日記Ynas0206
2002年4月から6月の日記です。(新しい日付が上段 古い日付は下段)
2002.6.30(日) 曇り
◎昨日 夕食後、近くの娘の友達が 娘にパソコンを習いに来た。(私の商売とは無関係)
娘の友達はいまのところ女の子ばかり。
○幼稚園以来知り合いで今勤めているA子、−−−1
○幼稚園以来知り合いで今予備校N子、−−−−−1
○小学校以来知り合いの今大学生のP子−−−−−1
○小学校以来知り合いの今大学生のM子、−−−−1
○小学校以来知り合いの今大学生のY子、−−−−1
○高校以来知り合いの今大学生のCH、−−−−−1
○高校以来知り合いの今大学生のI子、−−−−−1
○高校以来知り合いの今大学生のT子、−−−−−1
○高校以来知り合いの今大学生のM子、−−−−−1
○高校以来知り合いの今大学生のCK、−−−−−1
○予備校での知り合い(N子除く)−−−−−−−2
友達とは今年1月以後
1,我が家へ遊びに来た、相手の家へ遊びに行った。
2,一緒に街へ外出、映画、食事、ショッピング、行事見学
3,学校で、弁当をいっしょにに喰うグループ
4,これが一番肝心なことだが、娘が自然状態で、気づいたら低いトーンの声で
話すような相手であること。
以上4つのうち、4,は必須条件で1〜3のいずれかの条件に該当する人の
ことである。
そのほかに、小・中・高それぞれの時に1〜4の状況にあり、途中で逢えば
立ち話するだろう人は 30人くらいいる
◎今日は8時45分から散歩に行った。
いつものように白鷺がいた。蛙も鳴いていた。
◎母さん「今日は雨が降るわ」とか「おおみやくんに乗せたいってもらえば良かった」
と心境のわからぬ人には 解らぬ話をしていた。
雨が降ってくると行けないので本巣へ帰れない。大宮くんの店の人は昨日来たのに
今朝来たと思っていて、本巣へ乗せていってもらえば良かった。と言う意味だ。
11時30分に出発して本巣の ばっちゃのとこへ行った。初心者マークの娘に
運転させて、今日は市街地を通る練習だ。他のくるま、特に前方を行く車が
次にどう動こうとしているのかの予測や、信号のないところで対向車が
右折しようとしている時の処理、(渋滞気味の時ほどこちらが停止して通して
あげた方が全体にスムースな通行になる)とか教えた。
途中のコンビニで弁当やおやつを買って、ばっちゃのとこで、みんなで昼めしにした。
2時間ほど遊んできた。
4時に帰ってきたが、母さん行ったことをぜんぜん憶えていなくて、
外に こぬか雨が降っていたので「こんな雨では帰られーへん」と言っていた。
「今日はもう行ってきたから、また後日だよ」と言うと
「なんにも聞いていないからそんなこと言われてもわからん」と言う。
「聞くとか、聞いていないということではなくて、母さんと俺と○子と行って
来たのや。母さん忘れているかも知れないけれど」
「私は頭悪いで、何にもわからへん。ごめんなさい」
「頭悪い、のやない、病気でそうなっているのからしかたないことや。別にあやまる
ことなんか ぜんぜんないのや」
◎私「今日は何処へ行ったかなー」
母さん 「どこへも行かへん」
母さん 「黒ねじおこしをバローで買ってきた。はちみつ入りやと
はちみつがはいっておれば、おいしいよ」
2002.6.29(土) 曇り 夕方雨
◎今朝も「うなり有り」
◎散歩は暑くならないうちに、と起きて少ししてから、7時ころ朝飯前に出かけた。
すでに何組かの人が農作業しておられた。いつものように白鷺がいた。
「ここに二羽いる」「向こう側は四羽いる」歩いて先に進むと別の田に「三羽」。
田に水が張られるようになると、鳩、スズメ、カラス、に代わって白鷺が来る。
◎母さん ちょっと前から自転車の処理について、心配している。
昨日も 一昨日も「自転車どうしようかな」と言う。
その意味は ”うちへ帰る”について、自分の所有物である「自転車を置いて
いけない。 乗って持っていくにも遠すぎる。車に載せて持って行けないかなー
誰か買ってくれる人はいないかなー」と言う意味だ。
私が その枠にはいって話さなければ、話は進まない。
私「そうだ 自転車に乗って持っていくことは遠すぎて出来ない。
車には載せられるけど ばっちゃの家の土間は狭いから自転車は はいらないよ。
ばっちゃの自転車も外に置いてあるよ。雨が当たって少し錆び掛けているよ。
売るったって、千円か二千円くらいにしかならないよ」
と こんな会話で、しめくくられる。
自転車の心配は”うちへ帰る”という 思考がが現れた時に出てくる。
この前は和服のタンスのことを心配していた。
自転車は時々、駄菓子屋さんへ、おやつや週刊誌を買いに行くとき使ったり
としこさんのとこへ行く時、たまに乗ったりしているから、身近に感じるのだろう。
私「母さんはここの家の ぬしなんだから どこにも行かなくていいんだよ、」
というと「ふふふっ」と笑って納得する。
◎午後娘の初心者マークの練習のため100kmほどドライブ、峠越えの細い山道もあり、
「山道を通れなくては、”免許有り”とは言えないよ」と坂道とカーブの連続や
細い山道での対向車とのすれ違いの体感を”訓練”した。
◎夕方スーパーへ買い物に行った。
◎私「今日は何処へ行ったかなー」
「どこへも行かへん」
母さん「としこさんが 頭洗ってやるわと言うもんで、あらってもらった。」
母さん「今朝、ハイビスカスが咲いていた。」
2002.6.28(金) 晴れ
◎少しの間涼しかったがまた今日から暑くなった。
◎私の動きにもその日によって波がある、私が昨晩は 放っておくと風邪に
なりそうな 気分だったので9時半に寝て、何事も”事件”が無かったため、
6時10分まで寝ていた。母さんの うなり声では目を覚まさなかった。
娘を学校へ送りだし、片付け、軽く掃除、洗濯干しを 母さんと いっしょにやり、
10時30分。朝の部終了。
意識していなかったが 振り返ると 昨晩よく寝たため、頭も体もすっきりし、
私の行動がトントントンと進んだ。
◎そのあとは喫茶「ひらく」へ行った。
◎母さん ”若返り”
”こども返り”ではもう少し年齢が上という気がするので”若返り”にして置く。
電気屋の 大宮くんが 「昼から洗濯機を持っていく」と電話があった。
その時「今日はわしは行けんけど、若いもんが 2人行くから...」と言った。
そのことを母さんに言うと、母さんニコニコ笑って
「おー、おーっ、若いもんか」と。”えらそうに”とは言わなかったがそう言う
含みはある。
大宮くんが 初めて来たのは20歳前後、それから20数年40歳代半ば、
「若いもんが行く」と言っても、不思議でない、年齢と役職になっている。
病気以前は、そんなことは無意識的に 認知していたのに、いまは 大宮くんが
20歳前後のころに 母さんが”若返って”いる。
◎母さん「ここから本巣へ行くのにどのくらい有るかな。」とぽつんと言った。
私「16キロメートル。歩いていくと4時間から6時間かかる」
◎私「今日は何処へ行ったかなー」
「どこへも行かへん」
私「喫茶店とか行かなかったか」
母さん「ああ 岐東の」
私「岐東高校か」
母さん「ちがう岐東家具や、岐東家具の斜め前にある喫茶店。面白いお兄ちゃんのいるとこや」
私「窓際になにか白い花があったな」
母さん「あれは 胡蝶蘭やて、枝だが大きくいっぱい咲いとってきれいやった」
母さん「あれだけ咲いていると相当高いよ」
私「この前イトーヨーカドーで見たけど、確か高かったね」
−−−私がわざと間違えて 岐東高校か と言ったら すぐに 岐東家具や と訂正した。
◎母さん「昼過ぎ 大宮くんとお友達が来て、洗濯機持ってきた」
母さん「下が 汚かったもんで、拭いたよ」
−−−実は大宮くんは 今日は来なかったがそう思いこんでいる。
別の人が来て お友達 というのは もう一人の若い店員さんのこと−−−
2002.6.27(木) 小雨 のち 曇り
◎行動に駆り立てる仕組み
○行動主体の存在=(行動しうる人間の存在)
○状況認識の受け皿を持つ
○一次想起。何々したい、何々すべきだと言う願望、または義務感
○結果のイメージ
○経験に基づき計画を立てる
○行動に移すよう頭脳が命令。
人が感情的変化をしたり 行動したりする時、脳の中で物質が出て
脳に方向性を持った働きをするよう 働きかけるという。
※ 私が 今日は 時間もあるので 母さんをボーリングに連れて行ってやろうと
朝思った。でもどうしようかと迷う部分もあった。特に迷う理由があったわけでない。
ただ 「よし!と思って立ち上がら」なかっただけである。
ボーリング場は11時に開店する。順次、台所のかたずけも済んだ。
洗濯を干してしまえば行くことが出来た。でも立ち上がれなかった。
風景写真集 「花のある風景」のページをくって、細かい説明書きを読んでいた。
途中でケアマネージャーから「連絡帳を持っていくから」と電話があり25分後に
来られ、少し話をして帰られた。内心「出ていって居なくて良かったのだ」と自分
に言い聞かせたりしていた。 かれこれするうちに昼になってしまった。
とにかく昼食は食べなくてはと用意して食べ終わってかたづけて、1時だった。
でもまだ私は出かけようとしなかった。
そのうちに 母さんが何もしないでぶらぶらしていると、行動機能が低下してしまう
何かやっていなければと言う、切迫感に駆られて ボーリング場へ出かけた。
出かけてしまうとなんと言うことはなかった。母さんは結構楽しんでゲームを
やっていたし、私も楽しんでやったし身体の運動になった。
で 出かける前は 私の頭の中に 抑圧物質が出ていたに違いない。
本日の母さんのボーリンクの点は142点だった。
◎午前中に1回だけ「頭が痛い」と言った。このごろ頭痛は無かったのに..。
◎ 私「今日は何かあったかなー」
母さん「知らん」
私がボーリンクのポーズをすると、
母さん「ACグランドやがね このでかいボールを投げる、ボーリングや」
と両手でボールの大きさを示した。
母さん「始め壊れ掛けていたのでパスして止めてやりなおしたのや、
あんな壊れ掛けたのでは」
母さん「たまにはやらなあかんて、集中(仕事)ばっかりしとってはあかんで」
−−−−始め 点数集計をする 表に名前が記入されていなかった。
ボールを投げても名前も点数も表示されなかった。今日はかなり
細かいところを憶えていた−−−−
2002.6.26(水) 小雨 降ったり やんだり 曇りだったり
◎朝9時、母さん岐阜県立病院へ診察。
◎帰りに喫茶「チボリ」へ。ながやさん健在。母さん手を振って挨拶。
◎11時、ケアマネージャーに来てもらって、7月の介護計画書作成、
母さんがケアマネージャーに逢うのは3回目、訪問予定時刻は決まっていたが、
母さんの気分が沈んでいたので、ちょっと散歩に行った。
ケアマネージャーが来られる方向に沿って歩いていった。5分ほど歩くと予想通り
先の方から車が来て横に停まった。
「こんにちわ」
母さん「こんにちわ」
私「すぐ戻りますから、すみませんが 行って待っていてください」
「なら 乗ってくださいよ」と言われ、2人一緒に乗せてもらって家に戻った。
母さんは 始めそばにいたが、奥に はいってそのまま出てこなかった。
◎昼から郵便局等外出。
◎ 私「今日は何かあったかなー」
母さん「知らん」
私「病院の帰りに何か食べてきたか」
母さん「ながやさんのいるチボリや、手を振っていたよ」
私「池に何かいたか?」
母さん「ちょっと黒っぽいので、でかいのがおったよ」(鯉のこと)
私「主やな」
母さん「うん ぬしや」
◎母さんの今日の気分は まあまあ安定。
2002.6.25(火) 小雨 降ったり やんだり
◎午前中、母さんぶらぶら。
◎20年間使用していた 洗濯機が 壊れてしまった。購入することにした、
知り合いの電器屋さんに 前回も修理してもらったが、
今回は「もう部品がないので修理できません」 とのこと。
午前中、エアーコンディショナーの点検、テレビアンテナの点検、をしてもらった。
洗濯機は次回持ってきてもらう。
◎午後1時から3時まで 障害者訓練センターへ行った。
皮細工で コースター作りの続き。色つけを続けた。
母さんは 先生や 他の出席者の冗談話に良く反応し、笑っていた。
1時間ほど経過したところで 休憩し 軽い体操をした。
足を曲げたりのばしたり、腰を折って前屈みになったりのばしたり
両手をくんで、頭の上まであげて、腹まで降ろしたり、程度の動き。
私は離れたところで見ていた。だんだん体が動かなくなっていくといけないので
こうこう運動を毎日やることは大切だなーと思いながら...。
両手をあげる運動で 母さん 肩が痛かったらしい。動作は自分でやって
いるので、痛ければ無理に動かさないから、ひどく痛くはないのだが。
「何処が痛いの」と質問されて、「こんへん」と言っていたのが肘のあたりだった。
いつも痛いのは肘ではないから、適切に表現できないのだと思った。
立ってやるより楽だからと マットに仰向けになり、両手をくんで腹から
頭の上の方へ動かす運動をした。
「ちょっいたい」と言って先に進まなかった。「おほんおほん」咳をし始めた
「何処が痛い」と聞かれたが答えられなかった。そして黙り込んでしまった様子だった。
「田口さん」「田口さん」と何度も呼びかけられたが、返事をしなかった。
起きあがってマットの縁に腰掛けた。ゆっくり立って私の居る出口の方へ歩いてきた。
先生は どうしたものかなー という表情だったので 私「大丈夫です」と言って
母さんをトイレに連れて行った。トイレから出てくると、すっかり気分は治っていた。
ここの先生も大変だ。身体障害の人が主で アルツハイマーの人は数えるくらいしか居ない
その各レベルの状況を詳しくつかんでいるわけではない。
トイレから戻り、元の机に行き、2枚めのコースターを作りかけた。
猫や猿の動物マークを刻印し楽しそうだった。3時になって最後に血圧を測り
本日は終了した。
家へ帰ってきて、お茶を飲み休憩した。相当動いてきたはずなのに 今日は
平気な顔をしていた。ここ数日のように「疲れた 疲れた」とは言わなかった。
涼しくなるまでの数日、気温が高く暑さのせいで「疲れた」と言ったのかも知れない
◎休憩していて「本巣へ連れて行って」と言った。
「今日は歯医者へ行かにゃならんであかんわ」と言うと納得していた。
昼食に少ししか食べていなかった様子なので 私が「お腹空いたね 小昼作ろうか」
と言うと 遠慮しがちに「いいわ 家で食べるで」と言う。家とは本巣のこと。
でひやむぎと ししゃも焼き ささかま 高菜漬け さくらんぼを用意して
いっしょに食べた。
心の中心、の位置が 家から外へ通勤していた時期に戻っているとは言え、
気持ちの表現は異常とも問題とも見受けられない。
◎夕方 私が歯科へ。またいつもの冗談を言って、母さんを「付き添い」として連れていった。
◎ 私「今日は何かあったかなー」と作りかけで持ち帰ったコースター見せながら聞いた。
母さん「これ私が色ぬったのや」
2枚目のを見ながら言った。
母さん「猿に猫にコアラや、サッカーボールやろ」
母さん「木のカナヅチみたいなやつでポンポンとたたいて」
私「どこで作ったの」
母さん「保健所や」
−−−訓練センターは保健所と同じ建物の中にある−−−−
−−−意識ある状態を長持ちさせるには、家でうろうろしているよりは
人に接し、自分の手を動かして何か作りだす、こう言うところへ
行った方がよほどいい。−−−−
2002.6.24(月) 曇り 数日前と較べると涼しく過ごしやすかった。
◎昨日の夕方は 秋空のように 鱗雲があった。
◎朝起きがけ「こわい こわい」と言うので
「うんうん 俺は ここにいるよ」と言ってやると
母さんは「うんうん」と返事をしていた。
◎朝食前に 田圃方面へ散歩。
◎このごろ、何もしていないのに「疲れた。眠たい」と言う。
「二階へ行って休むか」と進めると「昼間寝ると夜寝られんで、寝ない」と言う。
5時過ぎると気温が下がるせいもあってか、元気になり、表情も明るくなる。
別の尺度から観察すると
病気1年目から2年に掛けてのころは、朝元気が無く、
9時、10時 ころから元気になった。
1年置いて病気3年目から現在に掛けてのころ、午前中元気がなく昼から
元気になった。このごろ夕方近くまで元気が無く夕方ら元気になっている
(この時間は平均しての話でピシッとそうなっているというのではない)
◎午前中、出張1件。
◎3時過ぎ、苧ヶ瀬の池へ散歩
◎夕刻、カラフルタウンへ、DVDを買いに行った。ついでに母さんの好きな
「美空ひばり」のCDと、NHKの今月の「みんなの童謡」は「夏は来ぬ」で母さん
かけていたら 気に入って聞いていた。で安田祥子・由紀さおりの唱歌集を買ってきた
2002.6.23(日) 薄曇りのち晴れ
◎朝、田圃方面へ散歩に行った。
足取りはゆっくりしているが快調、足が痛い様子も見せない。
◎娘、高校のころの友達(今は教育学部音楽科の学生)と絵画の展覧会を見に行った。
◎午後、個人会員K氏宅へ、サポートに出向く、簡単なことだが、行って
説明した方が速くてわかりやすい。(前回のように電話で1時間
も話しているよりも...(^o^))
◎母さん ここ一週間ばかり、静かに座っていることが多い、話しかけると
すぐ返事をし 「わかる」「わからない」あるいは他の対応する言葉を
を言うので、ふさぎ込んでいるようではないようだが、病は進行しているように
見受けられる
それに発病以前から 夏に弱かった。毎年「夏よりも冬の方がいい」と言っていた。
4年前と較べると10s程太ったため よけいに暑いのがこたえるらしい。
散歩から帰った時は、仕方ないとしても、車に乗って行って帰った時も
「あーっ疲れた」と言ってイスに掛けてしまう。暑さのための疲れなのか
病気特有の疲れなのかわからない、
というのも 2年ほど前、病院のリハビリをしていた時、「療法士」の人が
母さんがお絵かきをした後で「疲れたでしょう」としきりに言っておられたが
当時は絵を描いたくらいでは 疲れておらず その言葉を気にも掛けていなかったが
病気の進行で疲れやすいと言うことがあるのかも知れない。
◎ 私「今日は何かあったかなー」
母さん「知らん」
私「田圃で鳥を見かけなかったかなー」
母さん「しらさぎみたいな鳥が空に 飛んでおったよ、大きな鳥が」
◎母さんの今日の気分は まあまあ安定。
◎私の家の中のこまごました整理や準備の仕事はいっこうに進まなかった。
2002.6.22(土) 晴れ
◎生協配達日。
◎母さんの病気の進行は 家の中の行動から出現し始める。
◎私の脇に掛けていてポツリと言った。
母さん「もうだめだ、いろいろ出来なくなった。自分でわかるもの」と。
私「出来ることをいっぱいやろう」
◎昨年12月で母さんが店を休業し何もしなくなった。
以来6ヶ月たった。初めのうちはなんとか自分で動いていた。そのうち私が
たまに「疲れた眠たい」と言うと「昼寝しやー」と言うので、ちょっと昼寝して
いると10分もたたないうちに、そばにきてなにかぶづふつ言って不機嫌に怒る
ようになった。
また母さんが自分で出来ないことをいろいろ私に頼むようになった。
春先の季候の良いころは、予定外散歩=徘徊もひんぱんにあった。
私に気持ちが寄り添っている時には、注目して、しゃべったり、ゲーム的なこと
をやらなければならないし、私に寄り添っていない時は、じっと座り込んで10分
も20分も動かなかったり、徘徊したりで注意していなければならない。
どちらにしても注意を向けていなければならない。
そうしているうちに私も、ひまはあるのに思考が中断されて、すべてに渡って
やることが何も出来ないか、または 中途半端になるようになってきた。
母さんに家でやってやろうとする 趣味的なこと、旅行や、スポーツとまでは
いかなくても楽しく体を動かすことなどについて、私が頭に描くイメージと
計画なしには出来ないが イメージを構想することさえ出来なくなってきた。
下着などの準備も自分で出来ないのに「さわらないで」などと言う。
いない時に準備してやるより他はない。
私の仕事は何とかこなしているが、半減している。
迷路の森にはいってしまっては、全体が崩壊する事になる。
M病院のケア施設は 送り迎えも含めて8時半から3時半まで 通所することになる
ので 週何回か、通う事に決めた。
◎午後から初心者マークの娘の車の練習を兼ねて、美濃市方面へ行ってきた。
娘の運転は 毎日少しずつやっているので、それなりに上達している。法定速度で
走ると、後ろに車の列が出来る。時折、バス停のくぼみ(バス停のところが広く
なっている)で後続車を先に行ってもらって進んだ。
母さんは、娘の運転の車に乗ることに 免許取り立て一週間ほどは、心配げな表情を
見せていたが このところその表情はなくなった。娘の運転慣れと母さんの雰囲気慣れ
の双方が接近したためだろうと思う。
母さんは いつも私と乗っている時のように 外に見える看板を読んだり、
他県ナンバーの車や 珍しい物を見かけると私に教えてくれたりした。
◎ 私「今日は何かあったかなー」
母さん「知らん」
私「洗髪したか?」
母さん「したよ、としこさんが洗ってやろか と言うもんで シャンプーしたよ」
母さん「生協が来ていた」
母さん「男の人が1人か2人か来ていたよ」
−−−男の人というのは一昨日(20日)昭和コンピュータの横家氏が来たこと−−−
◎母さんの今日の気分は まあまあ安定。
2002.6.21(金) 晴れ
◎朝起きがけ「たすけてー、たすけてー」と言っていた。
「うんうん 俺は ここにいるよ」と言ってやった。いつもと同じ。
◎朝は同時に起きるが、下へ来て 何も出来ないで イスにじっと座っていたり、
店や台所へ行ったり来たりしている事が多くなった。
朝は洗濯や朝食の用意に私も忙しく、適当な仕事を与えることが出来ないので
よけいにうろうろするようになった。
◎私が気になる行動や動き
○ティッシュやロールペーパーの備蓄
○車の中の物を くずかご ティッシュ ボールペン などを何でも
降ろしてしまい元へ戻さない
○台所用ラップを使用後 全部ロールに巻き込んでしまう。母さん自分でも
次に使う時に 出すために苦労している
○使った物の置き場所を忘れてしまって、あちこちに置くので、見当たらない
ことが多い
○車から降りた時 ゴミを事務所前に置いてある 空きプランターに入れる。
見かけも良くないし、燃えやすい物を置くことは 防火にも良くない。
ゴミ箱ではない
○ダイレクトメールなど ゴミ箱に捨てると 拾い出して取っておく。
○事務所で一緒にいる時て、電卓 ダイレクトメールの入った大きい封筒、うちわ
ライター、外出時に必要と置いてあるネクタイなど その時必要でないし
「取ってくれ」とも言っていないのに私の前に出す。
◎ ケア施設を併設するM病院へ 通所ケアをするについて、診察が必要だったが
前回火曜日に出来なかった。それで本日3時半から行った。
普通に見ればたいした問題ではないのに大ごとだった。
心電図を測るにつき、パンストをはいていると足に端子が貼れないが 前回
パンストを脱がなかったので測定できなかった。それで 向こうに行ってから
脱がなくてもいいよう 前もって家から脱いでいくことにした。作業開始1時半。
それと 用意してあるのに 何故か下着を替えようとしないので、1ヶ月くらい
替えていない。二階まで連れていって行って、「自分でやる」と言うので
下へ来て待っていた。かなりしてから降りてきた。「ああ、脱いできたか?」と
そのままだった。もう一度二階へ連れていって、足の素肌を出さなければならない
ことを説明した。「どうしてそんなめんどくさいことしんならんの」と言う。
私「パンストを脱ぐだけだから別に面倒ではないと思うけど」
私「下にいるから 脱いできてね」と言い 降りてきた。
しばらくして降りてきたのを見ると 今度も脱いでいなかった。
私「わからないらしいね」と言い、やむを得ないので 端子が貼れるよう
鋏で切断し まくりあげようと 左足のパンストをつまみ上げて ぐるりと
切断した。そしたらなんと その中にもう一枚パンストをはいていた。
「これでは2足分 切らなくてはいかんね」と私。
母さん 「だってもう一つはけと言ったやない」
たわごとは無視して もう一度二階へ連れて行き そばにいて強く脱ぐように言った。
機嫌悪そうに脱いだ。見ると足指の間が、黒く汚れていた。
私「シャワーで足だけ洗ってこようか」
母さん「濡れタオルでふくわ」と
今日の主要課題は、ケア施設の診察に連れていくことだから、別の問題で頓挫
してはいかんと、濡れタオルを取ってあげて、「拭いたら降りてきてね」と言い
下で待っていた。今度降りてきた時は、素肌のままだった。
外に出て予約時間まで45分ほど有ったので金華山のドライブ道路、の涼しい
所を一周してきて、母さんの気分を落ち着かせた。
心電図も、採血も、出来たが採血が痛かったらしく、そのあとは私以外には
しゃべろうとせず、「長谷川式テスト」をやろうとされたようだったが
出来なかった。私「普段は このくらいの会話は出来ますが、今の検査のことを
頭の中で反芻し外側に注意がむかないのだと思います」と説明してあげた。
残余の分は次回とし、7月から週一回通うことにして、帰ってきた。
◎帰ってきて休憩していると「本巣へ行く」と言ったので、今日は母さんが
いろいろ気を使って疲れたし、私もがんがん言ったし と思って、すぐ
連れていってやった。
今日も「行くと ばっちゃびっくりするやろな」とか「怒るわきっと」などと
言っていた。「来たか はいれ はいれってニコニコ笑って言うわ。怒るなんて事は
絶対にないよ」と言ってやった。向こうに着いたが車から なかなか降りようと
しなかった。少しして この前の時のように ばっちゃがニコニコしてのぞいた。
母さんそれを見て降りてはいっていった。おやつを食べたり、テレビを見たりして
30分過ごし、きゅうりを2本もらって帰ってきた。
2回目「本巣へ帰る」とは言わなかった。
◎私「今日は何処へ行ったかなー」
「どこへも行かへん、ここに座っておったがね」
ケア施設へ行ったことも、本巣へ行ったことも、乳酸飲料のあたりカードがあって
何回も楽しんだことも、ヒントをしゃべっても何も憶えていなかった。
2002.6.20(木) 朝から一日中雨
◎ゴミの日、
◎午前中は、そわそわしていたので喫茶店へ行って来た。
◎戻ると すぐに 昭和コンピュータの横家社長氏来訪。母さんも良く知っている
何も言わなかったが 母さんお茶を出してくれた。新規の分を手が回らないので、
依頼した。
外へ出なくても、やれる仕事について、いろいろアドバイスを得た。
◎障害者訓練センターへ2時から行った。
皮細工で コースターを作った。木槌で刻印をたたいて付けていった。
色塗りをしたが、ちょうど1時間ほどしたら、疲れて先へ進まなかった。
顔は疲れているように見えない。家へ帰ってから「次回行った時に続きを塗ろうか」
と言うと 喜んで「うん」と言っていたので 飽きたと言うのも 違う。
3時で全体が終わる時間なので「この続きは次回にしようね」と言われて、
筆などを洗って終わった。初回としてはちょうど良い時間だった。
◎今日の夕方は「帰る 帰る」とは言わなかった。
◎ケア施設の方の診察は、明日体制を取って行くことに連絡した。
◎ 私「今日は何かあったかなー」
母さん「知らん」
私「何か作らなかったかな」
母さん「コースター作ったよ」
私「この模様は?」
母さん「スタンプで 押したのや」
私「この色は」
母さん「色は筆で塗ったのや」
−−−ほんとうはスタンプではなかった−−−
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
静岡県のSK様 お便り有難うございました。(2002.6.18)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2002.6.19(水) 晴れ
◎朝起きがけ「たすけてー、たすけてー」と言っていた。
「うんうん 俺は ここにいるよ」と言ってやった。
◎ビンカンの日。
◎本日 日差し強。からっとした天気で、日陰は涼しかった。
午前中は 母さんの気分良し
◎私が 国立岐阜病院へ診察に行った。母さんは付き添いで行った。変化無し。
10時の予約、かなり混み混みだった。
9時48分に診察券出すイスに座ろうとしたら 呼ばれて検査伝票を渡される。
レントゲン、採血、喀痰採集が終わり診察室の前で待つ。
9時59分、呼ばれて診察室へ。1時2分診察終了。
会計の前で待つこと15分、10時17分に呼ばれて、支払い。
10時19分、薬をもらって、全部終了。
在病院時間31分
◎帰り道 喫茶「チボリ」へ寄る。今日はコーヒーにした。ウインナーコーヒーだった。
いつもは レモンティー だが。
ながやさん健在。母さん 手を振って 厨房の方に向かって挨拶。
コーヒーが母さんの思考に何か影響するかわからないが...。
◎昼食後、衣料品店の「イトーヨーカドー」と「赤のれん」へ行った。
母さんの下着類を買うためだ。上2種、下2種の 4点で一式となる。
ブラを除いて、四式分とストッキングと短ソックスを買い入れた。
現存する中に、これ以上の枚数はある。かつては日常衣服は、母さん自分用の
小タンスに きちんと整理されて入れていた。今でも小タンスの引き出しを開けると
きちんとたたんで入れてあり、乱雑にはなっていない。入れる箇所が統一されず
五段の小タンスに夏用、冬用と混じっていたり、”里帰りセット”の袋の中に
分散して入れてあったりして、さっとその時着用する一式が容易に取り
出せなくなっている。母さんが風呂に毎日はいらなくても良いが、下着だけは
替えてもらおうと、「シャツや下着替えておいでよ」と言うと二階へ行って
そのまま戻ってくる。一式の下着を取り出そうとして探しているうちに 何を
しに来たか忘れてしまうようだ。それで小タンスの中の並びを整理して降りて
きてしまうようだ。
私が出してあげようとすると、「私のさわらないでよ」と怒ってしまう。他のことは
何を手伝ってあげても、素直にそのままに手伝わせている。服のボタン付けなどは
わざわざ針箱を持ってきて「ボタンつけてよ」と言うことさえある。
それで新しいのを用意して 私の方の小タンスに入れておくことにした。
必要に時にいつでも出してあげれるように。
◎そしてその後、下着の着替えをしたもらった。一度言った時は、渡した着替え用を
袋に入れてしまったので、「替え方がわからないなら 一緒にやってやるから」
といったり、「体が臭くなるから替えなくてはダメだよ」健康時でも言わなかった
ほど命令的に言った。母さん「そんなもの自分でやれるよ」と言って二階で替えてきた
私「洗濯するから、来ていたのを出してよ」
母さん「いいよ 本巣へ行ってから洗うから」
私「本巣まで持って行かなくても、ここで洗やーょ」と言った。
洗って干した物は二点のみだった。後は何処へ行ってしまったのか。
替えなかったのかまたは 汚れたままのを袋に入れて持っているのか。
本人が 替えたことにしているので 今日の所は一応決着と見なして、
それ以上は言わなかった。
◎夕方近く「本巣へ行く」と言いだしたので、昨日約束したこともあったし
連れていってあげた。
家を出る前に、「行くと 怒るかも知れない」と言いだした。
「行っても ゴチャゴチャ言わないで黙っていてね」と言った。
私「いつも 穏やかなもんもんやがね」というと
母さん「この間みたいに10人くらい連れてきてわーわー言ったりして、
忘れてしまったの」と言った。−−(まったく架空のこと)−−
母さんから「忘れてしまったの」と言われては世も終わりだ。
10年くらい前までは、たまに ばあさんが、どうでもいいことを、娘の夫つまり私に
まで言うので、激しく言い争ったことはあった。
仮に私が専制君主的であったり 暴力的であったり、生活の乱れで家族が維持できない
ような場合だったら、干渉されても仕方がないが、2人がそれぞれの家に育って存する
生活感覚の違いはその後の生活の積み重ねの中で融合されていく物であり、
外部からの力で統一される物ではない。重大な支障が起こっているのでなければ
親・兄弟と言えども、干渉すべきでないと言う 家族の独立の問題であった。
もう一つは「縁起かつぎ」と「先祖のたたり」のことを言っていたので言い争い
があった。
別に 科学的立場と言うほどの大それた物ではなく ばあさんが日夜お参りしている
仏さんの 西本願寺本部が一般檀家に出している「心得」のようなものに書いてある
「縁起かつぎ」は社会的弊害をもたらし「たたり」などというものはありえないと
いう程度のものである。そういうことで言い争ったことがあった。
10年くらい前からはそういうことは 言わなくなったので おだやかな ものである。
母さんの心がその時の状況に引き戻されているのかも知れなかった。
ばっちやの家に着いて、今日はドアも開いていたし、ばっちゃも中で動いていたのに
ちょっとのぞいて、私に「シーッ」と言う素振りを見せ「帰ろう」と言いもどって
車に乗り込んだ。「でもせっかく来たんだから、声だけでも掛けて行かなくては」
と言ってる間に ばっちゃが窓から顔を出して おいでおいで をしたので
母さんは降りていった。一緒に家の中に入り30分ほど遊んできた。
今日は、みかんを食べたのと、タマネギをもらってきてので、帰り道は そのことを
時折 話題に出して、いま行ってきたことを印象づけていたら、もう一度「帰る」
とは言わなかった。
今日は 昼過ぎからは 緊張した態度だった。
コーヒーのせいか、無理に「下着を替えよ」と言ったせいか、どちらかわからない。
そしてまたわからないのは、この緊張が 現象的には、不都合が生じるが、病気が
悪化したとも言えない点にある。
◎緊急の課題は週に1回でも2回でも、ケアに行ってくれるよう手配することだ。
母さんの衣服の整理や、お遊びの題目の準備をしてあげることが出来る。
◎
2002.6.18(火) 朝方雨 曇りのち晴れ
◎ケアマネージャーの紹介により、ケア施設を併設するM病院へ行った。診察を
してからと言うことで 診察開始時刻の午後2時より5分前に着いた。
受付の女性の方に、来院にいたる経過と目的を簡潔に伝えた。受付嬢はやおら
目薬を出して自分の目にさした。大きなあくびをされた。
そして「保険証を出してください」と言われたので私が「どちらの保険証ですか」
と聞くと「両方です」と答えられた。
「すぐやられますか、どうしますか」
「適切妥当時間まで待ちます」
「そこのイスのところでお待ち下さい」
少しして 少しして別の看護婦の人が、「心電図を取りますから来て下さい」と
母さんは 本日は気分沈下気味で、なかなか立とうとしなかったが、
2・3分かかって、検査室まで連れて行った。
上体部分だけ衣服を脱がせにかかったが 検査端子を足にも貼ることがわかって
私がストップを掛けた。パンストをはいているので、それを脱がなくてはならないが
幾日も替えていない下着が丸見えになってしまう。(上体の方は一昨日替えていた)
汚れがもし見えると恥ずかしいと言う気持ちが母さんにあるので、脱がないだろう。
事前にわかっていれば、今朝無理にでも替えておいたものを。
私「結論的に言うと今は脱げないと言うことです。今日は心電図を中止して下さい」
と言うと「ああいいですよ」と中止した。
少しして、「では採血をしますから」と一旦は言われたが、
「あーまた今度おいでの時 一緒でいいですわ」と診察に関する処理は終了した。
そのあと 男性職員の案内で 2回のケア室を見学させてもらった。
ケア室には 老人 10人が1区画のテーブルを囲み、それが3区画あり、
約30人全体でゲームをしていた。指導員は3人+1人だった。
今日のゲームはしりとりと、「やわらかいものなーに」「豆腐」「耳たぶ」
というゲームだった。母さんも様子を見ていて 場慣れし 和んできて時折笑っていた
私は案内してくれている職員の人に、内容などについて聞いた。
家へ来てくれたケアマネージャーもみえて、いろいろ話した。
ゲームが終了して、お茶の時間になり、別の机で3人がお茶をいただきながら
しゃべった。母さん 昨日はケアマネージャーの人としゃべらなかったが、今日は
ニコニコしてしゃべっていた。
もう一度診察日を設定して、来院することにした。
引け際先程の 受付嬢にその旨伝えると 受付嬢は「診察は 良くお考えになって
ここでリハビリすると お決めになってから お出でください。診察代も出費に
なりますから」
診察とは 何と何をするのか聞いておけば簡単に済んだ物を 看護婦の人には
わかった下着の事情が 伝わらず 資金の事情と見えたらしい。
なにもやらないうちに、そこの内容が 良いか 悪いか 判定出来る程度
までにはわからない。1ヶ月行ってみてから判定しても 遅くはない。
介護保険に「計画書」がなぜあるのか「わからん」、病気は予測の立てにくい
流動的な物なのに、
体験によると、10名から数十名の企業に置いて、
社長の 対顧客意識または対取引先意識を 下級職員が 無意識的に感性的に
一番よく表現 している。社長を含め中間以上の幹部職員は、それを顕わにしない。
◎夕方「本巣へ行く」と言うので連れていってやった。ばっちゃは ちょっと
出かけていた、聞こえなかったか鍵が開かなかった。少し待ったが「帰る」
と言うので戻ってきた。途中で「本巣へ行く」と言ったが、「今日はもう行かない」
と家へ戻った。「本巣へ行く」と言うので今行ってきた状況を説明したが、
全然記憶にないらしく、納得しなかった。
それで「忘れたかも知れないが今行ってきたことは本当だ。今日はもう行けないから
明日また行こう」と言って、納得した。
◎私「昨日、物置の前に 何かおったかー」
母さん「知らん」
私「猫がおったやろ」
母さん「ちいちゃこい(小さい)かわいい 黒とグレーのがおった」
◎母さんの気分 不安定。
2002.6.17(月) 曇り 湿度高し
◎朝ゴミを出そうと思ったら、我が家のゴミ一時保管のボックスの前で となりの猫が
授乳をしていた。白の親猫、白、黒、灰色のしまのあるこねこの3匹。
まだ時間か有ったので、授乳が終わるまで待つことにして、母さんを呼んできて
見せてあげた。「かわいい」を繰り返していた。世話が大変だから家では猫を飼えない。
2・30分たってから 娘が「居なくなったよ」と言いに来たので ようやく
ゴミを出した。
◎9時から10時まで 岩戸森林公園へ散歩に行った。バラの花の区画に
赤、ピンク、白のバラが咲いていた。中まで進むとリスが太い幹を途中まで
降りてきて、停まっていた。じっと見ていると、また上へ登っていき他の木へ
移っていった。
◎先日こちらから訪問したケアマネージャーが来てくれた。10時。
母さん「知らない人だと言って」奥に引っ込んだまま出てこなかった。
計画書を作るための準備行動の予定を立てた。デイケアを予定する病院を訪ねたり、
家へ来てもらう予定の、療法士、介護士、の人と”相性”が合うかどうかで
予備面談をしたり などなどの予定を....。
◎夕方 私が歯科へ。何本かの歯を 順次治療しに行っている。
そのたびに言う 冗談めいた説明は「今日は俺が歯科へ行くから、母さんは付き添いや
それで 先生に『先生痛いことして ダメよ』って言うんやよ。」と言う。続けて
私がお相撲さんのような声で「すると先生は言うよ『歯医者さんはいつも痛いですよ』って」
母さんが「ハハハッ」と笑って出かけることになる。本当は ごとう歯医者さんは
少しも痛いことはしないけど。
◎ 私「今日は何かあったかなー」
母さん「知らん、わからん」
私「岩戸公園で何か見なかったかー」
母さん「何も見なかったよ」
私「ほら、小さいこんな動物で」
母さん「あー、イタチかいたよ いたよ たたたっと走ってすばしこいから
捕まえられないよ。速いのなんのって。フフフッおもしかったよ、あの走って
行くところがほおもしろいのやて」
私「それから何か見なかったかな」
母さん「何も....」
私「花が咲いておったやろー」
母さん「あーバラの花か。 すごいきれいな色出ておったね。真っ赤な色やった。
この色の赤よりもっと赤かったよ」とUCC缶コーヒーの 赤色部分を示して
言っていた。
−−−−いたちと言っていたのは本当はリス。
山の頂上の”リス村”から飛び出して野生化したリス。−−−−
◎今日は 私がそばで相手をしていないと 母さんの気持ちが落ち着かない日だった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
北海道の後藤様 お便り有難うございました。(2002.6.16)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
奥様、どうかお大切に。病気は百人百通りの筈なのに、教科書通り進むことも
確かなようです。平安な日々が続きますように、祈りあげます。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2002.6.16(日) 薄曇り 湿気多し
昨夕、夕食後、母さんが新聞を見ていて娘に言った。「サッカー 日本勝ったよ」
娘「うん 勝ったよ 試合はまだあるよ」
私は 少し離れたところから見ていてほっとした。
母さんの発病から2年目くらいまでは たまにしゃべると口げんかになったりしていた。
利害対立があるわけでもないし、母さんが”教育的”に あれこれ言うわけ
でもなかったのに。
母さんは「どういう風に言ったらいいかわからん」と言い
娘は「何を言ったらいいかわからん」と言っていた。
それで私が間に通訳に入り口げんかになるのを防いでいた。
このごろようやく一歩 おいた おしゃべりが出来るようになった。
◎朝 起きがけの「こわいこわい」は言った。
◎「としこさんがどこかへ出かけていった 」と言って怒っていた。別に怒る
ことは何もないのだが....。幼いころのイメージに帰っているらしい
◎本日気分 沈みがち。「本巣へ帰る」と言ったが 行かなかった。
◎9時ごろから 田圃方面へ散歩に行った。
◎午後3人でプラネタリウムへ行って「夏の星空」を見てきた。
◎夜9時頃、「頭の後ろの方が痛い」と言っていたが、5分ぐらいで治った。
後 時折聞いたが、もう痛くなかった。「頭が痛い」と訴えたのは このごろ
珍しい。
◎娘本人を目の前にして「遅くなるから ちびさんを迎えに行かなくては..」
と言う。
「ここにいるから」というと納得した。
2002.6.15(土)
◎朝 田圃方面を散歩。今日当たりで周辺の田植えは完了か。
田の中にグレーのおおきな鶴のように形の鳥がいた。鶴とくらべると 口はしが
太く短いが、鳥の名は知らない。
近づくと飛び上がって、少し離れた田におりた。翼の両端の長さは1メートルを
超えていた。その後、それよりは小さめでカラスよりは大きい白い鳥が別の田に
いた。たぶん鷺(さぎ)と思われる。
◎生協の配送日。母さん洗髪してもらった。
◎午後から娘の運転で山あいの方へドライブに行った。(自分で運転していた方が
よほど楽で疲れない(^o^))。白川〜金山方面。
昨晩の大雨で車窓から 見える川は増水していた。
母さんは「あじさいの花見てみー」とか、「川の水が濁っている(普通は
みどりを映した清流)」とか 教えてくれた。
◎ 私「今日は何かあったかなー」
母さん「知らん、わからん」
「散歩に行って 田圃で何か見なかった。」
母さん「あーっ 見た 見た。グレーっぽいでかい鳥が。すごい 大きいもんね
びっくりしてしまった。そのあとちょっと小さめの白い鳥もいた。」
−−ドライブのことは 「車に乗って とこかへ行った」ことしか憶えて居なかった。
2002.6.14(金)曇り
◎午前中 みどり病院へ診察に。昨日整理した、現況を出した。
この4週間の変化を報告。
◎帰りに 喫茶「チボリ」へ 「チボリ」は今日から1週間、来店者全員に空くじなしの
抽選があり、駐車場も店内も 混み混みだった。ながやさんはいた。
◎家に帰ってタオルの洗濯干した。干し器具は 針金の引っかけ部分が片側12本一台で24枚、
2台有るから48枚干せる。通常(数ヶ月前までのこと)母さんは24枚前後洗っていた。
それを速く乾くからと言うので、針金2本分を使って、干し器具も2台分使って干していた。
今日は40枚以上有った。針金2本分を使って干していくと あまりが出てくるので、
1本に1枚としなければならない。私「一本一枚にして 全部干せないから」と言って
そのように干し 母さんは「うん、わかった」と言いながら いつものように2本に一枚
干していた。
そして私に「2本で干した方が 速く乾くよ」と言った。
母さんの言うようにやると10枚以上の干し残しが出来る。夏の今も時期は、一本一枚に
干しても 速く乾く。能率良く干し終わらなければならない ことから、
「乾くのが遅くなりはしないから」と一本一枚で干し、二本一枚になっていたところも
はずして干し直した。母さんは ぷいっと無口になり、室内の植木鉢の花に水をやっていた。
沈み込んだ気持ちになり、話しかけるとすぐ返事をする 状態に戻るのに30分以上かかった。
これは介護の縮図という気がした。
このようにならない仮定状況設定。
イ、干し器具が3台有った時はこうならなかった。
ロ、2・3日手抜きしないで、毎日やっていればこうならなかった。
ハ、10枚以上残ったタオルを、2回の干場へ持っていき 場所をやりくりすれば干せた。
ニ、今日の場合は一本一枚が良いと 時間を掛けて 繰り返し言い説得し、納得させる
ホ、有る行為がダメージを与えるかも知れない、と言う介護者の意識
ヘ、介護者を行動に駆り立てる気持ち または 動機 または 情熱? の強度
☆ 不要な物を3台も持てないと言う、サイフの事情
☆ やることいっぱいで手間ひま無い と言う事情
☆ 納得するかも知れないが 説得するゆとりが無いという事情
☆ ダメージ予測は、わかり得ない場合と、わかっているけど強行せざるを得ないと言う事情
□ 病気の人の願いが前提的に100%とすると、その願いの実現は、金と手間ひまを
どれだけ掛けられるかによって決まる。そして 現在病気でない人も含めて、いずれ
自分も病気になるかも知れないので病気介護についての社会意識の高まりの程度によって
決まる。
◎先程のタオルの一軒の後で 母さん「もうだめだ もうだめだ なにをやっても..」
と言っていた。
◎昨晩 娘が言う「母さんは 病気1年目くらいのころ サイフを乾物入れの中に置いたり
別の所へ置いたりして、いたけど 置き場所を忘れてしまうのはいかんけど、あのころが最後の
自分という物を持っていた時期だったと思う、隠し場所にも創意を凝らして、
今はお父さんの言うことしかできない」
◎ 私「今日は何かあったかなー」
母さん「チボリへ行ったよ、朝の内やったと思うけど ながやさんみえとったもの
手を振って合図した。」
◎この間の 母さんのブラウスを洗濯していて、母さんが怒ったが そうは言っても
下着のセットを幾つか用意して、すぐ使用できるようにしておかねばならぬ。
2002.6.13(木)曇り 晴れ
◎午前中 ケアマネージャーのところへ行ってきた。
◎要望を整理し17日に 契約をし、7月の計画書を作成し活用することになる。
◎機能の低下については、病気固有の原因によって低下している事と、
副次的な要因によって 出来ない事 とがある。やらないから出来なく
なったこともある。
例−−母さんの病歴はもうすぐ満4年になるが、炊事は1年経過、あたりから
やらなくなった。切るのを手伝う程度。洗濯干しは今も出来る。
仕事は3年半までやっていた。仕事は今も ばあさまのカットぐらいは出来る。
母さんの持っていた 標準的機能は低下しているが、毎日または週一回程度に
私が注目していて、やるようにすれば、その維持期間が長くなるかも知れない。
◎ 私「今日は何かあったかなー」
母さん「なんにもあらへん」
私 「朝、なっちゃん見なかったか」
母さん「あー、なっちゃんなら見たよ。あの子は頭が丸いからすぐわかる、
声を掛けようと思ったけど、急いで見えるようだったし、危ないからやめた。
確か自転車に乗っていたよ」
−−なっちやんとは、娘の友達で通学途中だったらしい。−−
◎やることメモ=母さんの下着の整理をすること。10セットくらいはあるが小タンスの
あちこちにはいっていて、整理されていない。まだ自分で出来るという気持ちはあり
ひとに さわらせようとしない。しかし一セット出して「これとこれを着て」と言う
ふうに出してやらないと 着替えをしないので、無理矢理でも整理しやらねばならぬ。
◎2002年6月13日の現況
出来なくなったこと または症状
☆毎朝「こわいこわい」と言う
☆一人で5分といることが出来ない
☆1日や一週間の計画が立てられない
☆動作が遅くなった。
☆同じ事を繰り返し話す
☆私が働きかけをしないとボンヤリしていることが多い
☆根気がない
☆発想が乏しく画一的である
☆季節や月はわかるが日付があいまいになる
☆料理は果物の皮むきや野菜を切ることが出来る程度
☆ガスの消し忘れが多くなったので火を扱わせない
☆身だしなみは一応気を使ってはいるがかなり無頓着
☆薬の管理は私がやり一回一回出してあげている
☆昨日のことも今日のこともすっかり忘れてしまう
☆お金や持ち物をしまい忘れ置き忘れがある。「盗られた」と言ったことはない。
☆簡単な計算が出来ない。
☆汚れた下着をそのまま着ている。
☆風呂をいやがってはいらない
☆☆
たまにあること
☆たまに食事をしたことを忘れたり、食べていないのに食べたと言ったりする。
☆無表情、話しかけても返事をしないことがある。
☆会話は多いが、「行動に結びつくような会話」は私以外には出来ない。
☆衣服は 大まかに言えば季節にあって居るが変化に対応できない
☆家族の数や関係がわからなくなることがたまにある
☆
出来ることなど
☆花の手入れ、水やり、ボーリングなどはやろうとする。
「旅行に行きたい」「ドライブに行こう」と言う。
☆洗濯物のかたづけ、食器のかたづけは不充分だが出来る
☆仕事で 近所のばあさんのカットぐらいは出来る。
☆衣服は指図すれば自分で着ることが出来る。
☆会話は多い、朝ハイビスカスの花が咲いていたとか、熊本の自動車が通ったとか
すぐ私に”報告”する。同じ事の繰り返しも多いが...。
☆道で人に会うと 笑顔であいさつする。
☆氏名、住所、生年月日、をヒントを与えないでも書くことが出来る。
☆新聞雑誌を読める。
☆独り言を言うことはない
☆1年目くらいに、人まちがいをしたが今はない。
☆見えないものが見えたり、居ないのに「誰か居る」と言うことはない
☆歩行、大小便に問題はない。
2002.6.12(水)
◎ いろいろの行動傾向には波がある。6月になってから「家へ帰る」とか「本巣へ行く」
と言っていない。外出=徘徊も6月になって少ない。
◎としこさんのとこへ電話を掛けて 不在だと「置いてけぼりをくってしまった」と言う。
どんな前提イメージが有るのか知らないけれど。
◎10時30分から、市障害者訓練センターへ(介護保険とは関係なく利用できる)
下見分に行ってきた。中央保健所と 同じ建物の中。
長谷川さんという方が 対応された。
書いたり 作ったり して訓練するところだ。水彩画、切り絵 ちぎり絵 組みひも、
書道 カラオケ ビーズ細工 刺繍 などなど。
機能回復訓練室 では 各種訓練道具。
次の部屋には 練習用パソコン(けっこう最新型だ)などなど
次に行く時は コースター 作ることを予約して30分ほどで帰ってきた。
帰り道での母さんは気分は「行ってみようか」と言う感じだった。
◎ 私「今日はどこへ行ったかなー」
母さん「知らん」「わからん」「中央保健所のあったところへ行った」
−−合同庁舎になっているので 中央保健所はいまもある 入り口が別の所
健康診断で 年に1回行ってたことがある。−−
◎明日はケアマネージャーの所へ相談に行く。
2002.6.11(火) 小雨 のち 曇り その後また雨
◎今日は 私が 朝から 午後4時まで仕事にかかり切り。
特殊加工消耗品=既製品を用途に合うよう、手作業で加工する=を作っていたためだ。
母さんは 小形モーターが廻るのが 面白く 初めのうちは飽きずに見ていた。
もしこの特殊加工消耗品がないとすると、得意先は新規機器を購入しなければならず
同時に使用する、別の消耗品を当社以外から、一定量確保し在庫として持っておられる
のでこれも破棄しなければならないことになり、出費が増えることになる。
能率もあまり気にならないので ”現使用機器”が壊れるまでは、使っていただく
ことが 双方にとって儲かると言うことになる。
◎仕上がり後、母さんと一緒に納品に行った。ようやく母さんは外出の機会を得た。
私もほっとした。作業中は しゃべったり、冗談を言ったりして 進めていたので
母さんの気分は普通で平静だった。そのあいだ としこさんのとこへ3回電話していた
3回ぐらいなら 最近では”普通”のことだ。
◎ 私「今日は何やったかなー」
母さん「わからん」
私「何処にも行かないで なにかしてたよ」
母さん「わかった テープみたいなものぐるぐるまいてやっていたがね」
◎ 娘は 台風4号が近づいている ということで 塾の夜の自習の部(任意)は中止で
帰ってきた。
◎夕食は「野菜炒め」。母さんが にんじん、ピーマン、なす、ゴボウを刻んだ。
◎食料の買い物は夜3人で行った。
◎母さんがこのごろ よく言うこと。
「まさひろさん(兄)ちょっとも帰ってこないな」と一日一回以上は言う
神戸に住んでいるから そうたびたびは帰って来れない。
2002.6.10(月) 晴れ 日差し強し
◎「こわいよー」は今朝も言っていた。
◎私の当面の課題の主なものは次の通りである。
☆母さんを家族内で興奮したり、ケンカしないよう楽に過ごさせること
☆母さんに施設に通ってでも良いが、趣味かレクリェーション的なことをやってもらうこと
☆家の中の 不要物の整理、
☆下水道の工事の検討
☆収入を確保するための仕事の遂行
☆娘の教育・監督。
☆日々の日常家事の遂行。−−などである
◎私は 次の行動を起こすための 動きを作り出すために うじゃうじゃ していた。
◎ 午後 苧ヶ瀬の池へ散歩
◎ 「今日は何があったかなー」
母さん「知らん」
「今どこかへ行ってきたっけ」
「大忠ビルの前を通ったよ その後小野木さんの 娘さんの結婚式をやった
太閤殿の前を通った」
−−注−−10年ほど前 ここで母さんが花嫁衣装の
着付けをしてあげた。−−
2002.6.9(日) 晴れ 日中は日差し強し
◎今日は日曜日、朝8時に起きた。
◎朝食前に いっしょに洗濯を干した。
◎漢方の薬を一旦口に入れてはき出してしまった。
◎午後から イトーヨーカドーへ3人で買い物に行って来た。運転手は「初心者マーク」
の娘。親は後部座席へ、帰ってきて母さんが言う「何で私を何回も何回もにらむの」と。
娘が初心者らしくバックミラーで後方を確認していたのを にらむと見えたらしい。
それでもう一度出かけた時は 母さんを後部座席右側に座ってもらったところ、
にらんでいる とは言わなかった。
◎4時半 まで外出、滅多にないことだが、5時から 母さん「疲れた」と言って
昼寝した。6時に起きた。
◎母さんの靴下が汚れていた。短ソックスは脱いで自分で洗った。パンストは
はいたままだったが 足指が黒く見える。
私「シャワーのお湯出して置いてあげたから足洗ってきなさいよ」と言ったが
母さん「ストッキングが黒くなったのやわ」
と言って、バケツに水を入れて持ってきて はいたままストッキングをガーゼ布で
拭き洗いを始めた。時間を掛ければ、少しは足の方もきれいになる。
それをハンドドライヤーで乾かそうとしたので、臭い匂いが漂った。
それは一応終わった。その後事務所の床の掃除を始めた。隅の方のほこりを拭いて
くれて「うーっ汚な」と言っていた。やることいっぱいで 掃除が隅々まで
行き届かない のも母さんのせいでもあるのだぞ..と思いつつも
私「あーっ ほんとだ ありがとうね」と言った。
その論理=ストッキングの汚れであって 足指の汚れではない。
ストッキングの汚れならば、上から洗っても良い。
ストッキングの汚れは、事務所の床から来たものである。
事務所の床をきれいにすべし。
と言うわけで 事務所の床も拭いてくれたわけだ。事務所ではスリッパを使用して
いるから母さんも いつも使っているし、ほこりが直接、靴下に付くことはない
のだが..。
◎ 私「今日はどこへ行ったかなー」
母さん「知らん」
私「どこかへ行ったやろ」
母さん「行ったよ ○子が運転して」
2002.6.8(土) 晴れ
◎ 本日生協の配達日。
◎ としこさんが言ったことの要旨
−−介護保険について 早くどこでもええで ケアマメージャーに相談して計画を
立ててもらってきて欲しい。
とにかく 風呂にいれさせんといかん。周囲に臭いし あんたがお客さんとこへ
連れていっても 感じ悪いと思う。私も近寄るとぷーんと臭い。
私やから言うけど 誰も何にも言わへん。人のいるとこへは、連れて行けない。
近所の人だって、あたらず さわらずで ニコニコしているかも知れないけど
何か言っているだろう。
老人施設でも 私が見てきたとこは結構 きれいやし。そういうとこへ一緒に行って
手伝ってあげても良いし。
どこかに行けば お客さんに会うこともあるけど「あの パリッとした フランセの
先生が 薄汚れた感じで歩いていた」って言われるだろう。
風呂にはいらないと 皮膚病なども出てくる。人権問題だ。
家族風呂へ私が連れて行ってあげたとしても フッとどこかへ行ってしまったり
すると追いかけていくことも出来ないし、大変なことになるといかんし。
ケアマメージャーとの相談について、どこのケアマメージャーがいいかと
考えていても先に進まへんし このままでは ずーっと風呂にはいらないのを
続けることになる。何処でもいいから 当たって砕けろで 行ってみることやがね。
時間がないなら 私が行ってきてあげても いいけど、
「なんで家族でないものが...」と言われてもいかんし。
浄化槽がつまる話は、テイッシュをやめてロールペーパーだけにしやいいがね。
猫を追うより皿を引け やわ。
−−−
◎ 本日 私が 機嫌悪し
本日そのため 午後から 母さんも機嫌悪し。
結局かたづけも何も進まず
母さんは 外に出たくてそわそわしていた。
ちょっとした隙を見て外出した。としこさんのとこへ行っていた。
偶然 国道の信号の所を車で通り合わせた 母さんの 知人から
「信号が赤なのに歩いて渡って見えたよ」ととしこさんの所へ電話があったそうだ。
母さんは 少し話ていて、帰りは信号まで送ってもらったと言うことだ
すぐに帰ってきた。
夕方、不憫だったので、公園まで連れて行ってあげた。
夕食後 事務所で整理作業をしていると、おやつを持ってきたり、やかんのお茶を
ついで持ってきたり、覆いを持ってきて 髪の毛のカットまでしてくれて 私の
機嫌を取っていた。元々は母さんのせいだが、直接的には母さんのせいでないのに
不憫だった
2002.6.7(金) 晴れ
◎朝の「こわいこわい」は 有り。
◎今日も二階のかたづけの続きをやった。
◎「ちり紙交換」に 新聞 古雑誌 段ボール などを出した。いつも200円程度の
引き取り料だったのに、今日は1000円も取られた。いつもとは別の会社名の
「ちり紙交換」だった。
◎「お腹気持ち悪い」は今日はなかった。
やはり便秘のせいだったかも知れない
◎本巣のばっちゃのとこへ行き、おやつを食べて 近くの「道の駅」へより
カーラの花を買ってきた。
夕方、歯科へ行った。
◎ 私「今日はどこへ行ったかなー」
母さん「知らん、何処へ行ったか忘れてしまった。」
私「歯医者へ行かなかったかな」
母さん「ああ、ごとうさんとこか、行ったよ。お父さんがやってもらって
私は、新聞や週刊誌を読んで、待っておった」
◎今日の思い出し話は「まゆみさんの話」だった。
2002.6.6(木) 晴れ
◎ゴミの収集日、母さんが 収集置き場へ持っていった。
◎物置状態になっていた二回の空き部屋を整理した。必要な物は 物置へ
要らない物は”英断”をふるって処分。後日まとめて市粗大ゴミ処理センター
へ運ぶ。ばっちゃの家で預かってもらう物は整理した物の中から持って行く
◎私が かたづけ作業中、母さんは手伝ったり、手伝わなかったり自由気ままに
していた。新聞を見ながら、母さん「戦争始まるのかなーいやだなー
家のお父さんは 爆弾で死んだんではないけど その後で病気で死んだ」
昨日の新聞の サッカーの記事ではなく、非核三原則、有事法制の記事を読んで
私にしゃべっていた。
◎市の障害者訓練センターから 電話があった。
「市から許可が来ましたので 明日から、来て下さい。開所時間中なら
何時からでも良いですから」
◎ 私「今日は何があったかなー」
母さん「さあ知らん」
私「田圃で何か見なかったかな、鳥とか」
母さん「あの白い鳥か、真っ白な」
私「うんそうや、一所に 20羽ほどいて、カメラを取りに来て写真撮ったよ」
母さん「そうやったの?」
私「他の所にも 1羽、2羽 と居たけど あんなに固まっては居なかった。」
母さん「今は もう暗いでおらんわ、山の巣へ行って隠れとるわ」
2002.6.5(水) 晴れ
◎朝の「恐い恐い」あり。
◎洗濯など干して(今日は「どうして私のを洗うの?」などという”事件”起こらず)
私は仕事、母さん おしゃべりしながら待機。
整理を付けて 外回りに一緒に出た。ついでに銀行も寄った。やはり銀行は
母さんにとって 鬼門だ。15分くらいの待ち時間(小切手等の入金処理は
自動機器では出来ない)だったのに、三回も黙って
出ていった。1回目は自動ドア数メートルのところで、連れ戻した。
3分くらいで また出ていったので、いっそのこと と 100メートルほど
一緒に歩いて行って戻ってきた。昼近くで日差しは強かった。
もうまもなく終了と言う時にまた歩き出したので
「もうすぐ通帳がもらえるから付いて行かないけど 車に気を付けて行ってね」
「大丈夫だよ」
日頃 歩いてきたこともないところで 何処へ行くつもりか知らないけれど「大丈夫」
のはずはない。
と思っている間に 1分もしないで戻ってきた。とにかく銀行にいるあいだじゅう
機嫌が悪かったが、家に向かって 車に乗ってからはすぐに機嫌が治り、
「○○駅も 昔と較べると変わったねー」(実際改装されている)などと話していた。
◎午後 苧ヶ瀬の池へ行った。今日は 公園に異変がなかったので、散歩して休憩してきた。
◎今日も「お腹が気持ち悪い」と訴えることが 朝から午後に掛けて5〜6回あったが
午後3時ごろから夜までは無かった。
◎ 「今日は何があったかなー」
「○○銀行へ行ったがねー、お父さん出ていってしまったがねー、
私も出ていったけど戻ってきたがね」
−−本当は 私が先に出ていったのではなかったのだが..−−
◎「うちわの竹のひごの数は幾つあるか」
「1、2、3、4、5...」と数え始め 29まで順調に進んだ。足す 引く
は困難だが 一つずつ数えることは出来る。次に「50」と言った。
私が気づかぬ振りをして「30」と言い、母さんが「31、32」と言い、
「全部で32本や」と言った。母さんが「数えてみー」という そぶりだったので
1、2、3 と数えた。やはり32本あった。一つ一つ確かめながら加算する
数字はまだまだ 数える力かあると言うことだ。
◎今日は 概して 機嫌良し。(銀行へ行った時だけちょっと悪かった。)
2002.6.4(火) 晴れ
◎母さん「臭い匂いがする」とか「気持ち悪い」とか言って、鼻から口の当たりを手で
覆っていた。9時頃、10時頃、12時頃、その間は 1〜2分で長くはなかった。
原因不明、(臭い物は何もない。便秘はしていない。薬は従来と同じ)
◎朝 黙って外出2回、遠くへは行かず戻ってきた。
◎西側の物置の屋根が 冬に雪で折れ曲がっていたので 屋根のみ取り替えてもらった。
夕方までかかるとのことで、母さんは一日中 散歩もせず 家にいた。
◎店の戸を開けて置いたので近所の婆さんが、「カットしてもらえんかね」と来られた。
出来上がりは、悪くはなかった。
◎昼食後、洗濯干し、当然の事ながら母さんの衣服もある。その中のブラウスを発見
「どうして私の洗濯するの」「誰も洗濯してくれって頼んでいない」「怒られる」
と言った。中途半端に返事をしていたら、興奮してぷいっと家を出ていった。
10分ぐらいして戻ってきた。
自分のブラウスを持ったまま「外出」していた。私「服 乾いた?」。
母さん「乾いていない」。私「だったらちょっと干して置いたら」。
母さん「いいもん 本巣へ持っていって干すで」と言った。
以前に母さんが言っていたし いまも時々言う事があるが 夕方になると
「家へ帰らなくては、遅くなると叱られる」という言葉。
ここに 勤務していると言う考えの 一つの流れらしい。
汚れ物をひとに 洗濯させるなど 恥ずかしいのかも知れないし、
男性に洗濯させるなど女の体面が許さぬのかのかも知れない。
下着をなかなか替えないことや、風呂にはいりたがらないことと関係あるかも知れない
そのあとで 今度は 別の ボタンの位置に模様のついたブラウスを
「これはとしこさんのだ」と言ってとしこさんに電話をしていた。
としこさんも そうでないことはわかってはいたが、
「私のがあんたのとこにあるはずないけど 一度見に行くわ」と言ったらしい。
それでその件は、時の経過と共に決着が付いた。
◎ 夕方 苧ヶ瀬の池へ行ったが、駐車場に警察が来ていて、制服数名 私服数名と
その他の人が 何か調べている様子だった。公園のトイレに行き、すぐ出て挾間へ
廻り帰ってきた。
◎本日は不安定。としこさんのとこへ今日は7〜8回電話を掛けた。
朝ほんの少し散歩に行ったのみで 外出しなかったのが原因かも知れない
◎周囲の田植え状況は始まったばかり、同じ市内でも北部山あいと較べると2週間ほど
差がある。
◎今日のつぶやきは「岩田さんの話」「円谷みかさんの話」「接骨院がこのごろ増えた話」
だった。
2002.6.3(月) 晴れ
◎ゴミ収集日。
◎午前中、事務所で 私の脇にいて の母さんの雑談。
「ずーと前のこと みんなで居る時 なんか臭いんやねー そしたら そばにいた
ねこが おならをしておったんやねー みんなで 大笑いになってー
ねこも おならするんやねー」と言って 大笑いをしていた。
ねこのおなら とは あまり見聞きしない話だけれど 哺乳動物で人と同じ類
だから おならをするかも知れないと思った。「へーっ、猫もおならをするの」
と言って 笑いに付き合ってあげた。
◎今日は 私が気まぐれに 母さんの店のシャッターを開けて置いた。
時々 店の方を覗いては「だあれもこないねー」と言っていた。
店を開けているつもり のようだった。もともと予約制だったので、
ふいに 来られる人もいなかったが、「休業」が定着したので
電話もかかってこなくなった。特に親しい人がそれを承知で電話で
依頼があったり 近所の婆さんが立ち寄られることがある。
◎同じ晴れの日でも、湿気の多い蒸し暑い日は、母さんの 機嫌は悪い。
今日のように、からっとしている日は機嫌がよい。それなりに快活で
沈み込むことなく活動的だった。
◎3月までは 朝6時起き だったが 娘の学校の時間が 変わって7時起き、
にしている。5時半(普通は寝ている時間に、たぶんトイレに起きたのだと思う)ごろ
母さんが私を起こし、「ブラウスが破れてしまった」という。
常用にしているのは4枚。古いのもあるから縫い目のほころびたのがあるかも、
と思いつつ「うんうん ほころびなら縫ってあげるし ダメなら新しいのを
買いに行って来よう」と言うと それを聞いてもう一度寝しまった。
朝食後 洗濯を干している時、着ていない、ブラウスをそれぞれ見てみたが、
ほころびも 破れ も無かった。それ以上話題にしなかった。
◎カーマへ行き、日日草とけいとうの花の苗を買ってきて、プランターに植えた。
◎午後 苧ヶ瀬の池へ散歩。帰りにスーパーで買い物。
◎まあまあ安定。
2002.6.2(日) 晴れ
◎午前 家事雑用。二階の整理
◎午後から、本巣へ行った。いろいろの物の中で 急にはいらないが、捨てがたい物
について ばっちゃの家で預かってもらうことにした。一挙に運べないので
母さんが 「本巣へ行く」と言った時に 少しずつ持っていけば整理が付いて行くだろう。
ところで ばっちゃの家は 10年前に 建て直した物だが 母さんが 我が家に
いる時の 本巣の家イメージは いつも 今はもう無い 古い元の家のイメージだ
「二階はない」とか 「狭いから置くところはないやろう」と言う。
もっとも ちょっと前 荷物の整理で 話が出た時、「ばっちゃの家で預かってもらう」
と言ったのも母さんだったが...。
少し遊んで帰ってきた。2回目「本巣へ行く」とは言わなかった。
外気温29℃
◎夕方3人で買い物に行き、帰ってきた時、母さん車から降りると、さっさといつもの
散歩コースの方へ歩き始めた。散歩に行くつもりか と付いて行った。200メートル
ほど言ったところで 母さん立ち止まり「ここを歩いておってばかりではいかん」
と言った。「戻る」と言ったのなら それなりの意味はわかるがどういう意味か
わからなかった。もともと「何も考えていはしない」と言ってしまえばそれまでの
ことだが、何だったんだろう と疑問に思えば 疑問である。
そのように言う 何かの背景的イメージがあったに違いない。何かわからないけれども
私「そうだね」と言いながら、母さんと同じように しばらくそこに立っていた。
そして「行こうか」と先に進むよう誘ったが、進もうとはしなかった。
「戻ろうか」というと 帰る方向に進みだしたので一緒に戻ってきた。
「夕食を作ろうか」と母さんに手伝ってもらいながら準備した。
続いて夕食を食べ始めて、その後は「無断外出」は無かった。
◎本日は 概して 沈みがちだった。無理をすると 予想に反する行動を取った
かも知れないが、無理をしなかったので、落ち着いていた。
2002.6.1(土)
◎けさ プランターの桔梗の花が2輪咲いていた。
◎生協配達日、母さん 他の人の分を数点持ち込んだが、すぐわかったので大過なし。
◎母さんの このところの行動を見ていると、
1、頭脳の中央司令部の司令官が 次々と交代している感じだ、
例示−−起きがけの「もうダメだ」と言う時や 昼間でも たまにクールに
「お父さん いろいろもうだめやわ」と言う時はは概念が見えている。
洗濯を干している時や 食事をしている時は、目に見えるものが見えている。
例示−−ゴミ収集日でないのに、袋をまとめて外へ持っていこうとする。目先のゴミは
見えるが、我が家の一時保管場所や、収集日(曜日)については見えない。
例示−−「本巣へ行く」と言って2回も3回も行こうとする。
2、その場の雰囲気に合わせて行動する。
3、じっとしていたくない。どこかに行くか、思いついたことをやるか、食べているか
4、人が来ることや、人の集まり行くことは、好む。
例示−−先日の「火防守護祈願祭」に行くことも、言って座っていても
とくに違和感を感じていないようだった。
◎娘は としこさんが生協に来たついでに 髪をカットしてもらった。去年までは
母さんがやっていたのだが、ちょっとした 違いに 娘がクレームを付け
母さんはやってやりたくなく、娘はやってもらいたくなく 離れていった。
その間娘は 自分でカットしていた。出来ないことはないが やりにくいので
としこさんに頼むことになった。
ちなみに 私のカットは 母さんの 腕でまだ十分にやってもらえる。
(かなり髪の毛が少ないが)(^o^)...。
きっと 母さんの最後の”お客さん”になるまで続くだろう。
◎午後 3人で北野ファミリーパークへ行って来た。
娘=かき氷、母さん=抹茶ソフトクリーム、私=抹茶ソフトクリーム、食べてきた。
◎母さんとあまり関係ないが、植木鉢の木をさわっていて 右手薬指を毛虫に刺された。
手が毛虫にさわったと 感じたがその時は 何も変化がなかったが、1時間ほどして
指の甲に 1ミリほどの 泡状の 腫れが数個 連なってあった。
毛虫に刺されたことは、小学校のころ あったかなー。
◎母さんの今日の気分は安定していた。
2002.5.31(金) 雨 霧雨 曇り
◎朝、起床前 夢うつつ(半ば目覚め状態)の時
「もうだめだー 助けてー お父さん 助けてくださいよー」と何回も何回も
繰り返し言った。
私は「うん うん」と答えて「お父さんはここにいるよ 大丈夫だから
なんでも お父さんに 言って わからんことはやってあげるから」
答えは 母さんの言っている 真意=病気そのものをなおして欲しい=にかなって
いないことは承知の上の答えだ。
毎日の日記では省略しているが ほとんど毎日、起きる前にこのようなことが
繰り返されている。
◎今日は雨だったので10時半頃から、ばっちゃの所へ行った。11時過ぎに
着くと ちょうど としこさんも来ていた。「いまちょっと前に来たのや」
と言っていた。みんなでしゃべったりして、盛り上がっていた。
昼時になったので、みんなで近くへ ラーメンを食べに行き、ついでに
ばっちゃは買い物をしてきた。
ばっちゃの家で 更に1時間ぐらい遊んで、それぞれ帰った。
3分の2ぐらい引き返したところで、母さん「どこへ行くの?」と言った。
私「家へ帰っているとこや、母さんの店のある家へ」。
母さん「家はそんなとこやない 本巣や 本巣の家へ行く」と言いだした。
「今行ってきたよ」と手みやげなど示しながら言ったが、
「いやや 本巣へ行く」と聞き耳持たず の感じだった。
合理的思考は 遠い彼方にある。「じゃ 行くか」と引き返した。
時々何が原因かわからぬが、途中まで戻ると 母さんは 初めてのつもりで
「本巣へ行く」と言い出す。道路の行き先表示のせいかも知れない。
今日 初めて来たような顔をしてはいっていった。
そして母さんが 自分から「もう帰ろうよ」と言い出すまで、居て、
2回目を言ったので、帰ってきた。家に着いたのは5時頃だった。
今日は「3回目」は無かった。やれやれ。
◎アメリカンチェリーを買ってきたらもぐもぐ食べていた。
2002.5.30(木)
◎午前中は 私が事務所で仕事、母さんは 外に出たくて、そわそわしていたので
1時間ばかり、外出。ついでにクリーニング屋とか 郵便局へ行って来た。
続けてまた、私の作業。 昼食は1時頃。
◎夕刻から、「火防守護祈願祭」が町内主催で行われる。お祈りに 効果があるとは
思わないが、私が自分自身について言うと、集まって いろいろしゃべっている間に、
火の後始末に注意する気持ちを強め 持続するという点で効果があろうかと思う。
市民共同意識の確立までの過程の つなぎとしての 農村共同体的意識の善良または
発展部分の活用か。いずれにしても、不注意や 外部からの故意の出火は防が
なければならない。
◎少し前 ハイビスカスの花を日を離して2個買ってきて店に置いている。
ハイビスカスは1日だけ咲いていて、翌朝はしぼんでいる。しかし 次々咲くので
長期に花を見ることが出来る。咲いている方を店に置き、まだ咲いていないのは出窓で
日に当てて置いておく。
今朝は黄色の方が2輪咲いていた。私が仕事をしていると 母さんが「咲いたよお父さん」
と言って鉢ごと持ってきた。「おーっ 大きいね」と答えた。
10分ぐらいして 母さん 同じ言葉を言ってハイビスカスを持ってきた。
私は同じ言葉で答えた。
◎3時から 苧ヶ瀬の池へ散歩に行った。
◎5時から「火防守護祈願祭」へ行った。150人ぐらい参加か。
20分ほど「祈祷」を聞いていた。
祈祷のされている言葉は音韻として聞こえたが、言葉として受け取れず意味は
全くわからなかった。わかったのは「町内繁栄」「家内繁栄」「交通安全」「家内安全」
「火難退散」「諸難退散」その他 願望を表現する言葉のみだった。
意味不明の言葉を聞いている時間、少しでも、「火の始末はしっかりやらねば」
と感じていたから、まあこれでいいか。
母さんも一緒だったが、しきりに「足がしびれた」と言っていた。お行儀が悪かったが
小さい声で「足のばしなよ」と言ってのばさせた。
仮に「消防署の人を呼んでお話を聞きます」という会合だったら、私は出席したかどうか?
娘にこの話をしたら「私だったら『おいのり』と『消防署の人の話』の どちらに行くか
と問われれば、『消防署の人の話』の方に行くな」と言った。
◎母さん、今日はちょっと沈んだ気持ちのようだったが、イライラもしていなかったので
特に支障はなかった。
2002.5.29(水) 曇り時々晴れ
◎昨夜、10時半過ぎ、近隣で火災があった。10時に就寝するので母さんはちょうど
寝付いたぐらいの時だった。外で変な音がしたため 母さんが目を覚まし
「変な音がする」と言った。その音はトランスから発する低周波音のような断続音
だったがなんの音かは不明。二階から覗いたが何もわからなかったのでそのまま閉めた。
少して 外が騒がしくなった。もう一度二階から覗くと西の方が赤く見えた。
下へ行き西側玄関から見たら 炎は見かけ上は一軒おいた先のように見えた。
風はゆるやかな西風で隣の家の屋根向こうに 炎の先と黒煙が見え、
火の粉が我が家の上にも落ちているように見えた。
下の部屋で寝間着でテレビを見ていた娘に「緊急事態だ、着替えをしろ」と言った。
娘は玄関外の光景をサッと見て、服を着て出てきた。いつもは なんとかかんとか
言ってすぐ動かないが、このときの行動は速かった。厚手のズボンとジーンズの
上着、黄色い濡れタオルまで肩に掛け、サイフやケータイを入れたカバンも持っていた。
外は近隣の人が走り、消防団の人が走っておられた。空き地やそれぞれの家の前で
3人5人とかたまって見ておられたが暗くてわからなかった。「携帯電話」でしゃべり
ながら走っている人もいた。母さんは立ちっぱなしで 空を見上げていた。
その時は落ち着いていたが、興奮状態になって外に出ないとも限らない。
火を見せないように、戸を閉めても 返って興奮状態にさせるかも知れない。
娘に「母さんが外に出ないように見ていてね、俺が何か指示までは外に出ないように」
と言いつけて、私はうろうろしているだけだった。
娘は母さんの両肩に後ろから手を掛けて、外に出ようとするのを留めていた。
娘は「高等戦術やろ」と言った。すがると見せかけて実は母さんの動きを留めている、
と言う意味だ。
私もうろうろしてはいるものの もし我が家に火が移ってきて、避難することに
なったらその間母さんをどうやって世話するか、ということが頭の中を巡っていた。
火は鎮火の方向に向かい、赤い炎は見えなくなり、黒い煙のみとなった。
3人で東側事務所の入り口から外に出て見た。我が家の駐車場にかかって、
一台の消防車が、道路の「防火用水栓」から水を送っていた。
この表通りの方には パトカー2台、救急車、電力会社の車、その他の車が停まっていた。
そこへ娘と同学年だったM子が弟とともに現れた。
1q以上先から走って見に来たのだという。
火は鎮火したので寝た、私はいつもと較べるとなかなか寝付かれなかった。
火元は今朝の新聞から見ると、5軒西の家の北側にある家の車庫兼倉庫で火の気の
無いはずのところだったという。
◎朝 起きてから火事のことを母さんに聞くと良く覚えていた。
「火の粉が落ちてきて恐ろしかった。火事は恐い 泥棒よりも恐い」と言っていた。
◎今日は岐阜県立病院の診察日、今日の注射はあまり痛くなかったらしい。私に苦情を
言わなかったから。
◎今日はビンカンの収集日だったが、出し忘れてしまった。ビンカンは出し忘れても
来週出せばよいのだから不都合はない。(ごみの場合はちょっと困るが..)
◎病院のあと 喫茶「チボリ」へ行った。ながやさんが居たので 母さんはご機嫌だった。
◎午前中 母さんと長いつきあいのお客さんが来た。としこさんも来てくれて
1時ごろまで時を過ごすことが出来た。
◎午後は苧ヶ瀬の池で散歩。
◎夕方 、私が歯科へ。
◎母さんの気分は今日は安定していた。
2002.5.28(火) 晴れ
◎午前中 岩戸森林公園へ行き散歩したきた。
市の一定規模以上の公園は、公園管理課の職員が掛け持ちで管理している。
(児童公園などは別)週に何回かこの公園に割り当てられている。
特別の意味はないが、公園内ですれ違った際、「こんにちわ」と言われた。
一瞬 とまどったが、「こんにちわ」と挨拶を交わしすれ違った。
ずーっと以前から、この公園へ、散歩などに来ているが、職員の人から
挨拶されたのは始めてのことでとまどった。
◎正午近くから ばっちゃのとこへ行った。持ち込みの昼食を食べた後、ばっちゃを
スーパーの買い物に連れて行ったあげた。車から降りる時、母さんはばっちゃの手
を引いて、しっかり者の娘らしく振る舞っていた。
今日は もう一度「本巣へ行く」とは言わなかった。帰ってきてからも
スーパーへ行ったことや おやつに食べた物などを覚えていた。
◎ いまはほとんど使わない物とか、娘の小さい時のおもちゃとか、捨てないで
取ってあるので、各部屋が狭くなってしまっている。これではヘルパーさんに
来てもらっても、大変だと思い、ばっちゃの家の一室で預かってもらうべく
順次運ぶことにした。
◎朝起きる前以外、起きている時は母さんの気分は 今日も安定していた。
2002.5.27(月)晴れ
◎ぼたんつけ
5.24日に母さんのブラウスのボタンが取れてしまったので 着たまま付けてやった。
5.26日にも別のところでとれたので付けてやった。
今日はカーデガンの大きめのボタンが取れて、母さんが自分で付けていたが
ボタン付けの「方式」に沿った付け方ではなかった。取れるおそれは無かったので
そのままにしておいた。
◎市の障害者訓練センターへ最終手続きに行ってきた。申込書の住所、氏名、生年月日
電話番号などを自分で書くことが出来た。
30分くらい、面談したが、生活の様子について 母さんの言っていることは
実際とは違っていた。「その点はわかっていますからいいですよ」とのこと。
「やりたいことは?」と聞かれて「沖縄へもう一度行ってみたい」
「ボーリングだったらやっても良い」と言っていた。
「決まったら連絡します。たぶん来週から、いつでも良いですから来て下さい」
とのことだった。
この用件では2回目であるのに帰りがけ、外の駐車場まで送りに出られて、
車がで行くまで 見送っておられた。
◎バースデイケーキを買ってきて、誕生祝いをした。
2002.5.26(日) 晴れ 夕方から雷雨
◎母さんが 自分から 食後の皿洗いをやっていた。目に見えて しょうゆなどで
色の付いているものは、スポンジたわしでこすっていたが、漬け物を載せた小皿は
水道の流水で流しているだけだった。脂気が付いているのに 流しただけのもの
もあった。トイレに行った隙に洗い直し。
何か言ったら、もう洗わなくなる。
◎散歩途中に チョウチョが飛んでいるのを見かけた。
母さん「何時やったかチョウチョが飛んできて たれかの頭の上にとまったの
それで大笑いになって おもしろかったよ」
私「ふーん そんなことがあったの なかなか近くで見えないのに」
きっと過去に、そういう 場面があったのだろう。
◎としこさんのとこへの散歩途中の話。大城さんの貸し駐車場+菜園の件
50坪ほどの空き地を貸し駐車場にされた、1列分で空きがある、2列分取るには
無理がある。奥の空いた部分を「家庭菜園」にしておられる。
休日で手入れをしておられた。立ち止まって挨拶。
「暑いですねー。うまい具合に菜園が作れましたね」
「中途半端でねー 空き部分で 定年後の趣味にと作ったんですが..」
「優雅ですなー」
「野菜は買った方がやすいよ、」
「消毒や肥料とか いろいろ諸費もかかるのですか?」
「それもあるし、こんな日の後にはビールも要るしね」
「そりゃ 必要経費だ」
「ハハハッ」
「ハハハッ」
......。
◎「もうだめだ。もうだめだ」と言った。
「もうだめだとして、何か残しておくような なにかしたいことある?
残したおかなくてもいいけど 旅行に行くとか 食べたい物食べるとか、
何か見に行くとか」と聞いた。
「もう死にたいよ」と言った。
「それはダメでしょう。人間 46億年このかた一回しか生まれてこないんだから
命の力がなくなるまで何かしていなくては」
◎娘が ちょっと前に「”世界の中心は己にあり”だからなー」と言った。
当たっている と思った。今日 母さんはその立場で家族に対する不満を
ぶつぶつ言っていたが、気分は安定していた。
自己中心も 自己があるからこそ成り立つもの と思うなら まだまだ健在
と喜ぶべきか。
2002.5.25(土) 晴れ
◎生協配達日、
◎娘が出かけている間に、ふとんを干してやる。
◎母さん「置いてけぼりくってしまう」とか言っていたので、美濃加茂から
美濃市方面をぐるりと廻ってきた。走行中、タバコを吸っていて、
その時のことをふと思い出した。
私 「20数年前、京都へドライブに行ったことがあったね」
母さん「ふーん、そうやった」
私 「その時 黄色いスカーフをしていて、タバコの灰が飛びかかって 5ミリくらい
の穴が開いたことがあったね」
母さん「うん そうや そうやった 黄色いスカーフ 穴開いてしまって」
明らかに、思い出している様子だった。古いことは覚えているようだ。
私自身 こういう状況にならなければ、思い出すことはなかっただろう。
◎途中「道の駅」で休憩をした。車を降りて歩き掛けると
母さん「あれ ○○は 寝てるのかな 降りてこない」
私「今日は 来ていないよ 学校へ行っているから」
◎夕方 3人でばっちゃのとこへ行き、夕食を食べてきた。ばっちゃは喜んでいたし
母さんは 今日は気分安定で、2回目を行くとは言わなかった。
2002.5.24(金) 晴天
◎今日も店をやっているつもりでシャッターを開けた。
「だれもこない だれもこない」と言っていた。
◎母さん用のふとんをいっしょに干した。
◎乳酸飲料のキャップの裏に当たりマークがあるものがあり それを集めると
景品がもらえるようになっていることは前にも書いたことがある。
お義理に1日一本の割で配達してもらっている。月水金が配達日。金曜日は3本。
あたりの日は全部当たりだから金曜日に当たりがあると3枚あることになる。
朝 新聞と一緒に取り入れて食卓に置いておくと母さんがすぐ飲みもしないのに
キャップを開けて 当たりかどうか 確認してる。
「わーっ当たっている」「これも」「これも」ともうれしそうに3本とも確認。
私 「ほーっ、今日は運がいいね。いいことあるかも知れないぞ」と言うと
喜んでいた。
それで終われば普通の話。そのキャップを元に戻してビニールの覆いもかぶせて
復元あと2回 3本とも開けてふたをした。一つで3回楽しめたわけだ。
さらに昼食の時に もう3回開いて「当たっている」と楽しんだ。
一度ふたを開けると短時間で腐りやすい。昼食時過ぎまでに飲まなかった場合は
処分しなければならないが、こんなに喜んでいる顔を見ると、とがめ立てする気
にはならなかった。
◎ としこさんとこへ4かい電話。一回目で 今日はとしこさんが診療所へ行く
と言い そのあとどこかへ行くつもりだったかも知れない。
診療所が遅くなって、家に戻っておらず電話が通じないので母さんが何回も
電話をすることになったらしい。
午後になってから「きょうは行けなくなった」と母さんが言っていた。
そのことでは気分は悪くはならなかった。
◎ 2時ごろ しらふで「もう私はダメになった 自分でわかるもの」
「アホやもんでいろんなことがわからん」と言った。
◎ 夕方、市の障害者訓練センターから「来週いつでも良いから、都合の良い時間に
一度 お話を伺いたいから来て下さい」との連絡があった。
2002.5.23(木)
◎母さん 起きがけの 夢うつつの中で「もうだめだ助けてー」と何回か繰り返し
言っていた。 起きたら、止まった。
◎ゴミ収集日。朝の散歩 田圃方面へ行った。このところ朝の散歩を 行っている。
寒からず暑からずで 自然の変化もあり、快適だ。
◎留守がちで なじみのクリーニング屋さんが廻ってもらっても居なくて、
要洗濯品を渡せなく滞っていた。その店へ持っていった。店は路地裏で車は
通行不可で指定駐車場に置いて100mくらい歩いて持っていった。
◎昨晩のこと、苺が 深皿に水を浸して、入れてあった。
母さんが寝てしまってから、娘が私に言う「苺をあんな風にして置いたら腐ってしまう
なんで...」
私「えっなに?」
娘「なんでこんなことするの?って 言いかけたけどやめたの、なんでなんて理由は
特にないもの ”世界の中心はおのれにあり”で感ずるままに自由に動くにだもの」
私「そうね その時は何か その感じ方の中では 理由があったのかも知れないけれど
なんで?と改めて問われると 答えられないと思う」
◎母さん 今日は 店をやっているつもりで居たのでシャッターを開けてやった。
洗濯を干しに二階へ上がっていくと「店からっぽにして お客さん来たら聞こえんよ」
と言った。時間がたつに連れて「今日は誰も来ないね」と言った。
店をやっているつもりの会話が そのワンショットだけ区切って聞くと、トーンも
しゃべりつきも不自然さは感じられない。(いまは実際は休業しているので現実からは
離れてるが)
◎本日の気分は 安定していた。
2002.5.22(水) 晴れ
◎ビンカンの収集日。母さん 生ゴミの方もいっしょに持って外に出ようと
したので「生ゴミはちがうよと 止めて別の所へ置いた」
◎今日は私の 国立岐阜病院での診察日。「検査結果に急変はなく 普通に 無理をしないで
生活すれば、体調は安定している」とのこと。
「コレステロール値が若干高いから食事などに注意するように」とも。特に薬は無し。
◎予約時間が終わりの方だったので 帰りは12時過ぎだった。
セルフサービスのラーメン屋さんに寄った。
「○番のカードをお持ちの方 ○○らーめんが出来ました。」私は さっと立って
もらいに行った。母さんの方へ一つ、私に一つ、コップの水も自分で持ってくることに
なっている。斜め後ろの4人の主婦集団の目線を感じた。客人はそのほかに、
サラリーマン風の人、営業マン風の人、単独の主婦、買い物帰りか袋を持った老人など
目線の理由は本当は何かわからないが、「旦那さんが 運んでやって...」と言う
感じ方かも知れない。
◎射撃場の件、ラーメンを食べていたら、時ならぬ 束ねられた連打の銃声が聞こえた
母さんが「なにー、あの音」窓際の方を振り向いていた。気持ちが不安定にならない
よう「さあ何かねー、工事中の音かな」と私は言った。
生の銃声は この年で始めて聞いた。自衛隊が射撃場で練習をしていた。ここに射撃場が
いつからあったか知らないが、私は ほぼ40年前から知っているが実際の銃声音を
耳にしたのは 始めてのことである。ここ数日 自衛隊のジェット機の飛ぶ台数が多い、
戦乱状態になると、避難だ、連絡だ、と言うことで 目を離せない痴呆患者をかかえていると
病人も介護者も大変な事態になる。
◎銀行の件。母さん 店用の電話代は銀行落としになっている。ある銀行に電話代だけ専用
の通帳を作ってあり、ほぼ1年分ほどまとめて入金して置いて、振り替えてもらっている。
残高が不足したと言うので持って行った。ちょっと待っている間に、外へ出て車の方へ
行こうとしていた。どうも銀行は相性が悪いらしい。別の銀行だが、実際に私が見失って
しまってが一人で家に帰って事が2回ある。そのほかに外に出ようとしたことは6・7回ある
自動車学校の駐車場もそうであった。病院や、スーパーマーケット、公園、商店街では
しゃべらなくてどこかへ行ってしまう事はなかった。相性の悪い 何があるのかな?
◎午後からとしこさんが来て、母さんの髪をカットしシャンプーをしてもらった。
ついでに服も替えた。「若返ったよ」と言うとニコニコしていた。
◎本日の気分は 安定していた。
2002.5.21(火)
◎朝起きて、「今日 ばっちゃが来るよ」と私がいうと「うんそうだよ」と答えた。
◎朝8時半ごろ 店を開けた。
9時 少し過ぎたら「まだ来ない まだ来ない」と言う。
私「電車で来るから11時にはなるよ」
そのあいだに自分で としこさんのところへ電話、たまたま出抜けていたらしく
電話が出ないと「だあれも おらへん」とぶつぶつ。
11時ばっちゃが ターミナルで買った 数名分の昼食と手みやげを両手に重そうに持ち
タクシーから降りた。
母さん ちょっと前までの”しっかり者の娘”として出迎えた。
母さんばっちゃをねぎらって言う「まーま、重いのにこんなに持ってこなくてもいいのに」
私の方を見て「お父さん ひるめし だって」と。
まもなく としこさんも来て、それぞれにしゃべりながら、パーマが進められていたようだ。
母さんがこちらを覗いた時 私が「みんないるね〜」と言うと「みんないる」と
うきうきした様子だった。世界の中心を自分にしてくれる中にいると、快適なのだろう。
◎2時半、ばっちやのパーマが終わって 乗せてもらって帰っていった。
母さん「へんなかんじだねー」私「えっ なにか?」 母さん言葉を代えて
「みんな帰ると なんか さみしくなるー」と言った。「そうや さみしくなるねー」
普通の日記ならば記事にならないことが 記事になるのが この日記の特徴である。
◎困っていること なかなか風呂にはいらないこと
◎本日の気分は 安定していた。
2002.5.20(月) 晴れ
◎7時起床。「さむいさむい」「こわい 助けてー」と今朝も言う。
8時15分、娘バスで塾へ。8時30分、私と母さんは朝食まだだが 田圃方面へ散歩。
かなり高空をジェット機が飛ぶ、飛行機雲がある時は、本体は見えなくても尻尾が見える
飛行機雲がないときは 私には何のも見えない。遠視の母さんには見える。
「あそこあそこ」と一生懸命教えてこれるのだが 見えない物は見えない。
私「そうか わからんけど」。母さん「お父さん 近眼やったね」と納得する。
◎母さん ばっちゃがパーマをかけに来る 事を覚えていて。今日かと思って
店でそわそわしていた。「明日だから 今日はまだいいよ」と言ってやった。
◎一緒に家事を処理。
◎11時からボーリングに行った。母さんの本日の点数149点。ちょっとボールが
ずれることがあるが、まだまだ腕は健在。
帰ってきてから 母さんがとしこさんに電話。その後私に「としこさんは重いボールを
持つと腕が痛くなるでいかんわ」と言っていた。「今日はボーリング場 すいていたよ」
とも言った。ボーリング場が すいていたことは一緒に行った私も知っていることだが..
◎「いつも置いてけぼりを喰ってしまう」 と言った。
「いつも私だけでいろんなことやらんならん」とも言った。なにかまだ店をやっている
状況の心境になっているらしい。
◎本日の気分は 安定していた。
2002.5.19(日) 曇り時々晴れ
朝7時30分、室温17℃ ここ数日と較べると7〜8度低め、ちょっと涼しかった。
母さん、「寒い寒い」と言ってジャンバーをはおる。
今日は 朝食は 普通の時間に食べた。田圃方面を散歩。田植えの準備作業中であった。
昨日 車で30分北へ行った北野ファミリーパーク周辺では田植えは 半分程度済んでいた。
一週間ほど 日差があるようだ
◎母さんが、おもしろがるもの、よろこぶもの
幼児、赤ちゃん。
小さい犬(我が家には犬がいないので、よその犬を見て)
細かい花
遠くから来た車のナンバーフレート(函館とか沖縄とか遠いとこほどハイトーンになる)
私が第三者の話の意味を解さぬ時。
20年前の 某銀行員の話「百姓やっとるんや」と言ったこと
同姓同名の人
店の名「フランセ」と 同じ名のケーキ屋さん 別の同じ名のパン屋さん
パン屋さんの「フランセ」の袋を大事に取っている
◎夜 娘は 部屋でおとなしく勉強していた。(いつもは結構騒がしいのに)
母さん、3回「そろそろ迎えに行かなくては」と言った。
◎本日も気分は まあまあ安定していた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
静岡県のSK様 お便り有難うございました。(2002.5.19)
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2002.5.18(土)曇り のち晴れ
◎生協配達日。
◎娘 土曜日は塾が休み。朝から自動車学校へ。路上実習を 4単位時間やるという。
午前中は高速道路実習で実際に走ったという。講師1人に 生徒2人ペアで乗り、
行きを娘が乗り、帰りをもう1人が運転してきた。偶然にも相棒は同じ高校の同級の男子
だったそうだ。
◎母さんは 外にドライブに出て帰りが夕方だった場合
「『どこへいってきたのー』って言うよ、きっと」と言う。この娘の言葉は小学生の
ころの言葉で 今はこの時間にほとんど家にいないから、今は言わない。
でも私は「そうだきっとそう言うよ」と相づちを打っている。
そして「でもまだ帰ってきていないかも知れないよ」と付け加えている。
◎本日も北野ファミリーパークへ 行った。
◎夕食後、古書店へ行った。3人出て掛けたが、母さんが「今度は何処へ行くの?」
と聞くので、「古本屋。○○さんのいる方の大洞にある本屋」と私が答えた。
○○さんというのは、母さんの店へ来ていたお客さんのことだ。
それを聞いて 母さんは これから○○さんの家へ行くのだと思い違いをして
しまった。
母さん「暗いから、家が探せないと思うよ」と言った。
私「大洞の方の本屋さんへ行くのやから、○○さんの所へ行くのやないから」
母さん「そうか そんならいいけど」と言ったが 1分たたないうちに また
母さん「大洞と言ってもものすごく 軒数があるしどこかわからんと思うよ」と言う。
私「○○さんの所はいかへんよ。大丈夫」
母さん「ふーん そんならいいけど」と納得。しかしまた1分ほどたつと
母さん「こんなに遅くから行ったら、迷惑かかるし」と。
私「そうや こんな時間に行ったら迷惑やろうな」
母さん「近くまで行って戻ってきたら」
私「横を通ってか?」
母さん「戻って出直そうか」
本屋さんに着くまで15分あまり、そのことを言い続けていたが、本屋さんに着くと
一緒にはいって行き、もうそのことは言わなかった。
◎本日も気分は まあまあ安定していた。
2002.5.17(金)曇り 時々ほんの少し雨
◎みどり病院診察日。採血の時 静脈が細くて、埋まっているのでやりにくく
きょうはかなり痛かったらしい。
コレステロール値が3ヶ月前の検査時に高かった。今回それより
下がったが まだ高かった。食べたいという物は 何でも食べさせているので、
このごろ4年前と較べると かなり体重が増えてきている。4年前43sだった
のにこのごろでは53sぐらいある。
コレステロール値が高いのも 食事内容のせいかも知れない。
食欲はあり。睡眠は トイレは1回または2回起きるが 朝まで熟睡。
たまに 夜起き−−=夢か幻か見て興奮する−−4年間に5・6回あったが
それ以外はよく寝る。
◎診断書を書いてもらって、市保健センターへ届けた。
母さん朝食をなかなか食べないので 省略して出かけ、昼の時刻に朝食を取った
◎みどり病院も医薬分業になって午後から薬を取りに行った。
帰りに4時30分 ラーメンを食べに寄った。この分だと夕食は8時で、就寝は10時
◎ まる○または点が2個 離れて並んでいて、中ほど下に一個まるまたは点があると
それが顔に見えるという。こどもも大人もごく普通の人がそのように感じるそうだ。
よく使われるパソコンの顔文字も、その感性を活用した物であろう。
今日 母さんが 家の中で、「あんなとこに人形さんが置いてある」と言った。
段ボール箱と新聞折り込み広告が無造作に置いてあるだけだったが、離れたとこから
「人形」と言われて見て見ると人形に見えることは見える。
敏感になるともっと簡潔な物にも範囲が広がって それが顔または人形に見える
のかも知れない
◎本巣のばっちゃから「今度火曜日にパーマをかけに行く」と電話があった。
同じ事を母さんに言ってもらうため電話を代わった。「うん うん いいよ」と
返事をしていた。まだ基本的な仕事は、出来ることは出来るので、大丈夫だ。
◎本日の気分は 安定していた。
2002.5.16(木)
◎母さんの方の 知人のお客さんに頼まれたので 午前中からとしこさんに来て
もらった。 母さんは店の方へ行っていて、私の廻りにいないのだから
その間に、私が機転を効かせて、休養するなり、段取りをするなりすれば
良かったのだが、結果的にはそのどれも出来なかった。
空いた時間とは言っても 位置づけられて空いた時間でないといけない。
突然現れた 空いた時間では 私も 母さんの思考の流れの中に
はまってしまって 何も出来ない結果になってしまった。
これでは良くない。流れ中で、質の良くない、「人任せ」介護よりも更に質の
良くない、「自宅介護」に陥ってしまっては 元も子もない。
◎母さんの方は、半日人と接していて、気分は良かった。(安定していた)
◎昼食の準備をしていて母さんが言った。(たぶん夢を見た内容だろう)
−−−「2・3日前 本巣から歩いて帰ってきた。しっけ橋 まで来たけど
足がくたくたに なってしまった。−−みとおばあちゃんの家があるはずだから
寄ろうと思ったけどわからへんし−−ひとりやったで誰もおらへんし−−
お腹空いたけどお金もっとらへんし買う所もないし−−掛けて休憩するとこも
ないし−−足ががくがくして−−ようやくここまでたどり着いた−−−」
◎3人で車で外出した時 かなり遠くに来ているのに 母さんが我が家の方向を
手で指し示して それがだいたい合っているのを見て
娘が「何故方向がわかるのだろう」と言った。
◎本日の気分は 安定していた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
愛知県のOT様 お便り有難うございました。(2002.5.16)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2002.5.15(水)
◎朝食後 母さんがとしこさんとこへ電話をするが、たまたま出なかった。
まだ何もしていないうちから「疲れた疲れた」と言う。「足ががくがくする」とも言った。
「本巣へ連れていってくださいよ」と言う。「そんなに毎日行けないよ」
「いやだいやだ」と言い 半泣きになりまるで幼児のだだのように私の肩を
力一杯のつもりで 実はそれほど強くなく”パン パン パン パン”とたたいた
どこかへ連れて行ってやるのが良いかなと思い、車で30分の市内の
北野ファミリーパークへ 行った。駐車場は一般車両は、ほとんど無かったが
観光バスが10台ほどあった。市内○○幼稚園の遠足のようだった。小学生の
野外学習と見られる集団もいた。移築旧農家、池、花壇、野球場にテニスコート
1区画を一回り散歩をしてきてから、池の周りの芝生に腰を下ろして、持っていった
おにぎりとパンを食べた。また少し歩いて 離れたところから幼稚園児の集団を
飽きずに観察していた。歩くのもいいし 見る物もたくさんあって退屈しなかった。
母さんは結構楽しそうで 足が痛い とか 疲れた とか 言わないで、自分から
あちこち動こうとしていた。
◎ 家を出る前の興奮状態はどこへやらである。
何かの 「動かなければ」という焦燥感が行動に駆り立てるようだ。そしてその要求の
表現は いまある自分の語彙の中からしか出てこない だから「本巣へ行く」と言う
ことになるが「本巣へ行く」の言葉の中に それの表現する要求のある種の意味は
存在するが、別の要求も含まれているようだ。
健康なころは「本巣へ行く」のは1ヶ月に1回か2回だった。
病気になってからは、「臨時休業」したりして 週に1回か2回行く、
連日行くこともある。7日ぶりで行った時には、結構長時間遊んでくる。
連日で3日目くらいの時はすぐ帰ろうとする。「もう少し遊んで行きなよ」
と言うと「そんなにしゃべることも やることもないもの」と言う。
それでいて、途中まで帰ってきて、今 行ったことを忘れてしまって、
「本巣へ行く」と言い出す。
※注 「本巣」=「もとす」地名です。
◎昨日というか 数日前から 本巣へ行ったことをあまり忘れるので
「母さん、覚えがないかも知れないが、行ったことは 行ったんだよ。病気のせいで
忘れてしまうんだよ、それは誰のせいでもなく 病気のせいだからしょうがないよ
忘れてしまったことを 誰も怒ったりはしないよ。だから 済みません なんて
言わなくてもいいよ。だけど やることもいろいろあるし1日に何回もは行った
り来たりは出来ないよ。母さんの代わりに 俺が覚えていてあげるから 俺が 行った
と言えば 行ったのやし、行っていない と言えば行っていないのやから
俺が言うように そうだったんだなと思っておってよ」と言った。
母さん「そんな風に思っていないけど」と言った。その意味は 私が怒っていると
思っていない。私の言うことを嘘だとは思っていない。と言う意味だ。
◎ 仕事を休業した。家事にも興味を示さない。小手先の趣味と言っても、私に指導する
力がない。休業以来 早めにと思ってきたショートケア、のことが遅々として
進んでいないが、力を入れてすぐにすすめないと、このまま固まってしまっては
いかんと思った。
2002.5.14(火)
◎午前、娘を塾に送り出すと、すぐ 母さん「としこさんとこへ行く」と言う。
歩いて出かけると 国道交差点のところを、としこさん夫婦が来るまで通りかかり
こちらを見つけて、交差点を曲がったところで停まった。
市粗大ゴミセンターへ行くところだったという。
としこさんが降りてきて ひとこと ふたこと しゃべり 家へ戻った。
母さんが「本巣へ行く」と言うので
「昨日行ったでしょう、そんなに毎日は行けないよ」と言った。
でも行くことにした。1時間あまり居て帰ってきた。始めに話して置いたので
今日は2回目行かなかった。
◎夕方 母さん「主が居なくなった。」と言った。
◎母さんは20あまりの 定番の昔話のレパートリーを持っている。「つぶやき」に
載せてあるものである。このごろ その中の言葉が出てこないことがたまにある。
その話のひとつ−−20年ほど前の話 店に来ていた銀行員が銀行を辞めて
家業の農業に移った−−−と言う話。銀行員の人が「百姓やっておるんや」
と、元気に言われた。と言うことで、そのシーンを母さんが痛快な話として
私に何回も何回も話してくれた。それが 今日「百姓やっておるんや」の
決め文句が出てこず、「何か面白いこと言っておったよ、なんやったかな」
とつまってしまったので、決め文句のある 面白い話ではなくなった。
2002.5.13(月) 晴れ
◎市保健センターから「診断書は必要」との電話あり。
◎母さんが 朝食が済むと「本巣へ行く」と言った。昨日のことを覚えていて言った
わけではないのだが 昨日私が「明日になったら行ってあげるよ」と言っていたので
行かねばなるまい。
いろいろ家事を済ませてから、11時10分に出かけた。12時少し前に着いた。
10分ぐらいいたら母さんが「帰る」と言った。「今日はもう来ないよ いい?」
母さん「そんなに何回も来るか」とまるで私が冗談を言っている事に対応するように
笑いながら言った。
念を押すことが無意味なことを知りつつ、念を押した。そして ばっちゃが作っている
たたみ1枚ほどの「畑」からそらまめを一サヤ失敬してきた。帰路に就いた。
やはり 今日はほんの少し、帰りかけたところで、「本巣へ行く」と言いだした。
軽く「今行って帰りかけたところだよ、ほら」と言って そらまめを見せてあげた。
これは「予測できた」事だったので、引き返した。
少しして「帰る」と言うので、「ホントにいい?用は済んだ。今日はもう来ないよ」
と言ってそらまめをもう一サヤ失敬して帰り道をとった。
今度は 我が家へあと5分くらいのところで「ここを行ってしまってはいかん
本巣へ帰る」と言いだした。「帰らんと怒られる」とか「みんな黙ってどこかへ
行ってしまって」とか言っていた。
私「さっき言ったように もう今日は帰らないよ」と言って 我が家へ戻った。
昼食を食べて 2時まで営業用の電話連絡を待っていた。
母さんが「本巣へ連れて行ってよ、暗くなったら行けなくなってしまう」と言う。
私は「もう今日はダメだ」
30分ぐらいやりとりがあった。
合理的な話が母さんには無理と知りつつ そぐわないことも承知して 先程の
そらまめを出して、私「これは1回目に行った時 ちぎったそらまめ。
こちらは2回目に行った時ちぎったそらまめ。母さんは覚えがないかも知れない
けれど今日は2回行ったんだからもう 行かないよ」と言った。
力無く「2回行ったことは知っている」と言った。これは合理的に思い出した
わけではない。感性的に「そう言えば行ったのかなー」と思ったわけでもない。
身分的または 立場的納得というやつだ。
続けて私「まだいろいろやらなければならないし、何回も行けないよ」
母さん親しくない人に言うように「済みません 済みません」と言う
さらに私「それに2回目行った時に もう今日は来ないから用を済ませておいで、
と言ったやないの。それに また来ると言うことになるから 用が全部済むまで
今日は泊まってきてもいいよ 明日迎えに来てあげるからって言ったやないの。
私は行かないけど 母さんが行くのを止めはしないから 気を付けていっておいで」
とも言った。
母さん「泊まる話なんて聞いていない 車に乗れへんで 歩いて行かならん。
足が痛くなってしまう。そんないぢ悪言うならとしこさんに言ってくる」
私「どこへでも 何でも言っておいで、でも今日は行かないよ」と言った。
母さん「もういい、自分で行くで」と。そのほかに「何も聞いていないで
わかりません」とか話の筋に合わないことを いくつか反論のつもりで話していた。
言葉が標準語的になるのもけんか腰の対応だった。
入り口周辺で、出たりはいったりしていたが、「出発」しなかった。
2時が過ぎたので「よし今日はもう一度だけ行ってあげる、向こうに着いたら
今夜は一晩泊まっておいで、明日迎えに行ってあげるから、でないと また4回も
5回も行くことになるが、今日はそんなには出来ないから」
母さん「それはその時にならんとわからん」
3回目を出発した。私は機嫌をとるのもおっくうになって、車の中では黙っていた。
少したっと、母さんは 先程の状態とは変わって、外の光景を いつものように
私に報告し始めた。
途中で おやつと飲み物を買って、母さんが車の中で食べた。
向こうに着いたら、玄関をはいり、顔を見ただけで出てきた様子だった。
私「せっかく来たんやから、もう少し遊んで行きなよ」
母さん「そんなに話す事無いもの」
私「じゃーさっき 今日中に来なければならないと言った 目的は何やったの
いいから もう少し遊んでおいで、車の中で昼寝しているから」と言って
私は車に戻り、母さんは「もう一度見てくる」と言って中へはいって行った。
母さんはしばらくして出てきて 車の脇に乗り庭先を観察していた。
小鳥が二羽いて、小さく飛び回っていた。母さん「ちょっと見てみい、おもしろい」
母さんにとって おもしろい と かわいい はほぼ同意語のようだ。
私は「ほんとだ」などと言いながら居眠りしていた。
母さんが「もう帰ろうよ」言った。私「もう少し休憩するから」と言いそのままいた。
5分後にもう一回、もう5分後にもう一回「もう帰ろうよ」と言ったので
「じゃ 帰ろうか、その前に母さん あのそらまめを一つだけとってきて、3回目来た
という証拠に持っていくから」と言うと、車を降りて そらまめを取りに行った。
10サヤぐらい取り、家の中にはいって行った。「もう帰るって言ってきたから」
ばっちゃは そらまめを見てなんと思ったか知らないが...。
私「ありがとう、じゃー そらまめをもう一個だけ取ってきて」
一個と言ったのに3サヤ取ってきたが、それは問題にせず、
「今日は ばっちゃの顔を 見てきたのだから、4回目は来ないよ」と言った。
「うん もう帰っていいよ」
ばっちゃが 見送りに出てきた。手を振って、バイバイをして家をあとにした。
ばっちゃの家にいた時間はおよそ1時間。
道々5個の そらまめを つかみながら「今夜の夕食に食べよう」などと言いながら
戻ってきた。その後は もう一度行くとは言い出さなかった。
◎夕方「まあここにすわっておいでよ」と言ったら「だんだんアホになってきておるで
ここにすわっておるわ」皮肉でもなく、悪びれもせず、横に腰掛けた。
◎物忘れの説明
2002.5.12(日) 晴れ
◎朝食後、散歩がてら としこさんの家へ行き、顔を見て話をした帰ってきた。
◎娘は午前中自動車学校へ行き、午後は友達とカラオケに行った。
◎母さんと私は昼からドライブに行った。途中 シャンポリオンで、コーヒーと
ケーキを食べてきた。
◎昨日もそうだったが外出から帰ると「あー疲れた」と言う。このところ外気温が
少し上がっているせいかも知れない。寒がりで 暑がりだから疲れたのかも知れない
◎娘は遊びに行った帰りに 母さんに「カーネィションの花」を買ってきてあげた。
◎思いつきで夕食後 3人そろってばっちゃのところへ別のカーネーションと
切り売りスイカ、さくらもちなどを持って行き「母の日だよ」と言って渡した。
ばっちゃは「おおきに」と言ってカーネーションの花を 仏さんの花に飾った。
4人でスイカとおやつを食べ、その前からばっちゃが 卵をといて作っていた、
茶碗蒸しを食べた。娘は気楽に寝そべってテレビを見ていた。
これがばっちゃへの母の日のプレゼントなのだ。
◎ごく普通に帰途についたが、3分の2ぐらい来た時、先日と同じように「本巣へ帰る」
と言いだした。「今日はもう行かない。今一回行って来たし、これから引き返すと
10時過ぎになってしまうから」と言って そのまま家へ向かった。
「ばっちゃが怒る」とか「本巣へ行って」とか言っていた。家へ着いたら
興奮状態で車のドアガラスより下の部分を力任せに5・6回たたいた。
家へはいってからも 今行って来たことを忘れてしまって「本巣へ行く連れてって」
と何回も言った。私は「今日はもう時間も遅いし もう一度は行ってきたから
今日は行かない。明日なら行ってもいいよ、この前は5回も行ったよ、5回目の時は
ばっちゃは寝ていて戸が開かなかったやろ」と言った。母さんは小声で よその人に
言うように「すみませんすみません」と言っていた。そしてなおも外に出ようとしていた。
私「俺は行かないけれど、行くなら行っておいで、気を付けて行って来るんだよ」
少し行き来していたが「としこさんとこへ行く」と言ったので
「としこさんとこなら行ってあげる。ただもう寝ているかもしれないよ」と一緒に
歩いていってあげた。戸が閉まっていたので戻ってきた。すると母さん自分で電話を
かけて確認し「もう一度連れてって」と言う。今度は車に乗せていってあげた。
今度は戸の鍵を開けていてくれた。一旦玄関をはいり、顔も見ないうちに帰ろうと
したので、「せっかく来たんやから 一言くらいしゃべって行かなくちゃ」というと
そこで待っていた。としこさんが出てきたので、簡潔に要点を言い、なだめてもらって
気分が落ち着いたところで戻ってきた。その後はすぐに寝た。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
福岡県のK様 お便り有難うございました。(2002.5.10)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
K様のお便り。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−(略)−− 昨日主治医とお話をして1週間の様子を書いたものを見せ、
先生からの質問に即座に答えたのが5月1日にコナンの映画を見に連れて行ったことでした。
「コナンの映画」ということを覚えていたのにはびっくりしました。
先生の話によると感動したものなどは記憶するところが違うので残りやすいということでした。
奥様もきっと子供さんが急に泣かれたことで感動し記憶に残ったのではないかと思います。
デイケアも無事5日間過ごすことができました。傘を持って行き忘れてきたことも思い出して
いました。−−(略)−−
毎日、日記読ませていただいています。又お便りします。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
※5月10日の「トイレを借りに来たこどもが泣き出した」記事を読んでいただいての
お便りでした。家の娘も「コナン」が好きで、鳥取まで「コナン記念館」や「コナン大橋」
を見に行ったことがありました。
2002.5.11(土)
◎今日は生協の配達日。母さん としこさんに 洗髪してもらう。
◎その後、散歩がてら としこさんの家へ行き、母さん用ズボンを2本もらってきた。
◎娘は 朝から自動車学校へ。11時40分におわり、午前中に風邪薬をもらいに、
病院へ行かなければならないので、迎えに行き、11時50分に病院に着き、ぎりぎり
セーフ。昼食後は母さんのドライブを兼ねて、娘の自動車学校の、路上練習のコースの
コースを乗せて廻ってあげた。私から見れば隣市の地域内がほとんどであったため
途中で停まって、自動車学校の省略かつ不鮮明で見にくい地図を確認しながら進んだ。
◎夕食後の8時半ごろ「○○がまだ帰ってきていない」と言うので 部屋まで行って
「もう今日は帰ってきているよ、ほら」と言うと安心していた。
◎今日は 母さんの気分は安定していた。
2002.5.10(金)
◎7時起床。起きる前に今朝も「こわよう 助けてよー」と言った。
◎昨年8月から始まった。ティッシュ、または トイレット用ロールペーパーの備蓄は
今も続いている。それもトイレの中で 自ら使用中にその作業をするため、使用中の
ロールペーパーの無くなることが早い。店用トイレは いまは お客さんも来ていない
から2日で無くなることは 普通は無い、ところが一昨日かえて置いたのに、芯だけ
残っていた。ちょっと前まで予備を置いていたのだが、消費のスピードに私が付いて
行けず、予備も備蓄に使用されるため、このごろ、予備もなくなっていることが多い。
でも この程度のことは、目くじらたてるほどのことではない。
それが「使用中に」無いことを気づいた時が大変である。母さんを呼んで持ってきて
もらうのだが、見やすくとりやすい所にあるのに「どこにあるの?」と聞く。
我が家のトイレでは使用してはいけない化学繊維のティッシュをとってくれたりする
ようやくロールペーパーが届くまでに5分くらい経過した。(イライライラ!!)
◎「こども110番の家」というものが、小学生の通学路に、およそ200mごとに
設定されている。我が家のように 商売の家とか、年寄りが何時もいる農家、
年寄りが何時もいる外勤めの家、お寺、家内工業の家とかが 依頼を受けて
その家 になっている。小学校が中心になって、各種団体の協議会で依頼活動をし
組織化されたようで10年くらい前からある。
本来の目的は、こどもを誘拐などから守るための ものだが 我が家は、
こどもにとっては「110番」のトイレにたまに活用されている。
小学生の女の子がほとんど。
昨日 午後からドアを開けていたら、下校途中の小1ぐらいの子が親子連れで
「すみませんがちょっとこの子にトイレを...」と頼まれた。
「はい どうぞどうぞ」とすすめた。トイレの紙はあった。
その子の母は なぜか外にいた。こどもは トイレのドアを開けたまま用を足して
いたので、家の母さんがドアを閉めてあげた。これはごく普通のこと。
そしたらその子が「あーん」といきなり泣き出した。
「あーっ 閉めたからこわかったの」と私がすぐドアを開けてあげた。続きを泣いて
いたが、静かになった。外にいたその子の母さんに「ドアを閉めてあげたら泣いて
しまったので、ちょっとはいってきていだだけませんか」と私が言った。
「実はうちの子ではないんですが、トイレというもんで」と言われて、始めて親子
でないことがわかった。このあたりでは1年生の親同士が交代で学校まで迎えに
行き、自分の子もよその子も連れて帰ることがある。とにかく 中にはいって
もらって、なだめてもらい、無事帰っていった。
◎(上のつづき) 今日 朝食時 私が娘に話していた。「我が家の110番の家も
このごろ閉まっていることが多く、役割が果たせていないけど
昨日、久しぶりに役目を果たしたぞ..
一年生くらいの女の子が トイレを貸してくれって、引率者と一緒に来たよ」
そこまで話したら 母さんが 口を挟んできて 「かわいい女の子にトイレ貸して
あげて ドアを閉めてあげたら 泣き出してしまって ドアを閉められたもんで
恐かったのやね。その子のお母さんがいたから良かったけれども」と言った。
−その子のお母さん−のことは別にして、昨日の光景を明確に覚えていたと言う
ことが 私には驚きだった。
30分前のことでも覚えていないことが多い。昨日のことはなおさら。
1,最近無かったこと。2,泣き出すという 心に訴える「事件」だったこと。
が記憶を思い出させた 理由のように思える。
日常的なことも「記憶」はわずかにしているのかも知れない。事柄は昨日も今日も
ほぼ同じようなことで 特に感情に訴える事情もないので、呼び起こす力になり得ない
のかも知れない。
◎お客さんのKM(75歳くらい?)さんから ワープロ一太郎のフロッピーへの
保存方法について11時20分から電話があり、12時50分までかかってやっと
わかってもらった。目の前で操作しながら説明すれば納得してもらうのに5分と
かからないことだが....。相手方の画面上に表示されているはずの、説明や
記号、アイコンが「○○があるでしょう」と言っても「無い」と言われる。
「無いはずはない!!」と言うわけにもいかず、言葉を換えて説明し、3ファイル分の
保存操作をやり、保存したものを表示してもらって、やっと修得してもらった。
本日の予定は大幅に狂った。その間に来ていたらしい宅配屋さんの 持ち帰った
という 連絡票がポストにあった。
※訂正−5月8日の記事の中で 「市保健センターの保健婦」と書きましたが、
現在は「保健師」ですので「保健婦」を「保健師」に訂正します。
2002.5.9(木) 晴れ
◎晴れていて 母さんの気分良し、「どっか行こ」のつぶやき しきりと。
「用を済ませてからね」と 一緒に洗濯など干す。
◎郵便局へ 電話代等の支払いに行った。
◎ やかん 鍋 など 壊れた物、プラスチックの植木鉢などを。市粗大ゴミセンターへ
捨てに行った。処理代金は 一袋あたり、200円だった。「どっか行こ」というのは
別に 公園とは限らない 車に乗って 移りゆく風景を楽しんでいたようだ。
◎2時30分に昼食、母さんは 事務所の私の脇に座って夕方まで過ごす。
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福岡県のK様 お便り有難うございました。(2002.5.7)
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K様のお便り
毎日大変なご様子手に取るようにわかります。主人はまだ徘徊とか家をよく出たりとかが
ないので助かってます。6日よりデイケアへ通い始めました。マイクロバスが来るところ
まで父親に送り迎えを頼んでます。精神科専門の病院で若い人から老人まで幅広くおられ
るようです。スタッフの方や患者さんに助けられどうにか一日過ごしてきた様子です。
何をしたかは覚えていませんでした。二日目も嫌がらず行った様でした。このまましばらく
続いて刺激になればと思っています。お体気をつけてください。
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2002.5.8(水) 曇り 小雨
◎午前9時半ごろ いつも身につけている「ネックレスが無い」と行った。
◎市保健センターの保健婦小池さんが来られた。市障害者センターの訓練施設利用申込書
を出した。発病以来の状況調査をされた。応対は母さんの店でやってた
母さんは 「こんにちわ」と挨拶し、ひっこんだまま出てこなかった。
◎その後、洗濯干し、
◎下葉栗農協支店 で野菜と切り花を買ってきた。ここは 切り花が安い。
野菜は母さんに選んでもらって買う。買ってない物があると、その商品の前へ行き
「どれがいいかなー」と言って誘いをかけている。
切り花、母さんの好きな物を自分で選ばせている。帰ってきて、水切りしたりして
母さんが飾った。今日は2個花びんがある。お客さんは休業で来なくなったが
店の雰囲気は 何時来られても いい状況である。
◎娘は 午後 塾が終わると、自動車学校の送迎車に塾まで迎えに来てもらって、
自動車学校へ。「3時半ごろ、練習車に乗って 我が家の前を通るから見ていてくれ」
と言うので プランターの草花の手入れをする振りをしながら見ていたが、
コース変更か 通らなかった。
◎午後5時、私が歯科へ行くのに 母さんが「付き添って」行った。
◎
2002.5.7(火) 小雨
◎「こわい こわい 助けてー」と言った。起きると言わなくなった。
◎朝から雨、「こんなに雨が降っていては帰れーへん」と言う。
雨で湿気があったが、昨日より気温が低く、暑くなく 寒くなくで
機嫌はそんなに悪くなかった。
◎娘、塾へ。
◎朝食、食べなかったので、モーニングサービスのある喫茶「チボリ」へ。
窓側に、5メートル 横14メートル(目測)ほどの池がある、金色の鯉2匹、
赤一匹、赤白黒の混じり3匹、白一匹、黒6匹、ワンランク下がって、
15センチ前後のが20匹ほどいた。池の中程に「島」があって、木が茂っている。
黒の大きい鯉は、70センチはある。黒の他のもつづけておおきく ゆうゆうと
泳いでいる。その大きい鯉が、「島」をまわって目の前に現れると、母さんが
「でかいねー」という。「おー おおきいね。主だね」母さんは にこっとして
「ぬしだ」という。その大きい鯉は何回も回遊している。
そのたびに 全く同じ会話を7・8回繰り返した。
◎ 母さんは 私の仕事に付いていった。
◎ 私の方のお客さんAさんから 「奥さんどうですか?」と電話があった。
「有難うございます。まあ 小康状態ですわ」と答えて置いた。
「早く良くなるといいですね」と言われた。
◎午後 苧ヶ瀬の池にいき、雨が上がっていたので ほんの少し散歩。車の中で
母さんは 風景の観察、私は15分ほど、昼寝。
2002.5.6(月) 晴れ
◎ 起きがけに「こわよう お母さん助けてー」と言っていた。「おっちゃん助けてー」
とも言っていた。「おっちやん」とは私のこと(時々「おっちゃん」という)
◎娘の塾は土日は休みだが、祭日はあり、で普通どうり登校。バスは休日ダイヤで、
バス停まで行って気づく、待っていて次のバスで行った。
◎玄関台所の ちらけもの の整理をした。根本的に整理するには、いらない空き箱
などを整理することと、整理する流通経路をつくることだ。
◎晴れていると「どっかへ行く」気分が強い。午前中は苧ヶ瀬の池に連れていき、
帰り道 パソコンスーパーでカタログをもらってきた。
午後はばっちゃの家へ行った。五回行った。くるくる変わるとは言え 母さんの
要望でもでもあるし、今日は休日日で私に時間があったので付き合った。
一度行って、普通は家に帰ってくるが、途中まで来て、まるで始めてのように
「本巣へ帰る」と言う。それでもう一回ばっちゃの所へ行った。あと3回戻り、
本日合計5回訪ねたことになる。どこでどう心境が変わるか観察したが、
明確にはわからなかった。きっかけとなる物は「地名標識」「車内の温度」
「音の有無」「私のしゃべり具合」「時刻を示す時計」など。
確かに言えることは、記憶の喪失である。
奇怪に見える行動の幾つかも「今 逢ってきた」と言う記憶がなくなったため
発生している。本日の 元の要求である「今日は ばっちゃに会いに行く」
と言うことを実行 しようとするため外界の反応がおかしくなる。つまり私の反応が
母さんにとっては変なのである。本当は2回目行こうとしているのに、母さんに
とっては 「今日始めて行っているはずなのに」。
その落差を埋めようとして、時として 奇怪な言動と行動を伴うことになってしまう。
1回目は1時間ぐらい遊んできた。
2回目は20分ぐらい
3回目は5分くらい
4回目は顔を見ただけで帰ろうとした。
5回目も顔を見ただけで帰ろうとしたので、
私が「今日はここに泊まっていったら」と言うと「泊まっていくなんて言っていない」
と言った。ばっちゃは「おーおー、泊まっていけよ」といったが母さんが「帰る」
というので「じゃー」といってそのまま普通に戻ってきた。
もう一度行くとは言わなかった。
2002.5.5(日)曇りのち晴れ
◎ 各務原交通公園に行き遊んでくる。この交通公園は 一画が児童の交通安全指導用の
模擬道路区画。一画が芝生広場、一画がトリム広場、周囲に遊歩道かあった。
一周ぐるりと廻ってみた。家族連れでいっぱいだったが 広さも広いのでゆったりしていた。
母さんは 幾組もいる小さいこども連れの家族の こどもの方を「かわいい」
などと言いながら飽きもせず 木陰のベンチにかけて見ていた。
全体が山に囲まれているので、空気はさわやかで涼しく快適だった。
昼過ぎに家ら戻り、昼食。
◎夕食前 「暗くならないうちに帰らないとばっちゃに怒られる」と言い出した。
「もう大きいんだからいいんだよ」と説得したがなかなか納得しなかった。
でも今日はもう 連れていったやらなかった。
また後日という日があるさ
2002.5.4(土)曇り 雨
◎昨晩、なかなか寝付かず、遅くまで起きていて、12時頃、本巣へ帰ると言いだして、
なだめたが鎮まらなかったので、送っていった。こんな時間に起きるはずもない。
向こうへ着いてから 3回行きつ戻りつして、としこさんの主人に電話でなだめて
もらって 結局帰ってきた。午前3時だった。
ところで なだめている時 家の中にいたり外にいたりしていたが その時
「じゃ 歩いていって見よう」と散歩コースを ほんの10メートルほど
歩きかけた時、「遠いよ ちょっとやそっとでは行けんよ 歩いては行けないよ」
と反対した。確かに そのつもりで用意をして 実験でもするつもりでなければ
日常行動的に、手軽にふと歩いて行けるところではない。距離感については
明確な意識を持っていると言うことだ。
◎あさは「こわいこわい」と言っていたが、普通に7時に起きた。別に眠そうではなかった。
昼間は 眠そうであったが、「昼寝はしない」と言うのが 健康なころからの習慣で
今もそれを守っていて、寝なかった。夜昼の反転が起こるといけないので、本人が
言わない限り、「ちょっと昼寝しやー」とは言わないことにしている。
◎昨晩 ばっちやに会えなかったので、今日午前中に 本巣へ連れていってやった。
きのう「もうだめだ」「もうだめだ」を繰り返していたので、私はいっとき外に出て
駐車場で待っていたが ばっちゃにそれらしいことを言ったけはいはなかった。
おやつを食べて 八代亜紀 の出ているテレビを見て帰ってきた。
今日も帰り道で「ばっちゃ びっくりするかも知れない」などと 今逢ってきたことを
忘れてしまって、行く前の状況の中での つぶやきを発していた。
私はそれを今日は無視した。いつもは「今逢ってきたがね」「いや逢っていない」
とのやりとりになって もう一度引き返す羽目になっていたのだ。
車窓の風景のことや別の話題を話すと それに乗ってきて、今日は引き返したり、
家へ戻ってから、もう一度行くと言うことはなかった。
「今日 見ていない」と言う時でも 全過程を忘れてしまっているかというと
そうでもない。ばっちゃが買ってくれた、初物の切り売りスイカを食べ事などは
覚えていた。
◎徘徊の考察。
母さんが 「どこどこに行きたい」と言った時、仮に一笑に付されたり、
反対され続けると、早期に行き先を言わないで、「外出」するようになるだろう。
目的地への道順を忘れてたどり着けないと、「徘徊」の完成である。
私が若いころの「盛り場を徘徊する」とはちょっと意味が違うようだ。
2002.5.3(金)
◎起きがけの「こわい、こわい」は今日も言ったが起こして動きにかかったら止まった。
娘、休日にもかかわらず塾へ。
◎8時30分、やること