日記Ynas0303
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
※ 読者のみなさんの参考のために
母さん(田口靖子)は 本日(2003.4.1)現在58歳5ヶ月。
アルツハイマー 発病後4年7ヶ月
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2003.3.31(月) 晴れ
−−◎昨晩も トイレに何回か起きたが、30分とか、1時間とか遊んでいることはなかった。
−−◎午前中、田圃方面へ散歩、「あっ たんぽぽが咲いている」と言っていた。
歩道に 空き缶のつぶれたものが、あり 足で蹴って脇の方へ寄せていた。
−−◎ケアマネージャー 来訪。3ヶ月に一回の“見直し”と言って 総括と方針つくり
のようなことをする。
意見を求められたので、介護保険が十分活用されていないことと、
レベルの向上を望むと言うことで “不満“と記しておいた。
効用といえば
@ ヘルパーさんにきてもらっている間は 母さんの注目が2分の1になること。
で私にとって、ヘルパーさんがいないときと 同じように母さんと同じ空間に
に居るにしても、わずかに気分の負担が軽減されること。
A 母さんが 家族以外と接して 家族以外の人との接点を持ち、気持ちを刺激して
機能が退化することを防いでいること。
B ヘルパーさんの経験の集積に寄与していること。
などがあげられる。
−−◎午後、所用出て、用件を済ませてから、苧ヶ瀬の池へドライブと散歩に行った。
−−◎まんが「アタゴオルは猫の森」=ますむらひろし。より
ヒデヨシが 仲間の一団と森にある湖の周りでおどっている。
口笛を吹いたら、なぜか記憶を失って踊り狂うことになってしまったテマリたち。
(ヒデヨシを除いて。ヒデヨシは口笛が吹けないし、元々しょっちゅう歌って踊っているから。)
......。
ふと気づくテマリ。
テマリ 「うっ。(私は)なんでヒデヨシなんかといるんだ。」
ドラネコ「ああっ、なんでこんな所にいるんだ」
テマリ 「とつぜん記憶がなくなって.....」
ヒデヨシ「気にすんなよ オレなんて しょっちゅう憶えてないぞ」
☆ヒデヨシ「記憶なんて 生きるジャマだぜい」
(以下、くわしく原因究明していく)
......。
※マンガの吹き出し だけ移しても 意味がわからないかと思うが、
☆のところのヒデヨシの言葉がヒット。
くわしくは 表題の マンガを購入してお読みください。
2003.3.30(日) 晴れ
−−◎睡眠時間は普通だった。
−−◎午前中は 田圃方面へ散歩。
−−◎午後は 母さんが「ねぇおっちゃん。おっちゃん。ねぇ、ねーぇー」と呼び続けるの
をよそに仕事をしていたが、あんまり「ねぇねぇ」言うので、3時半頃、ついに私が
おれて、スーパー三心へ箱入りの缶コーヒーを買いに行った。
−−◎娘はまた友達と出かけた。
2003.3.29(土) 晴れ
−−◎生協配送日。
−−◎昨晩は 昨日 不安定要素があったせいか 母さんは たびたび起きた。
−−◎母さん、1月ころから トイレに入った後、水を流さなくなった。トイレの
水洗コックをひねることがわからなくなってしまった。
通常の水道は、手を洗ったり、コップに水を取ったりして使用できる。
トイレの水洗の出し方がわからないので 和式トイレでは、大便が
滞留している。それを前方へ流そうと、ペーパーの芯を使って押し出していた
ことがわかった。汚れたペーパー芯が立てかけてあったのでわかった。
2月はじめにトイレが 詰まったのもそのためであった。
コックを廻すだけのことだが、何回か説明しても、その後流すことが
できなかったようだ
2003.3.28(金) 晴れ
−−◎ヘルパーさん来訪日。今日は仕事が忙しかったので 母さんのことを少々放って
おいたら、母さんの不安(不満か)が増してきた。前半はヘルパーさんの前で
笑顔が見られなかった。仕事が一区切りしたので、三人で散歩にいくことにした。
帰ってきてからは、母さんに笑顔が戻った。
−−◎4時からドライブに行った。今日はカルコスの西の道をまっすぐ行くと どこへ
通じているかを確かめに行った。垂井経由で大垣まで行ってしまった。大垣へ
行くには遠回りである。
−−◎夜もドライブに行った。
2003.3.27(木) 晴れ
−−◎娘の友達が うちへ遊びにきていたので、私と母さんは、追い出されていた。
−−◎岩戸森林公園へ 10日ぶりくらいに行った。早咲きのさくらが咲いていた。
数10本の桜があるが そのうち3本は咲いていた。一本は散りかけていた。
他の桜が咲くのは、あと10日ほど後か?
−−◎午後から脇田へタイヤを替えに言った。去年は脇田さんのカミさんと料理の話
やら家族の状況などを話していても、何とか相づちを打って うまく取りつくろう
ことができていたが、今年は天気の話だけでいっぱいいっぱいだった。
−−◎得意先へ用紙の配達に一緒に行った。
2003.3.26(水) 晴れ
−−◎午前中は 私が 診察に行った。レントゲン、血液検査をした。
特に異常なし。母さんも一緒に行ったが、特に支障の出るようなことは
なかった。
−−◎夜、娘と一緒に”お風呂作戦”を展開。
風呂にはいったらすぐ寝られるようにと思い、9時30分から開始した。
母さんに「今日はお風呂に入るから..」と伝えて促してから開始した。
本人の意思表示を尊重して、服を脱ぐことを促した。
風呂にはいらなければならないことは「わかっている」と言い、
服は「自分でやるからいい」と言った。
でも 室内をうろうろ歩いてなかなか行動にかからなかった。
ジャンバーに手をかけて 脱がせてやろうとすると、母さんは
手を組んで 前かがみになり、脱がせようとしなかった。
10時15分、多少の抵抗はあったが、ジャンバーを脱いだ。
そのあとも うろうろと、お風呂の前から 逃れて 避けようとしていた。
私は娘に「はじめたからには 今日は遅くなってもはいらせるよ」
と言うと「うん 大丈夫 伊達に 遅起きしてるんじゃないから
(テレビを見たり、勉強したり、娘も結構 夜型だと言う意味)」
本人の意思を尊重しないで、実力行使で行くことにして、行動開始。
カーディガンやブラウスのボタンをはずしてやろうとしても、
動いてはずさせないので、今何が大事かを判断して、いくつか
ボタンがちぎれたり、娘が頭を殴られたりして、服を脱がせ、浴室へ
導入したのが11時。
はいってしまうと、暴れなくなった。今日は私が洗ってあげた。
浴槽へも 「さあはいろうか」と言うと、簡単にはいった。
出て洗っていると、自分から浴槽へはいったり、出たりを4・5回
繰り返した。
11時35分、浴室を出た。服を着て11時45分
台所にはストーブもつけて暖かくし、用意したおいた おやつを
みんなで食べながら、過ごした。出てからの母さんの機嫌はよかった。
12時30分に寝かせた。
2003.3.25(火) 晴れ
−−◎母さん 昨晩は最近にしてはよく寝た方だ。6時間くらいか。
−−◎ヘルパーさん来訪日。足を洗ってもらおうと思ったが、
母さんが「今日はだめ」と言ったので、やめた。少ししていっしょに
田圃方面へ散歩に行った。まあまあ対人的には機嫌がよいほうであった。
−−◎暖かくなって、「外へ行く」志向が強くなってきて、一人では行けないので
私を誘っていく。休みになっている娘に運転させて 川北方面へ行って来た。
娘「車に乗って”徘徊”か。徘徊の近代的な形態だな。
産業革命の時代確定が.......」 などと、言いながらハンドルを回していた。
2003.3.24(月) 晴れ
−−◎母さん昨晩はトイレにはまとまって何回かおきたが、階下へ行き遊んでいる
ことはなかった。
母さん 夜中に起きてトイレに行くとき、私の顔を突っついて私を起こそうとした。
もちろん私は起きてやる積もりだったが、眠気が強く 顔をしかめて起きようと
していたようだ。母さんは「どうしたの?」と言って、私を元のように寝させ、
「何食べる?...おかゆ食べる?...冷たいタオル持って来ようか」
どうやら私が 熱でも出していると思ったらしい。
「どうもないよ」と言って起きていってやった。
母さんが何のために私を起こすかと言うと トイレに行ったときに 水を流す
ことが出来なくなってしまって、私が行って 水洗コックをひねってやるのだ。
今年一月ころから、水が流せなくなってしまった。
トイレに行き、床につくかつかないうちに再度トイレに行くことを連続的に
5回か6回 繰り返して寝た。
−−◎寝ながらぼそぼそと私に言ったこと、「壊れてしまった。」と言った。
−−◎所用あって、家族そろって京都へ出張、
−−◎帰ってから、腱鞘炎の治療のため、外科へ行った。
2003.3.23(日) 晴れ
−−◎母さんの 昨晩の睡眠時間は7時間か?。夜起きは しなかった。
このところ 母さんは 私が事務所にいると、
連続的に「おいおい、こっちへおいでよ」呼びかける。5回に1回は
それにおじて母さんのほうへ行って、しゃべる。一日中連続的に呼びかける。
テレビをかけているときと、居眠りをしているときは 呼びかけない。
テレビをかけているときでも なにか 興味のある画像が出てくると
「ちょっと見てみー」と呼ぶことがある。テレビ漬けもよくないので
一日に何回も切る。何回も何回も私は呼びかけられることになる。
−−◎「頭がぼやけてしまう」と言った。
−−◎午前中、田圃方面へ散歩。続いて商品仕入れに行ったが、売り場
全部廻らないうちに「帰ろう帰ろう」と母さんが言い出して、仕入れ意思決定の
思考が乱され、完了せず、夕方近く、もう一度行くことになった。
−−◎2時来客あり、3時半まで、私が客人と話す、母さんは傍らにいて、
時折 合いの手を入れたりしていたが、じっとしていることが苦手で
一時間くらいすると、辛抱できなくなって私を引っ張って、外へ行こうとした。
で、途中10分くらい散歩に連れ出して、戻ってから 続きの話をした。
客人には 失礼した。
−−◎母さんには その後”午後のドライブ”に連れて行ってやった。
今日は川北方面へ通じる新しい橋が3月21日に開通になっていた
ので その橋を通って、岐阜大学方面へ行って来た。
母さんは 看板を読んだり、カラスや犬の散歩に注目したり、
何かしゃべったり していた。
−−◎夕方の買い物、に行き、夕食後は娘の服などを買いに行き、
今日は何回も外に出たが、母さんは車に乗って外に出ることがすきで
喜んでついてきた。しかし行った先が好みの雰囲気に合わないところだと
すぐ帰ろうとするし、同じところでじっとしておられないと言うことがある。
2003.3.22(土) 曇り
−−◎昨晩は 夜起きは しなかった。睡眠は7時間30分くらいか?
−−◎アメリカがイラクを武力攻撃している。戦争状態が続き拡がれば、
とても 母さんとの生活は継続できるものではない。
私は 第二次大戦敗戦時 3歳だった。そのときの避難の模様など聞いた。
近くでは 地震対策の避難訓練でさえも 一緒にいなければ不安に陥ってしまう。
母さんを連れて行くことは出来なくて、(一緒に行っていても連絡や配給品を
もらうときなど、母さんに「ここにいてよ」といって、行動しなければならない
ときがある。かあさんには 一人でいることが出来ない) このところ参加して
いない。
アメリカ大統領に イラクへの武力攻撃をすぐ中止するよう求める。
総理大臣に アメリカへの行動への賛成を取り消し、アメリカに中止を
求めるよう 行動するよう求める。
−−◎生協配送日、このごろは 母さんの”事件”はない。先週、としこさんが
忘れていった 豆を母さんが封を開けて 食べようとしたが、とし子さんが
「食べるなら食べやー」と言い、袋ごと もらってしまったので 別段のことはなかった。
2003.3.21(金) 晴れ
−−◎昨晩は 夜起き はしなかった。6時間くらい睡眠か?
今朝は6時半起床。
−−◎母さん テレビで アメリカのイラク攻撃の 映像を見て「恐い恐い」
と言っていた。
−−◎ヘルパーさん訪問日。はじめ、田圃方面へ 一緒に散歩に行ってもらった。
8割方歩いたところで「頭痛い」とか「気持ち悪い」とか言い出した。
戻ってから、少し休憩をして、足を洗い 靴下を替えてもらった。
−−◎娘に「あにゃまん お母さんは、どこへいったの?」と聞いた。
娘は母さんを指して「ここにいる」と言った。
後で娘は言っていた。「だいぶん (病気が)進んできたな、少し前にも
こんなことがあったから 元に戻るやろうけど、また出るね」
−−◎”織部の里”へ行った。
−−◎人を”よいしょっ”したつもり。
「おっちゃんて いろいろなことやって すごいんやってね、みんな言っとったよ」
と言っていた。
母さんが「どっかへ行こう、どっかへ行こう」と言っていたとぎ、手が離せない
用があって、長い間 待たせていたとき、言っていた。
2003.3.20(木) 晴れ
−−◎母さん昨晩は 連続して寝た。7時間くらい寝たか?。だいぶん暖かく
なって来た。
−−◎ 起き掛けに母さんが言った。
「もうだめだよ どうしようかな、おっちゃんどうする」と。
私「なにがー?」
母さん「何もかもわからなくなって....何も出来なくなってしまって
ここにいてもいい?」
母さん「おっちやん 仕事も休んでしまって....いろいろやってくれて」
「ありがとう、ありがとう」「すみません」
母さんの ちかごろの状況は 行動に結びつくことは ほとんどわからなく
なってしまっている。
上の会話の意味は、
いろいろわからなくて 何も出来なくなってしまい、お父さんに やってもらって
お父さんも仕事を休んだりして、迷惑かけている。この家にいてもいいか?
という意味である。
日常的には自分の置かれた状況を認識できなく なってきているのに
時として、状況を おぼろげにつかんだことを言う。
−−◎午後伊自良湖へ3人で行った。
2003.3.19(水) 晴れのち曇り
−−◎昨晩は ”夜起き”をした。睡眠時間、5時間くらい。
−−◎母さんみどり病院の診療所へ診察に行った。
不定期に 咳が出ること、目が痛い と言うこと 夜寝ないこと などを
伝えた。帰りは喫茶店へ寄ってきた。
−−◎さらに 途中で 私の 腱鞘炎の治療に寄った来た。
あちこち寄っていると昼食が 手抜きになり、餅とフルーツ(干し柿、イチゴ、みかん)
で済ませた。
午後 母さんのくすりをもらいに行って来た。
−−◎ケアマネジャーから 電話があり、4月の計画について、話を交わした。
4月から 介護保険の基準が一部変更になったことについて、関連する
部分について、報告をうけた。
4月は、週2回ヘルパーさんに来てもらう予定にした。
−−◎午後長浜から米原へ行ってきた。琵琶湖を間近に見たのは初めてだった。
母さんは「海のようだね」と言って見ていた。
しかし 母さんにとっては その後見えた 大きな満月のほうが感動的だったらしく
私に「おっちゃん お月さん見てみぃ 大きいよ」と教えてくれた。
2003.3.18(火) 晴れ
−−◎母さんの睡眠時間は 6時間くらいか。
−−◎ヘルパーさん、来訪日。はじめ母さんの表情が固かったが、
一緒に田圃方面へ 散歩に行ってもらって戻ってきたあたりから、
笑顔が見えるようになった。
母さんが「足が痛い」と言ったとき、ヘルパーさんが「お湯で足を温めると
いいかもしれない」と言うと、母さんが「うん」と言ったので暖めてもらうこと
になった。で 靴下を脱いで、足を洗い、爪も切ってもらうことになった。
続けて 洗髪もしてもらった。ドライヤーをやるとき、気持ちよさそうに、
うつら うつらしていた。
−−◎郵便局と自動車屋へ行った。スーパーへ買い物に行った。
−−◎しゃべっていて 母さん「頭がカラになっていくような気がする」と言った。
「もうだめだ」と言った。「頭の中がぐちゃぐちゃになった。」とも言った。
一日のうち、何も言わないとき
「もうだめだ」などと 静かなトーンでしゃべるとき
鼻歌など歌って、軽快の気持ちで居るとき
とがある。
2003.3.17(月) 晴れ
−−◎母さん 昨晩は10時に寝た。寝始めに10数回もトイレに行った。
階下で 遊んでいることもなく まもなく寝た。朝は5時ごろ、起きた模様。
−−◎午前中は 家事が終わった後 テレビを一緒に見ていた。NHKの
学校放送番組 低学年向けのときは喜んでみていたが、ニュース
番組になったら 急に「恐い恐い」と言い出した。わかるかわからないか
は わからない。(←アメリカがイラクを攻撃しようとしていることについて)
−−◎午後 しきりに 「どっかへ行こう」と私を誘った。言葉には出さないが
私を車のところへ引っ張っていくのでわかる。
苧ヶ瀬の池まで散歩してきた。
2003.3.16(日) 晴れのち曇りのち雨
−−◎昨日は娘が夕刻から 部屋の整理をはじめた。当面使用しない参考書類
を整理し 生活パターンの前進に伴って位置変えなどして深夜12時過ぎまで
かかった。私も手伝ってあげて 母さんも 何もしなかったが付き合って
起きていて12時過ぎに寝た。寝るのが遅かったせいか”夜起き”はしなかった。
7時間くらいは寝たようだ。
−−◎午後から益田郡方面へ行った。雨だった。帰宅は7時30分。母さんは
車に乗せてもらうことが好きだ。
−−◎昨日のこと、母さん 階段を上がりながら、口笛を吹いていた。
”しゅー、しゅー”と音がするので、私は はじめ口笛とは わからず、
「何か?と思った」というと 母さん にこにこいたずらっぽい顔を
しながら 口笛を繰り返した。普通の口笛音より低い音域で発し
”しゅー、しゅー” と言う音の混じった 変わった口笛音だ。
今日は、娘に上機嫌で この口笛を聞かせていた。
−−◎このごろ(1月以来)
母さんのしゃべる話題の種類が少なくなってきている。
ちょっとしたの音に、必要以上に驚く。
「寒い寒い」とか「恐い恐い」とか しか言わない時間が続く。
2003.3.15(土) 曇り
−−◎”夜起き”はしなかったが 早朝5時30分に起きた。少し時間はあったが
そのままにしておいた。
−−◎生協配送日。
−−◎娘がラジコンカーを買うと言うので付き合って連れて行ってやった。
−−◎昨晩、寝させるとき、ふとんをかけてやりながら 「さあ 寝ようか」とか
おしゃべりしていて 母さんがふと言う、
「おっちゃん 子どもの相手をして遊んでおるみたいやね」 と。
まれに冷静に 自分を観察したようなことを言い、はっ! とさせられる。
−−◎久しぶりに 本巣のばっちゃのところへ行った。
半年前、昨年秋ころ、1日に5往復くらい 片道40分のばっちゃの家と
我が家 の間を往復したことが 3回あった。一度向こうへ行き用件を
済ませ途中まで 帰ると また「本巣へ行く」と言うので
「今行ってきて帰り道やがね」と説明したも 忘れてしまっていて納得せず
戻った。「泊まってきてもいいよ」と言ったが、泊まりはしないで「帰る」
というので また向こうへ行った。という往復を繰り返した。ことがあった。
今日は 娘が車を運転して行き返り道、母さんが「こんな方へ来ては
あかんがね」と小声で言っていたが、私の手がすいていたので、
ほか事を話し掛けて 気をそらせ 一定の場所を通過したため
2回目行くとは言わなかった。
興味深かったことは、ばっちゃの家へ着いてから、母さん袋入りのみかんを
奥から持ってきて 私と 娘に、「食べやー、食べやー」とすすめたことだ。
我が家にいるときは 私が 栄養や時間を考えて、食事やおやつを出している
立場が逆転した感じだった。
−−◎ばっちゃが大豆セリンと言うものを買っていて、「よく効いたそうだから飲めよ」
とくれた。私は「効きはしない」しないと思ったが、ばあさんの気休めになれば..
それもいいだろう ともらってきた。
2003.3.14(金) 晴れ
−−◎昨晩は ”夜起き”をして睡眠時間が少なかった。
−−◎ヘルパーさん、来訪日。足を洗い 手足のつめを切って もらった。
−−◎娘は友達と3人で市立図書館へ行った。母さんは出かける様子を観察
していた。が 自分も出かけるつもりで「さあ行こうか」と私に言った。
「今日は○○だけが行くんだから 母さんは行かないんだよ」と言った。
娘が遊びに出ていってしまうと 母さんは 外へ行きたくて
そわそわ うろうろ していた。それで今日も苧ヶ瀬の池へ散歩に
連れて行った。
--------------------------------------------------------------
神奈川県 KMさん お便りありがとうございました。(2003.3.14)
--------------------------------------------------------------
KMさんの お便り
--------------------------------------------------------------
本日、3月14日の朝、おはようグッディにて、特集を拝見しました。
私は15歳の中学3年生です。
今さっき特集を見て、若年痴ほうというものを初めて知りました。
私はまだひどい物忘れとか何かができなくなるということを
経験したことがありませんが、
実際若い方でも痴ほうが起こるというのを聞いて、見て、
とても怖くなったのは事実です。
むしろ私なんかより、実際に痴ほうにかかってしまっている方々の方が
不安で怖いのはわかっております。
そのような方を毎日支えている田口さんの姿が、私にはとても印象的でした。
少しずつ優しいお声をかけながら、毎日そばにいらっしゃる田口さん。
私達若い者は辛いことがあるとすぐに「もうだめ」とか「死にたい」とか
そのような言葉を平気で口にします。
けれど「まだだめじゃないよ」という田口さんの言葉を聞いたら
自分の今までがとても恥ずかしく思い、無恥だったと反省しています。
私には直接田口さんに会って、身の回りのお世話やお仕事を手伝うことは
できませんが、このような方がいるということを周りの人に知ってもらって、
少しでも世間が若年痴ほうというものに関心を持つよう、
少しずつ、弱小の力ではありますが、努めていきたいと思います。
田口さんもたくさんたくさん辛い事があると思いますが、
ぜひ奥様を支えてあげてください。
私達も貴方のような方に支えられているような気がします。
つたない文章で申し訳ありません。乱文お許しください。
2003.3.13(木) 晴れ
−−◎昨晩は ”夜起き”をしなかった。
−−◎午前中 このところ寒かったので 休んでいた田圃方面への散歩をした.
「寒い寒い」と言っていたが、近回りコースを一巡した。
−−◎母さんのこのごろの状況。
○”夜起き”をして 1時間とか3時間ほど、店でうろうろしている。
○昼間は 私は事務所に 母さんは店(今は母さんの城になっている)に
いるが、1分か2分おきに 私のほうをのぞき「ねぇーねぇー」とか
「おっちゃん おっちゃん」 とか言って 私に呼びかける。
○トイレに何回もいく。
○「寒い寒い」と言い、夕方になると「恐い恐い」と言う。
○家事などはほとんど出来なくなった.自身の身の回りのことも食べること
トイレ以外は難しくなってきている。
○「寒い寒い」と言うわりには風邪を引いたことはない。
−−◎午後、写真や、ガソリンスタンド、郵便局と廻ってきた.
私は室内作業、母さんは、テレビなど見てすごした。
でも 落ち着いて座っていることは出来なかった。母さんが
「ねぇー、ねぇー、そんなところに座っていないで こっちへ こやー」
と呼ぶからだ。
2003.3.12(水) 晴れ
−−◎昨夜は11時まで起きていて、寝させた。“夜遊び”はしなかった。
今朝は6時に起きたが、自分から眠そうに二階に戻ってもう一度寝た。
7時過ぎまで寝ていて、自分で起きてきた.
店(今は母さんの城になっている)のストーブを付け、テレビの子供番組を
つけてあげた。テレビを見たり、トイレに行ったり、うろうろ歩いたりしていた。
1分か2分おきに 私を「おいおい ちょっとおいでよ」と呼ぶ。私は
何回かのうち 10回に1回くらいは 「なにー」と言って、店のほうへ行って
トントンと母さんの肩をたたいたりして、様子を見て自分の守備位置へ戻ってくる。
洗濯をしたり、朝食の準備をしたり.....。
−−◎今朝、鉢植えの下水道切り替え工事中の駐車場のコンクリートの固まり具合を
確かめに出た。手で触った程度では固まったように感じられたが、湿り気は
充分あり、まだ重いもの(自動車)が載ることは無理だろう。
−−◎様子を見に外へ出て ふと 植木ばちの さくらが咲いていることに気ずいた。
このさくらは毎年 周辺ちまたの桜より、2週間早く咲くので
今年のちまたのさくらは3月26日ころ咲いていることになる。
私の 桜予報はあたるかな?
−−◎午後 娘は 友達と外出。
−−◎先日のテープが送られきた。
母さんと 二人で見た.
母さんは「あっ わたしや」とか「おっちやん 写っている」とか 言って
喜んで見ていた。
訂正することはこの番組の中で 発病年齢が「40歳台後半」となっていて
病名診断が7年後となっていたが 正しくは53歳のとき 病気に気ずき、
気づいた後 1年経過後に、アルツハイマー病と診断された。
現在(2003.3.5)4年8ヶ月経過した.私の説明が 入り組み
言葉足らずだったのかもしれない。
−−◎夕方 としこさんのところへ テープを持って行き、遊んできた.
母さん 相変わらず「寒い寒い」と言っていた。
私が「よそのうちへ来て あまり 寒い寒い なんていわないで」と言ったら、
とし子さんが「よそのうちやないからいいがね」と言った。
母さんがふと「あったかいものが食べたいねー」と言ったので、
帰ってきてすぐに おでんを作ってあげた.
2003.3.11(火) 晴れ
−−◎昨晩も "夜起き”した。2時間くらい遊んでいたが、(本人はかたずけの
仕事をしているつもり) 連れ戻して寝かせ、7時間くらいは寝たもよう。
−−◎下水道への切り替え工事は、構造部分は終了していたが、地表面舗装工事
は地固めをするため本日に延ばされていた。今朝は 朝から機械による
じかためが始まり 騒音が激しかった.
−−◎今日は ヘルパーさんの来訪予定日だったが 駐車場がないのと、騒音で
母さんの気がちり お遊びができないので 中止してもらった.
騒音が激しく 我が家の車も置くところがないので、外出した。
スーパーを何件か廻り、何も買わないで見物して帰ってきた.娘が
ラジコンカーがほしいと言うので ついでに見てきた。
−−◎午後は NHKのこどもドラマの背景になった 瀬戸市の風景を再度
見に行ってきた.母さんは車の中で居眠りしたり、外に出て公園の中など
歩くとき「寒い寒い」と言っていたが、それは特別のことではなく、
大過なく戻ってきた.
−−◎帰ったときは工事のコンクリートは見かけ上ほぼ固まっていたが、
工事屋さんの話では、2日間は触ってはあかんそうで、母さんには
手を取って、またがせた。
−−◎「どっちがどっちかわからなくなってしまった」といっていた。
「何もかもわからなくなっしまった.」とも言っていた.
−−◎「寒い寒い」「怖い怖い」「ちょっとこっちへ来てよ」と相変わらず
言っていた.
2003.3.10(月) 晴れ
−−◎昨晩は "夜起き”が復活して、途中起きていたようだ。ちょっと私の
気が緩むと ぶり返ってしまう。5時から7時までは寝させた.
いつもと違って 朝食は食べた。
−−◎午前中、病院へ行ってレントゲンを返してきた。
−−◎つづいて 得意先M社へ プリンターの調子が悪いと言うので見に行った。
途中 母さんが「帰ろう帰ろう」と言うので、一旦戻ってきて、母さんを置いて
再度出向いた。結果的に原因は単純なことだったが、1連の点検を、
一回りすることを2回に分けてやったので、手間取った.
−−◎午後は 得意先A氏が 来訪されて相談事、うちでは母さんが 割合
安定しているので 相談ははかどった.
−−◎夕方、買い物に一緒に行き、テレビの部屋で夕食を食べた.
2003.3.9(日) 晴れ
−−◎昨晩は 私の機嫌が悪かったので、11時半まで母さん寝なかった.
「そろそろ寝ようか」というと「まだやることがあるから」と言っていた.
途中少し起きだしていたが、自分で戻ってきて寝ていた。差し引きすると
母さんの睡眠時間は5時間くらいか。私は6時50分くらいに起きストーブを
つけたあげた.
−−◎思いついて 京都へ行った。小雪がちらついていて寒かった.
目的地までは、2時間20分で到達できることがわかった。
母さん 電車の中では景色を見たり居眠りをしたりして、それなりに
時を過ごしていた。乗り換えのとき「寒い寒い 帰ろうよ」と言い、
引っ張って行くことに苦労した.小旅行もかなり無理になってきているようだ
トイレのドア
ところで 母さんはトイレで鍵をかけない(鍵をかけることが出来ない)
我が家のトイレでは これで不都合はない。が、 駅のトイレでは
ドアにバネが付いていて 未使用のとき 内側へ開いたままになっている。
使用目的で中に入り ドアを閉じたあと 鍵をかけないと ドアが戻ってきて
人体に迫ってくる。 A駅でどうも「用を足さない」で出てきた様子なので
娘に同行をさせたら そのことがわかり、娘が外からドアノブを数分間引っ張っていて
ドアを 「閉め」状態で保持しようやく用を足してきた。京都地下鉄の場合は
大変だった.ドアノブがなく 外側はのっぺらぼうだった.それでドアの外側の
下辺部分の 隙間に娘が靴の先を突っ込んで 足力でドアの「閉め」状態を
保持し用を足してきた.何事も 新式の劣悪な条件のもとでも 工夫と言うものは
あるものだ。
−−◎夜は久しぶりに テレビで「動物奇想天外」 をみんなで見てすごした。
2003.3.8(土) 晴れ
−−◎昨晩「眠たい」と言うので 早く寝させすぎたせいか、今朝は5時に起きた.
途中 トイレに起きた。一回目、2回目は、はやく寝た。3回目には
トイレへの出はいりを繰り返しそうな気配だったので、数回出はいりしたあと
私が確認して「今トイレに行ったから もう大丈夫だよ」と言い、トイレに行くことを
怒って押し留め寝させた。それからは5時まで寝ていた。それ以後は、
睡眠時間から 計算して もういいだろう と思い、放置しておいた.
私は6時40分ころ起きて階下へ行き、店でうろうろしている母さんに
「おうおう いたか?」と言いながらストーブをつけたあげた。
母さんはピース、ピースのサインを指で示しながらにこにこしていた.
−−◎午前中は 私の仕事用について行ったが 「帰ろう」「帰ろう」と言い
私を引っ張ったりするので 仕事にならなかった.で その旨断って
帰ってきた。
−−◎私の所得の計算をし税金の申告書を書き郵送した.母さんは本年は
私の扶養家族ということになった.
考えたのだが、所得控除について、 若年性痴呆(65歳未満)の場合は
現状では 老人扶養控除には該当せず、回復の見込みなく世話をしなければ
ならないのに 障害者控除にも該当していない。これは均衡を欠いている
若年性痴呆患者を扶養する申告者に“障害者控除”に相当する控除を
作るよう政府に要求する。
−−◎午後 またまた 苧ヶ瀬の池へ散歩。
−−◎夕食後 母さんも 娘も「ねぇねぇ」「ねぇねぇ」と私を呼びつづけるので
行動の思考がまとまらず進展しなかったので「うるさい」と怒鳴りつけて
静まらせた。
2003.3.7(金) 雨
−−◎困っていた “夜起き”がどうやら止まったらしい。昨晩もトイレには起きたが
そのまま寝た。朝は6時ころから トイレへの出入りを繰り返していた。
そのまま にしておいた。
母さんの 生活上の変化や 習慣にしていたことからの変化は
寄せては返し また寄せてくる 波のようなもので “夜起き”も 一旦は
おさまったらしい。
−−◎午前中は雨で外出できなかった.
−−◎一日中、3分おきに 私を呼びつづける。そのたびに「おいおい」と
返事をしている。30分くらいあいだがあって 再び「おっちゃん おっちゃん」と
呼びつづける。「おいおい」....。
−−◎ヘルパーさん来訪 1時30分から3時まで、母さんビデオを見てすごした.
その間 トイレに行くこと数十回。
−−◎4時から苧ヶ瀬の池へ散歩。かえりに買い物をしてきた。
今日の夕食時は、いつもより食欲があって、ごはんも おかずも 追加をした.
----------------------------------------------------------------------
白本様 お便りありがとうございました。
----------------------------------------------------------------------
本間 様 お便りありがとうございました。
2003.3.6(木) 晴れのち曇りのち雨
−−◎昨晩“夜起き”はしなかったが、今朝は5時から起きてトイレに何回か行った。
−−◎午前中洗濯干しなど.
−−◎雨で 散歩に行かなかったので 3時半ころには 外に出る気まんまんで、
私を引っ張って外へ出ようとするので、江南市方面へドライブに連れて行って
やった.車で居眠りをしなかったから、昨夜はよく寝ていたらしい。
−−◎我が家の 浄化槽から下水道への切り替え工事は、外装は未だ未了だが、
機能的には使用できるようになった.掃除にも洗剤や消毒薬の使用も可能と
なったので、新しいトイレ掃除道具を買ってきた.
−−◎夕食後買い物に行った。
----------------------------------------------------------------------
長野県の S・M様 お便りありがとうございました。
----------------------------------------------------------------------
○○県の T 様 お便りありがとうございました。
(Tさんからのお便り)
久しぶりに日記など拝見していました。
痴呆は年齢が若くして始まるほど進行も早いように言われますが、奥様は進行はして
おられるのでしょうが、それでも比較的ゆっくりなように感じます。
おそらく田口さんの暖かいケアが進行を緩めているのでしょうね。
頻尿は以前母もありました。5分おきにでもトイレに行きたがったりしました。失敗
したくないと言う気持ちのせいのようでした。自分が頼りなくなってきていることを
感じているので、よけいキチンとしていたい気持ちが強くなっていました。
ぼちぼち施設入所の話もが出てきているようですね。
何が良い方法なのかわかりませんが、今後のひとつの選択肢としてはどうでしょう?
睡眠不足にもなっておられるようですね。たまには体を休められますよう。ご自分の
体を第一に。
2003.3.5(水) 晴れ
−−◎昨晩は風呂にはいり、よく寝た。“夜起き”をしなかった。“夜起き”しない日が
4日間続いた。朝は7時まで寝ていた。
−−◎県立病院の診察日だったが、注射もうまく行った。
帰ってきて、パンとサラダの朝食。
−−◎私が 仕事を進めていたが「ねーねー、こっちへおいでよ」と呼びつづけるので
なかなかはかどらなかった。
テレビの こども番組を見ていたのだが かわいい動物や かわいいしぐさの
こどもが おもしろいものが出てくると、私を呼ぶのだ。
−−◎昨日の気分のよさが 今日まで引き続き、今日も朝からるんるんだった。
−−◎午前中、NECにて修理品を受け取り 得意先に配達、もちろん母さんも一緒
−−◎ケアマネージャが来て 「特養」についての資料をもらい、申し込みをしておいた。
申し込みをしたといっても、「50人待ち」「500人待ち」と言う世界だが...。
すぐに 入れるわけでもなく、一般に施設における病人に対する取り扱いは
“発展途上”であると見られることから、やむをえないときの判断になりそうだ
−−◎午後は 美濃市の得意先へ システム点検に出かけた。
−−◎TBSの「ニュースの森」の特集で 我が家の様子が紹介された。
----------------------------------------------------------------------
北海道 R・K様 お便りありがとうございました。
*iku* 様 お便りありがとうございました。
2003.3.4(火) 晴れ
−−◎母さん 昨晩も“夜起き”をしなかった。“夜起き”しない日が3日間続いた。
−−◎浄化槽を下水道に切り替える工事は2日目。工事だから騒音は当然出るが
母さんにとっては相当の刺激だったらしい。
−−◎ヘルパーさんが来た。1時から2時30分まで。昨夜はよく寝たせいか
比較的元気だった。はじめ、テレビで高橋秀樹と若尾文子の出演する
番組を見ていた。やがて飽きてきたようなのでテレビを切ってバトミントンをした。
−−◎ついに風呂にはいった。前回1月25日。くさっ。昨日瀬戸市に行ったところ、
雨が降っており、ぬれたためににおいがパワーアップしていた。
いよいよ今日が決行日だと思い、風呂に入れた。
本日は私が実行班、娘が手伝いだった。前回ほどの抵抗はなく、割と
スムーズに進行した。「さあ服を脱ごうか」と言うと「うんうん」と言いながら
手はボタンをかけようとしたり、シャツを着たまま浴室に入ろうとしたりしたが…。
中で私が洗ってあげて、少し進めたが、途中で「ちょっと出て行ってよ」と言うので、
ひとまず外へ出た。
「あにゃまん ちょっと来てよ」 と言うので 娘が交代した。続きを洗ってあげて
下着を着させてあげた。母さんはその間じゅう「あにゃまん ありがとう」と何回も
何回も言った。
入る前は警戒していたが 入ってからは、娘と結構笑ったりしていた。
母さん「あにゃまん お母さんみたいやねぇ」 娘「………」
寒がって仮にかぶせたバスタオルを取らないのでシャツが着せにくかった。
服を着てからは、ご褒美(?)の柿などを食って、上機嫌だった。
はなうたなど歌って.....。
みんなでおやつを食べてから寝させたらさくさく寝た。夜中に起きださなければ
いいがなぁ。
−−◎3月5日(予定) TBSの「ニュースの森」(関東地方PM5:45〜6:55) で
痴呆、介護の問題について放送されるそうです。家の母さんのことも
聞きにきました。 ほかに重大ニュースがあると延期になるかもしれません。
2003.3.3(月) 曇り 雨
−−◎母さん 昨晩も“夜起き”をしなかった。夜8時から朝6時まで途中トイレに
2回起きたが そのまま寝ていたので10時間ほど寝たことになる。
症状の“波“が引いていったのか、気温が高くなって眠る季節になったの
かもしれない。昨夕は室温18℃で当地方では4月の温度だった。
−−◎昨日は「もうだめだ」と何回も言った。「いろいろやってくれて ありがとう」
とも言った。
「おっちゃん ありがとう。ありがとう」と一日中繰り返していた。
私 時々 「なにいっているんだよ お互い様だよ」と言った。
その分「怖い怖い」は少ししか言わなかった。
−−◎かねて発注していた下水設備工事が今日から開始された。駐車スペースの
縁を通って、道路へ出るが、コンクリートを切る物音が ものすごく大きく
母さんは 顔をふさいで動かず、「コンクリートを切る作業は2時間ほどで
終わる」と言うので、家は工事屋さんにまかせて“旅”に出た。
−−◎行き先は 名鉄尾張瀬戸駅、瀬戸市の陶祖公園、など。
陶祖公園からは市中が見渡せていい風景だった。鹿と猿がいた。
−−◎夕食は 手作りのカレーライスにしたが、母さんは、食べなかった、
以前はよく食べていたのに.....。
−−◎ヘルパーさんから、母さんがトイレに何回も行くことについて、電話あり
神経性のものらしい ということを伝えた。
2003.3.2(日) 晴れ
−−◎母さん 昨晩は珍しく、夜起きをしなかった。途中トイレに起きたが、
階下へは行かず、そのまままた寝て、朝6時まで寝ていた。7時間睡眠
くらいか。
−−◎雨上がりの今朝は 寒さも緩んできて、外気のの雰囲気は快適だった。
こういうときは母さんの 機嫌もいい。
俗に言う“不快指数”が高いときは 母さんの気分も優れないのは“常人”
と同じ。
−−◎午前中は洗濯干し、室内整理、などしていたらすぐ昼になった。
昼食後は 散歩に行った。あちこちの梅畑で 梅の花が香をたて
今を盛りと咲いている。
−−◎夕方 まれにしか行かないが 生協の店舗へ買い物に行った。みかんと
りんごを買ったところで 「寒い寒い」と言って、私の手を引っ張って出ようとする
ので買い物はそれまでにして、帰ってきた。
−−◎今日もまた「おっちやん もうだめだよ」と言った。
2003.3.1(土) 晴れのちくもり のち雨
−−◎母さんは昨晩も3時間くらい寝てから起きた。一時間半起きていてまた寝た。
それから1時間半寝て2時間起きていて、後1時間寝た。起きたのは7時。
合計睡眠時間は5時間半。
−−◎天候が悪く散歩にも“ドライブ”にも行かず。午前中はテレビなど見てすごす
テレビ漬けはよくないので、午後は6時までテレビは見ず。
夕方買い物に行った。
−−◎夜昼 さかさまになったような 状態なので、昼間じっと椅子にかけて
居眠りなどしていることがある。居眠りをしないでも、じっとかけていることがある。
今日もそんな時 ふと 普通のトーンで「もうだめやわ」と言った。
私「そうか だめか いろいろやれんことがあったら おれに言い、やれることは
何でもやってあげるから」とこたえた。
ほとんどの場合は「だめなことはないって、いろいろわかるし、ボーリングや
バトミントンだって出来るし がんばってやっていこう。おれがついているから」
などと言っているが、何回に一回は安心させることも言っている。
−−◎ここ2ケ月くらいのこと、ちょっとした物音に「アーッびっくりした」と
驚く、1日30回くらいびっくりする。
−−◎言い間違いを速やかに訂正したこと。
「いっしょにいないと いやや」と言うべきところを「いっしょにいると いやや」
と言って、はっとして「いっしょにいないと いやや。と言ったのや」と
すぐに言い直した。鈍い行動の中で 速やかな訂正は興味深かった。
−−◎昨夕のこと。車の中で 一緒に待っていたときのこと。
居眠りをしていた。目をつむってはいたが、笑顔でなにやら、独り言を
いっていた。注目したときはもう終わっていたので 何を言っていたか
わからなかったが 今度言うときはよく観察していよう。
2003.2.28(金) 晴れ
−−◎母さん 昨晩も 元気(!?)だった。睡眠時間は たぶん6時間ほど
よく寝たほうだ。馴れというのは不思議なものだ。私の気分も「これが普通だ」
と思うと、平静な気持ちで見ていられる。
−−◎ヘルパーさん来訪日。1時30分から3時まで。
靴下を替え、足を洗ってもらった。ひどく汚れていてくさかった。つめも切った。
母さんの気分はよく 洗っている最中に居眠り。
散歩に行った。寒かった。
−−◎テレビで、東京農大教授が食品についての話をしている番組に向かって
ふんふん、う〜ん、と返事していた。道端で、携帯電話を使う若者を髣髴させる
光景であった。
−−◎母さんと家族との 対応、立場の変化
私と母さん=母さんが健康なときは、どちらも仕事をしていて“対等平等”だった。
炊事 洗濯などで 母さんに負担がかかりすぎることはあった。
必要に迫られて私も 週に何回かは炊事 洗濯などをした。
例えば「おーい お茶をもってこい!」と言うようなことは
言ったことはない。 母さんの客人(店の客ではない人)には
私がお茶を出し、 私の客人には母さんがお茶を持ってくる
というようなことはあった。
病気になってからも、母さんがいろいろやれなくなっても、私が
その分やればいいのだから、それなりに暮らしていた。
しかし 母さんが 身の回りのことを処理することが 困難になり
私がやってあげようとすることに、拒否気分を表すようになると
私が命令者で 母さんが従者の立場に変わってしまった。
「ご飯食べようか」「薬」「散歩に行こうか」「買い物」「そろそろ
寝るか」などなど、私の指図に素直に従っている。(風呂だけは例外だが)
はじめは 命令者立場にたった私が戸惑っていた。
典型的な 男性主導の あり方に戻ってしまったようだが、今の
母さんはそれに抵抗を感じていないようだ。
しかし あまり母さんが動かないときは 私が大きな声をあげる
こともある。
娘と母さん=母さんの発病時は 娘は成長期であった。母さんの発病初期
の軽い程度のときでも、子供のこの時期の変化に対応し切れ
なくてよく衝突が起こった。衝突はよくあるが 理解できていない
衝突なのだった。
母さんの病気の進展とともに、子供への認識が より幼かった
時代へと 戻っていく場合があった。
娘は自身も成長し、母さんの病気への理解と同感も進展し
このごろではスムースに回転している事が多い。
ぶつかり合うこともある。
「一見 母としての立場を尊重するよう見せかけて その実、
私の手の上で動いているような 心持でいることを目標とする。
後は今まで通り生きればよい」
娘は お釈迦様で 母さんは孫悟空と言うわけだ。
2003.2.27(木)
−−◎昨晩も途中で起きた。短時間でおとなしく戻ってきた。
−−◎午前中 娘が家にいたので母さんの 番をしてもらって 私は腱鞘炎の
治療に行ってきた。 いなかった時間は20分足らず、私を探していたよう
だったが、「すぐ戻ってくるわ」と言うと納得していたと言うことだった。
−−◎午後、苧が瀬の池へ散歩。
−−◎会話、おしゃべり
母さんのしゃべることは、目に映る光景で かわいいもの 面白いもの
珍しいもの 変わったことがあると報告してくれる。
生活の中のことを、しゃべったりするのだが 指示代名詞が多く、
主語が省略されることも多く、意味がわからないことが多い。
その上事実と空想でつなぎ合わせた話がされると意味の解読は
お手上げだ。
面白いことがあると 笑う、微笑む。そういう時はみんなで大笑いをして
その笑いを盛り上げる。
ふと昔話をする。(最近はほとんどしない)
−−◎洗濯のしごと
洗濯干しは、二階ベランダに干していたが、このごろでは そこへ通じる
廊下に干している。急に天候が変わったとき 家にいなかったり、
夕方 取り入りを忘れても差し支えないように、している。
母さんは 私が取り入れてたたむよう指示しそれをたたんでいる。
そのあたりが限度のようだ。干す仕事はこのごろ出来なくなった。
2003.2.26(水) 晴れ
−−◎母さん 昨晩ははじめから寝なかった。一回目は2時、2回目は3時半、
3回目は5時に 寝るよう促してやっと寝た。7時に起きた。
ここ最近「目が痛い」「頭が痛い」「足が痛い」「おなかが気持ち悪い」と
それぞれ別のときに、時折訴える。ただ長時間連続的にあるようではないようなので
私「夜 寝ないから 仕方がないよ」と突っぱねている。
−−◎計算のこと
簡単な計算をやらせてみたら 回答状況は次のとおりだった。
5+3=3......言葉では「8や」といいながら 3と書いた。
10+5=15....これはあっていた
5+7=.......回答不能
4−2=.......「にゃんにゃん」と 私たち夫婦の間では2を
10−5=回答不能
−−◎今日は私が国立岐阜病院へ 診察に行った。前回血液検査の結果は
コレステロールが高いと言うことだった。その他は特段の異常はなかった。
母さんは 私が診察中も待っていてくれて 何事もなかった。前回は
母さんが「帰る 帰る」と言って 不安定だったので 診察とは無関係の
この病院の看護婦さんの手を煩わせて お相手をしてもらっていた一幕があった。
ここは 結構お客さんがいるのに 待ち時間が少ないので助かる。
−−◎仕事でNECその他へ 母さんと一緒に行って来た。午後は買い物。
2003.2.25(火) 晴れ
−−◎母さん 昨晩は いつもと比べてよく寝た模様。トイレには何回か行ったが
階下へ行って うろつくこともなくその都度戻って寝ていた。
−−◎ヘルパーさん来訪。1時から...。ちょうどこられたとき昼食をしていた。
にこにこ顔で迎えた。バトミントンをして、散歩に行った。暖かい日と
思ったがちょっと寒かったかもしれない。終わりがけ疲れたようだった。
ヘルパーさんは2時半までの予定だったが、こちらが3時まで引き伸ばした。
1月ころには 運動はもうできないかと思ったが、先週行ったボーリングとか
バトミントンとか、結構まだいけると思った。
気分が沈みこむことや、眠たくてぼんやりしていることと、運動機能とは
別物らしい。
2003.2.24(月) 曇り
−−◎母さん昨晩は10時45分に寝た。3時に起きて、階下へ行った。
3時30分ころ、迎えに行くと 比較的はやく二階へ戻ってきて、7時まで
おとなしく寝ていた。途中トイレに起きたが そのときはすぐに戻ってきた。
−−◎過日、久しぶりに お絵かき をしてみた。
適当な 生のモデルがなかったので、以前に描いた果物と野菜をならべて
描いていた絵をうつさせた。ばしめに 皿を描いた。
ほかの人も見ていたので さっさと描き始めた。数メートル離れて見ていると
不自然なく 普通に絵を描いているように見える。
体面を保ち、絵を描くという行動をしていたわけだ。
ぶどうの軸を描き、メロンの軸を描き、みかんの軸を描き(たまたま葉付の
みかんだった)、ナスの軸を描いた。りんごは軸とともにちいさな半円を描いた。
モデルのりんごの絵は直径7センチだったが 描いたほうは2センチほどで
しかも半円だった。丸く書いてあったとしても面積にすると約6分の1だった。
かかれた絵は 皿と4個の軸と ちいさな軸付りんごのみだった。
そして 絵を描いたときはいつもやっているように 日付と 自分の名を書いた。
名前は はじめカタカナで書いたので 漢字で書くよう促すと、漢字で書いた。
軸は描けたが、果実のイメージを頭の中で構成し、別の紙に再現することが
困難になってきているようだ。
−−◎テープでかけていた 歌を 母さんが歌うことは以前にも記した。
ところで 私が 音程のくるった歌を歌うと、母さんは笑い出す。
音程のくるいがわかると言うことだ。
2003.2.23(日) 晴れ
−−◎母さん 昨晩は 起きて行かなかったらしく、朝まで寝ていた。私が気が付かず
娘が、連れ戻してくれたのかもしれない。このところ昼間なるべく動くようにしている
−−◎記憶の波、昨日のこと。
母さん ふと言った。「こないだねー ○○がねー ばあさんに何かもらったよ」
私「ばあさん? うちのばっちゃのことか?」
母さん「ちがうちがう どこかその辺からくる人」
私「あー わかった。カットに来てくれる人か」
離れたところにいた娘 ぼそぼそと「恐ろしいことだ」と冗談ぽく言った。
ほとんどのことを忘れてしまうのに、そのことを覚えていたことに、驚いたのだ。
−−◎治癒の望みなき人を悪化しないように世話を継続する。これが介護だ。
−−◎久しぶりに 本巣のばっちゃのところへ行った。
2003.2.22(土) 曇り
−−◎1月9日から 始まった 朝の早起きは今も続いている。
途中 寝るよう促しても なかなか 戻ろうとしなかった。
昨日と今朝は 比較的 従順に戻って(5時)寝てくれた。
7時に 目を覚まし「こわい こわい」の連続だった。
こういうときに ふと我にかえったようなことを言う。
今朝は「ここにいて 迷惑かけるかもしれないけど...」と言った。
また「もうだめだ」とも言った。
私 「うん いいよ いいよ 病気のときは だれでも ひとに 迷惑を
かけるものだよ。おっちゃんが 熱出したときには タオルもって
きてくれたりしたやんか 」
母さん「おっちゃん つぶれたらもう終わりだよ」
−−◎先日 うどんを 調理した。母さんにもやってもらおうと用意した。
材料。既製品のゆでめん、きざみあぶらげ、にんじん、白菜、マイタケ
まず あぶらげのみを入れて、なべを火にかけた。
材料を刻んで そこへ入れる予定なのだが、にんじんは私が薄切りにし
母さんがそれを 半分に切った。ボールに一時入れて、白菜を
2枚取り、まな板の上におき、「これ切って」というと、しばらく観察していて
白菜を切った。次に私がマイタケを出して、「白菜をボールにとって
マイタケを切ってね」と言ってマイタケを出した。
白菜をのけないと まな板の上が いっぱいで マイタケは切れない。
私はもう一度「白菜をボールにとって マイタケを切ってね」と促して
10分ほど待った。母さんは観察しつつ ほか事をしゃべったりしていて
それ以上進めることができなかった。後は私が 引き継いで
「料理」をすすめた。
2003.2.21(金) 晴れ
−−◎昨晩は3時間+2時間寝た。
3時間というのは昨晩から深夜にかけて、2時間というのは 早朝5時
からのこと
−−◎ヘルパーさんがきたときは、はじめしゃべっていたが、
ビデオを見ながら、寝てしまった。ヘルパーさんの肩を 枕に1時間ほど
寝ていた。(疲れることをさせて 申し訳ありません)
−−◎ケアマネージャーが来て、3月の計画書を作成、提出してもらった。
−−◎「特養」の各施設の 案内書 などを見せてもらった。
−−◎このごろ 一日中「こわい こわい」と言っている。
−−◎母さんが 昼間 主としている場所は 母さんの店である。小間物は
かたずけてしまったが、店はそのまま残っている。
店は 土足になっておりサンダルを使用し、その他の部分は
スリッパを使用している。
1、母さんがサンダルを入り口でないところに集めて “整えて”ならべていた。
本人は 良い事をしたつもりなのだが、不便である。
2、ここ数日は サンダルを 私の事務所や台所へ持ってきて
「これ どこに置こうか?」と言う。
私は いつもあるように廊下と店との間の 店側の領域をさして
「そこに 置いておけばいいよ」と言うと「うん うん」と言いながら
事務所の(スリッパの領域に)通路の入り口に置いていく。
2003.2.20(木) 曇り のち 晴れ
−−◎得意先へ プリンタリボンの 配達に一緒に行った。
−−◎昨晩の睡眠は 6時間程度で いつもよりよく寝ていた。
−−◎午前中 岩戸公園に行ったが 風が強く「寒い寒い」と言うので途中で
戻ってきた。午後買い物に行ったが、緊張が続いていたせいか
これも途中で戻ってきた。
2003.2.19(水) 晴れ
−−◎母さん 昨晩はいつもと同じく 深夜に活動した。朝 2時間ほど寝た。
−−◎診療所へ診察に行ったが、前問診を拒否したので診察できなかった。
喫茶「チボリ」へ行き、あと 岩戸公園を散歩してきた。
1ケ月前と比べ、昼間 だいぶん元気になってきた。
2003.2.18(火) 晴れ
−−◎母さん 昨夜の睡眠時間は5時間か。
−−◎ようやく インターネット用パソコンが修理されて来た。
たくさんの読者のみなさまから メールを頂きました。お礼が書ききれません。
日記の中断は 病気のせいではなく、パソコンのせいでありました。
ご心配をおかけしました。
−−◎ヘルパーさんと3人で ボーリングに行った。母さんの点数は114点でした。
−−◎夕方スーパーへ買い物に行った。
2003.2.17(月) 晴れ
2003.2.16(日) 雨
−−◎昨晩母さんは 10時から1時までと 朝5時から8時までの 6時間寝た。
テレビをつけたら 今朝は “モームス”の番組を喜んでみていた。
手がかからないからと言って テレビ漬け にしてはいけないが...。
−−◎雨で 散歩にいけなかった。その代わりパソコン屋と 電気屋へ 見物に行った。
TBSの「ニュースの森」の○○さんより電話があった。
2003.2.15(土) 晴れ
−−◎母さん 昨晩は6時間くらい寝たようだ。
−−◎ケアマネージャーから、特別養護施設について電話あった。この種の施設はA施設
の場合400人以上の申込者があると言うことだ。その他の施設も予約申込者は多い
と言うことだ。……。
−−◎母さんの居室に テレビを買った。間に合うか!?
2003.2.14(金)
−−◎午前 いつもこられる 近所の ばあさんが 「ちょっと切ってもらえんかな」
とはいってこられた。
私「廃止届は 出してはいないが もう何もできなくてだめです」とお断りした。
「わかってるから 格好はいいから 短くしてくれればいいよ」と
私が母さんに「できますか」と人前の用語で聞いた。母さんはやれるつもりで
笑顔で会釈した。私「タダ(無料)ならばやってあげてもいいですよ」といった。
「タダじゃすまん そんな難しいこと言わんでもええで 短くなれば...」
母さんは ばあさんにタオルをかけ前掛けをしたがいっこうに先に進まなかった。
休み日で 家にいた娘が傍らにいたので 合図していた。
娘は美容院をやるつもりはないので たぶん内心は「しかたがないなー」と
思いつつも 笑顔で 進めた。
終わってから 私「タダ(無料)でいいですよ」
ばあさん「そんなわけにはいかん、ただと言うことにして ねいちゃんに お小遣い
あげるよ」と出されてので 「もう 今日はいいですから」と2度3度やり取りがあったが
娘に押し付けて帰っていかれた。金はレジの金として処理された。
−−◎母さん 昨晩の睡眠は4時間くらいか?
−−◎岩戸公園へ 散歩に連れて行った。体は不自由ではないので、できるだけ
活動して 夜しっかり 寝るようにしてやりたい。
−−◎バッグランドミュージックは、リクライニングミュージックをかけていたが
昨年12月からは童謡や学校唱歌系列の音楽をかけている。
母さんが以前によく聞いたことのある歌があると それにあわせて歌っている。
「月の砂漠」、「赤い靴 はぁいてた 女の子」「」などを一緒に歌っていたり、
音楽のとまっているときは、自分で歌っていたりしている。
2003.2.13(木) 晴れ
−−◎昨晩は3時間寝て 深夜1時から ふらついていた。そのままにしておき、
私は6時におきて、寝るよう工作すること1時間、朝7時から寝かせて1時間半
ほど寝ていた。起きる少し前「おっちゃん もうダメやわ」「おっちゃん助けてよ」
と言っていた。根本においては 助けるすべ無し。行動の手助けなら出きる。
−−◎何かの行動をさせるとき 気の遠くなるような 繰り返し(数10回)で働きかけると、
わずかに記憶に残るようだ。残存機能に頼ってのことだから やがて
これも消滅するだろう。
−−◎午前10時30分、暖かかったので 久しぶりに 岩戸公園へ行き 一周散歩をしてきた。
母さんはいつもの 口癖で「寒い寒い」と言っていたが 私が寒くなかったので、風邪を
引くこともあるまい。
2003.2.12(水) 晴れ
−−◎ 母さん今朝も早起きだった。私の言っていることには 応答せず 「この花
しおれてしまった。」などと ほか言を言っていた。
−−◎今日は私の仕事も忙しかった。と言ってもかつての平常時ならば2時間で
済む仕事であったが、午前中に 故障診断に行き、午後 個人用新パソコンの
納品、設置、説明をしてきた。そのほかに 郵便局や銀行へ走り、昼食も食べさせて
と 常に二人連れで動きまわった。
−−◎ケアマネージャーから電話相談、3月の予定など話した。
2003.2.11(火) 雨 のち 曇り
−−◎母さん トイレを使用後 水を流すことを出来なくなってしまった。ところで
ひとにはわからぬ話だが、母さん その種の病気でもないのに 時によっては
50回/時の割合でトイレに行くことがある。その際トイレの中ですることがないので
トイレットペーパーを便器に多量に放り込む。その結果、ペーパーがたまり
トイレが詰まってしまった。それを除去し、復元するのに大変苦労した。
ちなみに おなかの病気でもないし、尿道炎、などでもない。気がまぎれているときは
2時間とか3時間とか行かない時もある。
−−◎ヘルパーさん1時から2時30分まで来訪。はじめ5分くらい目が合わなかったが
すぐ機嫌はよくなった。立ったりイスにかけたり、して話していた。
途中 シャンプーを勧められたが 母さん「今日はやらない」と言ってやらなかった。
2003.2.10(月) 晴れ
−−◎ 浜松へ診察に行ってきた。先生との対話に応じる状況はなかった。
昨年8月 MMSテストを拒否して受けなかった(推計14ないし15) ことがあって以来
徐々に機能退化が目立つようになってきた。ここ1ヶ月の生活状態について、説明した。
先生の意見では
若年性アルツハイマーのかたは、お世話が難しくなってくるので 特別養護施設で
世話になったほうが良いのではないか、施設では お風呂 着替え 健康管理
散歩や暮らし(遊び)もちゃんとやってくれる。施設でも 若年性アルツハイマー
で 急速に悪くなっていることを 話せば受け入れてくれるところもあるはずだ。
だんなさん 自分で行って 掛け合ってみなさいよ。2ヶ月か3ヶ月のうちには
そうしたほうがいいですよ。
と言うものであった。
一応 うけたまわって来た。
母さんの病気の進行のレベルは世間的に見れば 先生がこのような助言をする程度に
進んでいるのだ、ということを理解した。また世間ではこのレベルで 特別養護施設へ
へ入所をする(やむを得ず入所待ちになる場合を含む)のが一般的であることを理解した。
夜寝ないことについて
体は調子悪くないようなので 散歩とか 軽い運動とか 状況を見て
体をどんどん動かしたほうがいいですよ
と言うことだった。
2003.2.9(日) 晴れ
−−◎昨晩は11時ころ寝て 今朝は1時におきた。2時と4時に寝にいくよう促したが
寝なかったので 気ままにさせておいた。で 2時間だけ寝て ずーと起きていたことになる。
2003.2.8(土) 雨
−−◎生協配送日。
−−◎昨晩の睡眠も 3時間程度だった
2003.2.7(金)
−−◎今朝は6時30分のまで寝ていた。
−−◎ヘルパーさん1時から2時30分まで来訪。
夜寝ないので 元気がなかったが、機嫌は良かった。とくに何と言うことはなかったが
よその人に接するということで これでいいのだ と思った。
2003.2.6(木) 晴れ
2003.2.5(水) 晴れ
−−◎深夜1時におきた 。3時まで 気ままにさせておき3時から5時30分まで
寝ていた。私は6時30分まで寝た。
−−◎県立病院の診察日だったが 注射はうまくいった。
−−◎得意先へ一緒に行った。一緒にはいっていっても なかなか待っていることができず
“夫婦連れの営業”も そろそろ限界かなと感じられる。
2003.2.4(火) 晴れ
−−◎今朝も3時間ほど寝てから 起きた。ずーっと そのままにしておいたが
朝6時30分から7時30分まで寝かせた。
−−◎私が近くの外科へ 腱鞘炎の治療に行ってきた。
−−◎11時 パン サラダなど 喫茶店ごっこで 母さん全部食べた。
−−◎「頭がこわれてしまった。」と言った。今まで病気のこと 生活状態のこと
でそれを感じさせるような 批判をしたことがないので 自分で そのように
感じたのだろう。娘だけといるとき 娘にも「頭がこわれてしまった」と
言っていたそうだ。
2003.2.3(月) 晴れ
−−◎10時に寝て、深夜1時に起きた。すぐにはなかなか寝ないのでそのまま
気ままさせておき3時に寝かせた。6時まで寝ていた。
午前 私の仕事で一緒に 問屋へ出向いた。
−−◎突然 インターネット用のパソコンが壊れてしまった。パソコンは何台かあるが
インターネット用はこの壊れた一台に限定している。インターネット用に非常時用の
別の機器を備えていなかったのでこの日記をご覧の皆様には大変 ご迷惑を
おかけすることになった。"紺屋の白袴"である。メーカーに持って行き
診断してもらったところ 周辺機器を制御する装置及び連絡通路が壊れている由。
めったにない故障らしい。
2003.2.2(日) 晴れ 曇り
−−◎母さん昨晩も11時に寝させた。すんなり二階へ行きすぐ寝た。
午前4時に起き階下へ行った。このところ 早朝 店で たむろしていても
良いよう店の部屋は深夜も暖房を入れてある。私は6時半に起きた。
いつも夕方になると「暗くなるから恐い」とか言っているのに まだ暗いうちに
店の部屋にひとりいて 顔をあわせた時恐いという様子を見せない。
恐くないのだろうかと思う。
ストーブも付けてあげると イスに掛けて居眠りを始めた。それも数分で
「活動」を開始した。サンダルを別の所にそろえて並べたり、全体的に
整理したとは言えまだ残されている小道具などを上の棚から下の棚へ移したり
ゴミかごを移動したり、花びんの位置を移動したり、なにかといそがしいのだ。
−−◎1月の変化。
前月と較べて違っていること 変わってはいないが最近の様子は。
1、朝 早く起きるようになった。
2、寒さのせいもあるが 「どっかへ行く」と言わなくなった。
トーンが落ちる。覚醒状態になる時刻が遅くなった。トーンが落ちている時は
弱々しく、対話の上では非常に素直で私に頼り切っている様子になる。
ただ、何かやる時 返事は調子がいいが なかなかやらないのだが...。
3、パターンかされた「つぶやき」「思い出話し」をほとんどしなくなった。
ヒントを出すと、しゃべる。
4、「目がかゆい」「足が痛い」「頭が痛い」と よく言うようになった。
頭の痛い箇所は 「ここか?」「ここか?」とさわりながら確認したところ
後ろ側の 頭というより、くびの筋肉あたりのようだった。日を開けて
「頭が痛い」と言った時に確認したが同じ所だった。
5、トイレに何回も行く、オシッコの方だ。1時間に30回くらい行く。
一昨年8月頃と同じ状況だ。あの時は便秘解消とともになおったが 今回は
便秘にはなっていない。見たところ 下痢にもなっていない。
しかし ここ数日はなおっているようだ。
6、童謡や、歌のテープがかけてあるが、それにあわせたり、かけていない時は
思い出して 鼻歌を歌っている。
7、身の回りのこと(食事以外)をだんだんやらなくなって、手伝ってやって
あげようとすると拒否し、無理にやろうとすると抵抗する。薬も飲もうと
しなくなった。
8、ふと「もうダメやは いろいろと」独り言のように 私に言い、どこかで
自己を見据えているような、心もある。
−−◎うそのような本当の話
冠婚葬祭屋がセールスに来た。冠婚葬祭業となっているが この業者は
葬儀が主らしい。
相手「○○○○でございます」
私 「葬儀屋さんですか 私もまだまだ 丈夫で、こればかりは何月何日の予約
というわけにはいきませんな ハハハッ」
相手「いえいえ 日にちは 限りませんから...」
私 「.....広告チラシはもらっておきます」
影の声−−日にちを 限られてたまるか!!
−−◎(追加があるかも知れません)
2003.2.1(土) 晴れ
−−◎母さん昨晩も11時に寝させた。午前3時に起き階下へ行った。5分くらいして
連れ戻しに行くと 今日は素直についてきて、一度は寝たがまた5分くらいで
降りていった。そのまま気ままにさせて置いた。私は7時まで寝た。
早起きの行動は そのうちなおるだろう。
−−◎生協の配分日。
−−◎午前、寒い中 母さんが私を誘って散歩に出る。「寒い 寒い」と言って
100mくらい行っては戻り、5回散歩に出たがすぐに戻った。
−−◎午後2時から、名古屋へ出かけ7時に戻ってきた。
特に支障となるような、事件はなかった。
2003.1.31(金) 晴れ
−−◎母さん昨晩も11時に寝させた。だいたい4時間ないし5時間で−ひょっとすると
6時間−で起きるので 起きる時間が深夜にならないよう、11時とした。
今朝も4時に起きて階下へ行った。寒くて外へ行く心配はないので そのままに
しておいた。昨日は 1時間工作して結局上がってこなかったので 私が終日
イライラしていた。数日前 階下の暖房を付けないでおいたが、その時でも
「寒い 寒い」と言いながら結局階下にいた。
今朝も4時半頃起きて階下へ行った。そのままにしておいた。
6時40分 私降りていくと うろうろしていた。「おったかー」と言って
ストーブを(「寒い 寒い」というので暖房の他にストーブも付ける)付けて
あげるとイスに座って居眠りなどしていた。
すぐあちこち動いていた。
−−◎朝 冷え込んでいたが 昨晩の「水ちょろ出し」が功を奏して 水道は凍らなかった。
−−◎自分がなすべきことを 人がなすべきことのように思っていること。
すこし前にヘルパーさんが いろいろ紙細工などをやってくれていた時
いろいろ工夫して持ってきてくれて、「これちょっとやってみようか」と
呼びかけると、母さん「あんた自分でやればいいがね」と言って突っぱねた。
さらに1年以上前 みどり病院で 絵を書いていた時も
「あんた自分で描けばいいがね」と言っていたことがあった。
さて このごろ母さんの身の回りのことをやるよう(私がやってあげるのだが
本人がその気にならなければできなのでいろいろ促す)私が言うのだが
それを 自分が行動するよう言われている のだと言うことを理解できない
場合がある様子だ
受け答えが変なのだ。
−−◎ヘルパーさん来訪日。1時30分から、3時30分まで
母さんは このところ睡眠時間が 短いので 「眠たい」とか「疲れた」とか言って
目をつむって座っていたり、時にアルバムを見てヘルパーさんにしゃべりかけたり
していた。「架空」の話しもしていた。私が「箕浦先生」のことのヒントを言うと
記憶に基づいて パターン通りのしかし実際に近い話をしていた。
ぬいぐるみ犬、ねこ、をだっこして遊んでいた。
特に何をすると言うことはなかったが、ヘルパーさんに対する 対人的な機嫌は
良かったようだ。「眠たい」とか言って目をつむって座っていることはあったが
機嫌が悪いわけではない。ヘルパーさんの顔をつっいたりして笑ってしゃべって
いることも何回かあった。
総括−−特に何をしてもらったと言うことはなかったが、これでいいのだと
思った。もし誰も人が来なくて、二人だけでいたら、しゃべることがなくなって
外界世界への広がりもなくなってしまうだろうから...。
あるかないかわからないけど、なくなったら困る空気みたいなものとして
重要だと思った。外界世界のいろいろな物を含んでいて....。
−−◎夕食後 靴下を替えて足を洗ってあげた。衣服交換はやろうとしたが出来なかった。
2003.1.30(木) 雪の朝 天気は晴れ のち 曇り 時折ちらつく雪
−−◎母さん昨晩は11時に寝た。昼間出歩くことが多かったせいか 素直について
来て すぐに寝た。
もし下へ行っても 寒くて上がってくるかも知れないと思い 階下の暖房は切って
おいた。やはり4時に母さんは起きた。寒いにもかかわらず、上がってこなかった。
強く言っても 来ないものは、来ないので無理してもいかんと思って、気ままに
させておいて、1時間後の5時に もう一度連れに行った。今戻ればまだ1時間
か 1時間半は母さんが寝ることが出来る。
手を引いて「さあ行こうか」と歩き始めるが「ちょっと待って」と言って戻ってしまう。
その時の理由は 繰り返された「トイレに行く」、「お茶を飲む」または「水を飲む」
「足がいたい」、だった。「ちょって待って」を40回から50回繰り返した。
まともならば、人をからかっているように見える、「いいかげににしてよ」と言い
そうな場面だったが、今日は 怒鳴ったり 怒ったりを私はしなかった。
ただ「怒るかも知れないよ」とは言った。その言葉も影響されず事態は繰り返された。
理由について 考え見るに
1、5時間ほど寝ているので 眠たい感じがない。
2、「怒るかも知れないよ」と言うことを理解し感じる能力が失われた。
3、二階に 忌避要素があるかと言う点ではそれはない。眠たい時は
素直についてきて昨晩もスムースに寝ているから。
であるが よくはわからない。
工作すること1時間 6時になったので 「ちょっと待って」と言った時、
「よし もう終わったよ」と言い、そのあとは 暖房を付けて、ストーブも
付けてあげて、気ままにさせて置いた。私は家事を始めた。
そのあと 2回ほど「おっちゃん ねーねー」とか言ってきたが、
「今日はもう終わったのだ」と言って突っぱねた。
2時間ほど母さんは 店で普通にうろうろしていた。
−−◎外は 積雪10センチくらい。
普通水道は出たが、給湯器は凍結して出なかった。
タオルを巻いて、お湯をかけるなどしたが、管が長くなかなか 凍った箇所へ
到達しないらしく、お湯は出なかった。休み 休み 時々 お湯をかけて
待った。ようやく午後3時25分 お湯をかけた効果か大気温の上昇か不明だが
水が出るようになった。普通水道は出ていたので、炊事には差し支えは
なかったが、腱鞘炎もあるので冷たい水での 洗い物は避けていて、
山のように積み上げられていた食器を処理した。
“災害は忘れた頃にやってくる”用心 用心。今夜は細めに水を出しておく。
−−◎母さんは 終日 店でうろうろしていた。時折私の機嫌を取りに来た。
昼ご飯は(午後2時ころ)「ちょっと待って」とか言って なかなか食べな
かったので、「いらないなら捨てる」と言って、捨てた。
夕食はしっかり食べた。
−−◎過日の日記の病院の記事の中での“下級職員”について
あの現場の、組織上の指示系列が下位だったから
そのように表現しましたが、職員に上位 下位はありません。
-----------------------------------------------------------------
K・S様 お便りありがとうございました
-----------------------------------------------------------------
2003.1.29(水) 晴れのち くもり 4時ころから雪
−−◎昨晩は 意図的に 寝ることを誘わないで11時まで起きていた。
「眠たい」と言い出せば連れて行くつもりで。
なかなか「眠たい」と言い出さなかったので、「そろそろ 寝ようか」
すぐ下へ降りてきてしまったので、1時間待った。
7時頃 早寝して起きた時と同じ状況だった。眠たくないのだろうか?と
不思議に思った。12時から3回、間を置いて二階へ行ったが、降りてきて
しまった。娘も手伝わせて母さんを二階へ連れて行き 私が横に座って、
トントンしながら 母さんが寝入ったのは1時45分だった。
事後の悪影響を考えて、叱責して進めることはしなかった。
もっと いろいろな時に“言うことを聞かなくなってしまう”だろうと考えて。
朝は6時すこし前まで寝ていた。4時間ほど寝ていた。明るくなったので
後は私も起きて ストーブなどつけて 気ままにさせて置いた。
−−◎1.27(月)の夕方、私の 手と肩が痛い 件で 近くの整形外科へ
診察に行った。医者は手の甲あたりから 腕、肩に掛けて 「ここは痛いか?」
「ここは?」と言いつつ上に登っていった。だいたいその線は当たっていた。
腱鞘炎 だと言うことだった。
母さんの付き添いに娘も連れて行った。
私が 振動治療をしている間 母さんは待っていたが そのうち受付へ行き
何か言っていたようだったが 娘がいてくれたので、“事件”は起きなかった。
−−◎今日は、私が国立岐阜病院の定時診察日だった。いつものように母さんを
“付添人”にして行った。ここは待ち時間が少ないのだが、それでも
今日は結構患者さんがいて10分くらい待った。10分くらいは他の病院の
ことを考えると無いみたいなものだ。母さんは昨晩の睡眠時間が少なかった
せいか気分がいい時と悪い時があり その10分の間に「帰ろう 帰ろう」と
言いだした。「すぐやから もうちょっと待っとってな」と 2・3回なだめて
いた。診察室の中へ連れてはいり、私の前の担当医に事情を告げると
「あーいいですよ」と言われ、私は母さんを横のイスに座らせて待たせた。
が母さんはすぐに廊下に出ようとした。
私が立ち上がろうとすると、脇の看護婦さんが「あ いいですよ」と廊下について出て
くれた。私は診察を継続していた。私は先生から先月の血液検査の結果やら、
直接関係ないが“腱鞘炎”の話とかして聴診器の診察もしてもらった。
たぶん4分後、母さん車まで行ってしまったかな?と気に掛けつつ廊下に出ると
そこで先程の看護婦さん 母さんの手を取ってイス座らせ、何かぼそぼそ話して
おられ、母さんも何かしゃべっていた。内容は不明だが、気分も持ち直していた
ようだった。母さんに「来たよ」と言い、看護婦さんに「ありがとうございました」
と言うと「いいえ お大事に」と言われた。
母さんが 飛び出していったような気分の閉じこもった時 たぶん私への返事も
うつろであろうような時 初めて話す人に 話していたのは 白制服のせいか、
プロのせいかは不明。
小牧 と言う担当の医者の機転というか度量というか、敬服する。
脇の看護婦が4分間も席を離れると言うことは 医師の明示的か
暗黙かは別に承認または指示無しに出来るものではない。
下級職員には“お頭”の意向は絶対である。もちろん受ける方も
それ相当の技量を備えていたので「4分間」留めて置いてくれた
わけであるが....
−−◎済んだ後は 喫茶「チボリ」へ連れて行ってやった。全部食べた。
−−◎午後は店を暖かくして、母さんは ぶらぶら 気ままにしていた。
−−◎
2003.1.28(火) 晴れ
−−◎昨晩も午前1時に起きた。時間を離さずトイレに2回行った。3回目に起きて
階下へ行った。連れに行ったら素直についてきた。寝させて3分くらいで
また起きあがっていこうとしたので、「もう行ってはダメ」というと
「ごめんなさい ごめんなさい」と言った。「ごめんなさいというなら
そのまま寝てなさい」と言うと「ごめんなさい」と言いつつ行こうとしたので
母さんがこれまで聞いたことのないくらいの声で「こんな夜中にふらふら動いて
いてはダメ」とかいくつか 言葉を並べて叱責した。これこそ恐かったに違いない。
「いーっ」とか言って、下へ行った。10分くらい時間をおいて優しい声で迎えに
行ったら、すぐついてきた。朝は5時半まで寝ていた。前後8時間以上はは寝た
ことになる。
−−◎お客さんの所へ 母さんと一緒にパソコンを持っていった。事情を話して同席した。
−−◎ヘルパーさんの来訪日。2時間のうち、1時間半までは元気、後の30分は、
変調を来していた。ヘルパーさんに「ごめんね」とか「ありがとう」と言い、
帰りがけには「気を付けてね」とか言っていたので、拒否反応はないようだった。
2003.1.27(月) 雨
−−◎昨夕方の夕食はしっかり食べた。晩は 眠たそうで ふらふらしていたので
「寝ようか」と言い6時半から寝させた。2時間で起きてきて店で
うろうろしていた。
そのまま寝かせても 寝ないことは経験上明らかなので、無駄な お互いの
不機嫌が生じるのを避ける為、そのままにさせておいた。
歯磨きをするようブラシを持ってきて言ったがあれこれ言って、やろうと
しなかった。着替えはこのところやっていない(昼のまま寝ている)。
まあいいかと思い10時頃寝かせた。
すぐに「お茶がのみたい」と言うので 枕元に用意していたお茶をあげ
飲ませた。お茶は飲んだのにそのまま立ち上がり階下へ行った。
「まだ寝ないな」と思い 私は寝た。
そのあと、11時半、12時半と工作したが寝ようとしなかった。
次は2時にしまいまでつきあうつもりで 「ちょっと待って」と言えば
待っていてあげ、「トイレに行く」と言えば 待っていてやり、
そのうちに店の掃き掃除を始めたが、それも見物していてひとわたり
済んだところで「さあ行こうか、お仕事は明日にして」と言うが、なかなか
行こうとしない。ついに 照明の元を切断して、店を真っ暗にし
「あれ 壊れてしまったらしいぞ」と電気のつかない、スイッチをパチパチ
やって「もう二階へ行こうか」といって進めた。途中まできて、未練がましく
戻ろうとする。「何時までも寝ないと風邪引いたり 熱が出たりして
体調が悪くなってしまうよ」と強い声で言った。
「ごめんなさい ごめんなさい」と言ってついてきた。それからはすんなり寝た。
2時半だった。朝は6時過ぎまで寝ていた。私は7時に起きて行った。
私は にこっと笑って 店は薄明るかったが 照明とストーブ付けてあげた。
−−◎昼間は 母さんの やるようにさせておけば 少ししか 問題は起こらない
(=余分で無意味なことをやる。=物を私の部屋へ持ってくる。サンダルを
かまち でないところへまとめて置いておく。トイレのロールペーパーを
はずしてくる。などあるが わかっていれば さほど問題ではない)
夕方は 母さん自身のことで 歯磨き 着替え 寝る やらなければならない
ことで やる意欲のないこと 必要なのに拒否することを
(食事は食べるから問題ない)をやらせるのに
苦労して、ついつい不機嫌になってしまい、大きな声を上げることになって
しまう。
母さんにとって 私は昼間機嫌良く、夕方は不機嫌と言うことらしい。
−−◎ 第3者が 部分部分を見て どうとでも言える。
「可愛い かわいいの 丸抱えが良くない」「基本的生活習慣は崩さぬように」
「その他.....」別の人が別の角度からから「評論家」をやれば
100人100様(よう)の「評論家」が出来るが、介護する者は整備も不整備も
清潔も不潔も 受けとめる総合統一体なのだ。
長い人類史から見れば いま「評論家」にも理解できる時があることを確信している。
それはもちろん新しい「評論家」の出現を妨げない。そして文化は進む。
−−◎今朝は 石油ストーブを 火のついたまま「重い重い」と言って境目まで
運んできて「あー 疲れた これ何処に置くの?」と。なるほど持ってくる小物が
無くなって ついに大型に手を出し始めたかと 思ったが 笑うに笑えず
「おーっ そりゃ 重かったねー だけど 母さん寒いから ここに置いておこうか」
と言って元に戻して置いた。
2003.1.26(日) 晴れ
−−◎昨晩 寝たのは10時50分だったが、朝起きるのは
いつもの通り(?)4時だった。私は7時に起きた。
下へ行きにこっと笑って「おったか?」と言うと「さむいよ」と言った。
意識は覚醒状態だった。この「さむい」は挨拶のようなものだ。
暖房は付けっぱなし出入れてあるし、下着も厚手のを着せてある。
しかし 風呂にはいった翌朝は ちょっと寒さを感じるかも知れない。
−−◎「お風呂作戦」のこと、
昨晩は3ヶ月ぶりに 母さんを風呂に入れた。
母さんの病気進行の現状と 本人が風呂を拒否している状況では
付添人ひとりでは 風呂に入れることは出来ない。服を脱がせるために
説得している間に「力尽きて」しまう。大声で私が怒鳴るかも知れない。
過去のその他の例では 私が大声で怒鳴っても びっくりして「ごめんなさい
ごめんなさい」と言うだけで、その内容を実行するわけではない。
あまり進行しないと私が「今日はこのくらいか」と断念中止するかも知れない
怒鳴りはしないが 強く言うことはある(私の中では 怒鳴るのと
強く言うのとは違う)その時母さんは「○○ちゃん ちょっと」娘の方へ
くっついていった。風呂に入れて 娘が母さんの上体下着を着たままの体に
シャワーを掛けた時は 今度は「おっちゃん ○○ちゃんが...なんか
言ってやってよ」と私の方へ気持ちがくっついてきた。
私「うんうん 洗濯した 新しいのがあるから...」と母さんの気持ちを
落ち着かせた。実行役と 落ち着かせ役 が必要だ。
最終結果に置いて 社会整合性を取り戻せば 途中経過では下着の上から
シャワーを掛ける と言う 非常識も ありうると言うことだ。
おおむね 本人の意思表示を尊重して実行した。
−−◎母さんの散歩コースの200m程先の所に 新しくディケアが出きた。
今日は開所式だと言うことだった。11時頃 散歩ついでにそっと見に行った。
看板などから表側だと思っていたところが、裏側で柵がしてあってはいれ
なかったので 外側からにぎわしい人の動きを かいま見て帰ってきた。
午後4時 式が終わった頃を見計らって、車で見に行き、施設内を3分程度
見てきた。
−−◎そのあとスーパー三心へ買い物に行った。
−−◎睡眠時間が短い為か、元気なくイスに座っていることが多かった。しゃべり方は
元気な時と 元気のない時があった。
−−◎いい人とは 直接的および間接的に 物質的または精神的利益をもたらす人
あるいは利益をもたらす可能性のある人のことである。危害を加えない人も
いい人である。「あのひとはいい人やでぇー」などと言われる時は
そのことを言う人の 属する集団や立場、経験の違いなどによって「良い」の
内容は異なっている。聞き手にとってもいい人である共通部分は多くの場合あ
るが 否共通部分もある、いい人でない要素を含んでいる。
悪い人とはその反対語である。
2003.1.25(土) 晴れ
−−◎母さん 午前1時に起きだし階下へ行った。しばらく立ってから、連れ戻しに
行ったが トイレから出てきたばかりなのに「トイレに行く」と言ったり、
「お茶を飲む」と言ったり、「ここんとこちょっと整理する」と言ったりして
なかなか一緒に来ようとしなかった。それでも説得して連れ戻し
横にならせた。ひとりで下にいたので「あー恐かった」を繰り返した。
「おっちゃん ありがとう」とも繰り返し言った。
でも5分くらいでまた降りていってしまった。
15分くらい時間をおいてから、また連れ戻しに行った。
まだ起きていた娘が見かねてか出てきた。前回同様、母さんを二階へ戻る気分に
させるまでに手間取ったが、私が手を引き娘が後押しをして、二階まで来た。
(※注=後押し。実際は後押しはしていないで軽くさわっているだけ、
言葉の形容詞で後押しとしているが、ふらふらの人を後ろから押してはいけない)
2階へ来てからは 私が横になり、娘が 母さんを寝させてくれ
そばに座っていてくれた。母さんは「○○ちゃん ありがとう ありがとう」
「恐かった 恐かった」と言っていた。娘は「下の部屋は誰もいないから
よけい恐いから...」と言っていた。私は 予備に出してある、ふとんを
娘に“座敷わらし”のようにすっぽりかぶせてあげた。
母さんはもう寝るかな と思ってみていたが、20分くらいすると
起きだして行ってしまった。
私は娘に「ありかとう、ちょっと様子を見るから もう下へ行って寝やーよ」
と言い 下へかえした。
時計は午前2時だった。私も一眠りして時計をみたら午前4時だった。
もう一度連れに行き、寝させたら 今度は起きなかった。
私が起きたのは7時半だった。母さんもまだふとんの中にいた。
私が起きると、一緒に起きた。
−−◎生協の配分日、異変無し。
−−◎夜9時30分、お風呂作戦に取り組む。
かねて 娘と 1月20日以後1月中諸条件の適切な日に
「母さんのお風呂作戦」をおこなうと打ち合わせをしておいた。
朝娘に「今日、おこなう、時間は9時過ぎ、必要時間は1時間半」
娘 「うっ」
母さんには予告無し。
風呂に通じる台所の部屋にストーブを2個炊いて、部屋を暖めて置いた。
夜9時30分「さあ母さん風呂にはいろうか」と誘う。母さんがジャンバーを
脱いだのでしめしめと思っていると、もう一度着てしまった。
説得しつつ脱がせること30分、ようやくパンツと薄手の上体下着になった。
一年前からブラジャーはしていない。母さんそのまま浴室へ入ろうとした。
「これも脱ごうか」と言うと脱衣場へ戻ったが脱ごうとしなかった。
娘「このまま入れようよ 中で脱がせればいいから」そのまま浴室へ入れ、
私は外で番をし、娘が中で足から洗い始めてくれた。
上体下着のままシャワーのお湯をかけた。「○○ちゃん なにするのよ」と
大声を出した。私も中にはいって「新しいのがあるから これは脱いじゃおーか?」
と脱がせて外へ持ってきた。パンツはまだはいたままだったが上体の方を娘が
洗ってくれた。そのまま外へ出ようとするので、「濡れたままのパンツでは
新しいのがはけないから 脱ごうか」と言ったがなかなか脱ごうとしなかった。
娘が「強行する」と言うので 両方から脱がせた。「何をするのよー」と
これを 金切り声というのか、まるで痴漢にあって叫び声をあげるのは
こんな叫びかと思わせるほどで、ちょっとかわいそうであったが、
我を正義の使者と任じて実行した。
あとは娘が前後左右にシャワーを掛けてやり 母さんは自分でもタオルで
洗っていた。
書いてないことも含め5回くらい娘を 怒っていた。一回手をたたかれた。
途中一回だけ「○○ちゃん ありがとう ごめんね」と言っているのも聞こえた。
最後に浴槽にはいらせたが、肩まではお湯につかろうとしなかったので、
浴槽の中でシャワーを掛けてあげていた。
出てきたので、下着と服を着させて、台所でお茶をあげた。
私「お母さんとお父さんと○○ちゃん3人 いつも一緒で 仲良しなんだから」
というと 母さん さっき怒っていたことは忘れてしまって
「あの子 しっかりしてきたよ。ようものがわかるようになって」と言っていた。
10時50分 二階へ連れて行くとすぐに寝た。歯磨きは今日は夕食後に
やらせていた。
浴室にいた時間は40分くらいだった。
脱衣場の床は水浸しだった。本当のことだから仕方がないが 105日ぶりの
入浴だった。
−−◎妻の小学校時代の担任の先生から お便りをいただいた
-------------------------------------------------------------
箕浦重行先生お便りありがとうございました。
メールの先生のお便りを 妻に見せました
ところ 「箕浦先生だ」と大変喜んでいました。
実は新しい記憶からだんだん薄れていってしまっていまして ここ10年ほど
のことは ほとんど覚えていません。古い記憶はしっかり覚えていて先生の
ことも何度か話題になります。
2年前に伺いました時はすでに 病歴2年を経過していまして、“挙動”に
おかしいところがあり、大変失礼いたしました。
身長も 中学卒業後もいくらか伸びて、自分が大きくなっていることを理解
できず「先生が小さくなられた、どうしてやろ どうしてやろ」と何度も私に
聞きました。
そのころは 大変 良くして頂きましたそうで 病気以前に「みんなに
いい先生やった、と言われている」と話しているのを何回か聞いたこと
があります。その節は ありがとうございました。
先生も のんびりと長生きして頂いて また機会がありましたら、妻に
声かけして 元気づけてやって下さい。
ありがとうございました
-------------------------------------------------------------
−◎箕浦先生は妻が小学校時代に担任をしてもらった先生てす。
現在78歳で 右側が少し不自由だそうですが、ご家族と元気に暮らして
おられるとのことです。
--------------------------------------------------------------
2003.1.24(金) 晴れ
−−◎母さん今朝は 4時に起きた。昨晩は9時半就寝。
やはり6時間か、6時間半睡眠で起きるようだ。
1月8日の夜から始まった夜中に起き出す症状は当初 就寝2時間か
就寝3時間で起き出していたが 今のところは短時間で起き出す混線は
無くなったようだ。
−−◎先月12月15日ころから 私の右腕から肩にかけて 腱鞘炎か? 痛みが
続いている。痛みの部位が日によって腕の中で移動している。昼間は
さほど痛くないが 就寝時に痛い。10Kgの物を上に持ち上げる時に支障なく
できるが 菜箸をフライパンで扱う時、無意識でやると支障がある。
意識して注意してやっていれば支障はない。
−−◎ケアマネージャーに「見直し」について確かめたところ、
昨日私が書いた「被介護者本人に関する家事に限定される」という内容は
正確でなく、見直し案は次が正しいとのこと。
今まで訪問介護には 身体介護、家事、複合型、があり、見直し案では
複合型が無くなり 身体介護と、家事になる。その違いは料金体系が
変化があること
だと言うことだった。
−−◎ヘルパーさん来訪日、1時30分から3時30分まで
母さんの動きは、従来とかなり違っていたが、ヘルパーさんの対応よろしく、
時間まで、母さんの気分は沈んではいたものの 拒否感情を出さず過ごした。
道路工事の物音を気にしていたが、これは数日で終わることだからやむを
得ない。
帰られたあとも、平静だった。
−−◎今日は午前9時から12時くらいまでが 覚醒状態だったが 昼から
ヘルパーさん来訪の時間を含めて 夕方まで 眠たい状態だった。
暖かくしている店でイスに掛けて居眠りをしていることが何回もあった。
時々 珍しく「頭が痛い」と言った。かぼそい声で「おっちゃん」「おっちゃん」
と言う。私「うん ここにいるよ」と言うとそのまま居眠り。
夕方は「眠たい」というので7時に就寝させたが、深夜に起き出すかも知れない。
2003.1.23(木) 雨のちくもり
−−◎今朝も母さんは4時30分に起きた。階下でうろうろしていた。
昨晩は母さん10時30分に寝ているので6時間睡眠だ。
寝ている時は 物音がしても起きないほど寝ているのだから、
このくらいの睡眠時間でも大丈夫だろう。
私は7時に起きた。暖房のはいった店に行くと、母さん自転車を磨いていた。
「おっ きれいになったねー」と言うと「あぁ疲れた」と言った。
「うん 疲れたね 休憩しながら やりーよ」と私。
(そりゃ 疲れるわさ 毎日早く起きてばかりいて)とは言わなかった。
ほぼ午前10時に 覚醒した。
−−◎人が生存するには 仕事や作業の側面から観察するに、自分を含め小社会全体
のためにする仕事と、もっぱら自分の為の仕事がある。
職業、炊事 洗濯 掃除などは、全体の為にする仕事である。
飯を食う、風呂にはいる 着替えをする 歯磨きをする 爪を切る
その他いろいろ は自分の為の仕事である。
ところでうちの母さんの場合 発病後(現在4年半経過)自分の為の仕事が
できている間は 社会的な仕事の欠けたところは 私が補ってあげて、
自分の為の仕事は 軽い私のヒント程度で 誰に指図されることもなく
自由に行動出来て 快適な生活を送ることができた。
しかし ここ1年ほど前(発病3年半から現在まで)から 徐々に
自分のことがスムースに出来にくくなってきて、人(私)に指図されることが
多くなり、「快適」な生活が阻害されることになった。
−−◎1月10日ころから ちょっとしたことに 大変 驚くようになった。
ちょっとした耳慣れない物音、髪の毛が顔に被さっているのをなおして
あげようとした時、自分でつまづきそうになった時など。
−−◎午前11時ころ 南側道路で工事が始まり、ブルルン ブルルンと大きな
音がして 恐ろしがっていたので、30分ほど車で外へ連れ出した。
戻った時は工事は続いていたが 音を発する部分の事は終わっていて
静かになっていた。
−−◎ケアマネージャーに電話連絡し、2月の「計画」についてこちらの案を示し
組み立ててもらった。
当初 私の案は 身体介護2日、家事1日の予定だった。
「計画」としては 身体介護3日の「計画」にすることにした。
1、昨年7月以来 さきごろまで 私は、本人の暮らしの内容を充実させる
ために 付き添って欲しく、基本的に 家事は必要でない。
として依頼してきた。(本人の暮らしの内容を充実では 役立った)
その過程で 「家事も出来ます」と示唆された。しかし特に項目的に決めて
依頼したことはなかった。母さんの気分の交流のため、ほんの少し洗濯干し
などを頼んだことがあった。
しかし大局では「家事もやりますが いかがかと」の示唆に対して
私自身も「ある程度やることはやらないと 生活が怠惰になる」などと
言ったり、「片付け、整理は?」については「片付けは人にやって
もらっては、何処に何があるかわからなくなってしまう」などと言った
ことがあることもある。
2、近ごろ 母さんの病気に見かけ上変化が現れ、来訪日数などを減らすなどした。
で、 では 私がが怠惰にならない程度に「家事」の手伝ってもらおうかと
考えを変え、その旨伝えたところ、「被介護者本人に関する家事に限定される」
とのことで、私は「そりゃそうだろうな」と思った。
3、しかし 具体的に実行しようと考えた場合、分類し「これとこれをやって
もらって、それはのけて....」などという段取りをする手間の方が
かかりすぎ、実際的でないような気がした。そして 「家事もやります」
の示唆はいったい何だったのだろうかと、思考が混線した。
4、母さんの 風呂や 衣服の交換を“強制執行”でなくやってもらえるレベルを
要求しているが、生活対応(遊び、軽い運動、散歩 それ自体どれも
機能維持に重要なことであるが)を通じて気長に研究して
いずれそのうちに やれるようになったら やってもらえればいい。
−−◎母さん 今日は雨で うちにいるか 私の用事や 買い物に行く程度で
「寒い寒い」は少ししか言わなかった。「恐い恐い」は何回か回数多く言った。
「疲れた」とも言った。物音に驚くことがあった。
私が冗談を言ったり、娘が冗談に 奇声を発したりすると良く笑ったりして
気分は穏やかだった。
2003.1.22(水) 晴れ
−−◎かねて 私の得意先T氏から パソコンの買い換えの相談があり
注文がまとまったので 昨日 問屋へ仕入れに行き、(かつてはルートで
配送してもらっていたが “散歩症候群”や所用で留守などがあり、配送屋
さんを手間取らせるので自分で出向くことにした。)夜 娘にセットアップ
させた。値段は私の所では、かつての「メーカー希望価格」並みで
スーパーの価格より かなり高い。セットアップとその後の“電話相談”
どうしてもの時は 出張相談もあり、高いのを承知で買っていただいている。
このごろはしかし母さんの世話もあり、問い合わせはあるが こちらが
受託できなくて お断りすることもあって、個人の得意先の売上はかなり
落ち込んでいる。
−−◎母さん 今朝も4時半に起きた。私は知っていたが、母さんは今朝は私を
突っついて 起こさなかった。いつもは 私が呼びに行き もう一度
寝させていたがすぐに起きていってしまっていた。で今日は呼びに行かず
自由にさせて置き 私は7時に起きた。
例のごとく「おーっ おったか?」と言うと「おったよー」と答えた。
今朝は 店の掃除をしていたようだった。きれいなところは きれいだが
注意のむいていないところは そのままだった。
母さんに お茶と カフェオレをあげて、“家事”に取りかかった。
−−◎今日は すこやか診療所(みどり病院の子会社)の診察日。
一月初頭からの 睡眠時間の変化、短時間化と 覚醒時刻の意味について
説明し、その状況を報告した。特別の対応策の話はなかった。
現状では あるはずも無かろう。一般に知られている「気分を落ち着かせる
ように」と言うレベルの事以外に、
副作用も多いしくせになる睡眠薬をもらうほど事もないので 薬もある
はずもない。
そのほかのこと。採尿ができなかった。採血は中途半端にしか出来なかった。
目薬をもらってきた。
−−◎午後からは、私の用件で あちこち廻った、時折「恐い恐い」とか「寒い寒い」
と言いながら同乗して付いて行った。
−−◎途中、ケアマネージャーから連絡があって「二月の計画について相談したい」
とのことだったので「明日連絡する」事にした。
−−◎覚醒は早かった。午前9時に。
−−◎途中の会話 母さん「...何もできんようになったら おっちゃん...」
小声で ぶつぶつ言っていたので 前後はわからなかった。
その時 ここ最近も 何もできなくなる 事が 話題にはなっていなかった。
機能は低下しているが 自分について考える能力は 存在している(その時は)
2003.1.21(火) 晴れ
−−◎今朝の母さんの 朝起き、4時半。階下でうろうろ。
5時に一度二階へ連れて行き 寝させたが 5分くらいで起き出して
階下へ行ったので、そのまま放置した。私は6時30分に起きた。
−−◎早くから起きていたせいか 覚醒は9時30分頃だった。
−−◎ヘルパーさん来訪日。
10日ほど間があったので 今日は母さんの気分はどうなるか?
と思いつつ うまくつなげるべく待機した。
にこにこ顔で迎えて、挨拶を交わし、ヘルパーさんが貸してくれた
ままごとセットや サトちゃん人形などと遊んでいてとけ込んでいった。
バトミントンなどもやり1時間経過、疲れが出てイスに座り込んだ。
少し休憩して、一緒に郵便局へ行った。疲れた表情だったが 会話を
拒否することはなかった。久しぶりの来訪で母さんの気分も発散した
ようだった。
−−◎これまで半年間のヘルパーさんの来訪は、母さんの暮らしの 充実に役立った
というのが私の総括である。もちろん 病人の心を掴むという点で
開拓すべき点はあるが じっくり構えて 極意を掴んでもらえればよい
−−◎それとは別だが 母さんの病気が 転機にさしかかっているような気がする。
今までになかった、朝の早起きが(午前3時とか、午前4時とか)続いて
いること、夕方まで覚醒しない日があることがある。
※※覚醒しない状態とは、列挙すると 私に対しての声も小さく元気がない、
従順でおとなしく言葉は丁寧になる。食欲がない。「足が痛い」と言う。
歩行がふらつく。家族以外の対応ができないと予測される※
状態の経過を見て、ヘルパーさんへ依頼内容も 変更が必要かも知れない。
1、「母さん」への対応と 2、「家事」への対応を含めて。
2003.1.20(月) 晴れ
−−◎母さんの 上体のシャツに お尻が寒かろうと裾の長いのを着させたのは
不都合だった。トイレの時 そのシャツごと 下へ引っ張ろうとしたりして
パンツが下ろしにくいことがわかった。今日は短いのを着させる。
トイレに行く時に「ちょっと来て」 と言われて付いて行き
“手伝い”が必要なのはそのためだった。パンツを下ろすために
“同室”し手伝ってやるのだが、うまくいく時と「寒い」と言って
不機嫌になり、出てきてしまうこともあり、その時は数分をおかずして
また「ちょっと来て」と言うことになる。
−−◎今朝の母さんの 朝起き、4時半 「もうちょっと寝ていようよ」と言ったが
その気分でなかったらしいので、無理に言わなかった。
下の部屋に行って うろうろしていた。10日ほど前から、早起きの傾向が
あるので下の部屋の暖房も終日入れている。
外は「寒い」し「暗くて恐い」から母さんが この時間にひとりで 外へ行く
心配はないので、私はそのまま寝ていた。私は6時半ごろ起きてきて
「おーっ おったか?」と言うと「おったよー」と答えた。
−−◎店の方を片づけたのは 母さんがいろいろな物を 私の事務所の方へ
あれこれかまわず持ってくるのを防ぐ為だった。
しかし 今朝も戸棚から 使用中の クリームを持ってきた。
あとから 娘が言う「そりゃ持ってくるさ。全部片づけてしまったら
持ってくる楽しみが無くなってしまって、イスとか小机とか 力任せに
持ってくるよ 持ってくるよう小物を残しておかなくては」と。
そう言えば 大型ゴミ箱とか 傘立て も持ってきた。少し以前
私と母さんの紛争の ネタは タオル干しを持ってきた時だったなー と
思い返した。
−−◎夕方、車に乗っていて 母さん「いろいろやってもらって済みませんねー」
「おっちゃん いろいろやってくれて ありがとう ありがとう」
と言っていた。
2003.1.19(日) 曇りのち晴れのち雨
−−◎本日の覚醒10時30分頃、
用意した朝食を食べていなかったので、喫茶「チボリ」へ連れて行った。
レモンティと出されたモーニングサービス品は全部食べた。池の動きを
観察し おしゃべりしながら....
隣の席は、私たち同年輩のご夫婦と 75歳以上80歳くらいのばあさん。
このばあさんどうも「ぼけ」症状らしい。
−−◎母さん「手がしびれてまった」「気持ち悪い」と言った。
−−◎靴下を替え 足を洗ってあげた。靴下は薄手は止めて、厚手の毛糸の靴下に
してやった。
−−◎店の整理をした。見かけ上は変わらないが、「商品」「小道具」を
片づけた。空間が広くなった。
2003.1.18(土) 雨のち晴れ
−−◎今朝は 母さん 5時半に起きた。通常より早かったが、私に支障を
感じるほどではなかった。
この四年間では 母さんはだいたい8時間 寝ていたが 7時間の時も
9時間寝たときもあった。自分の体験からしても、6時間も寝れば
支障はないだろうと思っている。(長期に渡って1日6時間睡眠では病人
としてはダメだろうけれども)。
−−◎生協の配分日、特に異変無し。
−−◎症状の進行か?
昨日から、トイレに行くとき、私に「ついてきてくれ」という、
トイレの段差と 体を支えてやらないとパンツがおろせないのだ。
介助と言えば介助なのだが....
−−◎額面 頬骨の下あたりをさすって「なんか変」と言った。
私「変てなになの?」
母さん「なんか しびれているような感じがする」と言った。理由不明
−−◎夕方まで元気を回復しなかった。元気のない日は、従順でおとなしく
言葉は丁寧になる。
必要あって うどん屋で3人で外食にしたが 食欲無し、ぜんぶのこした。
3日前も うどん屋で少ししか食べなかった。
しかし 家で夜までには少し食べたが、1ヶ月前の勢いはない。
2003.1.17(金) 晴れ
−−◎母さん 今朝は6時30分まで寝た。(6時から7時の間の起床は標準)
3時30分頃トイレに起きたが、今日はすぐに寝た。
−−◎みやべさんが来て、髪を調整していった。としこさんが来てやった。
母さんは「社長のイス」にすわりニコニコ笑ってみていた。
−−◎トイレの構造の件。階下のトイレは和風でBOX中へはいると15cm程の
段差があって そこへ上がり用を足すようになっている。
通常別にどうと言うことのない構造なのだが、母さんの平衡感覚が不安定な
時間には そこへ上がったり 立ち上がったり、しゃがんだりするとき、
転びそうになる不安を感じるようだ。
数日前から「おっちゃん ちょっと来て」と言って 私をトイレの前で
待たせていた。私は「家の中で別に恐くもないのに...」と思いつつ
待っていてあげた。
今朝は トイレの中まで私を引っ張っていった。気恥ずかしさも 転倒の怖さには
勝てなかったらしい。そこで段差を上がるときの不安定さ、壁から手を離して
衣類を下げるときの不安定さを発見した。時折トイレを覗くだけで戻ってくる
事があったのは そのせいであったのだと言うことがわかった。
止まり木とか の改造を要す。
で トイレの中で体を支えてあげていた。
「おっちゃん すみませんねー...大丈夫 起てます」とか 丁寧語で
しゃべっていた。
−−◎トイレの介助をしていて「パンツ汚れたね 替えようか」といったら
「うん やけどあらへんも」と言う。「いっぱいあるよ」
娘と2人で母さんを二階へ連れて行き、下体の下着を替えさせて
「ついでに上のシャツも替えようか」と上体の下着も替えさせた。
2ヶ月ぶりのことだ。てまどって 説明は何度かしたが、大声で言うことなく
穏やかに話していて、替えることが出来て、良かったと思った。
娘もかげで「やったー、大成功だ」と言っていた。
−−◎ちょっと 一緒に外にでようとして、足がふらついていた。
母さん「どうして足がふらつくんやろ?」と言った。私はそれに答えず、
ゆっくり歩いて、少しだけ廻って戻ってきた。
店のイスで休憩していて、母さん「だんだんダメになってきた。いろいろと
やれなくて」と言った。
私「ダメではないよ。いろいろやれないことがあれば、代わりにやってあげる
から 何でも言い」
母さん「すみません すみません、ありがとう ありがとう」泣きそうになり
ながら言った。私「すみません なんていわなくてもいいよ、
仲良しの 母さんと おっちゃんの仲やないの」
母さん「うん ありがとう ありがとう」
−−◎「病気の自覚がない」という説について。
医者が適切な言葉を用いて質問していないのではないか
あるいは 丁寧に聞いていないのではないか
自覚がないときもあるが 自覚のないときに質問した答えを 全時間自覚がない
とみな(看過)したのではないかと思う。
母さんの 診察時に医者の「変わりありませんか」と言う質問には、
母さんは「変わりありません」と答える。
「なにか調子の悪いことはありませんか」と言う質問には、
「別にありません」と言う、
ここだけみれば「自覚がない」と言うことになるだろう。
ちなみに 担当医は 類型的な「自覚がない」説ではないようだ。
2003.1.16(木) 晴れのち曇り
−−◎母さんの昨晩の睡眠時間は5時間ぐらいか。朝食の食欲の無いのは
いつものことだが、昼食時も食欲がなかった。3時から、食べたい
と言うようになれば大丈夫だろうと思って様子を見る(午後2時現在)
−−◎4時頃母さん 既製品のやきそばを食べ、カフェオレを飲んだ。
普通の速度で食べたから、大丈夫だろう。
−−◎午後は 娘が家庭学習日で 家にいたので 母さんの番をさせて置いて私は
1時間少し昼寝をした。その間に母さん“散歩症候群”で外出、娘が追っかけて
行って母さんの散歩につきあいをしていてくれた。
「途中で『寒い』とか『恐い』とか言うので『じゃ戻ろうか』と戻りかけ
また『行く』と言うので前進し、3回くらい 行きつ戻りつした。....
交通信号が赤だとその場で止めなくてはいけないけれども 信号の変化を
見ていて 信号に合わせて 歩速を調整し ちょうど青になる時に通過出来る
ように持っていけば無理しなくて済むよ」と言った。
−−◎夕方「今日も靴下替えようか」と聞くと「替える」と言うのでイスにかけさせて
靴下を母さんに自分で脱がせ、「汗くさくなるからちょっと流そうか」と言って
お湯を運んできて、洗ってあげた。昨日は6回お湯を替えたが今日は4回に
留めた。洗うとなれば4回は最低必要線だ
昨日大まかにやっていた爪切りもついでに整えてあげた。
新しい靴下(洗濯したの意)は自分ではいた。
今日も何回か「すみませんねー」とか「ありがとう おっちゃん」と繰り返していた。
−−◎本人の意思に関わることは、本人にその気にならせる状況かまたは
私の「懐柔」か「強意」が無ければ進行しない。
2003.1.15(水) 晴れ
−−◎昨日 結局 トーンが回復した(覚醒)のは夕方7時過ぎだった。
行動が活発になり、10時頃寝させたが寝ようとしなかった。
30分くらいドライブに連れていき、ひとまわりして来て 寝かせたら
すぐに寝た
−−◎今朝は5時半ころ起きたが、途中は起きなかった模様だった。
家の中は暖かくして置いたので、下へ行ったり戻ってきたりしていた
ようだった。 外にでる心配はないので(暗いし寒いから)そのままに
して置いた。私は「まだ暗いから寝ていようか」
と軽く言ったが 母さんは寝なかったが 私は7時まで寝ていた。
私が 下へ降りていくと母さんは店にいた。私が「おーっ 居ったか」というと
ニコッとして近づいてきた。暖かくしてはあったがストーブも付けてあげた
私が 朝の作業をする間、母さんは店にいた。ストーブのそばのイスに座り
居眠りしたようだった。
−−◎散歩に一宮市(と言っても割合近くにある。苧ヶ瀬の池より近い)の
「138の塔」のある河川公園へ行った。風が強く寒かったので
母さんがトイレに行っただけで、風景の見物だけ。気分の転換にはなった。
−−◎夕方5時半から、40分くらいかけて、靴下を替え、足を洗い 足の爪を
切ったあげた。どうしてこんな事が 話題になるかというと、手の爪は 時々
切ってあげているが、足の爪は、なかなか切らせなかったからだ。
「靴下替える」と言ったので、洗濯したのを2足持ってきてあげて、
足の汚れと、伸びた爪を発見(わかっていたことであるが)
「脱いだ ついでに洗おうか」というと「うん」と言ったので、お湯を
運んできて 6回くらいお湯を替えて 洗ってあげた。
母さん「おっちゃん ごめんね こんなになっているとは 思わなんだもんで」
母さん「すみません こんなことさせてしまって」
私「いいって、いいって、母さんと おっちゃんの仲やないか」
母さん「悪いねー悪いねー」
やっている間20回くらい言った。
−−◎明るいうちから「恐い恐い」の連続だった。弱々しく言っていて 別に
興奮状態になることはなかった。興奮状態は過去に 朝起きの時に2回か3回
あったのみ。
2003.1.14(火) 晴れのち曇り時々雨
−−◎母さん 昨晩も合計で4時間ほどしか寝ていない。10時から床にはいる
よう 進めたが、「トイレに行く」とか「お茶飲む」とか「下見てくる」とか
何回か言って、寝たのは12時、途中また起き出したりして寝て、5時頃
もう一度起きた。そのまま家の中で行ったり来たりしていた。
私にしゃべりかけたときは「ここに寝ているよ」と言い、「寝ようか」と
軽く言ったが、あまり強くは言わなかった。
−−◎午前中、母さんが「ちょっと来てくれない」と言ったので行くと 外へ出た。
私「何処へ行くの?」母さん「おっちゃんの行くところへ行く」
私「そう じゃ行こうか」と言って いつもの田圃方面の散歩コースを
歩いていった。途中「恐い恐い」とか「寒い寒い」とか言うので、
「じゃ 戻ろうか」と言うと、「ちょっと見てこなくては」と先に進んだ
いつもの住宅建築屋さんの前まで来ると「帰る」と言ったので帰ってきた。
昨晩寝ていないせいか、トーンが午前中回復しなかった。
−−◎今日はヘルパーさんの来る日で、午前中にはトーンが回復する「計画」で
あったが トーンが回復しないままヘルパーさんを迎えてしまった。
1,トーンが回復しない状態 と 2,気分で人を避ける状態と 人に対する
目線は同じように見えるが それぞれ違っていて
1,の時は 私に対しての声も小さく元気がない、2,の時は 私には
「普通の」言葉で 話す。トーンが沈んだままでは 母さんが何も出来ない
だろうと予測して、ヘルパーさんに事情を話して 引きとってもらった。
−−◎その後、郵便局や本屋へ行ったり、買い物に行ったりしたが、夕方までトーンが
回復しなかった。
--------------------------------------------------
−−◎K・F様 我が家のホームページを そちら様の「日記」で ご紹介
頂きましてありがとうございます。近ごろでは たまに 私が「穏やか」でない
事があったりして、うまくいかないこともありますがが、きもちはつとめて
「なんでも 聞いてあげよう」としています。
--------------------------------------------------
K・F様の「日記」はこのホームページのリンク欄から
「アルツなパパのとんちんかん日記」を選びご覧になることが出来ます
--------------------------------------------------
2003.1.13(月) 晴れ
−−◎このところの傾向。
1,朝早く目覚め「活動」するようになった。外へはいっていない。
2,いろいろな物を 私の事務所へ持ってくるようになった。前々から
その傾向はあったが いままではだいたい店の小物だった。今朝は
寝室から私の 枕を持ってきた。
−−◎今朝も 母さん早起き、7時半ごろ田圃方面へ散歩に行き、戻ったら
すんなり家にはいった。
10時ころから 生協の注文袋を次の人に渡し 左義長に行き お正月の
飾り物を 燃やしてきた。
−−◎午後から、ケアマネージャー来訪、
私は 訪問回数を減らしたことについて「業務的に処理出来る 介護対象者
を多数 こなすために 手のかかる、事例の少ない 対象者を避けている」
また「実業務をどれだけこなしたかという“勤務評定”でもあるのではないか」
と疑い、「何もしなくても 見ているだけでも良いから」ということを言った。
ケアマネージャーは疑いの点については「まったくない。こころの読める人を
派遣しています。その場の判断も、長期の展望を見て適切にと努力して判断
しています」ということだった。
その点については諒解した。
私は 個々の時、妻が“不機嫌になる事件”が起こっても病気のなせる技だから
何とも思わない というか 「ご苦労かけて済みません」という気持ちなのだが
そのことではなくて、「逃げ腰ではないか」という疑問がわいて いたが
感触的に 「しっかり長期に渡って取り組んでもらえる」という感触を得た。
基本的に諒解した。
どこかの施設(現在依頼している組織とはまったく別の施設)みたいには、
ならないだろうと思った。
※どこかの施設の経験。
当初 母さんの現状から見て 慣れるまでは私が付き添っていたら良いだろう
と判断して なるべく見えないところで待機していた。そうしたら係り(事務職)は
「ご主人が近くにいるから、本人の気が落ち着かないのだ」と言った。
私は「そうではない、貴施設の対応の問題だ」と言った。
次回に付いて行った時は
係り(事務職)は「お宅に介護が必要かどうか疑われる」と不遜なことを言った。
4回目に 母さん一人で行かせた。同日母さんは 2度“脱出”し
“安全確保の為”に施錠をされたので 母さんは 男性介護現場職員を殴打し
脱出を試みたが脱出できなかった。ついに迎えに行った。
その時「お宅は特殊だから 難しい」と言われた。で
で 「若年性アルツハイマー病は 特殊が普通なのだ。もし特殊としてしか
認識できないのだったら はじめから 偉そうなことを言うな」と言おうと思っているが
関係が無くなったので未だ言ってはいない。
−−◎午後本屋へ行った。
2003.1.12(日) 晴れ
−−◎本日も朝四時から「活動」した。朝6時に再度寝て8時半に起きた。母さんの
総計睡眠時間は保持されたと思う。
−−◎気分の状態
朝−−−沈みがち−−−返事しないか遅い−−声小さい−−平衡感覚がくずれる
午後−−沈んでいない−返事する。笑う−−−声普通−−−さっさと歩ける。
沈みがちの時のその他の訴え−たまに「気持ち悪い」「足が痛い」「頭が痛い」
と言う。気分が沈みがちの時は、平衡感覚が崩れ、ひとに頼るそぶりが増す
2003.1.11(土) 晴れ
−−◎生協の配分日。
−−◎先日テレビのアンテナの点検を依頼していたところ 本日朝、電気屋さんが、
こられた。アンテナは調整のみしてもらった。母さんはあまりテレビを見ないが
先日は 面白そうに見ていたので今後見るかも知れないので点検してもらった。
屋根に登ったついでに、20センチ×5センチばかりの 屋根の穴をコーキング
してもらった。これで雨漏りはしなくなるだろう。
−−◎本日も朝四時から「活動」した。私の上着と帽子を取ってくれて
「さあ 行こうか」と言う。状況を説明して 一度納得するが、幾度も繰り返した。
2003.1.10(金)晴れ
−−◎本日も朝四時から「活動」した。まず私を目覚めさせて合図をし
トイレに行き、戻ってから改めて手を洗いに行き、戻ってもう一度トイレの前
まで行った。私を起こして階下へ行こうとした。私は昨日のように 母さんが
寒い中を散歩に行ってしまう事を心配して「よし おつきあいするか」と起きた。
階下へ 何回か トイレに何回か お茶を飲みうろうろして過ごした。
動けるだけ動いた後ころ合いを見て「暗いから、もう少し寝ていようか」と言い
10分工作してもう一度寝たのが5時だった。
次は7時に起きた。
−−◎ヘルパーさんの来訪計画日だったが 中止。
(今日の日記は これから後のことをまだ追加の予定→ )
2003.1.9(木) 晴れ
−−◎早朝4時、私を起こし、傍らの上着と ぼうしメガネを取ってくれた。
数回繰り返していたが、私が「まだ暗いから寝てなよ」と言った。
その時 母さん 力無く「ごめんなさい、ごめんなさい」と言って、
床にはいり、また起き出したりして、また床にはいりしていたが
私には、つっついて 合図することがなかった。
7時20分頃、私が目を開けると、床に母さんはいなかった。服装を整えて
階下へ来ても母さんはいなかった。外に出て 近隣散歩コースをたどっていたら
母さん行ったり来たりしていた。すぐ 自由な形で家の前まで戻ってきたが
中へ入ろうとしなかった。再び歩いて行くと「寒い寒い」と言うので
戻ってきたが やはり家の中へ入ろうとしなかった。また歩いて戻り
3回目もはいろうとしなかった。
もっと散歩すべき と私が判断し、散歩コース周辺をしゃべりながら歩きまくり
9時30分頃まで歩いた。母さん「なんかお腹が空いたねー」と言ったので
「ほんとだ お腹空いた」といい 家へ戻り 今度は中へはいった。
軽く食べて 娘が 冗談言って 母さんを笑わせていたら、もう外へ行こう
としなかった。あとは店で すごしていた。
−−◎ヘルパーさんが来た。1時から4時までの予定。
つなぎを付けるため、昼食を取っているところへ来てもらった。少し話して
ヘルパーさんには食後の茶碗洗いしてもらった。
スポンジボールのバトミントンをして遊び、爪切りをしてもらった。
そのあと洗髪をしようかと言ったあたりから、調子が悪くなった。
1時間10分は調子よく遊んでいたが、トーンが落ちてきたので郵便局へ
一緒に行ってもらい今日は3時で切り上げてもらった。
−−◎夕方 車に乗っていて「恐い恐い」と言いつつ「もう、ダメだ」とも言った。
「みんなにも迷惑かけるし。」
私「何が迷惑だ。ちっとも迷惑やないって、気にすること無いよ」
「ありがとう、ありがとう みんないい人やし」
「おっちゃん、このまえすみませんでした」
私「なにが..?」
母さん「何か頂いた物があったでしょう」
ほんとうは「頂いた物」と言うのは 本人の思うとも違うと感じられるが..
----------------------------------------------------------------------
K・S様 お便りありがとうございました。
K・S様のお便り
-------------------------
ホームページを知ってから 日記 毎日 拝見してます。
田口さんの心こもる 接し方 自分の置かれてる 状況もふまえ
まだ まだ 涙がでます。そして 勇気もでてきます。
最近では 自分がブラブラしていることを 気にし どこか 働きたい。
なぜ 薬を飲んでいるのか? 薬の説明書をみて アルツハイマァーなのか
なぜ 隠している。(以前は説明書を見ようとも しなかったので)と 怒る。
日中 母親と一緒にいたくないから また 海外でも いきたい。
等など....
少しずつ 少しずつ 人格がくずれてるのに ...(どこも 一人じゃいけないよ)
今は 家にいて 散歩、 絵 、愛犬のせわ
ゴルフの練習 会話することはないので いいのかなー と
私は会社に勤めてますが やめて 家にいたほうが いいのかな とか
でも 年金まで 10年もあるし 経済的にも 苦しくなるし..
もう 頭の中 いっぱいで 苦しくなります。あじわったことのない 制裁をうけてます。
でも 顔で笑って 心でないてで がんばっていくしかないので 田口さんの日記
見て 励まされたり、又、一言で勇気づけられたりして がんばります。
接し方もずいぶん わかってきました。
---------------------------------------------------------------------
G・O様 K・Y様 K・M様 お便りありがとうございました。
---------------------------------------------------------------------
2003.1.8(水) 晴れ
−−◎ところで昨日のスポンジボールのバトミントン 1時間弱 やっていたが
ヘルパーさんと2人で最高値は連続118回、つまりボールは69往復した。
私だったら30回くらい続けば落としてしまうかも..
気分も楽しく、運動神経も鍛え、良かったと思った。
−−◎岐阜県立病院の診察日、今日は診察も 注射もうまくいった。
私の気のせいか、「波」のせいか、この注射は母さんの気分を安定させるのに
役立っているような気がする。
−−◎そのあとは 喫茶「チボリ」へ行った。ながやさんはいた。
母さん ニコニコして ながやさんに挨拶。
−−◎夕方、としこさんのとこへ 「あいさつ」に行った。「あいさつ」とは
ちょっと覗いて、存在を確認し 二言・三言話して帰ってくるからだ。
−−◎今日昼食前に、私が母さんに 大きな声で「さあ ひるめしは
旭川 しょうゆ ラーメンか 札幌 みそ ラーメンか はたまた
函館 塩 ラーメン にするか どっちがいい? 母さん」と聞いたら
ふふっ と笑いながら 娘の居る方に消えた。
あとから娘が言うことには 母さんが娘に「おっちゃん むちゃくちゃ言っているよ」
笑いながら言っていたそうだ。
私は 字がへたな方だ。でも 他人の書いた字が あるいは「書」が上手か下手か
私の水準でわかる。母さんの 物言いは混線しているが、他の人が混線していると
それが混線していることがわかるようだ。(但し例外現象は、自分が混線している
ときに、その混線に同意しない者は混線であり 同意する者は 非混線であるが..)
−−◎「頭脳の働きとは、タンパク質の高度の働きである」。
若いころ、友人たちと このような論議を交わしたとき 何か「人間精神」を
冒涜するような、ひっかかりを覚え、でも 事実はそうなのだ。と思