もなくなった。その分“散歩”には「計画的」に連れて行っている。
それ以外のことでは、風呂に少し苦労している。いくつかのぶつかる問題はある。
しかしまあ このままこの状態のままで過ぎていくなら、平穏な日々と言うことに
なるだろう。平穏な日々がいつまで保つかはわからない、これ以上すすまない
状態が長続きすることを願っている。
2003.11.30(日) 曇り
−−◎8時40分、田圃方面へ散歩。
−−◎9時40分、母さん朝食。
−−◎10時20分 喫茶「チボリ」へ。
アルバイトのウェイトレスがレモンティーを運んできた時、窓の外の池塁の端に
紅い落ち葉が舞い降りてきた。私なら、省略して過ごす何と言うことのない
現象だったが 母さんは「あーっ、落ちてきた、おもしろい」と言った。
ウェイレスはほほえんで 「落ちてきたねー」と言った。
私はウェイレスには無関心で返事をするとも思わなかった。
1、この場合、状況的な意味がわからなければ「はっ?」と聞き返すのが
だいたいの場面だろうが、
2、「落ちてきたねー」の返事は普通の返事(状況がわかっていてしかも
ごく自然に出たような会話)だった。店員教育が行き届いていると思った。
−−◎午後伊吹山へ行ってきた。霧が深かった。
2003.11.29(土) 雨
−−◎母さんは7時起き、私は8時30分起き。娘は部活があると言って大学へ。
−−◎生協配送日。
−−◎9時30分から、母さん朝食。朝食はゆっくり時間をかけて食べる。
11時、薬を飲ませて、すぐ岩戸公園へ散歩と思っていたが、今日はなかなか
薬を飲まず、いやがる時は日によって飲まさない日もある。今日は飲ませようと思い
飲むまでねばった。一回はトイレにはき出した。2包目を飲ませてオブラートが
溶けるまで待って、お湯を飲ませる。その作業が終了するのに12時までかかった、
−−◎12時から岩戸公園へ散歩に行った。傘なしでも歩ける程度の雨だったが
傘をさして歩いた。
−−◎午後娘が帰宅したので、再度大矢田へ 紅葉を見に行った。標準コースを
たどれば良かったのに、別の道を行き 曲がるべきところを曲がらず前進し
大回りして、1時間くらい余分に時間を費やし到着した。紅葉は昨年とくらべて、
赤みが弱く黄色傾向が強かった。五平餅と田楽を食べて戻ってきた。
帰りは「別道」の到達すべきルートを出発し、どこで間違えたか点検してきた。
−−◎母さんのこのごろの生活態度は、物忘れがある、何も出来ない、私に頼りきりになる
などの事があるが、風呂などの時を除いて、気分は落ち着いて安定している。
2003.11.28(金) 曇り のち 晴れ
−−◎私6時40分起き、母さん7時50分起床、
−−◎8時10分、田圃方面へ散歩。始め寒さのせいか 言葉が少なかったが
歩いているうちに暖かくなり、いろいろ目につくことをしゃべるようになった。
−−◎9時15分、雨かも知れない様子で、デイサービスへは車で連れて行った。
今日はジグゾーパズルをした。35ピースの「一休さん」のパズルだった。
はじめの大部分をやってあげて、最後の5枚を残し、「これはどこにはいるかなー」
と一片ずつとってあげた。あちらこちらと置き直して、ぴったりはまると
「うまくはまった」とにっこりしていた。
係の人の手が滑って クリスマスツリー(70cmくらい)が倒れた。母さんさっと
かけより、はずれた飾りを拾ってあげていた。「ありがとう」と言われて、
二言 三言 しゃべっていた。体操の時は、気の向く体操しかやらないのに
こういう時は結構すばやく動くものだなーと思った。
だいぶん係の人になれてきてしゃべれるようになってきた。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
午前中 デイサービスでじっとすわっいたせいか、席の温まる暇もなく
散歩に出た(四回外出)。
ヘルパーさんに手を取ってもらいながら、歩いている時、ヘルパーさんに
「どういう冷たいてをしとるの、よしよし」と手をさすっていたとのこと、
町内の墓地へ来ておられた女性に母さんの方から声をかけその女性から
「元気になられたねー」と言われ、それに笑顔で答えていたという。
その女性は 近くの春夫さんの奥さんだった。
−−◎久しぶりに、木曽川河川敷の公園へ行き3Km散歩してきた。
看板や他の車輌のNoを読むのは相変わらず盛ん。
−−◎本日風呂に入れた。開始から終了まで50分だった。
2003.11.27(木) 晴れたり 曇ったり
−−◎7時30分起床。
−−◎8時30分 田圃方面へ散歩。白鷺の来る季節になった。
小川にいて、餌をついばんでいた。母さん「1、2、3、4、5、6。6匹いる」
と数を間違えないで言っていた。私「本当だ、6羽もいるねー」と答えた。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、10:00から11:59まで、
テレビを見ながらお話しのあと、“散歩”に付いていってもらった。
1時間近く帰ってこなかった。朝の田圃方面へコースを更に西へ行き、
写真屋ピカイチ、から 向陽台高校まで行ったとのこと、
少し不安表情の出た時もあったが、だいたいは落ち着いた気分で歩いて
いたとのこと。電線にスズメがたくさんとまっているところで、母さんが
ヘルパーさんに、「上から ポトンと来るとあかんで こっち来やぁー」と
いい 電線の下を避けたそうだ。かなり高度な判断をする時にはしている
ようだ。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
始め、台所でまだ昼食を食べていた。店に掃除機をかけてもらった。
散歩に行き、ボール投げ遊び、足洗いをしてもらった。洗髪は 母さんが
今日は気がすすまないようだったので、出来なかった。
時々笑い声も聞こえてきて、楽しく過ごしていた。
−−◎3時45分から苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。
本日の歩行総計約9.8Km、その後も疲れた様子なし、
夕食後 テレビのお笑い番組を見て時折 ケタケタ笑っていた。
−−◎寝る前に、歯磨きを渡したところ10秒か15秒くらい磨いていた。
−−◎数日前から気が付いたことだが 母さんの上くちびるの上のひげが濃く延びている。
剃らないでいると、こんなふうに目立つものかなー?と思った。
2003.11.26(水) 晴れ
−−◎7時30分、二人とも起床。ビン缶排出日
−−◎田圃方面へ朝の散歩(10分間コース、700mほどか)
−−◎母さん病院診察日、おとなしく診察を受け、内科は異常なし。
−−◎病院からの帰り、通り道の食品スーパーで、食品の買い込み。
12時、昼食。
−−◎2時30分、銀行その他、支払いや他のようで、母さんもいっしょに外出。
−−◎帰ってから気が付いたことだが、先ほど買ってきていた 袋入りのお菓子
2袋=@「バライティーパック」と言う名称で ミニ最中 ミニどら焼き ミニまんじゅう
が20個ばかりはいったもの。Aバウムクーヘンを3センチばかりの幅に切り
個包装したもの10個ばかりはいったもの、=を母さんがおのおの4分の3程度
食べて、それぞれ少しずつ残っていた。
朝食も、昼食も食べたのに、短時間に食べてしまったようだ。
もともとお菓子類は、こんなに一度に食べるとは予想していないので、
「食べたい時に食べていいよ」と見えるところに置いてある。
夜になっても 特におなかの変調を訴えることもなく 夕食も食べたので
心配なさそうだ。
−−◎夕方は、苧ヶ瀬の池へ行き、一周散歩してきた。
4時30分ころから7時30分にかけて 散発的に「恐いこわい」と言っていた。
本日の歩行総計約3Km
2003.11.25(火) 雨 のち 晴れ
−−◎私7時30分起床。母さん8時20分に起きてきた。
2日前(日曜日)から母さんの起きる時間が遅くなった。それまで6時か6時30分
ごろ起きてあちこちしていた。今日は雨のせいか寒さがゆるみ室温は16.5℃
あった。
−−◎雨で散歩は行けず、テレビのこども番組を見て過ごす。10時朝食。
11時55分、岩戸公園へドライブ。“紅葉のトンネル”を50mくらいくぐり
抜けて戻ってきた。
−−◎12:28ケアマネージャー来訪、介護についての希望事項の聴取と
12月の計画について、話し合った。また、お役目上、ヘルパー(A)さんの
訪問時に一度は同席して見聞すると言う意味もあった。4人でいろいろ
話し合った。
私が「デイサービスにひとりで居る事が出来るようにしたいが
無理をしてすすめて、『もう行かない』と言い出してもいかんし...」と言った
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
雨のため“散歩”には行けなかった。4人での話し合いの後、駐車場の
車の中で母さんがヘルパーさんに相手をしてもらって、ぬいぐるみや
いろいろお話しして遊んでいた。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
このころになると雨が上がっていて晴れ間も出てきていた。
はじめ アルバムを見てもらい、お話しをしていて、母さんがヘルパーさんに
「ちょっとおいでよ」と誘って30分くらい“散歩”に行った。
その後、紹介的な意味で、母さんの映っているビデオを見てもらった。
ボール投げ遊び、その後も、何回も“散歩”に行った。
忌避する気配はなかったので、まあまあOKかと言う感じだった。
−−◎あと夕方までは ぶらぶらして過ごしていた。機嫌は良かった。
−−◎「トイレの花子さん」
店(=今は母さんの居室)のトイレのペーパーの軸に電子オルゴールが
付いていて、使用時軸が回転すると「エリーゼのために」他2曲が
順次鳴るようになっている。
母さんも寝てしまってから、降りてきて店の整頓をしていると
誰もいないはずのトイレから チト チト チト、タタ ターン と
「エリーゼのために」が聞こえてきた。さては「トイレの花子さん」か?
トイレを開けてみたが だーれも居ない。でも電子オルゴールは鳴り
続けている。「すばやく消えたな」(^_^;)
消えていたのは「花子さん」ではなくて、トイレペーパーとその軸だった。
今 整頓していた机の上の おもちゃ入れの小かごの中からその音楽は
聞こえていた
2003.11.24(月) 勤労感謝の日 曇り 午後から小雨
−−◎祭日だが、ゴミ収集日、
−−◎娘は部活で大学へ行った。
−−◎10時09分、田圃方面へ散歩る。散歩のあと母さんは朝食。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
ヘルパーさんに付き添ってもらっている間に私は 食器洗い等 台所周辺の整頓
および洗濯干しをした。
母さんはテレビのこども番組を見て、ヘルパーさんとお話し、ぬいぐるみで遊び
バトミントン、ボール投げ遊びと多彩。
“散歩”に2回行ったが一回目の時にヘルパーさんに「こっちへこやーよ(おいでよ)」
と言い外へ出ることを誘っていた。外に行く時に誘うことの出来る人と認識した
ようだ。(このヘルパーさんにだいぶん慣れてきたということ)
気分は落ち着いていて、楽しくすぐした。
−−◎雨で公園への散歩は行かなかった。私が、事務所兼作業場にいるとしきりに
「おいおい」とか「おっちゃん、おっちゃん」とか呼んでいた。定期的に返事をして
母さんに合図を送って過ごした。
2003.11.23(日) 晴れ (朝の室温、9.5℃、外は5℃くらいか)
−−◎早朝は寒かったが、9時頃には気温ゆるむ。
母さんの起床8時過ぎ
9時30分から田圃方面へ散歩(2.2Km、約40分)
−−◎午後、道の駅「平成(へなり)村」へ行った。母さんは車に乗せてもらうのが
好きなので、機嫌良く、いつもの各種振る舞いをしていた。
途中、工事中で 全面通行止の箇所があり、迂回指定がされていた。
その迂回道路を正しく行けば、通行止めの先の地点へ出ることになっていた。
どう間違えたのか、ぐるぐる回り、40分くらいかかって、通行止めより手前
のところへ出てしまった。もう一度 迂回道路を通って、正しい道に進み
2分くらいで元の道の先の地点へ出た。
母さんはその間、家や景色を見て、特に私が気づいたことはなかったが、
元の道の先の地点に出て、走行をすすめていると、「月の砂漠」の小さい声で
歌い始めた。
母さんは気分が安定してくると歌い始めることがあるのだ。
私の感じ方が、そっくり移入されて、道に迷っている時は、緊張していて、
元の道に戻り、私がほっとすると、母さんもほっとして歌を歌い始めたようだ。
−−◎思い出し記事○
この日記も、初期の頃は「あれが出来ない」「これが出来なくなった。」
との記事が多かったが、今では、病気が進んできて、出来ることが
少なくなり「こんなことが出来た」 「あれも出来た」に変わってきている。
数日前、娘が封筒を開くため、「はさみ、はさみはないか」とひとりのごと
をいい、あたりに眼を走らせていると、母さんが さっとハサミをとってくれた。
娘は母さんに「にっ」と笑って返礼をした。
「おーっ、すごい、機敏な反応だ」「言葉が通じた」と私に言う。
この娘の驚きは何かというと、
母さん自身のために必要なことや、そうすることがその場面で妥当なこと
について、娘が母さんに言った時の言葉はだいたい通じる。
しかし 娘が自分のために 「何かしてくれ」と母さんに言っても通じなく
なって久しい。
だから 娘は自分のためのことはこのごろでは母さんに言ったことがない。
それが その日はその内容が娘のための事であったのに 言葉が通じ
て、それが久しぶりのことであったので驚いたようだ。
2003.11.22(土) 曇りのち晴れ
−−◎生協の配送日。
−−◎12時晴れ間が出て来たので田圃方面へ散歩。「寒いさむい」と言うので
100mほど行ったところで戻り、ジャンパーを着させて、もう一度出かけた。
灰色の羽根の大きな鳥が2羽、田の中にいた。カラスの一群には「なんか
気持ちがわるい」と言い、スズメの一群には「いっぱい、いっぱい、いる」
と言っていた。
−−◎午後は 娘が帰宅したので大矢田の紅葉谷へもみじを見に行って来た。
相変わらず、看板や、他の車のナンバーを読んでいた。
−−◎高さ80cmの「サンタのくつした」(駄菓子入り)を買って来て店に飾ってあげた。
2003.11.21(金) 曇り 雨 のち 晴れ
−−◎6時30分起床。
−−◎9時30分、徒歩でデイサービスに行った。
ぬりえを描いた。図柄はクリスマスケーキ。
体操の時間は、手足を動かせない訳ではないのに、私が母さんの手足を
動かしてやっているのに じっと見ていてほとんど 何もしなかった。
手をぶらぶらさせる運動と足をぶらぶらさせる運動は、少しだけ動かしていた。
元気に過ごしていた。
午後、行事「お店へお買い物に」が有り、○○店へみんなで行った。
今日の参加者は13名前後、と付き添いの職員の方。
母さんは パンダのぬいぐるみ、クリスマスの飾り、猿、あめ、
元祖鶏がらラーメン(ミニ)を買った。
職員の人は 大変だけど 利用者にとっては生活に変化が出ていい企画
だと思った。
−−◎雨模様だったので、デイサービスに徒歩で往復した以外には散歩には
行かなかった。(2.2Km)
−−◎予定を早め 今日風呂に入れた。作業はいつもの通りだった。
7時10分開始、事前準備(脱衣)40分、浴室25分、後処理&着衣5分
で8時20分に終了した。
2003.11.20(木) 小雨
−−◎7時50分起床。
ゴミ出しのあと、田圃方面へ散歩、本日は雨のため、途中で曲がり
いつもの半分(約1.1Km)にした。
ここに記す「田圃方面へ散歩」としているのは、長方形(四角形)をたどる
コースで、途中で折れて短縮出来るし、さらに先に延ばして延長することも
出来る。(現在の“通常”は約2.2Kmコース)
−−◎薬を飲ませて、休憩させておき、私は朝の家事、
状況は一定していないが、朝の場合だいたいは、ひとまわり散歩に行って
くると、1時間ぐらいは、おとなしくしている。(昼間の場合は違う。一度行って
戻ってきても、すぐもう一度出かけようとすることもある)
−−◎朝食=以前は、健康時の続きで、6時30分に起き、7時30分頃朝食に
していたが、何故か次第に、食べ始めなくなって、用意されているのに
9時とか、9時30分にしか食べ始めなくなった。で用意するのも その日の
日程によっても違うが、9時30分を中心に9時から10時までの間に
用意している。その時間にはすぐに食べ始める。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、10:00から11:59まで、
朝食を見ていてもらった。テレビを見てお話し。
ボール投げ遊びでは「まっすぐな強いボールが返ってきた」とのことだった。
“散歩”は4回出ていって、付いて行ってもらった。笑い声も聞こえて
ニコニコ元気だった。
−−◎帰られた後簡単に昼食、岩戸公園へ行き雨が上がっていたので散歩に出た。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
店(=今は母さんの居室)でテレビを見たり、駐車場の車の中でヘルパーさん
といっしょに遊んでもらった。
私が用紙の配達に行くことになり、母さんが「付いていく」と言うので、
ヘルパーさんも同乗していっしょに行ってもらった。
行く時ははしゃいで うしろから私の首や頭を突っついたりしていた。
(行った先は何ヶ月か前、配達に行った時に母さんが行方不明になった
ところだった。)
私が相手先の事務所に行っている間に、そのあたり周辺を一周散歩して
来てもらった。母さんは元気だった。
帰りの車の中では母さん 静かだったが、外の看板など読んでいたから、
気分は普通だった。
−−◎3時30分頃から本格的な雨降りになったので、外へは行けなくなった。
2003.11.19(水) 曇りのち雨
−−◎7時30分起床。
−−◎田圃方面へ散歩に行く。
−−◎雑用を済ませた後、早めの昼食。
午後は 郵便局等出かけて、食品スーパーへも寄り、天候が曇りで食品が
腐る心配もなかったのでその続きに 苧ヶ瀬の池への散歩に行き、
2時30分帰宅。
−−◎その後1時間休憩(私が)。母さんは家の中で行ったり来たり。
−−◎今日の母さんの気分は良し。でも日没時間になると「こわい、こわい」を連発。
しかしすぐに納まった。
−−◎本日の歩行総計約4.8Km
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同窓会で会った Tさん、Kさん、Nさん、メールまたは電話ありがとうございました。(2003.11.17)
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2003.11.18(火) 晴れ 曇り
−−◎7時30分起床。
−−◎田圃方面へ散歩。
−−◎11時30分、岩戸公園へ散歩。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
テレビなど見た後、私もいっしょに散歩に行った。母さんを真ん中にして
手をつないで、お手々ふりふり歩き始めると、「幼稚園しとるみたいやぁ」
と言って笑わせていた。自分の外から見た光景がわかっているみたいだ。
戻ってから、もう一度“散歩”に行き、ヘルパーさんについていってもらった。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
新しいヘルパーさんが来られた。母さんが私を呼びに来るので、店(=今は
母さんの居室)に行き、時々居眠りしながらいっしょにそばにいてやった。
バトミントンを少ししてもらった。二人だけで“散歩”に何回か行った。
一回は私もいっしょに3人で朝の散歩コースの田圃方面へ30分くらい
廻ってきた。
新しい人なのに2人だけで散歩に出かけたと言うことは 母さんに警戒心を
生じさせなかったのだろう。結構笑顔も見せていたし初対面だからこんなもの
だろうと思った。
○母さんの現状は 幼児期から小学校の時に獲得した感性に支えられて
「場面 場面で生きている」と言う状況で、眼前にある物や事は見ることが
出来るが、過ぎ去った物は数%しか見えない。ちょっと複雑な質問には
答えられないという状況だ。
で 母さんの「時間と空間、複数の主題をゴチャゴチャにした“話し”」を
聞いていただき、母さんに残されている語彙をつかんでもらって
すすめてもらったらいいかと思う。
−−◎夕方は 本巣の「ばっちゃ」の家へ遊びに行った。帰りに柿をもらってきた。
柿の他には、甘栗、すはま、干し柿、ゆずみそせんべい、など。
本日の歩行総計約7Km
2003.11.17(月) 晴れ
−−◎6時45分起床。
−−◎薬は朝飲ませることにしている。アリセプトと漢方薬。
漢方薬をオブラートに包むようにしてから、だいたいはすんなり飲んでいる。
(すんなりと言っても、私が普通に薬を飲む時と比べたらはるかに手間取っているが...。)
私が忘れてしまって飲まさない時もある。
すんなり飲まない時は、そのまま飲まさない時と、前日も飲まなかった日は無理にでも
飲ませる時がある。今日は1時間かけて その気にさせ無理に飲ませた。
漢方薬は、1日3包だが1包を半分にしてオブラートに包んでいるので、1日1回で
割当量の6分の1だけ飲んでいることになる。続けていれば飲まないよりはよい。
今日の1包目は口に含んでいて、飲み込まず、溶けるまでの間に、トイレにはき出した。
「捨ててはダメやないの」というと、以来黙りこくってしまった。黙っていることに
かまわず次を続けた。 2包目は、洗面所にはき出した。
3包目は大声を上げて飲ませた。5分くらいいっしょに 椅子に座っていて溶けるのを
待った。お茶を2回ほど飲ませて飲み込ませた。
聞こえているのに反応しない時間が1時間くらいあった。
散歩は予定時間が無くなり2.2Kmコースは行かず、機嫌直しに、家の周辺への散歩に
連れて行ってやった。少ししゃべるようになった。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
散歩に付いて行ってもらった。
バトミントン、テレビを見ながら“お話し”を聞いてもらった。
気分良く過ごしたようだった。
−−◎夕方は風が出て来たため、苧ヶ瀬の池散歩は取り止め家のまわりを廻って来るに留めた。
夜は寒かったので早めに寝させた。温暖な日々が終わって、晩秋になったようだ。
2003.11.16(日) 晴れ 曇り
−−◎8時起床。
−−◎田圃方面へ散歩。
−−◎午前の雑用を処理し、岩戸公園へ散歩に連れて行った。こども連れの人2組と
何人かの散歩の人がいた。
−−◎昼食後は、母さんは店(=今は母さんの居室)に置いておいて、私は昼寝した。
母さんは時折見に来ては下へ降りていった。「おい おい」と言うので「おい おい」と
返事だけして気にかけず寝ていた。起きて時計を見たら2時間経過していた。
−−◎夕方の公園への散歩は取り止め、食品スーパーへ買い物に行った。
日没時間に「恐いこわい」と言っていたが、本日の気分も安定していた。
怒りや、緊張、ストレスの神経が衰弱してきた「安定期」ということか?
2003.11.15(土) 晴れ
−−◎7時30分起床。
−−◎8時40分、田圃方面へ散歩。戻ってから母さん朝食。
−−◎9時30分、生協配送日。
としこさんが「このごろ、治ってきたねー」と言った。「元気やし、笑ったりするし」とも。
毎日見ているとわからないが、傍目から見て、元気に見えると言うことは、ちょっと
元気なのだろう。ありがたいことだ。
−−◎私が中学の時の同窓会に行くために、1:00に岐阜県恵那市へ向けて家族で出発
した。(この日記を隅から隅まで見て頂いた方で、「たしか飛騨地方ではなかったか」
と思われる方もあるかも知れませんが、小学校までは飛騨地方、中学以後は
東濃〈恵那地方〉地方とご理解しておいて下さい。)
母さんも「るんるん」気分で同乗していた。母さんが るんるん気分になると」歌が出てくる。
しかし 出てくる歌は「月の砂漠」とか「赤い靴はいていた女の子」とか「蛍の光」とかの
短調の歌が多い。もの寂しい歌が娘の気に入らず、内輪もめの気配もあったが。
何事もなかった。
途中休憩も入れて、3時30分に現地に着いた。
場所探しに、時間がかかってはいけないと思い早めに出発したが、開始予定時刻の
6時より2時間半も早く付いたので、もう一度外に出て、石の博物館とかを見聞して、
町並みを見たりしてきた。
夕闇が迫ってきて、母さんは「恐いこわい」と言いだして、駐車場で止まったりすると、
「帰ろ、帰ろ」とも言った。5時に会場へ戻ると、数名の人は来ていて、私から見ると
40年ぶりに(私自身が初期の同窓会には出たが、その後出たことがなかったので)、
再開して名前を確かめて、その人物像を思い出し「おーっ」とか「やあ、やあ」とか話し
だした。
だいたい楽しい話しが多いから、笑って談笑していると母さんの顔もにこにこ顔に
なってきて話が通じないのに、話しに加わろうとしたりして、「帰ろう帰ろう」の気分
は消えていた。
出席者は17名と、83歳になられた先生とその奥さんでやはり担任をしてもらったこと
のある先生の2名だった。「みんな立派になって、元気でいて....」とお話し途中で
涙ぐまれるシーンもあった。
全員がそれぞれ自己紹介とその後の経緯について簡単にしゃべった。私もそれなりの
ことを言い、妻がアルツハイマー病であるため、家族総出で出席したことを言った。
後はあちらへ飛び、こちらへ飛びして、昔話や現今の「社会情勢」についての情報交換
やらに花が咲いていた。私は、先生へのご挨拶だけは席を離れたが、母さんのこの場での
気分がつかめていなかったので自席に留まったままでいた。娘が時々気を遣ってか、
「他の席へ行って話してこなくていいの?」とか言っていた。
それぞれ私の元にも話しに来てくれたので、いろいろおしゃべりをしていた。
私が楽しくしゃべっていたので、母さんも終始ニコニコして相づちを打ったりしていた。
気分が悪いと5分くらいで「帰ろう帰ろう」と言い出すのだが、2時間ニコニコしたり、
「○○○だったでしょう。それで...高かった」とか、相づちのつもりで、全然話題とは
違うことを私が話している、相手の人にしゃべったりしていた。別の場面では私の
背に廻り私の肩をリズムに合わせ上下させたりしていた。2時間も持ちこたえたと
言うことは その場の気分が良かったと言うことだ。
8時近くなって「トイレに行く」と言うので連れて行ってやった。
口には出していなかったがそろそろ疲れたようであったので、幹事に伝え、中座した。
私自身も結構気分良く楽しく、解き放たれた気分になった。
帰宅は10時5分だった。
この 集まりには もともと 奇異な目で見る人はいない。がアルツハイマー病の状況を
直に見たことはなかった人もいるかも知れない。その有様を目で見ることによって納得し
別の機会に 別のアルツハイマー病の人を見る時は、理解の深まった形で見ていただける
ようなったと思う。
2003.11.14(金) 晴れ
−−◎6時40分起床。
−−◎7時40分から田圃方面へ散歩に行った。
−−◎9時30分、半日デイサービスに施設(A)へ歩いていく。到着するとすぐに
お茶が出される。今日は厚紙細工の楊枝差しで すでに形をとってセットになっていた。
厚紙を折り曲げセロテープで堅め張りするところまでやってあげて、母さんは
上紙にのりを付けるところだけやった。上紙を貼るときれいになって、母さんは
ふたを取ったり、当てたりしながら観察していた。
次はぬり絵で母さんは「月の砂漠」を口ずさみながら、いろ塗りをしていた。
私が席を外していた時、通りかかって覗いた職員の人に「ここに座りーよ」と言い
今までに描いて綴じてあった物を見せていたとのこと。いつも訪問してくれる
ヘルパーさん以外の人に、自分から声を掛けるのは何回もなかったが、
気やすく声を掛けられるまでに慣れてきたと言うことかな。
−−◎昼食後、ヘルパーさんと歩いて帰ってきた。
帰った後は、自宅の周辺へ“散歩”で2回行った。
NHKの「すくすく子育て」をヘルパーさんと見て、笑いながら話していた。
−−◎夕方は苧ヶ瀬の池へ散歩。帰る途中4時30分頃「恐いこわい」を連発していた。
夕方の憂鬱が日の暮れ近くに現れるのは、いつもの通りだった。
今日も一日中、ほぼ気分良く過ごした。
−−◎本日の歩行総計約6.6Km
−−◎ケアマネージャーから12月の計画について、連絡があった。
−−◎10時15分から、お風呂にいれた。
脱衣は いつものように大変だった。中で洗い方が強かったので少し抵抗した。
顔を洗ってからおとなしくなったので、娘が洗髪もしてやった。一通り終わった後は
浴室自由にさせておいた。出て来たのでバスタオルを掛けてやったが、再度浴室へ
はいり湯船に使った。外まで出てまたはいることを 都合4回繰り返した。
もうはいらないように私がドアを閉めた。着衣はいつもより時間がかかっていた。
着衣終了が11時だった。それから15分ほどかけて私が髪のドライヤーを
してやった。就寝は11時30分だった。
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愛知県の Yu 様 お便りありがとうございました。(2003.11.14)
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2003.11.13(木) 晴れ 薄曇り
−−◎7時30分起床
−−◎朝の散歩は田圃方面へ行った。
見聞きする物に対する反応はいつもの通りだ。
歩いていて「おっちゃん、どこへ行くの」と言った。普通にゆっくり歩いている時に言った。
私「どこって、散歩で廻っているのやがね」
母さん「何にもわからへんも」と「わからんようになってまった」とも言った。
“わからへん”と言うことが わかっている状況だ。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、10:00から11:59まで、
30分くらい散歩にいってもらった。
ボール投げ遊びのお相手をしてもらった。
テレビを見ながらお話し、画面に川が映った時「あぁ 長良川といっしょや」と言って
いたとのこと。
気分良し。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
バトミントン遊び、
散歩にも行った。「月の砂漠」や「ドングリころころ」歌いながらの散歩。
家の近くで ドングリを拾ってきて見せてくれた。
機嫌良し。
−−◎夕方、おなかが空いたのか、自分でリンゴをむいて食べていた。食べていたところ
を見ていないが、皿の上に4分の1に切ったリンゴが2切れと一切れの3分の1ほど
の食べかけが残っていた。以前は種の部分をきちんと取り除いていたが、今日は
種の部分はそのまま付いていた。
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静岡県の S・K 様 お便りありがとうございました。(2003.11.12)
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2003.11.12(水) 晴れ
−−◎7時30分起床。
−−◎8時、田圃方面へ朝の散歩。朝の散歩はおよそ2.2Kmで35分〜40分。
−−◎娘は水曜(今期)は午後から授業だ。9時30分にとしこさんがきて、娘と一緒に貸衣装店へ
“着物”を見に行ってもらった。本来、健康ならば母さんがやってやることだが、母さんの
健常時の意向をくんで、としこさんに行ってもらった。
−−◎今日は私の病院診察日だ。9時30分 ヘルパー(A)さんが来られた。同乗してもらって
9時50分ころ、病院へ到着。
自宅で待っていてもらってもいいのだが、もし母さんが“外出”し連絡が取れなくなって
しまったりすると、大変だから、母さんもいっしょに行くことにした。
母さんはヘルパーさんとぬいぐるみで遊んだり、窓の外の景色を見て(ここは山が見える)
お話ししたりしていた。ヘルパーさんの気配りで楽しく過ごしていた。
終って、帰りの途中調剤薬局へ寄り、帰宅した。
帰ってからは 周辺への“散歩”に付いていってもらった。
散歩途中で「ここは少し前まできれいに咲いていた。」母さんが言ったとのこと。
そこはコスモスが咲いていて、今は残り花と残骸ある場所だった。
感性に訴える光景や、何回も繰り返し見た物の記憶は残っているようだ。
11時29分、ヘルパーさんは帰られた。
−−◎午後は家事の後は諸用で外出、薬局で薬をもらい、時計の修理(電池交換)、
自動車のタイヤ空気圧調整などに行った。
−−◎その後は苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。母さんは一昨日から「月の砂漠」の歌を
切れ目無く歌っている。
本日の歩行総計約4.4Km
今日も気分は落ち着いていた。
2003.11.11(火) 雨
−−◎7時30分起床。雨で朝の散歩は行かず。
−−◎母さんはテレビを見たり、家の中をあちこち。
−−◎午前中、雨間があったので岩戸公園へ散歩に行った。散歩中母さんが、
見かけない形の蛾(が)を見つけた。幅1.5センチ、長さ4センチ変形菱形の羽を持ち
色は焦げ茶色の蛾だった。遊歩道のアスファルトには この時期、係の人が掃いても 掃いても
落ち葉は落ちてくる。落ち葉も雨に濡れて茶色くなっている。
母さんが「あっ 何かいる」と言った。私は わからなかったので 「う、うん」と生返事をしていた。
母さん「いるって」と念を押す。
「どこに?」、
「ここ ここ」、と言うがそれでもまだ私にはわからなかった。
「どこ?」
「ここやって」、すくそばまで寄ってようやくわかった。
「いたいた、変わった形をした蛾だね」
言っていたことが通じたので 満足の様子だった。
ちょっと観察して通り過ぎた。
☆ゆっくり歩いていても、目にとまらないのに、どうしてあんな蛾を見つけたのか不思議で
しょうがない。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
はじめは、テレビを見てお話し。母さん登場人物を「ソフトな感じの人」とか言ったり
字幕を読んでいた。ヘルパーさんに目で合図して柿の種を飛ばしたりしていた。
小雨の中だったが、“散歩”に付いていってもらった。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
もうひとりのヘルパーさんとふたりで来られた。前半の“散歩”中だったので迎えに
行ってもらい。3人に付き添われて帰ってきた。またお姫様だった。
ジャンパーに名札付けしていただき持って来てもらった。
ヘルパーさん2人と、バトミントン、ボール投げ遊びなどして過ごした。
−−◎3時30分、娘が帰ってきたので、車に市内方面へ乗せていってもらった。
本日の歩行総計は少なく約1Km
気分は落ち着いていた。
2003.11.10(月) 曇り 小糠雨
−−◎6時40分起床、ゴミ収集日。
−−◎8時から、田圃方面へ散歩。
−−◎9時、母さん朝食。
−−◎岩戸公園へ散歩。今日もコスモスの前で立ち止まり観察。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
テレビのこども番組を見ながらお話し、途中足を洗ってもらい、靴下を替えてもらった。
バトミントン遊びをしてもらった。
母さん、外へ出ようとしてドアの外まで出ていたが、雨で出られず、戻ってきていた。
残り30分くらいのところで、母さんは 私を何回も呼びに来るので、私は「休憩するか」
と思い、店(=今は母さんの居室)に行き、椅子に掛けテレビの方を見て居眠りをしていた。
母さんは 私がそばにいたため(眠っていたとはいえ)安心して次第にヘルパーさんと
うち解けた。
−−◎3時30分から5時まではいつもなら散歩に行くところだが、雨だったので
私は事務所兼作業場にいて、母さんは家の中であちこちしていた。
−−◎夕食後は本屋に行った。母さん9時頃「おなか空いた。」と言うのでラーメンを作って
あげて食べさせ、10時頃寝させた。
−−◎小物の移動、意味のない作業。
病気のためになす技だろう。気にすれば気になるが そういうものだと思えば気に
ならない 私の行動の感性とは違った行動が母さんにある。ものが見あたらなくなった
時だけ探さなければならないという“実害”があるがあとは対して実害のあることでは
ないが、記録として留めておく。ここ2ヶ月ばかりの間にあったことである。
2ヶ月より以前は別の行動があったがそれは別の機会に記す。
下に記した例は何回も繰り返しおこなったこともあるし、一回あっただけ、と言うこともある。
−−−−順不同−−−−
○まくら を朝起きた時や昼間二階へ行った時持って来て椅子の上に置いたりする
○台所のタオル置きに10枚くらい置いてあるタオルを使用しないのに、移動したり
別の場所におく。母さん用のは店に30枚くらいあるがこれも使用しないのに
次々に出して机の上に置いたり“外出用セット”に入れてしまう。
○娘の衣服 を階下へ持ってくる。
○店(=今は母さんの居室)に定置してある 植木鉢 バトミントンセット ボール 雑誌
シャンプー剤を台所や事務所の方へ持ってくる。椅子も入り口まで持って来た。
○店ではんこを使用した。1分か2分離れた隙に見あたらなくなった。印肉はまな板
の上にあってすぐ発見した。はんこは見あたらず三文判だ買ってこようと思って
いたところ翌々日クーピーの中にいっしょにはいっているのを発見した。
○洗濯物を自分の物だけしまってしまう。これは意識がしっかりしているという点では
良いのだが、母さんはどこにしまったか記憶していないので、使用時さがす時に
大変だ。
○乾いていない洗濯物をはずしてたたむ。
○自分の服 靴下 ハンカチをすぐ使用しないのに何枚も持ってくる。
○台所用はさみ 歯ブラシ CD 新聞 ほうき 雑巾 ごみとり 靴 などを定位置から移動する
靴が台所の床の上にあったり、台所用ハサミが処分用新聞雑誌のあいだに挟まっていたり
探すのに苦労することがある。
○トイレペーパーをはずして持ってくる。トイレの天井部に補充用ペーパーを置くことにした。
自宅はそれていいが、スーパーや公園のトイレのペーパーを持って来たことが4回あって
急いで私が返してきた。以来外でのトイレは私が外に立って男子用にはいらせている。
○これから洗う食器類を二階へ持って行く。二階では食事関係の物は何もないのに。
○炊飯器の上に物を置く。我が家の炊飯器は中央部分から蒸気が出るようになっていて
炊飯時はもちろん、保存時も置いてはいけないことになっており、そのことは母さんが
一番よく知っていたことだったが...。
○すぐ食べないみかんを何個(5個)も皮を剥く。
お菓子を袋から全部出して皿などに置く。
半分まで飲んだ牛乳を机に置き、自分の飲みかけであることを忘れてしまって、
次のを飲み、飲みかけの牛乳が3本くらい机にある時がある。
すぐ飲まない牛乳のふたを何本も開けそのまま机の上に置いてある時もある。
−−−−−−−−−
物の移動に関して気づいた 癖はこんなところである。
2003.11.9(日) 小雨
−−◎7時30分起床。
−−◎衆議院議員選挙の投票日だった。母さんは本年4月の地方選挙時には投票に行った。
今回は、投票所内へ連れて行かなかった。
近頃文字を書くとが危ぶまれるので、選挙公報の中から母さんがいいと思う候補者名を
「ここに書いてみなよ」とメモ用紙に練習に書かせてみた。候補者名を書くことが出来なかった。
名字はよく似た文字を書いたが存在する別の文字であった。(選挙とは関係ないが自分の名前
は書くことが出来た。)
今回選挙で順次三つの投票行動を関与なしには出来ないだろうと私が判断した。
しかし選挙ばかりは、記載事項に至らない場合でも関与それ自体が行動に関する関与か
記載事項に関する関与か 客観的にわからないので 関与自体が不可能である。
で投票所内へ連れて行かなかった。
☆尚、別件であるが母さんは成人後見人制度を利用していない。この制度を
利用する「成人被後見人」は公職選挙法11条により選挙権がない。(その他の消滅権利
については弁護士等専門家にお尋ね下さい)
−−◎田圃方面へ散歩は行かなかったが、雨間があったので午前中に岩戸公園へ散歩に行った。
母さんは「コスモスの花がきれい」と立ち止まってみていた。木々が色づきはじめ、紅葉の森に
後数日で衣替えするようだ。
−−◎私は家事をしていない時は、事務所兼作業場にいる。母さんは時折「おっちゃん、おっちゃん」と
呼びに来る。少ししゃべったり、30分くらい、いっしょにテレビを見ていたりする。
いっしょに外出しようとして、私の手を引き出入り口の方を指さしたり、出入り口へ行こう
したりする。すべてに応ずる訳にはいかないので待たせておく。
午後娘が外出から帰ってきたので、買う物があって雑貨品スーパーと本屋へ行った。
母さん店の中の品物を見て歩くのが好きだ。
2003.11.8(土) 晴れ
−−◎7時30分起床。
−−◎8時30分から、3人で喫茶「チボリ」へ行った。
−−◎9時30分、生協配送日。としこさんに母さんの洗髪をしてもらった。
10時30分、田圃方面へ散歩
−−◎午後から本巣の ばっちゃの家に行き、1時間くらい遊んできた。大根、タマネギ、じゃがいも
乾麺、お菓子、などをもらってきた。何とか言う「薬」はいらないともらってこなかった。
−−◎(予定=お風呂の日) は予定を繰り上げ昨晩はいったので今夜は無し。
2003.11.7(金)立冬 晴れ 立冬だというのに暑いくらいの日(室温、昼=27.5℃)
−−◎6時40分起床。
−−◎7時26分、田圃方面へ散歩
−−◎9時30分、半日デイサービスに歩いて(約15分)行った。前回よりちょっと笑顔有り。
ぬり絵をして、外の景色を見て、ハトの大群に驚き、体操をして、お話しがあって、
食事をしてヘルパーさんといっしょに、帰ってきた。
☆ぬり絵は少し塗って、休み、少し塗って、休みしてやっていた。時々私が塗ってあげた
ところもある。
☆「体操」は見てはいるが、自分から動こうとはしなかった。手首をぶらぶら
するところと、足のつま先を上下するところだけ自分でやっていた。
☆「お話し」とはその日その日の話題を職員の人がお話しして、参加者も、自分の
ことをしゃべったり、母さんは聞いているだけだったが、企画としてはおもしろいと思う。
☆更におもしろいのは、昼ご飯のメニューの説明があることだ、説明と言っても
さらりとかんたんなものだが...
参加者も口には出さないが、結構関心のあるところ、作る立場からの 関心もあり
食べる立場からの関心がある。微妙な反応でよくわかる。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
デイサービス終了後、3人で歩いて帰ってきた。
顔、首、手拭きをしてもらった。“散歩”についていってもらった。
気分良く過ごした。
−−◎風呂に入れた。9時開始、終了は10時10分。浴室時間は20分くらい。
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○○県の りりか 様 お便りありがとうございました。(2003.11.6)
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2003.11.6(木) 晴れ
−−◎7時10分起床。
−−◎7時40分、田圃方面へ散歩に行く。自転車通学の高校生にたくさん出くわす。
北方向へ行く高校生。南方向へ行く高校生。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、10:00から11:59まで、
結構暖かい日で、“散歩”に4回付いていってもらった。途中おしゃべりしたり笑ったり。
室内にいる時はボール投げ遊び、ぬいぐるみ遊び、など。
爪切りをしてもらった。
−−◎昼食は「ご飯」(パン食ではないの意)にした。
昼食のあと岩戸公園へ散歩に行った。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
母さんが“散歩”に何回も出たので付いていってもらった。
「おっちゃん、おっちゃん」と呼ぶので店に行き、私もいっしょに掛けて、テレビを見たり
居眠りをしたりしていた。私を引っ張って、おもてに出ようとしたりもした。
で、岩戸公園へ散歩へ(2回目になるが)連れて行ってやった。
帰られる時は笑顔で送り出していた。
−−◎4時から苧ヶ瀬の池へ連れて行き一周してきた。池の中の神社の祠のある岩(島?)に
川鵜が数羽いたのを見て「カラスが5匹いる」と言った。川鵜とカラスを間違えたのは
川鵜をあまり見たことがないのと大きさからして あまり問題ではない 5羽の数が
合っていたので 良しとしよう。
−−◎3人でテレビを見ながら、夕食を食べ(食い)、そのあと娘に連れられて
夜のドライブ一時間コースに行ってきた。
2003.11.5(水) 晴れ 薄日さす のち曇り
−−◎6時45分起床。
−−◎諸事のあと、田圃方面へ散歩。母さんの探索意識は旺盛。
−−◎今日は母さんの県立病院診察日の予定で、朝食は母さんが朝早いと食べない
ので、朝食抜きで病院へ向かう。9時の予約で、時間ちょっと前に到着し診察券
を出すとすぐに呼ばれた。
「どうかね?」と聞かれて「明るい気分を保って調子はいいです」と答えた。
母さんの状態は1日の90%以上は、笑いもあるし、沈み込むこともないし、
乱暴もしないし時として、理由があって不機嫌になることはある。そのままのことを伝えた。
「薬は飲んでいるか?」(漢方薬)私「1日に一回しか飲めないので余ってきています」
「じゃ、今月は休みにしよう。(余っている分を)続けて飲みなさいよ」と。
そんなわけで注射も騒動なくやってもらい、診察は終わり事務でお金を払って
外へ出たのが9:22分だった。ここは診察後処理の事務に派遣社員が20人
ほど雇われていて、金銭授受は ○○銀行の行員がいて、処理はすばやい。
−−◎終わった後は、喫茶店へ連れて行ってあげた。今日は1年ぶりくらいに母さんには
コーヒーを注文した。一年ぶりと言うのは、発病後1年半から2年ころ、喫茶店の
コーヒーを飲むと決まって夕方から夜に掛けて、興奮状態になったりしていたので
控えていた。
母さんは健康な頃はコーヒーの香りが好きだったので、たまにはいいだろうと思って
コーヒーにした。
朝食抜きだったので、おしゃべりしながら もぐもぐと食べていた。
帰りがけ“ながやさん”ににっこり笑い手で合図していた。
そのあとで岩戸公園へ行き散歩してきた。
−−◎去年の日記を見ていたら(2002.11.5)次の記述があった。
「母さんは おやつ用の肉まん、たいやきとかを自分で出して、レンジにセットして
食べていた。」と。
去年は電子レンジを使うことが出来たのに、現在ではもう出来なくなっているなー...。
と思った。でも大好きな 柿 はまだ自分で剥くことが出来るなー...とも思った。
−−◎午後2時少し過ぎから、木曽川河川敷公園へ散歩に行った。
曇り空で 暑くなく寒くなく、4.4km1時間で歩いた。母さんの周囲探索の目は光る。
残り1kmあたりからちょっと疲れた様子だったが、車に戻ると元気になった。
本日の歩行総計約7.4Km
2003.11.4(火) 晴れ(室温、朝=22℃、昼=26.5℃、夜=23℃)
−−◎6時45分起床。
−−◎7時30分から、田圃方面へ散歩。この時間は自転車通学の高校生とたくさん出会う。
−−◎8時30分、パンの朝食。
−−◎9時30分、岩戸公園へ散歩。
−−◎来客予定であったが、急用が出来て、来られなくなったとのこと、
−−◎午後、郵便局、その他へ雑務処理のため廻った。
−−◎一旦家へ戻り、その後、○○大学へ行き(当然守衛さんに挨拶してから)、構内を散歩して
きた。苧ヶ瀬の池と同じかそれ以上の距離があった。
−−◎昼間の室温は26.5℃で温暖な日が長期間続いている。去年は11月5日に朝だけ
灯油ストーブを入れていたが、もう少しストーブなしで持ちそうだ
−−◎昨晩、私が見た夢。(眠っている時に見るあの夢)
.....家族3人で、どこかへ小旅行に行っていた。ファミリーレストランのようなところで、
食事をしていた。私が席を外して戻ってくると、母さんが知らない人の席の中にはいっていて、
普通のトーンで「食べやーよ、おいしいよ」とか言っている。..“おいしいよ”は、いいけど
他人様のものを食べていては...(夢というものは、非論理的なもので) 私も食べて
いたのに、再度注文に行った。(夢の中で注文した場面は覚えていないが)戻ってみると、
母さんのコートとぼうしが椅子の上に残されていた。
私は「はっ」と思い、表の方へ飛び出して、自転車に乗って(自動車で行っているのになぜ
自転車があったのか不明だが)道路を右手の方へ走った。その方面は家とか商店とかが
あった。母さんが歩いている姿が見あたらないので、引き返し待っていた娘に「いなかったよ」
と言って反対方向に自転車を走らせた。左方面は家の少ない光景だった。
−−いないなーどこへ行ったのや−−と緊張が頂点に達した。
緊張が頂点に達した時に目覚めた。こんどは本当に「はっ」と思い、となりの布団を見ると
母さんは「すーすー」と寝ていた。明け方近かったがまだ暗かった。私もまた続きを寝た。
(ファミリーレストランやその外の風景は実生活で見かけたところではなかった。)......
☆その他の夢も含め たまにしか夢の記憶はない。母さんの病気状態の夢は過去一回
見ただけで今度で2回目。
2003.11.3(月) 文化の日 曇り のち 雨
−−◎7時起床。田圃方面へ散歩。
−−◎ヘルパーさん来訪日(C)、13:30から15.29まで
ぬいぐるみ遊び、写真を見てお話し、バトミントンなどをしてもらった。
母さん“散歩”に出ようとするが、ドアを開けて一歩出て雨を見て戻ってくること数回。
全体を通じては楽しい気分で過ごし機嫌が悪くなることはなかった。
−−◎ヘルパーさんが帰られた後、母さん車に乗り込んでしまったので、ドライブだけの
つもりで苧ヶ瀬の池へ連れて行った。公園のトイレまで行ったが雨は小糠雨
程度で続きで傘をさして一周してきた。途中落ち葉が濡れていて二回足を滑らしたが
「おーっ」とか言って持ちこたえ、転びはしなかった。この辺の反射神経はまだ
普通状態のようだ。
足を滑らしたこととは関係ないが、雨天で時刻の割に暗くなっていて、「恐いこわい」を
連発していた。
2003.11.2(日) 晴れ
−−◎7時起床。
−−◎田圃方面へ散歩。
−−◎2時から4時まで私が昼寝。
−−◎4時から、苧ヶ瀬の池へ散歩。
本日の歩行総計約5Km
−−◎夕食後、娘がおやつを作っていて、製作途中の“部品”を母さんがつまみ食いしたため
娘が「ダメ!」と言って制止した。娘が私に「放し飼いにするなよ、いっしょにテレビを見てると
言ったがね」と言った。
母さんは10分くらいはいつものようにうろうろしていたが、私の所へ来て、
「おっちゃん おっちゃん」と5回くらい言い、ひたい左側を押さえて「頭が痛い」と言った。
少し早かったが、寝させるべく二階へ連れて行った。横になってから「おっちゃん おっちゃん」と
10回くらい繰り返し言った。「恐かった こわかった」と10回くらい言った。
「向こうに小さい子がいるで..」と言った。「おにいちゃんどこ行った?」とも言った。
私「だれもいないよ」と言った。
熱は特になかった。頭痛もしなくなっていた。
「おっちゃん おっちゃん」と「恐かった こわかった」を繰り返していたがそのうちに
寝てしまった。
2003.11.1(土) 晴れ (室温、朝=19℃、昼=27℃、夜=23℃)
−−◎数日前、少し寒かったので 冬気候に突入かと思ったが 今日は暖かさを回復。快適気温は続く
6時40分起床。
−−◎7時40分から田圃方面へ散歩。
−−◎1時40分、娘が行っている大学で「大学祭」があるというので母さんを連れて見に行った。
喧噪な祭りの雰囲気があった。娘は邦楽部で箏をやっていて発表があるという。
母さんが2時間がまんして聞いておれそうにもないので、あちこち見て回って
終わりがけ30分のところで見に行った。ちょうど良い散歩になった。
交代で受付をしていて ちょうど娘ともうひとりの子受付をしていた。私は目で合図をして
通過しようとしたら母さんが「あっ あにゃまん おいでよ」と喜んで声を掛けたので
母さんにもう一枚チラシをくれた。会場は音楽鑑賞室で小中学校の教室くらいの
大きさのところで箏、三味線、尺八の合奏、がおこなわれていた。それぞれの楽器の
個別の演奏もあった。
今日の“事件”は、1、靴を脱いではいるべき所に靴(運動靴)をはいたままはいっていた。
2、中で小声ではあったが「暑い暑い」と言っていた。私たちは一番後列の椅子に掛けていたが
受付が交代になり戻ってきて、私をつつき「靴履いてる」と教えてくれた。
靴を脱がせてやり、私が手に持っていた。母さん演奏を手先を膝の上で軽く動かして
拍子をとって聞いていた。
終わってから、もう一度見て回り、模擬店で、おしるこを食べて帰ってきた。
−−◎今日はお風呂の日で母さんをお風呂に入れた。開始から終了まで1時間と5分だった。
あいかわらず脱衣だけが問題で脱がせるのに手こずった。
2003.10.31(金) 曇り 晴れ 曇り
−−◎7時起床。
−−◎田圃方面へ散歩。「知り合いの犬」に出会って母さん犬の頭をなでてやる
−−◎9時15分からデイサービスへ歩いていった。(歩いて15分程度)
いつものように ぬり絵とが 持って行ったぬいぐるみで遊んでいた。
私がトイレに立ち席を外していた時の出来事、中で働くヘルパーさんに声を掛け
「ここ あったかいで来(こ)やあ」と言っていたとのこと。
今まで ここで自分からしゃべったことがなかったのに前進だと思った。
前回よりも笑顔が多くおだやかだった。
昼食は おかずは全部食べたがご飯は少し残した。
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、12:30から13:29まで、
デイサービスからの帰りは12:30からヘルパーさんといっしょに歩いて帰ってきた。
デイサービスで半日室内にいたせいか?外出したい気持ちが強く、3回“散歩”に
付いていってもらった。ボール投げ少し。
散歩していて、うどん屋さんから出てきた スーツ姿の男性を見て「とても紳士的なひとやねー」
と言い、選挙ポスターの写真を見て「やさしいお母さんみたい」とか言っていたとのこと。
−−◎夕方は 苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。
本日の歩行総計約7Km
−−◎娘が帰宅したのでいっしょに夕食。
2003.10.30(木) 晴れ
−−◎7時起床。
−−◎田圃方面へ散歩
−−◎ヘルパーさん来訪日(A)、10:00から12:00まで、
一昨日電話があった、元お客様が会いたいと言われて、会いに行った。ヘルパーさんもいっしょに
行ってもらった。YAさん(83歳)はこのあたりでは相対的に上層の階層に属する人だが、気取らず
気さくに人に接する人だ。
母さんと話していて 「げんきだった?」とか気候の話しまではついて行けたが「○○さんはどうやね」
と聞かれると、母さん「うん来て見えるよ」と返事。YAさん「どうやって、誰がやるの?」と母さんの
話しをそのままうけとって素朴な疑問を呈示。私が「まだ仕事をやっていた頃のことを言っているんです」
と言うとYAさん「あー」とつじつまの合わぬ事に納得した様子。
その後のいくつかの話しはテンポが速く語られて、母さんは「あー」とか「そう」とか「ふふ」とか一応笑顔で
受け答えしていたが話しについて行けない様子だった。
YAさんが趣味の集まりや老人会に行く時に、いつも母さんの店で 身なりを整えてもらって出席し、
仲間から「ピシッとして見えるねー」と言われることが、誇りだったのだ。
「○○○