日記Ynas0212
2002.12.31(火) 晴れ
−−◎今日も生協の臨時配分日。おつきあいのつもりで注文して置いたが、注文は
我が家のみだった。
−−◎岐阜中央郵便局の“新サービス”? ポストマン?
岐阜中央郵便局は駅の割合近くにある。市内電車通りより東側を南北に走るそれより、
細めの通り、歩道は局前の局側にだけある。昼間は歩行者も ゆっくり進むとはいえ
車も多い。午前11時ころ 年賀状の最終差し出し分を出しに行った。
さぞ渋滞と思いきや、意外と徐々に車は動いている。見ると ぶかふか集配カバンを
持ち、腕章をして 差し出し「年賀状受け取り」と書いた手製のぼりを立て せわしく
通行中の車から、投函年賀状を受け取っている職員がいた。
「おっ!新サービスか?」と思い、速度をゆるめ窓を開けて、私の追加年賀状を
差し出した。局側に3人道路の向かい側にもひとりいて、4人でやっているようだった。
年賀状差し出しの際一回一回車が停まれば最低1分間長ければ10分は停車する。
時として 車は局前ばかりか手前信号の後方を延々と連なることがある。
この臨時ドライブスルー方式、交通混雑を解消したようだ。
−−◎夕食は3人でテレビのある部屋で取った。娘が「紅白..は好みでない」と
言うので、バライティー番組を見ながら、母さんは日常テレビをほとんど見ない。
今日は結構笑いながら見ていた。一緒に見ているのに 面白い場面では「見てみい」
などと私の肩をたたきながら見ていた。
朝 テレビラジオ面を見て 私は「おっ、今日はNHKで第9番の再放送があるな」と
思っていたが、夕方には忘れてしまっていた。
母さんはどちらかと言えば「紅白」派(だった)。娘はそのどちらでもない。
どうやら育て方を間違ってしまったらしい。(^o^)
母さんは 娘がまだ小さい子で保護しなければならない(実際まだそうなのだが)と
思っているので「小さい子の言うことは...」止む終えないと言う気持ちだ。
−−◎母さんが店を休業して一年経った。毎日見ているとその日その日は変化が感じられ
ないが、徐々に病気が進行してきている。
いま 母さんについて思っていることは 意思表示出来る期間を出来るだけ長く継続し
その間を楽しくすごし、何か言った時は 可能なことならば出来るだけかなえてやる。
と言うことを思っている。
もう一つは、病気の状況について 「母さんの場合はこうだった」と 愉快なことも
不快なことも、その時は意味不明なことも リアルに記録しておくということ。
2002.12.30(月) 晴れ曇り
−−◎母さん朝食を食べなかったので、パン、サラダ、飲み物、フルーツの“喫茶店ごっこ”
たくさんあったが 全部食べてくれた。
−−◎農協のいちばへ行き 生花を買って来た。
−−◎一日中 ちょっづつ「恐い恐い」と言っていた。
−−◎母さんやっとこさ 年賀状を書いた。
−◎生協の臨時配分日。4時30分。
2002.12.29(日) 晴れ
−−◎1月5日までは ヘルパーさんは来ない。やれやれ!。
いまのところは 〔1〕母さんの暮らしの充実(余生を楽しくすごす)の
ために 〔2〕将来病気が進行したときに ヘルパーさんが出入りしても
母さんが抵抗無く受け入れられるようにするために
私の時間的ゆとりと 多様性に 欠ける部分を支援してもらうよう
来てもらっている。その意味ではこの半年間、成果があった。
ただ母さんがその時 沈み込んだりしていると こちらが気を使う
ことがあったが...
−−◎室内整理続行、小道具を買うため、 雑貨品スーパーへ行く。
過去の「おれんじぺーじ」という雑誌が100冊あまり、古書店へ持って
いったら100円で買い取ってくれた。破棄するより 再活用されれば
100円でもいいか と思いつつ戻ってきた。
−−◎母さん 時々 昼間でも「恐い恐い」と言った。
−−◎この日記で 特に断りのない限り、私の作業や 外出には 常に母さんが
ついてきています。主語のない文言は ほとんどが母さんの行動です。
2002.12.28(土) 晴れ
−−◎生協の配分日。大過なし。
−−◎今日はそとで(外出)の家事雑用を処理した。灯油を買いに行った。灯油は
配達してもらうという手もあるが、何時来るかわからないものを待つのが
都合が悪く買いに行った方が便利なので いつも買いに行っている。
銀行で機械で通帳記入してもらった。次は諸支払いに、大概は現金決済だが
相手の都合で買いがけになっている物について、これも集金を待っているのが
不都合でこちらから届けている。
午後は 脇田自動車へ行き、冬タイヤに交換してきた。次は若干まとめ買い
すべき物について、食品スーパーで買って来た。
室内の片づけをした。
−−◎母さんの 昼間の「恐い恐い」は お腹が空くと出るような気がする。
母さんは朝食を7時 とか 8時には ほとんど食べない。9時半とか
10時半に冷たくなったのを食べようとするので暖めてやったりしている。
または出した朝食はそのままにして、喫茶店へ行ったりする。
当然12時には、食べないかまたはほんの少し食べるだけだ。
2時過ぎにお腹が空いてくる。そういう時には 私の所へ おやつなど持って
きたりする。自分が空腹だから、わたしも食べたいはずだと思っているのか?。
また別の動作は、押し黙って「恐い恐い」と言う。食事を用意してやって
しゃべりながら食べ、その後は「恐い恐い」を言わない。
今日もそうだった。
最近は(12月になってから)夕方「恐い恐い」と軽く言うが「本巣へ帰る」と
言わない。 これも「波」かも知れない。
−−◎母さんが沈み込んだときは S氏の経験に習って、冗談を言ったり、歌を歌ったり、
奇声を発したりしすると、母さんはつられて笑い出し、気分が戻ることがある。
2002.12.27(金)晴れ
−−◎午後はヘルパーさん来訪。今日は−A−さん。1時30分から、4時30分まで。
始めぶらぶらしていて、昔の某歌手の色紙や 母さんがもらった表彰状などを
見せてあげていた。そのあと ボール投げ遊びをしてもらった。喜んでやっていて
ちょっと 疲れた様子を見せたが 「体の疲れは“回復”が速い。」はずと思い
少し間をおいてから3人で散歩に行った。気分は5分くらいで元に戻った。
そのあと タオル干し、洗濯干し、をやった。
タオル干しというのは、母さんが健康時には店用のタオルを干していたものだが
いまは自分の使った物を干していることになる。半年前ヘルパーさんの来訪初期の
ころは 母さんがやっていたが、少し病気が進行して このごろは全部やってもらう
ような形になっている。
洗濯干し、は二階でやっているが、これは家庭用の物、こちらの方もヘルパーさん
の来訪初期のころ 2回か3回、一緒にやってもらい何ともなかったが、その後は
どうも母さんの気分が、落ち着かない様子だった。推測するに「家の中の
ゴチャゴチャした状態を見られたくない」「領域の侵犯」という気持ちがあった
のかも知れない。少し様子を見ていたが、将来的には放置出来ないことであるので
ここすこし前から 母さんに慣れさせるため、ヘルパーさんに
「なにもしなくてもいですから、一緒についてきて様子を見ていてください」と言い
見ていてもらって、母さんと私で干している。
本日は 総合的に言えば 楽しくすごしたようだ。これ以上緊張が続かない方がいい
と思ったので3時30分で切り上げてもらった。
2002.12.26(木) 晴れ
−−◎午前中 いつも来られる近所のばあさんが「カットしてくれ」と見えた。
「腕が落ちているからダメですよ」と言ったが
「いいから わかっているから 自分では出来ないし、遠いとこまで
歩いてよう行かん」とと言われた。カットしてあげた。
−−◎午後はヘルパーさん来訪。今日は−O−さん。1時から、4時まで。
午前中、私のお客さんも来て、昼食が遅れていて、待っていてもらって
昼食。2人でおしゃべりしながら クリスマスツリーを片づけてもらった。
バトミントンをやり、ボール遊び、洗濯干し、岩戸公園へ散歩。
終わりがけ ちょっと避ける傾向にあったが総じて言えば 可なり。
多少 避けることがあっても、その時は 一歩引き、間を置いて、
働きかけてもらうと良いと思う。「間」の時間は対象者観察の時間ととらえて...
−−◎美容組合の支部役員さんが来訪されて、組合の退会届を出した。
−−◎先月11月27日に、行方不明になったことがあったが、そのときは
私の得意先へ 配達に行ったとき、母さんを車に残して、私だけが中に入り、
5分ほど話していてたら、母さん 私がいなくなったと思い、車の外に出て、
別の家の前(留守だったらしい)で、呼び鈴を押したが誰も出てこないので
待っていて、不安になって、歩いて家へ帰ろうとしたらしい。その時は
1時間後 バス通りを走っているのを発見した。
ところで昨日 そのことは何も言わず、世間話や母さんの関心事をしゃべりながら
行方不明になった場所に近づき、その家の前をゆっくり通過した。
そしたら 何も言っていないのに「この前恐かった、呼んだけど誰も出て
来なかった。待っておったけどおらんで 走って家へ帰った」と言った。
そして数回繰り返した。このことは一ヶ月前のことだけど、言葉のヒントが無くて
目に見える光景だけで、思い出したらしい。
2002.12.25(水) 晴れ
−−◎すこやか診療所へ診察にった。胸部レントゲン撮影をしたが、なかなか服を
脱がないのでてまどった。一緒にやってあげて無事終わった。レントゲンでは
異常はなかった。
血糖値の検査もしたが、これも異常なしだった。この検査は人差し指に、
リード線の付いた洗濯ばさみのような物をはさみ30秒ほど観察していると
状態がデジタル表示される物だった。
「体調は良い。寒いから、風邪引かないようにね」と言われた。
−−◎室内整理を続行。押入や 旧物置等を総点検し 何処になにがあるかを
確認し品名を書いたラベルを貼って 大分類別に入れ直す作業を継続中。
もらい物では タオル等、台所用品 室内装飾品、など母さんが お客さん
とのつきあいが多かったので結構あった。
某有名歌手や、某有名作家の色紙 かつての栄光を示す表彰状や
技能コンクールでの賞状の数々。
一緒に整理しつつ 母さんの思い出話を聞いていた。
整理の立場からすれば「処分品」になるものも 処分しないことにした。
ごみと ほんとに邪魔な物だけを処分品にした。
明日からは衣料の整理に移る。
−−◎母さん ここ一週間のことでは、早寝早起きの傾向が出てきた。
今までの習慣では10時に寝て7時ころ起きるのがパターンだったが、
このごろ早いときは、夜7時30分ころ寝て 朝5時30分に起きる。
そうでない時は 朝は6時ちょっとすぎに 起きる。ひとりで階下へ
降りていって「寒い寒い」と言って戻ってくる。朝の「恐い恐い」は
聞かない。言っているけれども 私が聞いていないのかも知れない。
従来から就寝3時間目か4時間目にトイレに起きるが、それは変わらず
特別の異常はない。
2002.12.24(火) 晴れ
−−◎午前中は NHK料金の支払いその他で銀行その他へ、母さんと一緒に
外出。昨日に引き続いて、部屋の方付けを続行。
−−◎午後はヘルパーさん来訪。今日は−K−さん。1時から、3時まで。
スポンジボールの バトミントンのような物を貸してくれて一緒に遊んで
もらった。
掃除をしてもらったり、あとは田圃方面へ散歩に行ってもらった。
母さん老眼のせいか、遠くの物がよく見える。とりつかれたように、遠くに
発見した物を教えてくれる。
総じて言えば楽しくすごしたようだった。
−−◎ヘルパーさんに「避けている時があっても 距離は保ちつつも 気持ちはくっ付いて
いてください。それを越えると また親しくと言うか 頼りにするようになって
来ますから」と言った。
ヘルパーさん「大丈夫です。(母さんが避けるような時があっても大丈夫という意味)
年齢的に同じようなかたを もうひとりお世話していますが 病気の現れも それぞれ
違いますね」
−−◎家はキリスト教ではないけれども、クリスマスのお祭りをした。クリスマスの音楽を
かけ、スーパーで家では作れないお料理やシャンメリーやケーキを買ってきて
いろいろしゃべりながら夕食をとった。
2002.12.23(月) 晴れ
−−◎「また月曜のゴミ収集の日と祭日と重なってしまった。」と思っていたら
本来は休みだが 年末につき特別に収集する とのことだった。
このところ家の中の整理を進めていて、ゴミがたまってきていたので
ホッとした。
−−◎今日のヘルパーさんは−M−さん。1時から、3時まで。
ボール投げ遊び、タオル干し、シャンプーをしてもらい、二階で洗濯干し、
まあまあ順調にすごした。
−−◎ヘルパーさんの終わりがけ、ケアマネージャーがきて 1月の計画と
2月の予定の下相談をした。
「衣服のストックを用意してもらいたい」との話があった。
突然 散歩に出たとき、上着を持っていった方がいいだろうと言う意味で..。
−−◎ここ数日は「午後4時の憂鬱」は無し。私の定義する段階1のレベル。
推測するに アルツハイマー病と更年期障害の愁訴と複合的に出てくる
ようである。と言うのは11月に 岐阜県立病院で 注射を拒んで
1回パスした。45日くらい経過して、薬の効き目が減少してきていた。
その後に「午後4時の憂鬱」がよく見られたが、60日後は、注射をやって
もらい バランスが回復していたため「午後4時の憂鬱」が無くなった。
のではないかと。
また、他方では、波のごとく現れる、アルツハイマー病の症状の「波」と
偶然重なったのかな。とも思う。
2002.12.22(日) 晴れ
−−◎本日は 兼ねて頼んでおいた、障子の張り替えをしてもらった。
障子12本と欄間8本朝取りに来て、夕方持ってきてくれた。古紙を除去したあと
きれいに磨いて、新紙を貼ってもらってあり、部屋の雰囲気が変わった。
人間の動きとぶつかる部分にある 穴の空いた障子を母さんが見てここ2ヶ月ほど
「破れてしまっている」と時々言っていた。新しい障子を見て「きれいになった」
と言っていた。去年、自分で一部張り替え穴を補修したが、なかなか大変で
「破れていなければ大丈夫」とそのまま使用していた。
−−◎一方 整理整頓と平行して進めていた 手作りの元物置は ほぼ出来てので、
整理作業を進めた。
−−◎町内自治会の組の(十数名)おひまち(=この場合は夕食会)に母さんと二人で
出席した。母さんも雑談をしたりして1時間半あまりすごした。
宴会はその計画にも寄るが 2時間程度で最後に飯が出て お開きになるのだが
母さんが「帰る帰る」と言ったので、「同じ所に長いことおれないようなので...」
とことわって退席してきた。
2002.12.21(土) 雨
−−◎生協の配分日。特に異変は無し。
−−◎娘「お父さん、なにをバカなことを書いているの?」
私「なにがバカだ?」
娘「和宮は 慶喜ではなくて 十四代徳川家茂(慶福)のところへ嫁入り
したんだよ」
私「ガーン、(>_<)」
10月19日、このホームページの日記に 和宮が徳川慶喜(十五代将軍)の
とこへ嫁入りした と書いてありますが 十四代徳川家茂(慶福)のとこへ
行ったと言うのが正しいので訂正します。(同日の記事は訂正済みです)
−−◎押入を整理していたら、世間並みにいろいろな物があったが、私のための
新品のワイシャツ2着、靴下数点、ハンカチ数点があった。
現在でも 例えばワイシャツは 母さんの敷いてくれた路線に従って
比較的新しいのと、ちょっと古びたのと数点を 自宅洗濯で回転して使用していて
特に不自由はしていないが、この“備蓄”急な入り用の時の為に母さんが用意
していてくれた物だと思う。「こんなのがあったよ」と言ったが もし健康時
だったら、「急に要るときがあるかも知れないからー」とか言う場面なのだが
「ふーん」と言っただけだったので、涙が出そうになった。
日々の出来事では 時々 抜けたところもあったが、長期的展望では先を見越した
事をしていた 母さんの姿は今は無い。
しかし ここ数年着ていなかった母さんの冬物衣服を(サイフと同じで数カ所に
保管している)見せてやったときは「私の着ておったやつやー」とにこにこ顔で
ひきとって、常時使用の小物タンスの方へ置いたときは 心なごむ思いがした。
2002.12.20(金) 晴れ
−−◎朝、起き出して 階下へ来てからも「恐い恐い」を連発し1時間くらい続いた。
その間 一回 家の周り200mくらいを散歩に連れて行った。家に はいるとき
「恐い恐い」を言っていた。室内が暖かくなるとともに治った。
このごろの夕方は別にして、朝方 起き出して階下へ来てから「恐い恐い」
と言うのは初めてのことである。
−−◎私の右腕から肩にかけて 腱鞘炎か 数日前から痛みがあり、作業が不便に
なっている。冷えたのか 作業のやりすぎか はたまた年のせいかどちらかである
−−◎今日のヘルパーさんは−O−さん。1時30分から、3時30分まで。
ヘルパーさんが来る20分ほど前から 母さん「恐い恐い」と言いだして、
散歩に歩いて連れて行った。
ヘルパーさんが来たあとも、もう一度散歩に行き、戻ってから 安田祥子や
美空ひばりのテープを聴きながらすごした。
2002.12.19(木) 曇り
−−◎朝食は 我が家で“喫茶店ごっこ”。
−−◎としこさんが 昨日か一昨日 ばっちゃ のとこへ行ってきた とのことで
ばっちゃのおみやげを持ってきてくれた。干し柿、生の柿、乾麺、
黒糖かりんとう、切り干し大根など。
−−◎今日のヘルパーさんは−O−さん。1時から、4時30分まで。
来訪されたとき、ちょうど私に仕事むきの電話がはいって、話していたので
つなぎのタイミングが悪かった。
はじめ田圃方面へ散歩に行き、途中でおやつを食べて、楽しそうにボール
遊びをして、もらい物のタオルを分解して、ひとつの箱にまとめてもらったが
母さんは “領域を侵犯”と思ったか?あまり乗り気ではなかった。
そのあと、一緒に 苧ヶ瀬の池に行き、一周散歩をしてきた。
帰られるまで、横を向いていたが、直前に気分がなおって、
「気を付けて 帰ってね」とか声をかけていた。
−−◎
2002.12.18(水) 曇り
−−◎母さんの調子は 特に変化はなく何処へ行くにも家の中でも 私にくっついて
来ている。小さい子が 親についてくるように。
−−◎私の方は、物置の利用や 家の中の整理で、作業が増えている。
物置の完成が 遅れたことにより 年末までの私の作業の密度が濃くなって
しまった。この工事は、9月発注で11月20日完了予定であった。
見積もり、発注、完了(納期)について 業者自身が表示した期間は世間的に
常識的な期間で設定されていた。実際の完成が12月5日だった。この程度の
物で15日も納期を遅らせたことについて、
T氏に「下請け業者の選定をあやまったなー」と苦言を呈しておいた。
ともあれ 年末までに 家の中を整理する事を目標に設定しているので
私の臨時仕事の密度が濃くなって「日記」が簡略化になっている。
2002.12.17(火) 晴れ
−−◎午前中に 娘の塾の懇談があった。2年ほど前高校の時までは 母さんと
2人で行っていたが、今回はひとりで行くことにした。というのは あまり関係が
ないので学校(塾)の先生には病気のことは知らせてない。母さんは話を聞くと
「そうですわねー」とか「がんばらないとね」などと わかっていなくても 会話の
対応は出来る。学校の先生という物は母親に向かって話す人が多い。話が混線して
収拾がつかなくなってしまうことを防止する為であった。
それで 今日は 午前中にも ヘルパーさんに来てもらって 学校まで行ってもらい
待合室で2人で待っていてもらった。母さんが私から離れていた時間は45分くらい。
20分経過頃からヘルパーさん「いないから帰る」と言いだして表に出たりしたが、
寒かったのですぐ待合室に戻って、飛行機遊びなどしてもらって、待っていてくれた
私の顔を見たら、すぐ笑顔が戻ったので、大過なく終わった。
−−◎ところで 私が 懇談に行くに際して、髪をカットしてくれた。
「私が 最後お客様かな」などと思いながら、カットしてもらった
あとから「今日、カットしてもらったねー」と言うと、
「うんうん 軽くなったやろ」と憶えていた。
夕方になっても現物(頭)を見せると記憶が呼び覚まされていた。
−−◎午後からは 定期の予定通り、別のヘルパーさんが来てくれてすごした。
午前中 離れていたせいか、私の方を覗く事が多かったが、ヘルパーさんを
避ける様子はなく、飛行機遊びや アルバムを見たり、散歩に連れて行ってもらったり、
楽しくすごしたようだった。
−−◎午後3時半、苧ヶ瀬の池散歩。
−−◎午後4時の憂鬱 今日はなかった。
−−◎「午後4時の憂鬱」の母さんの状況。
これは 「ここ1年くらいの間にあったのかなー」という感じで その後私は
意識していなかった。この11月の終わり頃から、時々感じるようになった。
朝の「恐い恐い」が 朝の方が弱まって 夕方にも出るようになってきたようだ
私が 「無し」と記している場合は、「夕方になると 恐いねー」など 日常会話
のように話して2・3回で終わるとき。
2段階は 10分以上続くとき。
3段階は 暗くなるまで1時間以上続くとき。
4段階は 体がふるえて 興奮状態になるとき。
ここ1ヶ月の間に 4段階になったのは 1回だけあった。その後は
気を落ち着かせるように、働きかけて、そのレベルにまでいたったことはない。
2002.12.16(月) 曇り
−−◎17日に 娘の「懇談」があるので、母さんの 相手をして頂くべく、ヘルパーさんに
臨時に 来てもらうよう 先週 ケアマネージャーに 頼んでいたところ
今朝 OK の返事があった。先週土曜日の急な頼みであったが、即応してくれて
ありがたいことだと思った。
また、当面の(今後のと言うべきか)母さんへの 「めんどう見計画」について
ケアマネージャーと出入りヘルパーさんが話し合いをしていてくれたとのことだった。
母さんの現状や、私の要望については、ホームページ画面から、資料を得た。とのこと
であった。
当初は 先月 我が家で 対応計画について話し合う予定であったが、母さんも聞いて
いる前で話していて 母さんが機嫌を悪くし、2・3日機嫌が治らない ようなことに
なると行けないのでお流れになっていた。
−−◎今日のヘルパーさんは1時から3時(2:59)まで−S−さん、
壁にハリーポッターの主役の少年たちの写真が店の貼ってある。
Daniel.Radcliffe(ダニエル・ラドクリフ)
Rupert.Grint(ルパート・グリント)
Emma.Watson (エマ・ワトソン)
母さんはポッター役のダニエルのファンだ。「かわいい 始め女の子かと思ったら
男の子なんやね」とヘルパーさんに3回くらい話していた。
母さんが 沈んだ顔をして私の方へ来てしまったので、3分くらい、私が話していて
連れて行き、ボールを2・3回私がヘルパーさんと投げっこしてから母さんに
代わって やってもらった。220回ほど続いた。その後も少しやった。
写真を見て、母さん 思い出した本当の話しや、架空の話しやをしていた。
気分は悪くなかったが 少し疲れたようだった。
−−◎夕方は 買い物に行き、夕食にし 一旦30分ほど寝たが、迎えに行く為に
もう一度起きた。9時30分ころ就寝。
2002.12.15(日) 晴れ
−−◎昨晩の 夕食後のこと。母さんが 卓上にあったきんかんのパックから
きんかんを出して皿に取り並べた。すぐ食べるつもりはないのだから
余分なことと言えば 余分なことであるが、今や対して気にかかること
でもない。今度はもう一つの皿にお茶を注ぎ、元の皿から 運動会の
「豆運び」のように箸で 数個のきんかんを取り 浮かべて
ぐるぐる回していた。このことは例えば2年ほど前の 老齢の痴呆の人の
登場する テレビドラマでは「尋常でないこと」の光景として取り上げられた
ことと同様の事柄である。「えっ」と思ったが 洗えば 別に どうと
言うことはないので放置していた。
−−◎午後から、家族3人で 愛知県犬山市の「明治村」へ行ってきた。娘は熱心に
見物していたが 親の方は付いて走っているような状況だった。
母さんは内部よりも アヒルやガチョウの鳴き声に興味を持ち笑っていた。
家族連れの小さいお子さんを見て「かわいい!」などと言っていた。
「さむいさむい」とも言っていた。会場にいるときは 楽しそうだったが
帰ってきたら なにも憶えていなかった。
2002.12.14(土) 晴れ
−−◎生協の配分日、
−−◎変化も動揺も無し、
−−◎「午後4時の憂鬱」本日は無し。
青いジャンバーを買い、着用しご機嫌。
−−◎根拠があって 笑うときは 笑い 元気。もし 笑っている理由がわからない
笑いなら 心配だが それではない。
-------------------------------------------------
K・S様 お便り有難うございました。
-------------------------------------------------
2002.12.13(金) 晴れ
−−◎昨晩は 私が疲れて寝てしまって記入がありません。
あまり変わりない「日々」はあり。
2002.12.12(木) 晴れ
−−◎私と母さんの朝食は、スーパーでパンのみ買ってきて、店で“喫茶店ごっこ”
10時30分ごろから いろいろしゃべりながら、食べ終わったのは11時前。
そのあとは 散歩をしつつ、としこさんの家へ行き、
ひと言二言しゃべって戻ってきた。
−−◎今日のヘルパーさんは1時から3時まで−O−さん、
今日の介護は いきなりボール遊びから始まった。店の中で、小形の
小学生用ドッジボール(空気がやや抜いてある)を2m程離れて立ち
互いに 投げ 受け した。
ボール投げは40分くらい続いた。その間、「1,2、3,4、...」
と30くらいまで母さんも数えたが あとは「...30,31,32...」
「.....250,251,253」とヘルパーさんが数え、落球すると
二人で 大笑いしながら また次が始まった。
タオル干しをして、母さんの年賀状のスタンプ押しの続きをやり、
散歩に行く様子だったが、一旦外に出て「寒い寒い」とすぐ家にはいってしまった。
着付けの雑誌を見て 母さんが何か話していて 時々何か力説していた。
−O−さん「ふんふん」とか「わたしも〜〜よ」とかあいづちを打ちながら
聞いていてくれた。
古い方の物置の棚を自分で改造設置する為に 母さんとヘルパーさんと3人で
「資材センター」へ板を買いに一緒に行ってもらった。1区画出来たら次へと
取り組んでいる為、何回も買いに行っている。買ってから車まで運ぶとき
母さんも 手押し車を後方で支えて手伝ってくれた。
帰り道はヘルパーさんには窮屈な思いで、車に乗ってもらった。
総じて言えば 母さん 楽しくすごした。
−−◎「午後4時の憂鬱」本日は無し。「暗くなると恐いよう」とか「恐い恐い」
も2・3回言った程度で、「帰る帰る」とは言わなかったのは昨日と同じ。
−−◎夕食後、再加熱のつもりでガスにかけていた煮物を私が焦がしてしまった。
2002.12.11(水) 曇りのち晴れ
−−◎母さん 岐阜県立病院で診察。先月は 注射を拒んだため出来なかった。
今日は腕を出しやすいようにしていった。それに 聞き入れていたかどうかは
疑問だが、朝 「先月のように 注射を いろいろ 言って拒否した場合は
もう病院へは連れて行かない、母さんの立場で言っているのだから、俺の
言うように やってくれないとあかんよ」と言っておいた。
その時は「うんうん」と返事をしていた。
注射はやってもらった。
−−◎岐阜県立病院が済んでから 喫茶チボリへ行った。チボリの池に グレーの
白鷺より大型の珍しい水鳥がいた。自然のきれいな水流が狭められてきたので
この池に飛んできたらしい。池の中に作られた直径1mに満たない“島”に
立ち時折首を動かしていた。母さんは その鳥を見て結構楽しんでいた。
−−◎道々 金華山にうっすらと雪があるのが見えた。 母さんに「山に雪があるねー」
というと「寝ているうちに終わってしまったのやわ」と言った。
目に見えない事象についてはわからなくなったのかと思っていたが、
背景の連想と理解がある事がわかった。
−−◎猪の件。前回の冬 猪の子に出合ったことをこの日記で書いたが10日ほど前の
岐阜新聞に、「金華山」に 猪がいた と 写真入りで報じられていた。
−−◎「午後4時の憂鬱」本日は無し。「暗くなると恐いよう」とか「恐い恐い」
も2・3回言った程度で、「帰る帰る」は言わず、
ここ数日、の「訴え」の様子はなかった。
−−◎
2002.12.10(火) 曇り のち 晴れ
−−◎「紙風船」という喫茶店へ行った。
モーニングサービスの 中身が良いのか 混んでいた。
−−◎今日のヘルパーさんは1時から3時まで−K−さん、
年賀状のつづき今日は 絵の部分にひつじの図柄のゴム印を押した。
紙のばし(※)をした。時折、私の方をのぞき「オイオイ」と
声をかけ すぐにヘルパーさんの方へ。
紙飛行機を作り、二人で飛ばしっこをして遊んでいたようだった。
「体を使われることが お好きなようです」とのヘルパーさんの
通信メモ。
※紙のばし=パーマ用の8センチ×4センチの強力和紙、何回でも使用可能で
使用後は水洗しのばして干しておく。これを紙のばしという
−−◎「午後4時の憂鬱」今日もあった。
−−◎夕食後、本屋へ行き、母さんには「ハリーポッター」を特集した雑誌を買ってきた。
道々、注意して見れば かすかに雪のちらつきあり。
2002.12.9(月) 曇り夕方小雨
−−◎母さん 朝は普通に起きた、起きがけの「恐い恐い」軽い程度だった。
床を離れると言わなくなる。「恐い恐い」を感じる度合いが、「夕方の憂鬱」
時の方が強くなってきている。
−−◎午前中、みやべさんが来た。髪をセットして行かれた。としこさんが来て
店のトイレとか、外の落ち葉とか掃除をしてくれた。
私は 古い方の物置の棚をこちらは自分で改造する為に「資材センター」
で垂木と板を買ってきた。母さんと娘も付いていった。
−−◎今日のヘルパーさんは1時から3時まで−Y−さん、
母さんの年賀状を今年は図柄をゴム印で押すことになり、そのハンコ押し、
タオル干し、若いころの写真を見ての思い出話、などを一緒にやってもらった。
母さんが−Y−さんにレベルが上がって親しくなった様子で、
「暗くなると恐い」と言うことを言った模様だった。−Y−さんから
「周りの人は みんないい人だから なにの心配することはないよ。
このうちは 靖子さんの家なんだから 誰にも気を使うことなく いれば良い」
とか言ってなぐさめられていた。
−−◎ふるい物置の方の中を見て、材料を一枚ずつ運んだ。
母さんの「午後4時の憂鬱」が始まったので、ドライブに15分間連れて行った。
娘が帰ってきて、暗くなってしまうと共に 憂鬱も鎮まった。
−−◎夕食後、本屋に行った。
2002.12.8(日)曇りのち雨
−−◎本日は、部屋の整理を続行。母さんも上へ行ったり下へ行ったりして、
私が渡す軽い物は運んでいた。
−−◎「としこさんがいない」と言うので昼頃見に行った。ひと言二言しゃべって
帰ってきた。
−−◎また部屋の整理を続け、途中掃除機のダストバックを買いに行き、ついでに
花も買ってきた。
−−◎「午後4時の憂鬱」今日もあった。「帰る帰る」についての母さんの
心境は次の通りである。
「帰る帰る」(問題A)と言うので 外に出て車の中で
「ここの家は何処?」と聞くと「ここは知らん」と。
「でも○○(娘)がまだ帰ってきていないし、おいていくか?」(問題B)
「それはあかんよ、ひとりでは おいておけんよ」と。
問題Aに対しては 帰る という決定がされる。
問題Bに対しては 離れない(帰らない)との決定がされる。
個別A、個別B、には 状況に合わせた判断らしき事がされるが
AとBが連結されたときの、決定が出来ない。
−−◎娘のことを私が言ったら、「三新住宅のとこまで行って見てこよう」と言う。
で 三新住宅まで行き、母さんの様子を見たが、特別の反応はなかった。
その足で、食品スーパーへ行き、買い物をして帰ってきたら、「憂鬱」は
なくなっていた。準備をして夕食にした。
1時間半、ないし2時間で憂鬱が解消するようすだ。
−−◎「暗くなると恐くなる」を言っていた。
2002.12.7(土)曇り
−−◎生協の配分日。
−−◎物置が出来た。外側の一部補正は残っているが、内部は使用出来る。
玄関から廊下、部屋を専有していた、「物」を物置に運び込んだ。
「運び込んだ」の形容通り 整理は後日に持ち越された。
作業は3分の1程度進展か?
作業中も母さんは 随時上へ行ったり、下へ来たりして付いてきていた。
−−◎「お腹の気持ちが悪い」と3回ほど言った。
−−◎夕方「帰ろう」と言い、「スーパーの袋に入れていけばいいよ」と言いつつ、
袋を持って、私にも「行こう」と言った。
自分では ごく当たり前のことをしているつもりだから、そぶりも
ごく当たり前に動いていた。
袋のなかみは ごはんを付けてあるご飯茶碗、割り箸3セット、
おやつのからすみ(=餅菓子)、備蓄テイッシュ、マジックペン、
などだった。
−−◎最近の母さんの「帰る帰る」は 「娘はひとりではおいて行けない」
「おっちゃんがいなくては、物寂しい」だから「3人で帰ろう」と言う発想に
変化しているようだ。元々あった「帰る」はなにであったのか?
−−◎「寒い寒い」「暗くなると恐い」と言ったがとくに支障を来すほどの
興奮はなかった。
2002.12.6(金) 晴れ
−−◎朝 起きてからすぐに散歩。(10分間コース)「寒い寒い」と言い戻る。
−−◎午前中、喫茶 ひらく へ。
−−◎今日も「としこさんがいない」と言うので 散歩がてら連れて行って
話してきた。昼近くなって また 「としこさんがいない」と言った。
今度は電話をかけて、母さんに話してもらい確認。ようやく言わなくなった。
「としこさんがいない」と言い出したのは 先週、所用で泊まりがけで、
出張し 生協の配分日に来なかったのと、わかっていたが散歩で見に行ったときも
自宅に としこさんがいなかったのが 記憶にあって、その後は 姿を見て
いるのに「いないいない」と言っている
−−◎今日のヘルパーさんは−S−さん。1時30分から4時29分まで。
今日も日程メモをヘルパーさんに渡して開始してもらった。
来訪時には母さん、絵を描いていた。
散歩に出たが「寒い寒い」と言うので近くの神社まで行き戻ってきた。
アルバムを見て、話していた。
3時間の日に途中飽きが来るようだが 中休みを入れてまた話してもらった。
小休止があると3時間保てるようだ。
−−◎いよいよ物置が完成した。
−−◎白障子が所どころ 破れてきている。以前に自分で貼ってみたがなかなか
大変だったので知り合いの業者の人に張り替えをやってもらうべく頼んだ
−−◎「午後4時の憂鬱」今日もあり、「帰る帰る」「恐い恐い」を言っていた。
−−◎ぬいぐるみのネコと母さん遊んでいる。ヘルパーさんと話しているとき、
「ネコが戸を開けてはいって来たのでびっくりした」などと言っていた。
2002.12.5(木)晴れ
−−◎起きて階下に来て すぐに 脈絡なく「さあ行こうか」という。
外に出ると 看板の字を読んだり、家にいるとやたらに掃除をしたり、
柿を一度に5個も6個もむいたり、外に出ることは「外界の情報を集めたい」
という志向のように見える。
−−◎母さんを喫茶店へ連れて行っている留守中にケアマネージャーが来訪。
あとから電話をかけて用を足した。
−−◎工事屋の「つねさん」来訪、母さんにこやかに挨拶。
今日の工事は、午前中、空調工事の完了。その後、棚用資材持ち込み、
外の ひさし代わりのテント張り替え完了、掲示板、看板柱の塗り替え完了。
私が母さんの 病気と内面を見るに気を取られて、環境の「見かけ」を見るに
おろそかになっていた。母さんの意識のある間に、気分を引き立てることを
すべきと改装をした。記憶を保持する立場から、現状を更新するに留めた。
−−◎今日のヘルパーさんは−O−さん。1時から4時まで。
はじめに今日の日程メモをヘルパーさんに渡して簡単に状況を話して
開始してもらった。
タオルを干して、散歩に2回行ってもらった。1回めは田圃方面。
2回めは、中山道(裏道)を西へ。
ルノアールの画集を見て、お話しし、アルバムを見て娘の小さい頃の
話をしていた。
今日は調子が良かったのではないかな。母さんがOさんの鼻チョンチョンしたから
警戒心を解き、親しくなりかけた兆し。
−−◎「ふみえさん」のことを話していたが 11/29 ころから 「としこさんがいない」
とか 遠い過去の話や 架空の話を現在のこととみなして話し 「としこさん
どうしてしまったんやろ」などと話をしている。
−−◎「午後4時の憂鬱」今日もあり、「帰る帰る」の他に これまで朝しか言って
いなかった「恐い恐い」を数日前から言っている。
−−◎今日も5時半頃から 娘を 「迎えに行かなくっては」と言っていた。
「8時半くらいでいいよ」と私が言うと「ふーんそうか」と一応納得するが
1・2分すると「さあ行こうか」と言う。私が我慢して説明を繰り返していたら
10回以上は「迎えに行こうか」と言った。
−−◎本日は夕食を2回食べた。
2002.12.4(水)雨
−−◎本日私が 国立岐阜病院診察日。母さんは付いて行き、検査室へはいったときなども
おとなしく待っていてくれて、行方不明にはならなかった。
11時半頃帰ってくると、電気屋さんが台所の上部で工事中だった。
ガスが使えなかったため コンビニで軽食を買ってきて、事務所で軽く食べた。
−−◎そのあと としこさんのとこへ行ったり、コマ用であちこち寄った。
苧ヶ瀬の池の散歩も行ってきた。3時頃「お腹が空いた」というので
おやつ代わりにラーメンを作ってあげた。
−−◎母さんが私と 夕方もう一度 としこさんとこへ行った。先日 としこさんが
娘のとこへ行き家にいなかった。「いなかった」ことだけが母さんの
印象に残り、「おらへん」「おらへん」と言うので「確認」に行った。
としこさんの姿を見て「おった おった」と言って帰ってきた。
−−◎「午後4時の憂鬱」は 少しだけ「帰る帰る」とか「暗くなってとしまう」とか
「暗くなると恐いねー」とか言っていたが、すぐに鎮まった。今日は軽症。
−−◎気分は安定していた。
−−◎物置工事、続行中。あとは 内部では 棚を作るのみ
2002.12.3(火)晴れ
−−◎午前中 宮部さん来る。としこさんが来て応対。としこさんが、12時半ころ
までいたので、母さんは店でいろいろやっていた。私は昼寝。
−−◎午後ヘルパーさん来訪。本日は−M−さん。母さん 午前中は外出しなかったので
外出志向しきり。岩戸公園へ行き、散歩。その後としこさんのところへ行った。
−M−さんに「お父さんが病気になってしまって 死んでしまった」話をしていた。
大変苦労した話や 他に別のこと(仕事)がやりたかったのかも知れないことなどを
私が付け足してあげた。こんな話をしたり、結構わがままを おこなったりしたのも
ヘルパー −M−さんに馴れ、気を許している現れだろう。
−−◎ヘルパーさんの時間終了とともに、再び外出志向、ケアマネージャーが来訪予定の3時
には出ていく気分になっていて、引きつけておくことが大変だった。
30分以上は相談時間を取るつもりで 来られたが、事務上の処理だけを済ませた。
−−◎とにかく外へと 携帯電話の故障修理に 近くにあるドコモ直営店へ行った。
その道々 外出志向から 「午後4時の憂鬱」へ変化して、
「暗くなる..恐い恐い..帰れなくなってしまう」と言いだした。
「一緒にいるから 大丈夫だよ」と安心させて、修理を済ませてきた。
−−◎娘は塾で7時30分かまたは9時に帰ってくる。6時くらいから、
母さん「暗くなるから迎えに行ってやらなくては」と言う。
娘が 駅に着く予定時間を電話してくるので それに合わせて迎えに行ってやる
ことにしている。
それで母さんに「まだ時間が早いし電話も来ていないし、家にいないと電話が来ても
通じないよ」と言うと一度は納得するが、すぐに「迎えに行こうか」と4回も5回も
言う。気分を変えることをしなければ10回でも20回でも言うことだろう。
−−◎それにしても思うことは、他所様の記事で、もう社会人になっている子どもについて
「まだ学校から帰ってきていない、どうしたんやろ」と言われる患者さんがいるという
たまたま我が家の場合、まだ学校に行っていて、夜道が暗く「迎えに行く」という
実際が伴っているので 「心配しすぎ」程度の評価でいられるが、結局 他所様で
出ていた。病気の発現とあまり変わらないのだろう。
2002.12.2(月)晴れ
−−◎物置工事、続行中。
−−◎今日はヘルパーさんの来訪日。今日は 初めての−Y−さん
まず業務にはいる前に 私が「面接」をした。
私「若年性アルツハイマー病に付いて 個別介護をなさったことはありますか?」
Yさん「いいえ初めてです」
私「そうですか
・会話はゆっくりと
・動作もゆっくりと
・思い出話をしたらゆっくり聞いてやる
・心の中をつかむようにつとめる
このあたりがさしあたりのポイントです。
そして 他のお宅では 家事を能率良く処理することが必要だったかも
知れませんが ゆっくりが善であり 能率は“罪悪”です。
洗髪も身の回りものことも やれたらやる程度で良いです。私の居る方へ
しゃべりに来てもかまいません。行方不明にならないことが
目標のようなものです。
あとは 状況が変わったり、気づいたことがあったら言います」
と言った。
そして タオル干し クリスマスツリー作り 散歩 その他 と
お願いして、ツリー作りなどは 10分で出来るけれど40分くらいかけて
作ってください。とお願いした。
このヘルパーさん名前の部分が やすこ と母さんと発音が同じだったので
母さんおもしろがっていた。
タオルを干して ゆっくりとクリスマスツリー作り、アルバムを見て
散歩には2回も行き まあまあではなかったかと思う。
−−◎「午後4時の憂鬱」または「夕方の憂鬱」今日もあり。
「だんだん暗くなってしまう」「家へ帰らなくては」と言って外へ出たがる。
過去4ヶ月くらいは出ていなかったのに ここ10日間くらい出るようになった。
−−◎夕食後、「ちょっとだけ、三新住宅まで行ってみて来」と母さんが言う。
なにを見に行きたいのかわからなかったが 娘も連れて車に乗せて
気晴らしに出た。
先日 母さんが行方不明になったところへ20分ほどかかるが見に行った。
娘に 何処でどうなったか説明してあげる為だ。母さんは私の配達について
4回か5回は来たことがある。
まずバス通りに沿って諏訪山団地にはいった。バス通りは農協支店から終点
まで約1Kmほぼ一直線に走っている。途中横道にそれて 得意先のKさん
宅脇をゆっくり廻り、もう一度バス通りへ出て、バスの終点まで行き、
戻り道大根を洗っていたご婦人の家の前を通り、母さんが 駆け足で走っていた
あたりを通過して戻ってきた。
Kさん宅脇を通過したとき、私が何も言っていないの母さんは「ここなんやて
とんとんとたたいたけど 誰も出てこなかった。」と言った。
駆け足していたあたりでは「○○○の看板を目印にここまで来たんやよ」と言い
「もうダメやと思った。」とも言った。
たいていのことは 忘れてしまうのに このことは 風景から記憶を呼び覚まし
たようだった。
2002.12.1(日) 曇り
−−◎朝から 「帰る帰る」というので 本巣へ連れて行ったが ばっちゃはテレビを
かけていて 玄関のベルが通じず、鍵が開かないので 10分くらいトントンやって
はいれなかったので帰ってきた。
−−◎昼から穀田恵二の演説会に行った。2時間我慢して座っていた。笑う場面では
笑っていた。しかしなかみは記憶していないだろう。
−−◎夕方「帰る帰る」と言うので、
私「帰っていって ひとりでいるの?」
母さん ちょっと間をおいて「おっちゃんも○○も三人で帰れば」
私「何処へ帰るの?ばっちゃの家か?」
母さん「ちがう あそこではない」
私「そうすると母さんの帰る家はもう無いよ。と言うか このうちが3人の
家なんだから、ここで ご飯を食べたり、寝たり、本見たりして、
3人仲良く暮らしていくんだよ」
母さん「ふーん」
−−◎「疲れた」と言って7時30分ごろ寝た。
私は寝させてから 家事作業等。早く寝てくれると夜は楽だが、朝 起きるのが
早過ぎて困るのだが...。
−−◎物置工事、続行中。
2002.11.30(土) 晴れ
−−◎朝、田圃方面へ一番遠回り道を散歩
−−◎生協配送日、大過なし、
−−◎配達された新しい食材を使って 店で 喫茶店雰囲気の朝食、
スクランブルエッグ、スライスハム、レタスとコーンのサラダ、
絹さやえんどうと椎茸のお浸し、パン、カフェオーレ、キウイ、
いろいろ取りそろえたが、喫茶店よりも 値段は安い。安いのも良いことだが
何よりも良いことは 母さんが 和風朝めしは食べないことが時々あるが
喫茶店ふうにしたら 楽しみながら全部食べてくれたことだ。
−−◎午後 苧ヶ瀬の池で 一周コース(2.7Km)を散歩。
母さんは「一周は とても廻れんよ」などと言い楽しみながら、一周廻って
いるし 母さんが足を鍛えておくことを 私が大事と思っているので...。
−−◎その後も 外もまだそれほど寒くないせいか、外に出たがることが
今日は多かった。
−−◎夕食後は本屋さんへ
−−◎切り抜きと もみじ葉を画用紙の上に置き 網の上からブラシに水で溶いた
絵の具を付けてこする。霧状に彩色される。スパッタリングという。
「よく出た」と言ってやっていた。
2002.11.29(金)晴れ
−−◎朝「としこさんとこの家 どこかわからへん。お店屋さんやっているの?」
「わからへんであかん」と言った。
7月3日には電話がかけられなくなっている
−−◎娘の 母さんへの問いかけです。2001年9月
ネェ、
老後の計画たてていましたか。
いつまで仕事続けるつもりでした?
ムスメが大きくなってから、
一緒にやりたかったこととかあるんですか。
将来の夢は何でした?
わたしが家を出たら、ついてきます?
あと何年、あなたのなかで、
あたしがあたしとして存在しますか。
−−◎ヘルパーさん来訪日。1時30分から4時30分まで。−A−さん
かろうじて3時間持った。本人はまあまあ楽しそうだった。
2002.11.28(木)晴れ
−−◎一昨日から また 朝「恐いよー恐いよー」と言うようになった。
今朝は「恐いよー恐いよー、おっちゃん助けて」と言った。
6月頃から その言い方が弱くなり、このころでは言っていなかったので
「恐い」を感じる力が病気の為退化しつつあると思っていた。
ひょっとすると 私の介護が 良かったのかなー とも思っていた。
「恐い恐い」も震えるような形で声のトーンも高く 感じる力の退化では
なかったようだ。
−−◎夏の間「恐い恐い」「帰る帰る」があまりでなかったのは 病状が現れて
いなかった。寒さとともに、症状が出てきたのかと思う。
感じる力の退化も症状の現れであるし、
「恐い恐い」「帰る帰る」も症状の現れである。
−−◎1時から3時までヘルパーさんきたる。今日は−O−さん
写真と絵などを見て、過ごし、間が持たなくなったので、岩戸公園へ
一緒に連れて行ってやった。かえではほとんど散っていた。
−−◎夕方3時30分 「帰る帰る」と言った。
2002.11.27(水)晴れ
−−◎すこやか診療所(みどり病院の外郭施設)へ診察にいった、
帰り道諏訪山団地のKさんのとこへ消耗品の配達に立ち寄った。、10時30分
配達だけならば 1分で用は足りるため母さんを車に残していったが質問が
あったので少し話していた、10時40分車に戻ると母さんの姿が見えなかった。
行方不明になった。周辺をぐるぐる回り探した。大根を洗っていた主婦の人にも聞いた。
見つからないので、早い方がいいと芥見の交番へ11時10分届けた。
3人の警官が在室し、親切に状態を聞き 手配書を書き本署へも連絡してくれた。
順次 町内自治会 にも協力を求めることもあるという。
交番を出て、私はもう一度周辺を廻って探した。「40分くらい経つから
だいぶん 現場を離れたかも知れない」とも思い探した。
約1時間後11時41分 農協近くを走るように歩いている母さんを発見した。
バス通りを都心へ向かう方向に沿っていくと、遠くに母さんの姿が見えた、
その後ろに「大根を洗っていた主婦」の人が後を付けていてくれた。
通り越して車を停め 母さんを乗せ、主婦の人に お礼の合図をして
戻ってきた。
そのあと 状況報告をしてくれたが、興奮せず落ち着いて話してくれた。
以下 母さんの言った事。
「もうダメかと思った。」
「ドアをどんどんどんとたたいたが、誰もいなかった。」
「どんどんどんどんやったけどダメやった。」
「おっちゃん おっちゃんって呼んだけど返事がなかった。」
「30分くらい待っていたけれども反応がないので帰ってきた。」
「見ると車があらへんし」
「ちょっと疲れておったけれども こっちへ帰ってこなくてはと思ったので
走って帰ってきた。」
(※状況は ここは住宅地の中。Kさんの家も角地にある見かけは一般住宅
横に車を停め90度左に曲がって入り口からはいった。事務所からは入り口が見える
母さんは私がすぐ出てこないので 探しに行き、別の家の玄関で呼んでいたらしい。
見失ってから、バス通りかけていく姿を発見するまでの時間から推測して、
別の家の玄関で 少し待っていたのも本当らしい)
交番へ「発見を」を電話連絡をすると共に出向いていって礼を言ってきた。
在室は1人「いま2人で探しに行きましたが 発見を連絡しました。」とのこと
2002.11.26(火) 晴れ
−−◎午前中、喫茶チボリへ、ついでに岩戸公園へ散歩。紅く染まったかえでの落ち葉
を拾ってきて本にはさみ 押し葉にした。
−−◎今日は1時から3時までヘルパーさん来る。−K−さん
タオル干しとかを2人でやり、散歩に行ったりしたもらった。散歩は日射しは
あたたかいようだったが、時折風が吹いて「寒い 寒い」と言ったそうだが
元気に進んでいった。
戻ってからは、体操をしたり 肩もみをしたり。
クリスマス飾り用の リース(Wreath=花輪)「工作セット」を持ってきて
くれて一緒に作った。
母さんは関心を示していたようだった。 楽しく過ごしたようだった。
−−◎午前中に 私の仕事の方で消耗品の注文がはいり、3時から届けるつもり
だったが、ゴチャゴチャ荷物の下側にあって探して取り出せたのが
4時30分だったので配達は明日以後にした。
−−◎買い物に一緒に行き、夕食を作って食べた。
−−◎今日は「家へ帰る」は言わなかった。
−−◎このごろ 母さんは交通信号の存在意味がわからなくなってきている。
これも諸事と同様毎回信号を無視するのではなく、朝 散歩の時に
信号を見て守るときもあるが、赤でもそのまま行こうとして引き止める事がある。
車に乗っているときに、前方の車が信号で停まると、「停まってしまった。
早く行けよ停まっていないで」などと言う。先頭で停止していると、
私に「早く行って」とか「進もうか」などと言う。
2002.11.25(月) 曇り 小雨
−−◎昨晩から 今日朝にかけて、母さんは 不安状況だった。
昨日は、一日中、遠慮しがちに小出しに「家に帰る」ということを言っていた。
土曜日に連れて行っていたので昨日は行かなかった。
今いる この家が 私たちの家である事を 軸に 暮らしのことも説明して、
ゆったり話していると、その場では納得していた。
夜は「疲れた」といっていたため、午後8時30分ごろ寝た。
深夜12時30分頃 トイレに起きて(トイレは二階にある)、なにとなく
階下へ降りていった。戻ってきて、普通はまた寝るのに、そのままいて、私を
階下へ行くよう誘った。付いて行くと 「暗い暗い 真っ暗」といいながら
探るようにして見ていたが、すぐ二階へ戻って来た。
三回目の時に 明かりを付けて 明かりはそのままにしていた。
下がり上りを10回までは数えていたが、あとは不明。
そんなことを繰り返している過程で1時間ほど経ったころ 私の笑顔がなくなると、
私を私でないような目つきで見た。2階で 私を押し出すようなそぶりをしたので、
「このまま行くと興奮状態になる」と思って、外に出て駐車場の車の中で、様子を
見ていた。母さんが私について外へ出てくる様子はなかった。15分そのまま待って
帰ってきたような顔をして なかへはいっていった。
「おーっ、もう そろそろ寝ようか」といった。
母さん「あーっ 恐かった。いま 誰か知らん人がおったし、おっちゃんおらへんし
あーっ恐かった」と震えていた。
私「そりゃ恐かったねー、もう大丈夫だよ、ここにいるから、もう寝ようか」というと
素直に床にはいった。2時30分だった。それからあとは6時30分まで
しっかり寝ていた様子だった。なにが きっかけだったかわからないが
近ごろにはないことだった
−−◎朝しっかり寝ていたが 目を覚ますと、いつもよりは はっきりと「恐い恐い」
を連発し、私に「一緒に帰ろうよ」を連発した。
いつもの「帰る 帰る」が今日は「一緒に帰ろうよ」に変わっていた。
−−◎喫茶チボリへ行き 戻ってくる頃には いつもの状態に戻っていた。
−−◎しかし「帰る帰る」と「どっかへ行こう」が重なって 外出志向が頻繁に出た。
−−◎今日のヘルパーさんは−A−さん。今日の予定は1時から3時までだった。
私が1時30分からとかんちがいしていて、母さんの気晴らしに外出していたため
1時10分くらいに戻ってきた。で ヘルパーさんには10分ぐらい、
待っていてもらったらしい。
タオル干しとか、店の掃除とか、して またまた 写真など見てもらって、
遊んでもらった。途中 電話工事やさんが見えて、切り替え工事をしてもらったが
その間 母さんはいつものように時々 私の方を覗いてはいたが、わたしがこちらで
話しているものだからあまり私に声をかけないでヘルパーさんの方に一緒にいた。
2002.11.24(日)晴れ 曇り
−−◎朝、田圃方面へ散歩に行った。カラスの大群がいた。
−−◎近辺をドライブ。
−−◎昼ごろ 警察が来て「ダックスフンドが そこのガソリンスタンドに、
迷うこんで来たのだけれども飼い主の方を知りませんか」と聞きに来た。
外を覗いてみると、もうひとりの警官が、犬を連れていた。見たことのある犬
のようだったけれども、飼い主わからなかったので、
私「何処の犬かしらないのですが...」
警「もし知っておられればと おたずねしましたが..。気が付かれましたら
教えてください」
私「はあ、わかりましたらね。こんなことまで 持ち込まれるのですか。
お役目ご苦労様です」
−−◎本日も、休日で工事関係者は休み。
母さん「二階に誰か居る、一緒に見に行って」と言う。で一緒に見に行ったが
もちろん誰もいなかった。一昨日も同じようなことを言った。
2002.11.23(土)晴れ
−−◎生協配送日、特に支障なし
−−◎生協の配分が終わって、みなさんが帰ってから店で母さんと 模擬喫茶店。
受け取ったばかりの パンに飲み物、フルーツは柿、暖房ははいっているし
バックミュージックもあるし、
−−◎今日明日は休日で工事関係も休みで静かだった。
−−◎「暗くならないうちに家に帰る」と言いだした。2日前に行ったばかりなので
今日は帰るつもりはなく、挾間不動までドライブ。2時に戻った。
−−◎「遅くならないうちに行こう」と言った。「家に帰る」の続きである。
今日は 長続きしているなと思い、その後から本巣へ連れて行った。
1時間ばかり 遊んで帰ってきた。
−−◎「家に帰る」の言葉を発する、背景となっている母さんの心象風景がある
断片的に言う言葉から心象風景まとめると 次の通りである。
根底に仕事で手抜かりや失敗もあり自信を無くしやめたいと思っている
1、仕事をやめたから、ここ(現住所)には居れない。
2、ここの家は自分のものではない。
3、私とは独立した別家族の人である。
4、お金が 1円もない。
5、幼い頃の安定した気分の家庭に戻っていきたいという気分。
6、だから帰らなくてはならない。
7、本巣へ帰っても寝るところがないからどうしようかと思っている。
8、娘は まだ小さいから放っておけない。
9 私のことを別家族の人と思っている一方で「おっちゃん どうするの?」
と私のことも心配している。
病気の結果 退化した気分で表現されたり、同じ項目が退化していない状態で
表現されたり、比較的退化しないで保持されている項目とが複合されて
「家へ帰る」として表現されている。
次に「心象風景」実際との違いは次の通りである。
1、仕事をやめたから、ここ(現住所)には居れない。
(※ 仕事はやめても 事業主だからここ居れない ことはない)
2、ここの家は自分のものではない。
(※ どちらも収入があり、共同名義で家を建てたから「自分のもの」である)
3、私とは独立した別家族の人である。
4、お金が 1円もない。
(※ 母さんのわずかばかりの貯金と現金は手つかずで保管してある。発病後
分散して持っているサイフが行方不明になることが頻繁にあったので、
預かった。時々一緒に確認している。それと お小遣い用にとして
ケンゾーのバックにお金を持たせてある。はじめはそのサイフから使っていたが、
近ごろでは 外出時にも そのバッグを持っていくことを忘れている )
5、幼い頃の安定した気分の家庭に戻っていきたいという気分。
(※ 現在では そう言う環境は自己 家庭双方の発展変化によって存在しないが
気分としては真実だろう)
6、だから帰らなくてはならない。
(※ だから帰ることは出来ない。遊びに行くのは良いが...。)
7、本巣へ帰っても寝るところがないからどうしようかと思っている。
(※ 10年ほど前に 元あった家の近くの別の場所に新しく家を建て
古い方の家がない。すこし前に 「お泊まりして行こう」と勧め
ばっちゃも そのつもりで準備してくれたが、泊まってこなかった。
古い家がないというところから 「帰っても寝るところがない」との
気持ちになったのだろう。)
8、娘は まだ小さいから放っておけない。
(※ 実年齢より 小さく評価しているが、一定の実情を含む心情を表している)
9 私のことを別家族の人と思っている一方で「おっちゃん どうするの?」
と私のことも心配している。
(※ 母さんの言葉の端から 推測すると
家が自分たちのものでないのに 何処に住むか?ということと
ひとりになってしまって 日常的な生活をだれが世話するか?
ということらしい。このあたりは実際状況と意識のずれがある。
家は 自分たちのものであるし、暮らしの世話はすべて私がやっている)
外界の認識についても ひとつの誤った認識が、一度始まったら
ずーっと継続するのではなく、出たり消えたりして、別の誤った認識に
置き換えられたりしている。その誤った認識は社会的なものから
個人的なものへと推移してきて量は増えて来ている。
2002.11.22(金)晴れ
−−◎7時半から田圃方面へ散歩。
−−◎今日は散歩から帰ってくると 早朝8時前から 各種の工事やさんが出入りして、
駐車場も周囲も混雑していた。
−−◎朝食後、岩戸公園へまた散歩。
−−◎1時30分から4時30分まで ヘルパー−A−さん来訪
最近では お絵かきとか 細工物とかの手作業がほとんど出来なくなってしまった、
お絵かきは今年4月ごろまでは、下絵を描いて色を塗るところまで
ひとつの流れとしてやりとおしていた。このごろ、絵は描いているが、放っておくと
最後まで追求しないようになった。「これ描こうかな」とみずから進んで描く事が
無くなった。
近ごろ 出来ることが少なくなってきたために やることがなくて退屈している。
体を動かすことは支障がないようだから、運動系の 作業を 母さんの中から
つかみださねば‥‥。と思う
−−◎久しぶりに隣のうどん屋さんで昼食。
、
2002.11.21(木)晴れ 曇り
−−◎朝食前に散歩、まだ 寒いと言うほどではない。
−−◎昨日、母さんが 台所の 6・7個はいった柿の箱を事務所へ持ってきた。
「どうするの?」などの意味を問うことは 意味がない。「ありがとう」と
言って受け取り、脇に置いて 今朝になっても まだそのままにしていた。
私「これどうすると思う」。母さん「知らん」。
私「みんなが喰ってしまうといかんので ここで見張っておるんやよ」
母さん「ハハハッ」この程度の冗談の意味はわかるらしい。
−−◎今日のヘルパーさんは −O−さん。散歩に2回行った。
−−◎本巣へ行ったが、トイレに行っただけで、すぐ「もう帰る」と言うので
戻ってきた。
2002.11.20(水)晴れ
−−◎午前中、岩戸公園へ行き、今日はカメラをもって行っていたので、紅葉の脇に立つ
母さんをカメラに納めてきた。ニコニコポーズだった。
−−◎「家へ帰る」「本巣へ帰る」と盛んに朝から夕方まで言っていた。
日曜日に行ったばかりなので、今日は行かなかった。ここ2ヶ月ばかり
「帰る帰る」と言わなかったので 家のことを忘れてしまっていたのか と
思っていたが、そうではなかったらしい。
「帰る帰る」と言わなかった理由は、
1,ヘルパーさんに来てもらって気が紛れていたこと。
2,私が 本人のことでも きついことを言わないで気楽に過ごさせていたこと。
であった。
ところが先日病院で 注射をやってもらおうとしないので かなり強く言ったし
その後日には 薬を飲もうとしないので 怒って飲ませた。
その後から 散歩症候群 と 「家へ帰る」が出るようになった。
−−◎ 「帰る帰る」とあまり言うので、それに合わせて、銀行や買い物に行き
用を済ませてきた。
−−◎散歩症候群で 母さんが行方不明で 警察に保護されたのは過去一回(この件は
外出先で 母さんが「父さんがいなくなった」と思い探しに出たのが原因)、
そのほか1時間以内に 私が発見したのは3回ほど、
あとは、所在不明 と私が思った件は 10分以内に自分で戻ってきている。
だいたいは 私を連れて 外に出ようとするので、そのほかの行方不明はない
−−◎今日は一日中付きっきりで「どっかへ行こう」とか「帰る帰る」とか言うので
イライラしてきて冷淡になった。
夕方になると 母さん「懐中電灯ない?」とか言う。
私「歩いて帰るの?」
母さん「うん」
私「歩いていくと5時間か7時間ぐらいかかるから、夜中に向こうに着く
ことになる来週一緒に行こう」となだめた。
2002.11.19(火) 晴れ
−−◎1時から3時、ヘルパーの−K−さん来訪。散歩に行くなどして楽しく過ごす。
−−◎夕方、「家へ帰る」と言ったが 概して楽しく過ごす。
−−◎整理・収納の本を5冊読んだ。だいたいは「使う見込みのないものは捨てよう」
合わせて「使わないものは買い込まない」と言うのが基本主張である。
不要物の保管維持も、もし倉庫を借りて預けるとしたら、経費がかかるごとく
ただではない。その意味では、「いらんものは捨てよう」の主張は現代社会の
生活の知恵の一端を表している。
母さんの かつての生活意識は それとは逆であった。「なんでもとっておく」
が基本態度であった。いまの病気になることを予測していたごとくに...。
娘が小さかった頃の靴、ボーリングのボール、若いころ着た服、などが
いま 母さんの心を楽しませている。それでもって かろうじて現在の自分の
立場を保たせている。私は いまやこれが病気を治す訓練になるとは思っては
いないが、残された期間をこういうものを見て、楽しく 心豊かに過ごせるなら
それもいいと思っている。
しかし それらは 随時「出してくる」ものであって、身の回りは極力簡素に
なっている方が良いだろう。「大整理計画」を進めつつある
2002.11.18(月)曇り
−−◎岩戸森林公園へ散歩、母さん 新たな感動を持って もみじを観察。
昨日も見たことを忘れてまって「すごいねー」を連発。
−−◎工期が遅れていた物置工事の「棟上げ」(小さくても柱をたてることを棟上げ
と言うそうな)をした。母さんは トントン カンカン という物音を気に
していた。
−−◎今日のヘルパーさんは−M−さん
シャンプーと顔のマッサージをしてもらった。あとは楽しく遊んでもらった。
−−◎朝から「家へ帰る」と言っていた。昨日 私が怒って薬を飲ませたときから
「家へ帰る」が時々出る。
2002.11.17(日) 晴れ
−−◎朝、岩戸森林公園へ散歩、紅葉が美しかった。チボリは満席ではいれなかった。
帰ってきて 我が家で喫茶店ごっこ。出し物は豪華。But庭園風景は無し。
−−◎食後の薬を飲まなかったので 怒って飲ませようとしたら、
「私何も悪いことしていないもん」と機嫌を悪くした。
それにかまわず、「飲みなさいよ」と言って飲ませた。
その後 入り口を 出たりはいったり、結局 私を呼んで 散歩症候群。
道で知った人に会っても 挨拶も会釈もせず通過。
−−◎昼過ぎ 娘も一緒に三人で長良川から金華山ドライブコースへ廻って帰ってきた。
金華山展望台の駐車場30台前後がいつもは数台停まっているだけなのに、
今日は 満車だった。
−−◎三時頃「本巣へ帰る」と言うので連れて行ってやった。うちを出るときは
「泊まってくる」と言うので、「それならそれでもいいよ」と出発したが
本巣について、少し居て「家へ帰る」と言うので、戻って来た。
母さんの“家へ帰る”は こちらにいるときはむこうを指し、向こうにいるときは
こちらを指している。
−−◎夕食後六時半ごろ、「もう寝る」と言ったので、買い物に行ったり、雑用をしたり
して、九時まで時間を延ばして、それから寝させた。でないと朝4時頃起きてしまう。
2002.11.16(土)晴れ
−−◎今朝 起きがけに うなされていた。「もうだめだ。恐い恐い」と繰り返し言っていた。
ダメという自覚があると言うことだ。
−−◎朝から母さんが「どっか行こう」と言うので、気を取られて家事仕事を進めていて
昨日のおかずを暖めていて 私が焦がしてしまった。「ハハハッ焦げたよ」
とそれを処理して 散歩に出かけた。ちょっと寒い感じだが ピリッとして
気持ちが良かった。
−−◎生協配送日。
−−◎午後は 本屋さんなどに連れ行った。土曜日のせいか 2店とも お客さんで
混んでいた。2人で見て回っただけで、特に買う本はなかった。
−−◎先日の記事の「風呂にはいる習慣」について。
「風呂にはいる習慣を付けておけば良かった」と書いたが、そう書くと風呂に
はいる習慣がなかったように、誤解されるので付け加えると...。
7年か8年前のこと、ちょっと風邪気味の時、風呂にはいって熱発し店を
3日間休んだことがあった。当時使用人は居なかった。普通に営業している。
美容院や床屋さんが3日も休みと言うことは世間では見かけない。以来風邪気味の時
風呂にはいるのを避けていた。
アルツハイマー病の発病後も2年6ヶ月目までは普通にはいっていた。
2年6ヶ月目は冬の2月である。時々「頭痛がする」と言っていた。頭の病気か
風邪のせいか、不明だったが 当時は風邪のせいだ、として風呂にはいるのを
避けていた。2週に一回ぐらいはいっていた。暖かくなると(去年2001年4月)
春から秋まで週何回という程度ではあるが、風呂にはいっていた。はいるのを
拒み始めたのは、去年2001年11月からである。あたたかくして適正な指導を
しなけれはなら無かったのはこの頃のことである。
以前からの互いに 指図しない、と言う民主的?習慣、母さん病気進行過程で
次々起こってくることと対応していて、そこまで考えが廻らなかったのが実情
だった。
−−◎
2002.11.15(金)晴れ
−−◎母さん ここ一週間ほど前から、午後7時ぐらいに寝ている。「眠たい 寝る」と
言うので連れていって寝させている。その後私は雑用をするが、朝5時頃
起こされるので大変だ。気分的には、普通の態度で起こしているので、その点では
問題はないが...。
−−◎ヘルパーさん 来る日。−M−さん。1時30分から、私も含めて3人で、
ボーリングに行った。私とだけの時より気分が変わって、楽しそうだった。
ヘルパーさんが 「ボールはどうやって持つの?」などとうまく持ち上げてくれて
母さんはご機嫌だった。
2回ほど他の人の順番の時に ボールを投げたりしたが、おおむね出来た。
今日の点数は126点だった。長い流れからすると、点数は落ちてきているが
ストライクやスペアもあったりして、またやれると見られた。
「面白かったか?」と聞くと「うん 面白かった」
「また今度行くか?」「うん行く」
−−◎午前中は 川島町の河川公園へ行き散歩してきた。
2002.11.14(木)曇り
−−◎現在段階での問題点
発病以来今日まで、長い尺度で見ると、母さんは比較的おだやかに過ごしてきた。
時として 情緒不安定に陥る時の状況は 機能の低下に対する 周囲の 意識的
無意識的な 批判、軽度の注意、行動助言 認識錯誤の指摘した時であった。
デイケアに行き始めたときも2カ所ともその後数日、その時の事を言い
怒りっぽかったり、無反応になったりした。
これまでのところでは、「病気である」と言うことを考えるならば、職業上の
仕事は 止めれば良いし、家事の仕事も本人がやらなくてもいっこう差し支えが
なかった。
しかし 本人が動かなければ出来ないこと、風呂、着替え、病院の診察、その他
直接身の回りのことで本人が拒否の意思表示をしているとき、それらのことが
人間として生存するには やらないで済ますことは出きない事柄であるとき
説得をしつつも 期限のサイクルというものがあり 実力で実行しなければ
ならない時がある。実行を完了しなかった昨日の病院の治療さえ、
終日不機嫌になっていた。
今までの 母さんの 安定した状況は、問題を今日まで持ち越してきていただけの
ことだった。病気としては 軽い段階の時から、風呂にはいりたがらないことを
予測して、体制を取り 習慣を継続しておけば良かった。のかも知れないが、
予測はしておらず、現在に至っていたということだ。
2002.11.13(水)晴れ
−−◎母さん 岐阜県立病院の診察日、病院へ行くも 受診を拒否。注射も拒否
その後も落ち着かず。夕方まで情緒不安定。家事がたまりっぱなし、
座っている気持ちのゆとりが無く 私も情緒不安定。ゆえに
今日の日記は、ここまで...。
2002.11.12(火)雨 曇り
−−◎朝は喫茶チボリへ行った。戻ってから 洗濯干し等家事をする。
−−◎今日は1時から3時までヘルパーさん来る。−K−さん
タオル干しとか、2人で写真を見たり、今までに描いた絵を見たり
田圃方面へ散歩に行ったりしたもらった。
楽しく過ごしたようだった。
−−◎夕方は 苧ヶ瀬の池への散歩に行った。外出志向は強かったが
時々笑ったりして、総じて言うと、本日は楽しく過ごした。
−−◎ふみえさん と ひさちゃんの話は今日も出た。母さんの創作話だが
今日の場合はこのふたりが 店の手伝いに来ているような立場らしい。
夕方には「ひさちゃんはもう帰ったかな?」と私に聞いた。
−−◎休憩していたときに「もうだめやわ 終わりだなー」と言った。
ダメな自分を見ている「自分」が居ると言うことだ。
2002.11.11(月) 晴れ
、
−−◎母さん「バスと車となんか チャランポランになってしまったねー」と言った。
自分が外にうつる バスや車が 混線している 事を言ったと思う。混線している
自分を意識し、表現していると言うことだと思う。
−−◎喫茶店で 出された ゆで卵を食べていて、殻をむき、口に運び 一口食べると
黄身がまるく残り、白身が半分残った。二口目に、食べようとしたら、黄身が
ポコッとはずれて、ころころとテーブルの下に落ちてしまった。「ホホッ」と
笑い「落ちてしまった」と言った。「あっ、落ちてしまったね、これをあげるわ」
と私のたまごをあげた。
私が見ても、たぶん第三者が見ても、病気故にそうなったと不自然に見えるところは
なかった。でもこれは病気の現れだと思う。初期のころの 物忘れにしろ、
仕事上での 些細な不行き届きにしろ、ご飯炊きの水加減を間違えたときにしろ
不自然でなく、誰にでもありそうなこととして、症状が出始めていたのだった。
たまごの落下も明日は再現されることはないだろう。
気が付いたときは 症状が「よくでる」ようになったときだろう。
−−◎午後のこと 出かけるとて 車に乗ったとき 5分くらいそのまま居た。
いつも母さんが「どっかへ行こ」と言うとき、車に乗せてあげると
動き出さなくても 車の中は適当な温度調整が出来るし、テープで歌を聴く
ことも出来るし、それだけで心が和むのか、ドライブしているつもりで
母さんの会話がはずむことがある。
母さん シャッターの閉まっている 店を指して
「もうここで終わりやなー、もう疲れたもの」
「おっちゃんどうするの?」
「ちびさん部屋にいるの こどもやで置いていくわけにはいかん」
「ここは 離れて行くのやから ここではいかん。ここではばらばらになってしまう」
「もう終わって(家へ)帰っていくつもりや」
ということを ちぎれちぎれに言った。
頭脳の働きが、一様に ある時遮断されるのではなく、記憶 状況判断、責任感
今後の展望、などが虫食い状態に寄せては返す波のごとく 破壊され、
時に元へ戻る。そして働かぬ頭脳で、最後の自分を保持しようとがんばって
いる。と見えた。
この「家へ帰る」というのが ここ一週間ばかりの 母さんの心の流れで
あったようだ。店の小物や 店用でない母さんのもの(母さんの描いた絵などの)
を私のいる事務所の方へ持ってきていた。
もし20年前に、アパートに住んでいて、店は借り店であったときに、母さんの
病気が出ていたとしたら、この母さんの判断はひとつの選択肢として
妥当であっただろう。時は20年前に戻り 病気だけがそのときに発生して
いるという状況だ。
一通り聞いてから、ゆっくりと現実の状況を説明して、安心させてあげた。
−−◎齋藤さんのホームページ(=MONKICHI=私のホームページのリンク欄から
閲覧出来ます。)「介護日誌」によると、齋藤さんの地方では
「ヘルパーさんは30分約4000円なのだが、看護婦さんはその倍の約8000円
つまり1時間だと、約1万6千円ということになる。」と言っておられた。
地方によってか、状況・作業内容によってかわからないが、ヘルパーさんの
料金も違うものだなーと思った。私のところでは「見守り介護」というもので
ヘルパーさんは1時間約4200円だ。
うちでは、11月から 月曜3時間、火曜2時間 木曜3時間 金曜3時間
来てもらっている。母さんと遊んでもらっている。
病気が進行すると、こういうふうには行かないかも知れないが...。
−−◎ふみえさん と ひさこちゃんの話を今日もしていた。
−−◎今日は「ポッキーの日」
2002.11.10(日) 曇り のち 一時小雨 また曇り
−−◎8時「寒い寒い」と言いながら、岩戸公園で散歩。実は 寒いと言うほど
ではなかった。その後 喫茶 チボリへ寄った。ながやさんがいた。
手を横に細かく振って合図。
私も母さんも病気以前は 喫茶店へ行く習慣はなかった。休日に月2回ほど
言った程度。このところ週に何回も行く。母さんが朝食を食べないので、
公園へ散歩に行って 喫茶店の「モーニングサービス」を食べに行くのだ。
(もっとも夕食は2回も食べるので 朝食を食べないのはそのせいかもしれないが)
朝食を食べさせて、夜食を少なくするよう工夫しているのだ。
−−◎今日も外出志向が強かった。朝の散歩とは別に 散歩にも行き、
車でドライブも連れていった。
−−◎カーマ(生活雑貨品スーパー)で鉢植えを買ってきて店に飾り、チューリップ、
ヒヤシンス、その他聞きなれぬ花の球根を買ってきて、プランター三杯植え、
プラスチックグラスに六杯植えた。母さんも一生懸命手伝った。
−−◎このところ 朝の「恐い恐い」わ言わなくなった。
−−◎娘が このごろたまに 母さんの調子が悪くなってからの状態の夢を見る
という。それが、ふと あれは夢だったか 現実世界のことだったか、
判断に迷うことがあるという。普通だったら「そんなことはありえない」
と思うはずの現象や行動が、「そう言うことがあったかも知れない」と
おもったりして...。
2002.11.9(土)曇り
−−◎生協配送日。
−−◎暑くなく、寒くもないので、外出志向が強く「どっかへ行こ」「どっかへ行こう」と
私を誘う。苧ヶ瀬の池一周散歩に連れて行った。
−−◎夕方、「ふみえさん来なかったねー」とまた言った。
−−◎混線の程度が増してきた。平ざるに、けしごむ 鉛筆 タオル ハンドクリーム
櫛 ブローチ 洗濯ばさみ 等を 見た目にはきちんと並べて、夕方外出の時
持って乗り込んだ。本人にとって意味ある物かも知れないが、私には意味不明
2002.11.8(金) 晴れ曇り小雨
−−◎きっさ「ひらく」へ。
−−◎11時 工事屋 恒さん来る。母さんにこやかに挨拶。
−−◎午後1時30分から4時30分までヘルパーさん来る。今日は−A−さん
母さんに タオル干しやってもらう。母さん今日は外出指向強く、散歩に
二回も行ってもらった。
それでも まだ行こうとするので、母さんとヘルパーさんを乗せて
岩戸公園へ行って来た。
私の当面の目的は 「私の暇を作り出すこと」ではなく、「母さんがいかに楽しく」
だから、新しいお友達と(=ヘルパーさん)一緒に公園を散歩出来て楽しそう
だったから、私が2人を一緒に連れていったことはいっこうに差し支えない。
今日のヘルパーさんに 母さんの思っていることを知ってもらう為に、
「つぶやき」話しをプリントして渡した。
−−◎母さんの今日は 気分はよかったし、外出指向は 元気の現れと見られる。
「どっかへ行こう」とよく言う日があるように。
2002.11.7(木) 晴れ
−−◎午前は、喫茶チボリへ行き、ついでに そのあと 岩戸森林公園へ
散歩に行ってきた。
−−◎物置の工事屋さんが来て、工事にはいった。
母さん 何回も「裏でことこと音がする。見てきてよ」と言った。
−−◎今日はヘルパーさんの来る日。1時から4時まで−M−さん
タオルを干して、二階の洗濯を干して、いろいろ遊んでもらって
シャンプーをしてもらい、足を洗ってもらい、あとは 田圃方面へ
二人で散歩に行ってもらった。
ご機嫌で過ごしていた。昨日出してきた こどもの靴を−M−さんに
見せて喜んでいた。
−−◎ヘルパーさんが帰ったあと、また「散歩に行って来」と言うので
もう一度散歩に行ってきた。
−−◎母さん スーパーのトイレに入り、ロールペーパーを持ってきてしまった。
と言っても 残り5回転ほどに薄くなった物だったので、
一回使用分ほどの残があるか無しかの物だったが...。
もし 一定部分の残りがあれば「中へ戻してきてよ」と言うところだが
言わなかった。
−−◎夕方、「ふみえさん来てなかったねー」とまた言った。
「ひさこちゃんも見なかったねー」とも言った。
私「来てないよ、見なかったもの」
この二人は小学校のころよく遊んだ友だちで他に3人名前が出てくる。
2002.11.6(水)晴れ
−−◎私が、国立岐阜病院へ診察。母さんは私の付き添い。先日の胃カメラの
写真観察の結果「先日、目視で何もなかったが、フイルム観察の結果も
食道、胃、十二支腸には、検査日現在異常は認められません」とのことだった。
−−◎物置を作るに際し、一部の押入の荷を一旦部屋に出した。工事終了まで
出したままだ
小さな家に 押入は合計すると畳六枚分の面積がある。四年前までは、
何処に何が入れたあるか すべて母さんが知っていた。もちろん重い箱類などは
私が出し入れした。その場合も 中身を意識的に私が責任を持った掌握をして
いたわけではない。今母さんに聞いても 何もわからない、所有意識もないほど。
出し入れの必要に迫られたのを機会に掌握することにした。
今日 母さんも 物を何も見ない内は、関心もなく記憶もなかったが、娘の
小さいころの靴とか、おもちゃや その中に一枚だけ残されていた 落書き
などを見て、「かわいい」とか「まだ こんなちいさいとき書いたのや」
などと記憶が呼び覚まされたようだった。
それで ちいさい赤い靴をひとつだけ出して 店に置いてあげた。(そのあと
今日のうちに3回も私のところへその靴を持ってきて「○○の靴やかわいいやろ」
と見せに来た。)
−−◎午後、壊れて修復不可能なタオル干しと、母さんが前店舗で使用していて、
今後使用する見込みのない 金属パイプのついたてを粗大ゴミセンターへ
持っていった。
−−◎このごろ普通のこととなっていたので 日記には 書いていなかったが、
寝室 廊下 二階のトイレの電灯は 母さんの発病一年経過後あたりから
一晩中 付けたままにしている。それ以前は豆電球のみを付けていた。
電灯を付けたままで居るようになった当初は 深夜に起き出して散歩症候群に
なったとき、付けてそのまま朝まで付けていた。
翌日はまた豆電球でいて、母さんが「何も見えなくて恐い」というので、しだいに
明るいままの蛍光電灯を付けっぱなしにするようになった。
2002.11.5(火)雨のち晴れ
−−◎午前中、喫茶チボリへ行く、ながやさんはいた。
母さんと一緒に コクヨへ仕入れに行った。おとなしく付いてきて 特に
問題は無かった。
−−◎ヘルパーさん1時から3時まで−K−さん
母さんと一緒に タオルを干してもらって、茶碗を片づけてもらった
今朝、寒かったので母さんが 自分で 水色のセーターとカーディガンを
出して、着ていた。それを−K−さんが見つけて「若がえったね」と
言われたら 母さん 喜んでいた。
途中、私が二階に行き、事務所を覗いても 姿が見えなかったので 母さん
は不安そうな顔をして、いたが、私の顔を見たら ほっとした 様子だった。
と−K−さんが話しておられた。
シャンプーは 今日は母さんの気が進まなかったのでやってもらわなかった。
−−◎母さんは食欲の秋になってきている。夕食時、3人分のおかずを作り順次皿に
付けて行きつつ 母さんには「食べてもいいよ」という。するとご飯も食べつつ
2人分のおかずも食べてしまった。別に何か言うほどのことでもないので
そのまま過ぎた。
その後、明日の為に買い物に行き、戻ってきたら、母さんは おやつ用の肉まん、
たいやきとかを自分で出して、レンジにセットして食べていた。
そして、娘が9時過ぎ塾から帰ってきて夕食を食べにかかるとそれにご相伴して
自分でつけて食べていた。その後大きめの柿を2個食べた。(幸いと柿は自分で
むくことが出来る)
今日はお腹が空いていたようだった。
2002.11.4(月)晴れ
−−◎本屋に行き−収納・整理・整頓−に関する本を数冊買って来た。
3年前には お料理の本を買って来ていた。
−収納・整理・整頓−や料理に関しては 私にとっては 経験の少ない部分であり
それらを無意識的な修得していた、若年期の体験は、半ば
物をため込む農家的雰囲気を持っており、現在の状況に対応しきれなくなっている。
でこれら「マニュアル」は、有効に役立っている。
わからないこと、情報不足のことは 聞かなければわからない。しかし生の人間に
聞くことは、智恵提供と同時に、「指令」も伴うことになり、指令を伴うことは
私の意に添わぬ。原初的には 本が一番いいようだ。
−−◎午後苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。
−−◎今日は平穏無事だった。
2002.11.3(日)晴れのち曇り
−−◎母さんのお客さんHさんから電話がかかってきた。
「奥さんに代わってください」と
私「えーっと、..代わっても良いですが、記憶が確かでありませんから
お話のあと、もう一度 私に代わってください」と確認し、
母さんにも「終わったら代わってね」と言い受話器を渡した。
母さんは電話で、「やっているよ」「いいですよ」と話していた。
私は話している最中にも母さんにも「あとで代わってよ」と言っていた。
さらに何か話したあと、私に受話器を渡した。しかし電話は切れていた。
私は母さんに「用件は何だった?」
母さん「何か欲しいと言っていた」
私「何時 来ると言っておられた?」
母さん「知らん わからん」
私「最後に電話を代わってねと言って置いたのに、切れる状態で 私に
渡してもダメや!」
母さん「そんなこと知らんわ。でも大丈夫やわ」
何が大丈夫かわからない、もう一度こちらから電話をかけようと、お客様名簿
を探したが、いつも置いてある場所にも、二階にもその他の場所にも
見当たらなかった。NTTの番号案内にも聞いたが、その氏名では記載されて
いなかった。きっとこのかたは 母さんが散歩症候群で出歩いているとき
来られるだろう。致し方ない。善意が不都合を生じさせてしまった。
(この教訓)用件は 始めに私が聞き、母さんには お天気の挨拶のみやって
もらうことにする。
−−◎新聞に「癌はなおる」と言う記事を書いた 健康雑誌の広告が載っていた。
記事の真偽はここでは問題ではない。母さんは。何回もその広告を
「癌はなおるんやって」と言って私に見せた。
母さんには 癌については 若いころから、あるいは子どものころから、
知識や間接情報を持っており、それがなおると言うことが “事件”として
とらえられ 私のところへ知らせに来ると言うことになったと思う。
ところでアルツハイマー病 については 最近注目されるようになった
こともあって 一般に その内容は知られていない。私も母さんも発病時には
その内容を知らなかった。私はその情報をそれなりに蓄積出来たが、母さんは
蓄積出来なかった。母さんには比較する物がないので 「病気の自覚がない」
見られるかも知れないが、(本当はあるのだが...)もし これから
何年かあとの時代に アルツハイマー病の知識が普及したあと病気に
なった人がいたら、それを自覚する人は多いだろう。
2002.11.2(土) 曇りのち晴れ
−−◎生協配送日。
−−◎店のタオルを母さんと一緒に洗濯して干した。
−−◎10時、カーマ(生活雑貨品スーパー)で買い物。
灯油を買ってきて、周辺を整理しストーブの用意をした。
母さんの気分は、安定していた。
−−◎本巣へ 柿 の買い出しに行ったが、午後遅かったので 安物は販売終了で
無かったので、次回にした。
ばっちゃは寝ていたのか、耳が聞こえなかったのか、ドアが空かなかったので
戻ってきた。
−−◎今日の出来事3件
☆1,母さんが ぽつんと独り言のように「どこがどこかわからんように
なっまった・・・何もかもちゃらんぽらんになってしまって」・・「なにもかも
わからんようになってしまったねー」と言った。
私「なにが?」と聞き返したが、何も言わなかった。混線状態を自覚し
ふと口から出たような気がする。
☆2,夕食時、たまたま母さんの小学校2・3年生ころの白黒写真が
アルバムからはずして出してあった。
私が 知ってはいたが「あっ、こんなとこに かわいい子の写真がある、
だれかなー?」と言うと、母さん「私やがね、私の小さいときの写真や」と言った。
☆3,夕食は 「きのこ栗ご飯」を作った。作ったと言っても、材料は「袋物」。
栗以外の材料を混ぜ込み、栗は砕けることがあるので、最後に加えようと
したところへ 私のところへ電話がかかってきた。3分ほど話して戻ると
栗が 皿の上に数個しかない。母さんが お腹が空いていたと見えて食べて
しまった。残った栗を半分ずつに切り数を創出し形を整えた。
我が家は大天動説が支配しているので、食べてしまったことは、全く問題はない。
母さんにしてもごく自然に机の上にある物を気分に従って食べたにすぎない。
かつての まわりの状況を読みとる能力に優れた、きりりとした母さんの姿
を思い出すに付けても、天真爛漫な今の姿を見るのが悲しい。
2002.11.1(金) 小雨のち2時頃から晴れ
−−◎娘、今日も休み日、
−−◎ヘルパーさんが来る日−A−さん、1時30分から4時30分まで
母さんが−A−さんに、美容に仕事の、用具の使い方などについて
生き生きと説明していた。アルバムを見せてあげた。娘の写真のところでは
ニコニコして話していたようだ。そのほかいろいろヘルパーさんに母さんが
やってもらっていたようだ。時折、2人の笑い声が聞こえてきた。
途中3人で田圃方面へ散歩に行ってきた。電線にカラスの大群が
止まっていた。50羽から60羽ぐらいか?
今日も機嫌良く過ごした。
−−◎去年11月との違い
去年12月初めまで、週一回約1時間、みどり病院のリハビリに行っていた。
その時は母さんを 係りの人に引き合わせ、私は駐車場で待っていた。
教えてもらって お絵かき 皮細工 組みひもなど 私がいなくてもひとりで
いろいろ係りの人とやっていたが、11月終わりころにはひとりで
そこにいることが出来なくなって、私も付いていくことにしたが、それも2回
ぐらいであとは 行けなくなってしまった。1年半続けたリハビリをやめた
このころから家族=(私)が居ないと、外の 人の集まるところへ行けなく
なった。ひょっとすると、リハビリをやり始めたころからデイケアに行ったり
していると、今も抵抗無く行けていたかも知れない、
他方では 機能維持を図る為、12月までは仕事をしていたので、施設には
行けなかったが、その点で からだの動きの 機能維持ははかれていたが
「集団の中へはいって行く」事の維持では 後れを取ったかも知れない。
2002.10.31(木) 晴れ時々曇り
−−◎朝散歩に行った。稲刈りの残りはわずかのみ。
−−◎今日は 母さんの「気持ち悪い」が5回あった。実際の嘔吐などはなかった。
だいたい1〜2分で納まった。それ以外の時は、元気で楽しく過ごしていた。
−−◎9時30分から2時まで電話工事屋さんが来て、古い電話機を新しいのに
取り替えてもらった。4回線を2回線とし、経費節減を計った。但し番号は
4個分あるので お客様にとっては、見かけ上は変わらず従来とまったく同じに
利用出来る。
−−◎今日はヘルパーさんの来る日、−M−さんが来てくれた。
少しいろいろ遊んでいたが30分くらい、散歩に行った。その際、今日は娘も
休み日だったので3人で一緒に行ってもらった。
その後は、足を洗ってもらい、シヤンプーもしてもらった。
−M−さんがよくリードしてくれて終始笑顔が絶えなかった。
気温が低かったので 今季初めて 母さんの入る部屋に暖房を入れた。
、
−−◎電話機交換−旧電話機のレンタル解除−NTTの係りは浅井さん
2002.10.30(水) 晴れ
−−◎母さん 朝散歩。田圃方面へ。稲刈りは9割方終わった感じ。
−−◎物置用スペースにコンクリート打ちしたところに ネコの足跡が10個ばかり
あった。母さんに見せたら「かわいい」と言っていた。実用に支障があることも
ないし このな模様は ネコに頼んでも(無理に連れてきて歩かせても)出来る物
てはないし、デザインとしてそのままにしておこうと思う。
そういえば 駐車場の方にも こちらはおおきな人間の足跡が3つついている。
凹みのみ修正して、今も跡が残っているが、駐車場の機能に支障を来たいもの
ではない。生きた人間社会の躍動を示しているようで面白い。
−−◎10時からケアマネージャー来訪。11月の予定について 電話等で相談していた
内容について 確認の相談。11月はヘルパーさんの訪問介護を中心に進める。
別のデイケアについての話し、お風呂の件、11月の適切な時期に、
ケアマネージャーと来てもらっている数名のヘルパーさん全員と私と、
現状認識を一致させ、今後の方針を話し合う機会を持つことにした。
余談ではあるが、ケアマネージャー氏(女性)話の傍ら、母さんの方にも
注意を向け、花のこと、犬、猫のこと、旅行のこと、の他 母さんの関心を
持ちそうなことについて、ヘルパーさんがやっているように話しかけ、
1時間弱の間 私の方とも11月の予定の実務的な話しも進められた。
「事務的な話は済んだが 母さんは どっかへ行ってしまった。」てなこと
にならなくてよかった。
−−◎みどり病院の診察予約を忘れていて、電話がかかってきて、後から行った。
この一ヶ月の状況の要点を報告した。大きな変化無し
☆病院へ行く前のこと。母さんブラウスを一週間も替えていないので、
襟が黒くなっいた。私が襟をちょっとつまんで「あー」と独り言のように
言い、「ブラウス替えようか、ちょっと黒くなっているし。病院へ行くから」
と言うと、二階へ行って、かなり時間がかかったが替えた。私も手伝って
あげたが母さんが「替える」と言う意識で動いていたところが良かった。
時間がかかって替えたけれども不機嫌にはならなかった。
いつもは 私が替えてあげているときは、かなり無理に進めるので
1時間ぐらい不機嫌になることがあったが...。
−−◎午後 固形ゴミ(壊れた炊飯器、不要の植木鉢、その他)を市の処理場へ
母さんと一緒に運んでいった。
−−◎夕方 私が歯科へいった。母さんは「付き添い」。
−−◎デイケアについて
私の時間の確保や、利用時間あたりの利用料金などで
デイケアがいいが、母さんの病気の今日現在の状況には沿わない。事などを言った。
発病後2年目あたりまでの独立して行動出来る心境のときだったならば、行けた
かも知れないが、まわりに知った人がいないと、不安になると言う状況から
不安解消の為 本人から見ればあたかも専属であるように見える人が一人ついて
いる事が必要になる。または ある程度 強制力を持って(鍵をかけるなどして)
施設に居させることになる。前者は現状で施設にそれを望むのは過去2例からして
無理、後者は私がそう言うことをさせたくないのでダメ。
2002.10.29(火) 晴れ
−−◎朝、散歩。起きがけから母さんの意識はしっかりしていたし笑顔もあった。
−−◎喫茶チボリへ行った。
−−◎戻ってから、外のプランター周辺を二人で整理した。花や葉の残っている物は
草を取り、枯れてしまった物はかたづけた。
母さんは ゴミを掃いたり してよく動いてくれた。
−−◎ヘルパーさんが来る日、1時から3時まで、
−−◎連絡ノートの 通信より
------------
-------急に寒くなりましたが お元気の様子です。笑顔で迎えてくださいました。
今日は30分ほど散歩をしてきました。寒い 寒い と言われましたが
元気に歩かれました。
途中 ドングリを拾ったり、花を見たりと楽しく過ごせました。
落ち着いて見えました。----------
-------------
−−◎この日記に 時々 筆者自身のことも登場する。母さんの病気のことは、
今後の診断の参考の為であるし、私のことは
“個人的介護者”がどういう心境になるか、
どういう状況に立たされるか、把握する為である。病院や“社会的介護者”に
相談や状況報告するのに役立つ。
病人も個人的介護者も個別的であり、(つまり 母さんも私も おかれた
個別的な状況の中での個別的な選択行動であり)
一般化するには、濾過が必要である。
☆○○個人的介護者、社会的介護者、保護者
個人的介護者とは患者の親族、または過去の私的雇用人、ごく親しい知人、隣人
によって、個人の意志によって介護行動をする者。直接介護者、親族介護者、
私的介護者、労働報酬はないが、謝礼 程度の報酬は存する場合がある。
○○社会的介護者とは、介護に関わる一定の有資格者が、施設内で、あるいは
組織を通じて、患者宅に派遣されるなどして、介護業務を行い、それに対して
役務報酬が支払われるような 介護業務のこと。
この場合 介護保険制度を 活用する しないは 社会的介護者の定義には
関わりない。現に 支給限度額を超える部分については、患者または保護者と
社会的介護者の自由契約によって行われている。
また 施設、制度から漏れている有資格者との個人契約もあり得るし、
有資格者でなくても 患者のまたは保護者との合意があれば一定の報酬を得て
介護業務をおこない得る。これらも社会的介護者とみなされる。
○○保護者とは患者を保護する人である。後見人が保護者と重なるが、
後見人制度を利用していない人には保護者がいないと言うわけではない。
未成年に対する保護者と同等の役割を果たす。
また個人的介護者と重なる部分はあるが、意味や役割は別個の物である。
患者の生活について、重要な責任を持つ人のことである。
2002.10.28(月) 晴れ
−−◎朝、田圃方面へ散歩
−−◎物置工事開始、母さんそのあたりに近寄り、見物する。
−−◎終日母さんの『散歩 症候群』症状強し。
黙って出て行きはしないが、「ちょっと外を見てくる」と言って出て行き
1・2分で戻ってきて、しきりに「どっかへ行こう」と私を誘う。
母さんの、望んでいることは、意思表示の出来る間にやってあげようと
今日も、公園への散歩と、「ドライブ」に連れていったやった。
−−◎汗の止まる季節(私のこと)
私の季節は 「汗の季節」と「無汗の季節」の2季に分かれる。
「汗の季節」は5月から10月中頃まで、「無汗の季節」はその後4月まで。
「汗の季節」には、一日中 汗をかいている。じっとしているときでも
軽い湿り気を帯びている。ほんの軽い力仕事をしても ランニングシャツを
絞るほど汗が出た。クーラーのない若いころ−30歳以前−は
そうでなくてもまれに日に3回ほどシャツを替えることがあった。
汗が出ることは傍目で見るほど苦痛なことではない。むしろ老廃物が
出てしまうのか気分は快調である。だんだん涼しくなってくる10月半ば
涼しくなることは人並みに快適でありながら、「汗の止まる季節」の不快な
数日と重なっている。肩こりがしたり 頭がすっきりせず、食欲が減る。
しかし汗が止まったことに慣れてくると、気分も回復する。
寒くなっても その場の環境と動作によって汗は出るときもあるが気分への
影響はない。
2002.10.27(日) 晴れ
−−◎7時起床、このごろは「恐い恐い」と言わなくなった。
10分ぐらいすると、気分 表情は 最近の平均的な“普通状態”になった。
昨日のように、無表情、弱反応ではなかった。他の症状と同じように
波のように襲ってくることだろうが、本日は引いていた。
−−◎祭りひろばへ行ってきた。
−−◎母さんの興味を引きつけた出し物は、『猿回し』『グループサウンズ』の演奏
『美濃にわか(=美濃弁による 漫才のようなもの)』だった。母さん『猿回し』
を見つつ、周囲の観客の中でもひときわ大きく笑いこけていた。『美濃にわか』に
美濃弁=岐阜弁が舞台の上で大きく繰り広げられて 母さん、終始笑っていた。
『グループサウンズ』の演奏では、母さん、手拍子、体拍子で聞いていた。
私は 自分では 青年時代『グループサウンズ』系の音楽には食わず嫌いで
興味を持っていなかったが、いま心を無にして目前で聞いてみると、
引きつけるものがある。母さんが これが好きだったとは聞いたことがなかったが
今日の表情から見て、相当、好きだったらしい。
CD板でも買ってきてかけてやろうかな。
旧知の人に何人か会った。
夕食のときに「今日 猿を見たか?」と聞いたら「見た見た 猿が逆立ちをしていた」
と言っていた。
−−◎午後9時、外気温12℃。室温17℃。昨日あたりから、急に涼しくなった
ようだ。数日前に 母さん用に 床用こたつ(あんか)を出してきて脇に
置いておいてあげたら、自分で入れていた。
ひとさめ(一雨)ごとに寒くなる、このごろだ。
2002.10.26(土) 曇りのち雨
−−◎7時20分起床、洗濯物を洗濯機にセットし階下へ。
行動開始に当たって5分くらい、ウォーミングアップ。母さんに話しかけたが、
じっとしていて返事も昨日のようではない。散歩にでも行ったらいいかと思い
散歩に誘う。返事は明確でないが、私が出ると付いてきた。田圃方面を一周してきた
戻ってきて家へ入らず、入り口付近で出たりはいったりしていた。
かまわず食事の準備にかかった。ドア閉めた音がしたので、少しして出ていくと
50メールほど先を歩いていた。
今日はそんなに遠くへ行く雰囲気はない(一般予測)が、なにせ実際には
何処に行こうとしているのか(具体予測)はわからない。遠くへ行っても
かまわないのだが、その場合、母さんが迷ってしまうことがある。(実例あり)
迷うと母さんは不安な心境になるし、こちらも探すのが大変だから、付いて行った。
100メートルくらい行ったところで、私の姿を見つけゆっくり戻ってきた。
また 入り口付近で出たりはいったりしていた。
味噌汁などの準備を進めていた。ドア閉めて出ていった音がしたのが、少し放って
おいて出てみると田圃方面へ100メートルほどを歩いていた。
今朝の場合は、目標があって行こうとするのでもなく、家を忌避して出よう
としているのでもなく、退屈しているか 歩くエネルギーが満ちているから
のようだ。いっそもう一度 「“散歩”に廻ろう」と追いついて北の方まで
歩いていった。
800メートルまっすぐ行ってから「そういえば今日は生協の来る日だよ」と言い
戻ってきた。その時亀山さんにあったが 母さんの挨拶は笑顔を伴っておらず
口の中で もそもそ言っているだけだった
家へはいると 煙もうもうで みそ汁がこげていた。
急に腹が立ってきた。でも腹が立ったことについては何も言わなかった。
話しかけに 答えるようになったのが9時20分くらい。
生協の配分荷の周辺でうろうろするが いつもの覇気はない。
10時生協の配分終了。
髭を剃ろうとするが、うろうろしているので、シャボンを付けたまま外出
おそれもあって取りかかれなかった。仕事の方も机に(コンピュータ含む)
向かうが取りかかれず。私のイライラが外に出て、母さんも不機嫌になった。
こうしていても仕方がないと思い、11時20分 車で岩戸森林公園へ行き
散歩をした。やはり「どっかへ行き」たかったのだろう。公園では周辺の光景
についてしゃべりながら、普通の気分で歩いていて戻ってきた。
「昼ご飯にしよう 用意するから」と言うのに まだまだ「どっかへ行こ」の
雰囲気だった。もう一度車に乗せ15分くらい南東方面 本屋のある方を
廻ってきた。途中 幸い(?)と雨が降り出した。
なにが 幸いかというと 母さん 雨降りと 日没後は 超興奮状態でない限り
外出しないから。
母さんが冗談を聞き 自分で言葉を添えて笑うようになったのは昼食の用意を
している12ヶ30分ころだった。
分析1 無反応=7時20分から9時20分までは無反応または弱反応
頭脳およびからだの 朝の行動準備時間の長時間化
9時20分から12時20分まで反応はするが感情が
こもっていない状態。しかし歩行中や 車の中では
母さんにとって 珍しい物を見つけると、私に知らせた
2 『散歩 症候群−Walking Syndrome-』
「どっか行こ」の散歩 症候群が現れたのは まだ弱反応状況にある
8時頃 私が誘った朝の散歩から戻ってきたあたりから
雨の降り出した12時30分まで続いた。
この時私は
朝は ちょっと反応が鈍いなと思いつつ、私が誘って散歩に連れて行った。
そのあと2回、歩いていった。その2回目は、私も付いていった。
煙もうもうで みそ汁がこげていた。私が鍋をかけ ドアの音がして
見に行ったついでに「外出」してしまったせいなのだが、急に腹が立ってきた。
「出たりはいったりしないで、いろいろ済むまで待っておってよ」と
怒鳴りたいところだったが怒鳴らなかった。「出よう出よう」とする
気持ちを持っているとき、落ち着いて優しく言ったとしても、母さんは
意味を実践的に理解出来ない。別のときに体験済みである。
言葉を内にどじ込めたまま、不機嫌に母さんに対応しているので、
母さんも、黙りこくったまま、ドアを開けてでたり、駐車場周辺を
うろうろして、またはいってきたりしていた。
そんな姿を見ているとよけいにイライラしてきた。母さんもそれを見て
おそらく 健康なころなら「もういいよ!」というような気持ちになって
いただろう。そんな気持ちが 1日中とか複数日に渡って続いても
いかんだろうと思って公園散歩と車で街一周に連れていってようやく
母さんの機嫌がなおった。
頭脳およびからだの 朝の行動準備時間の長時間化
話しかけに対する反応が弱く、目はよその方を向いていることがある。(こちらを
見ているときもある) いつもは10分か15分すると、反応するようになる
のに今日は2時間以上、弱反応の時間があった。
病状の進行を示している。他の症状と同様に、明日も同じように現れるとは
限らないだろう。波のように、現れては消え、現れては消えするうちに、次第に
現れたままになっていくことだろう。
☆『散歩 症候群−Walking Syndrome-ウォーキングシンドローム』=アルツハイマー病の
患者がする外出行動のことで次のような状況がある。
1、自分の役目を果たそうとして目的地へ行こうとする
役目には 給与を得る労働としての仕事、家事仕事、こどもの世話、連絡など
2、現在いる場所が、寂しくあるいは不安になり、家族 父 母 こども
の居るところへ行こうとする。実家へ帰る、夫の居る会社へ行くなど
3、映画、音楽、演劇、遊園地、パチンコ屋、喫茶店など目指して出る。
4、現在いる場所が忌避すべき事態にあり、その場所から避難しようとする
5、ただ何となく、たいくつで 外に出てみようと思う。
※これらの行動も 行き先への通り道 帰り道を忘れず、目的地に着き
帰ってくれば ほとんど問題は起きない。アルツハイマー病でない人が
これら行動をして居るとき誰もこの行動を問題としない。
帰れない状態が、本人に対する危険度が増し、本人の不安感がます。
まわりは、探す為に苦労をする。
しかし この行動の原初指向は病的でも異常でもない。道を忘れてしまったこと
目的の適 不適の判断、危険回避判断の不足が病気の結果である。
2002.10.25(金)晴れ
−−◎やしろさんというかたが「カットして欲しい」と昨日電話があって
9時に来られた。万一に備えて、としこさんにも電話してきてもらった。
事なきをえた。おかしなものだと思う。何も出来なくなってきているのに
カットだけは ちょっと動作がスローになったとは言え、曲がりなりにも、
進めていったと言うことが不思議だ。でも パーマや毛染めはお断りしている。
−−◎喫茶チボリへ行った。先日 日曜に 安田さん会ったことを確かめたら
母さん 憶えていた。
☆「気持ち悪い」と言っていて、外に出てから草っぱらで 嘔吐した。
「気持ち悪い」と言っていたことは今までに何度かあったが 実際に
嘔吐したのは この4年の中で今回が初めて。
家へ帰って、昼食も食べたがその後は何ともなく おやつも
夕食も食べた。そのあとは気持ち悪くならなかった。
チボリから帰ったあと 「今日 やしろさんが来たね」と聞くと
「カットしに来たよ」と答えた。
−−◎昼食前、田圃方面散歩。外気温26℃、開け放していたので屋内も26℃
この季節にしては暑い。朝19℃だったので、温度差が大きい。
散歩のあと、母さんが「暑い暑い」と言うので店のクーラーを入れてあげた。
−−◎今日もヘルパーさんの来る日、1時30分から3時30分まで、−A−さん。
調子は悪くなかったが、事務所の方へのぞくことしきり。
でも、−A−さんに 母さんの父親が早くに亡くなった話とか、
娘の小さいころの話とかしていた。
気分を変えるため、3人で、田圃方面へ散歩に行った。いつもは 危険場面
(信号や道路を横切るとき)で私が手をつないでいたが、今日は−A−さんと
手をつないで歩いていた。
−−◎連絡ノートの 通信より
------------
-------御主人さまが見えなくなると、御主人さまを探しておられるという
様子でした。今回で2回目ですので私だけだと不安のようです。
3時前から御主人さまと3人で散歩に出かけました。手をつながして
いただいても、いやな様子をされませんでしたので、少し
うれしかったです。すこしおつかれに...----------
-------------
−−◎夕方買い物に、買い物のときは、目当てのものに近づき、「どれがいい?」
となるべく母さんに選んでもらうようにしている。それと母さんが
「これを買う」といった物は とんでもないものでない限り買うことにしている。
今日は ぶどうを買わされた。
−−◎物置工事の為、電気屋さんが台所のクーラーをはずしに来てくれた。
物置工事の電気の下請けは 私も旧知の 伴電気商会だった。
2002.10.24(木)晴れ
−−◎6時半に起床、すぐに田圃方面へ散歩。稲刈りは8割かた進められた模様。
−−◎午前中に本巣の ばっちゃのとこへ行った。10分くらい居て「帰る」と
言うので戻ってきた。帰り道、農協で柿の「安売り」を買ってきた。
−−◎ヘルパーさんの来る日。1時から4時まで、今日は−S−さん。
途中、よく私の方に来るので、気分の切り替えにと 3人で散歩に行った。
でも 終わりがけ1時間ほどは、母さんの気分不安定だった。
−−◎連絡ノートの 通信より
------------
-------今日は落ち着いて頂けないご様子でした。靖子さんの気分が優れ
なかったのか?私の対応が悪かったのか?(以下略)----------
-------------
2002.10.23(水)晴れ
−−◎今日は母さんの誕生日58歳になった。
夕方ケーキを買ってきて“誕生パーティ”さすがに丸いケーキは買わなかった。
もし「ろうそくは何本立てましょう?」と聞かれたとき
「58本」なんて言えないよ。
娘の買ってきたプレゼントは 子犬が砂の上を歩いている写真のカード。
カードの 絵詞は
「ちっぽけでいい 地球にちゃんと 足跡を のこしたいなぁ」だった。
もうひとつは1センチほどの 紙の切り抜きが出来るパンチセットで
いるか うさぎ 四つ葉 の模様を押し抜くことが出来る。
図柄を作るのに 穴の空いた方を使用しても良いし、小片の方を並べて
貼ってもいい。
もう一つは、極小ままごとセット、母さん「かわいい」と言って喜んでいた。
子犬のカードも気に入っていた。
明日はヘルパーさんの来る日だからパンチセットで模様を作って遊んで
もらおうと思う。
−−◎私の 年金申請続きの為、母さんと2人で社会保険事務所へ行った。
10人ほど順番待ちの人がいた。2人がご婦人で1人が年配の人、
残りが私と同年の人らしい。40歳代で自営業に転じ、「停年」を
自身のものとして感じなかったので 若いつもりでいたが、
「私も結構年喰ったのだなー」と感じた。
−−◎母さんのこの1ヶ月の状態は、物覚えが悪いことと、
作業能力が落ちた(皿洗いは水道の水を表面に流すだけ。
洗濯干しのスピードか落ちた。またはそばで見ているだけ。
なかなか着替えをしない。)ことはあるが、
食べること、排便、歩くこと、会話に応じる事、新聞を読んで1分ないし2分
は内容を憶えていること、絵を描くこと、よその人に挨拶すること、
などが出来る。なんとか生活出来る水準である。
基本的には気分も安定している状態で過ごしている。
2002.10.22(火)晴れ
−−◎朝、田圃方面へ散歩、一番遠回りを一周して戻ってくる。稲刈りは
半分ぐらいまで進められた模様。刈り取られた田に 落ち穂目当てに
常連の鳩 すずめ カラスの他 白鷺や私が名を知らぬ鳥が集まっている。
−−◎今日は1時から3時までヘルパーの−K−さんが来られた。
話していたら 偶然に本巣の母さんと同じ町の出身だと言うことであった。
もうすぐ終わりかけのころ −K−さんが冗談を言ったら、母さんが
人差し指で−K−さんの鼻をチョンチョンとつついていた。
これは 母さんがその人を警戒しに無くなるとこういう行動を取ることがある
病気になる前から同じだ。
−−◎連絡ノートの 通信より
------------
-------昨日、髪を切ってこられたようです。きりっと若々しくなられました。
今日はよく救急車の通る日で時々外を見ながら「よく通るね」などと
話していました。途中 竹内さんが見え、とてもうれしそうにして
みえました。先日書かれた葉っぱの絵を見ながら、スケッチしたり
いつもよりご主人のところへ行かれる回数も多かったのですが
おだやかに過ごされました。----------
-------------
※竹内さん=別の日に来られるヘルパーさん
−−◎その後 私の方の配達に付いて行き、帰りに買い物をして帰って来た。
−−◎アルツハイマー病の情報がが世間に現れたのは20年前くらいのこと。
私の場合、母さんの「物忘れ」に気付いたころ、予備知識、予備見聞もなく
なにがなにやらさっぱりわからず混迷を極めた。
一年経って、アルツハイマー病と診断され 本を買い集めて、「研究」した。
パソコンを商売にしながら インターネットでそれを見たことはなかった。
インターネットで見たのは2年経ってからのことだ。
ホームページを作ったのは2年8ヶ月経ってからのこと。
インターネットではホームページ出されている10人以上の方の体験記事や
病院等専門の方の記事を拝読しさまざまな手がかりを得た。
先ざきの状態もイメージとして想起し、現在もヒントを得ている。
そして逆に こちらがそう言う形で見られているかなー と思いつつ
母さんの状況について記録している。
ときに意味不明の行動も メモ的に残している。
2002.10.21(月)雨 午後曇り3時から晴れ
−−◎私が国立岐阜病院で 胃カメラ検査、「目視ではとくに異常は認められず、
フイルムを観察して、の結果は次回お話しします。」とのことだった。
朝出かけて帰宅したのは午後2時だった。
その間、としこさんに来てもらって、伴をしてもらっていた。とくに不安状況
は無し。
としこさんにカットして、シャンプーしてもらった。
−−◎遅めの食事をしてから、苧ヶ瀬の池へ散歩。今日も「こんなに広くては
とても 一周は出来ないよ、足が痛くなってしまうし、それこそ『死んでまうわ』
ハハハッ」などと言いながら、一周廻ってきた。
廻ってきてから、芝生も濡れていたので 車の中で おやつとお茶にし、いろいろ
しゃべるのを聞いていた。
話は小学校のころの話しをして、中学から卒業するころの話になった。
「お父ちゃん死んでまったもんね、英語ペラペラやったんやよ」
「『お金かかるし』というと先生が『そんなことはあとの話や』と言うし」
「いろいろ考えていたんやけど」
「いろいろ整えたけど」
とかいろいろ言った。
何のことかわからぬ断片的な話だったが、当時今の美容院の仕事とは別のことを
考えていて、お父さんがいなかったから、上の学校へも行けず、それはできなかった。
と言うことを言っていたのだ。
私は、母さんの 発病直前までの状況は、張りに満ちた人生を送ってきた、
と理解しているので 適宜に相づちを打ったりして聞いていた。
なかみは「過去のこと」としてとらえているので、母さんのこのことについての
「時制の認識」は間違っていない。
−−◎ ○○井さんという人にサークルKで会った
「ああ、田口さんですね」
私「そうですが、どこかでお会いしましたかね」
「娘は看護婦で病院にいます」
お互いに 急いでいたので それだけの会話だった。何処で会ったか思い出さない。
−−◎センター試験の模試の中に「現代国語」と言うのがある。過日 娘が
「やってみい」と言う。試しにやってみた。20分か25分くらいだった
ただレクリェーション的に、やったのだが、私の気持ちの動きが浮き彫りにされた。
休日で、雑用に対する雑念は排除されている。
3人一緒の部屋でくつろいでいるときにも、他の2人の動きに気を使っているか、
わかった。4・5分すると母さんがうろうろする。「どうしたの?」と聞く、
また 4・5分すると母さんがお茶を持ってくる(昔はなかったことで
それで普通のことしていたが)。そのうちに 母さんか ドアを開けて外の
様子を見ていたりしている。
この時の自分を観察して、5分以内で出来る作業(洗濯干し、小単位に
分割出来る台所仕事)なら簡単に取りかかり 簡単に終了出来るが、
30分、1時間とかかる仕事は、私自身の気分の盛り上げと
作業の持続に強い意志を盛り上げないと簡単に出来ないことがわかった。
簡単ではないけど必要な仕事は情勢に押されて完了はしているが...。
それで目先に差し迫った作業が その日暮らし的に優先して処理され
のばしのばしになっている事項も発生する。
そんなことを考えながら、
「もし、『現代国語』だけの大学があれば 俺でも合格出来るな」(笑)
2002.10.20(日)曇りのち4時頃から雨
−−◎娘、久しぶりに日曜が休み、午前中 3人で喫茶チボリへ行った。
3人で来て母さんは楽しそうだった。
そこで 母さんの休業間際までお客さんに来てくれた安田さん(82歳)
という人にあった。私たちが帰ろうとして席を立ったとき、安田さんらは
はいってきて席に着かれた。料金を払って外へ出ると追いかけてきて、
母さんに話しかけていた。母さんはそれなりに受け答えをしていた。
20分や30分くらいは話していても母さんのためにはいいかなと
思ったが安田さんにも 連れがいたので待たせてはわるいとおもい
話を打ち切って帰ってきた。
−−◎午後は 娘の運転で 大垣方面へドライブ。1時30分から5時まで。
安全確保を第一に、助言。他の車の前動作から次にどう動くかの予測。
他の車がマナーに反していても「こんちくしょう」などと口走らないこと。
とくにその時急いでいたのかも知れない。など言った。
−−◎3人一緒にいて、世界は母さんを中心に廻っていた(=これを大天動説という)
ので 母さんは楽しかった。
−−◎母さんのたいていの そら言は 実害がない。ちょっと困ったことがあった。
花の絵を一枚10日ほど前に描いた。昨日、ちょっとその絵に塗り加えていた。
今日「この絵と同じ絵どこ行った?」と聞いた。
この3年の間には 同じ絵を2枚書いたことは何回かある。でも今日のは
塗り加えていただけだから1枚しかない。
2002.10.19(土)曇り
−−◎8時、田圃方面へ散歩、一回りして戻ってくると、我が家の南側3.6m道路
リックを背負い西方面へ向かう一団あり。電柱にある表示を見たら
−−JR東海主催 中山道開宿400周年記念事業 姫街道400年祭
「さわやかウォーキング」JR那加駅→JR岐阜駅−−とあった。
直線距離は7Kmだが小道も含めて道路を歩けば10Kmから12Kmか
中山道を 姫街道というのは 幕末のころ 和宮が十四代将軍 徳川家茂の
もとに嫁いだとき 通過したことで、近年付けられた名前で普通は中山道と
言っている。大垣(芭蕉の奥の細道の納めの地)から坂祝あたりまでは
“山”ではなく平野部を通っている。
その道が我が家の南側を通っている。関連する200mばかりについて言うと
推測するに 当時は田圃で寺と1・2軒の家が面していただけだろう。
そして道は人家近くなると鍵方に(直角に)屈折していた。
明治以後、時期は不明だが、中山道を機軸に直線またはなだらかなカーブ
の中山道が造られた。その「中山道」は50mほど南を東西に走っている。
かなり前のことだったから、そちらにも家か建ち並び、こちらの元の道にも
家が建ってきた。我が家の東側は朝晩は交通渋滞が起こる市道になっている。
「さわやかウォーキング」のことは 参加者募集などで 地元新聞には
報道されていたと思うが、私がそれを知ったのは、今朝散歩中だった。
朝から、始まって、最後の一団が通過したのは11時30分頃で、参加者は
目測1000名を越えていたようだ。時々案内表示が貼ってあるのに
市道を北へ行ってしまいそうになる人もいて「こっちですよ」と
声を掛けてあげたりした。「ここが中山道ですか」と聞く人もいた。
参加する為に「名古屋を7時に出てきた」という人もいた。
☆母さんは どうも「祭り好き」の傾向があるようだ。その後外へ出ては
うきうきして、私に「行こう行こう」と誘う。二人して途中まで付いて行った。
戻ってきて、ぶらぶら見物していたら 母さん「さあ行くよ」ともう一度
「さわやかウォーキング」の人たちと一緒に行こうとする。「今日は土曜日だ
つきあうか」と付いて行った。また帰ってきて もう一度つまり三回行った。
車ではなく 足で歩いたのだから、母さんの気の向くままにつきあった。
でも 朝の散歩を加えると午前中に 早足でみっちりと正味二時間以上歩いた
ことになるが、その時は疲れた様子を見せなかった。
夕方買い物から帰ってきて「今日はなんか疲れた」イスに掛けて居眠りを
したりした。
−−◎夕食前、母さん 普通のトーンで「なにかわからない」と言った。
私「何がわからないの」と聞くと 再度「なにかわからない」と言う。
私「何が なにかわからへんの」と聞いた。すると食卓の上を指して
「ここらへんのものがなにかわからない」と言った。おやつの残りや
これから盛りつけようとする皿やペン立てや 洗い残していた皿など
我が家にとっては普通の光景。意味はわからないがメモ的に記しておく。
−−◎あじさいの返り咲き。
鉢植えのあじさいがある。初夏から夏にかけて咲いていた。今朝見たら
一つの枝に 部分の花弁(集合してあじさいの花となっているがその一分子)
が それぞれ独立して6個ほど小さく薄紫に咲いていた。
一度涼しくなってこのところまた暑いからかなー。
−−◎このところ(本日も)繰り返し「ふみえさん来ていた?」「ひさこちゃんは?」
と言う話が 母さんの話しに出てくる。
2002.10.18(金) 晴れ
−−◎娘に お小言を言ったら 娘はおたおた。それほど強く言ったわけではない
見ていた母さん、娘が学校へ行ってしまってから、小言のなかみは
わかっていないのに、娘の批判をするように見せかけて、「怒ってはあかん」
と言う意味のことを言った。昼ごろまで何回も何回も「どこへ行った?」とか
「部屋におらへん」と私に聞いた。「学校へ行っているよ」と答えた
まるで 家出をしてしまったかのような心配をしていた。
−−◎今日はヘルパーさんの来る日。今日は−A−さん。
実は3回目だけれども、一人で来られたのは初めて...。
母さんは 絵を書いたり、アルバムを見せてあげたり、今までに描いていた
絵を見せてあげたりしていた。
−−◎連絡ノートの 通信より
------------
-------一人で初めて訪問させていただきました。初めて見た顔だったので
不安だったようで、ご主人様の方に何度も行かれました。
なれていただけたらありがいことと思います。
足浴をすすめてみましたが、「今日はいい」とおっしゃいましたので、
ご本人の希望のようにさせていただきました。----------
-------------
−−◎夕方は苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。
−−◎母さん 気分は平穏
2002.10.17(木)晴れ
−−◎工事屋さんが来て、物置を作る場所にあった据え置き型の物置を中の荷物を
二階へ運び、分解して、取り去ってくれた。明日から工事にかかる。
−−◎午後1時から4時までヘルパーさんが来てくれた。−S−さん。
前半は絵を描いたりして快調に進んでいた。
今日は3時間の日だったので 私が途中で昼寝をした。昼寝をしていたら
母さんが私に絵を見せに来たのに 私がいないと思ったらしく、
外へ探しに行った。(そのときは私は寝ていた。下へ下りてくると、二人とも
いないので散歩に行ったのかと思った。
まもなく母さんだけ戻ってきた。ちょっとずれてヘルパーさんが戻って来られた。
この「ずれ」で状況を察知した。母さんにおやつとお茶をあげて、ヘルパーさん
休憩をして待っていてもらった。母さんが台所で食べている間に状況を聞きいた。
母さんが別の出口から(我が家の出口は4ヶ所ある)出ていってしまったので
離れてついていっもらったら、国道の方へ行ってしまい。赤信号なのに渡ろうと
した。走って追いついて止めようとしたら、母さんが興奮状態になった。
と言うことだった。
外へ出てからの動きが思い通りにならなかったことを怒って
戻ったあとヘルパーさんに
「興奮なんかしてないよ、なに言ってるの」とか ぶつぶつ言っていた。
その後おやつを食べさせた。「10分か20分すればなおりますから」と言い
待ってもらったあと、おやつを食べ終わった母さんを連れて行き、ぬいぐるみ
などを使って遊んでいたら、ヘルパーさんとの会話は復活出来た。
時間切れで終わってしまうと来週のことが心配だったが、今日は時間があり
「ぶつぶつ言っていた。」反感も解消し 回復したので良かった。
”デイケア事件”以来 ここ2ヶ月半程は おだやかに過ごしていたのに
珍しいことだ。理由は推測出来る。
−−◎連絡ノートの 通信より
------------
-------今日は前半は絵を書いたりパズルをしたりして過ごさせて頂きました。
絵も上手に集中して書かれました。絵を見て頂きたくてもっていかれ
ましたが...。
私の方が取り乱してしまってもう分けありませんでした。次回はこのようなこと
がないように気を付けます。(略)今日はとても絵を熱心に書かれましたので
ほめて(あげて)下さると大変うれしく思います。
本日はありがと