日記Ynas0203
2002年1月から3月の日記です。(新しい日付が上段 古い日付は下段)
2002.3.31(日)
◎お客さん1人あり。1時ごろおわり、としこさんも帰った。さあ昼食とお皿に
添えていると、母さんの姿が見えない、トイレにでも行っているんだろうとそのまま
盛り合わせを進めていた。それにしても長いなーと思ってトイレをノックしたが
返事がない。鍵はかかっておらず中は空っぽ。外に出たが東西南北姿なし。念のため
にと二階へ駆け上ってみたが、そこにもいなかった。連絡と問い合わせをかねて
としこさんとこへ電話、旦那さんが出られて、ちょっと立ち寄ってもうこちらへ
向かったとのことだった。やれやれだった。
少しすると戻ってきたので 「それじゃーごはん食べようか」と普通のトーンで
いった。数秒 間をおいて小さい声で「今こわかった。パイパスの所がこわかった。
誰かが後を追っかけてきたので走って帰ってきた。」と言った。そして「としこさん
いるかな」とも言った。
私「今会ってきたのやろ、いるよ」と言ったが 何か言いたそうだったので
代わりに電話をかけてやった。母さんに変わると、「今こわかった」と連続して
何回かそれだけをしゃべって私に受話器をくれた。としこさん「今来たときは、
笑い顔で楽しそうに入ってきて、普通に戻っていったけど...」と。
私「帰り道で国道がこわかったのと、誰か追っかけて来るという幻覚を見た
らしいです。」
としこさん「そうか、はよ昼飯食べやー、そしたら落ち着くにと言って置いたけど。」
昼食を食べてそれ以上は問題は起こらなかった。
◎娘は午前中から弁当持ちで友達と花見に行った。
昼食後、「そんならわしらも今日は花見に行こうか」と桜を見に行った。
露店の団子やさんが出ていて、それを食べ、写真を撮ったりした。
◎健康時にその地域を熟知している人、よくそのあたりを歩いたことのある人は
徘徊しても、迷わない状態が長続きする。母さんのようにこの地域へ来たのが
38歳で家の中の仕事が多く あまり外に出たことのない場合は、一人で外出すると
すぐ迷う。だいたいは私が付いていくので迷わないが、今までに四、五回私の
知らぬ時出たとか、途中で見失ったことがある。発見したとき、同じ場所を
行ったり来たりしていて、迷っているように見えた。
2002.3.30(土)
朝 室温18.5℃ 快適温度の範囲。それでも「さむいさむい」と言う。
「もうダメだ」「お父さん助けて」とも言った。
私「うんうん」と言い「まだダメではないよ、お父さんに任しとき」
とはいうものの 為すすべなし。次のような言い方が良いか悪いかわからなかった
が「お母さんは今までがんばったんだから、大丈夫のうちに、楽しいこと、
やりたいことをやって、食べたい物は食べて、楽しくすごして行こう」と言った。
ちょっと前に「築きあげたものが崩れてしまった。」とも言っていた。その時には
自分の存在状況をかなり正確にとらえている。
初期に物忘れが不連続に現れたように、自己の状態認識も正確なとき、不正確なとき
と不連続に現れてくる。一様に病状が悪化していくのではなく、悪くなったり
良くなったりしながら、次第に悪化していくという経緯をたどるようだ。
例えば「どこも悪くないよ」と言い続ける方法もある。そうすれば本人は
「どこも悪くない」という認識に立つだろう。しかしそれも私の生き方に反する。
少なくとも本人が言い出した物忘れや行動機能低下については
「たしかにそれはある...」と容認している。もちろんそう言うときには、
励ましの言葉も他方では言い、その場で何か別の行動を提起して、その意識に
はまりこまないよう配慮したりはしているが...。
母さんが崩れていく、自己を見ている心境はかなりの苦痛であろう事が推測される。
◎朝食準備中に”家出”。準備を中断し火を消して外に出ると北へ向かってゆっくり
歩いていた。電車線路の踏切の向こう側まで言っていた。追いかけていくと
こちらが電車に止められた、
40秒くらいの時間の長いこと、追いついて一緒に先へ進む。
いつもの本当の散歩のように、まわりの景色に見えることで話題をつなごうとすると
それには答えず「もういやになった」と言った。そしてさらに先へ進んだ。
「本巣へ帰る」という。
ちょっと風が吹いてきて「さむいさむい」と言うので家へ戻ってきた。
家に着いたら、もう一度歩き始めた。で散歩コースを一周(約20分)して
帰ってきた。私「まだ朝ご飯前やし、今日は生協も来るので、いろいろ済んだら必ず
一緒に行ってあげるから、待っておって」と言うとその場では納得していた。
◎戻るとまた歩き始めたので「写真をもらいに行こ」と言って車に乗せて、
写真屋へ行って来た。その後は、生協配達日で、生協の車が来たりして出ていかなかった。
◎娘が自動車学校へ見学に行くとか言うので いろいろ済ませていたら、1時30分
になった。やっと気持ちのゆとりが出来たので「さあ出るか」と言って車に乗り込み
「それでどこへ行くの」と私が聞くと、
母さん「わからん」と言う。
私 「朝、本巣へ帰ると言っていたがね」と言うと
母さん「そんなこと言っていたっけ」と言う。
私 「じゃー どうするの」
母さん「行ってもいいけど」
私 「じゃ 本巣へ行こうか、朝そう言って、約束していたのだから...」
と言って本巣へ出かけた。
今日は10分ぐらい遊んでいて、「帰ろうか」と言うので帰ってきた。
◎午後、娘は中学時代の友達とカラオケに行った。
◎本巣から早く帰って来すぎて、時間が余り、苧ヶ瀬の池へ散歩に。
夜は100円ショップと本屋を見聞>(見てきただけ)
2002.3.29(金)
◎朝、北側、田圃地帯を散歩。朝食後、岩戸公園へ行って 桜を見てきた。桜の種類
があり、全般的に暖かかったが2日ほど、寒かった日があって、桜は半分散って
しまった木、満開の木、つぼみが多く2分咲きほどの木があった。
◎3時から、本巣へ、ばっちゃはちょっと出かけたのか、いなかったので
そのまま戻ってきた。帰り道に雨になり、そうとう土砂降りになった。
母さんがばっちゃに会えなかったので「もう一度行く」と言ったが、「また今度に
しよう」と言って行かなかった。
今日は興奮状態にはならなかった。
2002.3.28(木)
◎6時10分に起床。直感的に明朝は大丈夫という日がある。大丈夫とは朝までは
徘徊も、興奮状態にもならないということだ。今朝はそう言う日で、気温も
上がって、健康状態の母さんに鼻をつつかれて起こされるまで ぐっすり
寝ていて、母さんがうなったかどうかわからなかった。
◎10時、脇田自動車へ行き、冬タイヤを夏タイヤに交換してきた。
母さんは、待っている間、脇田の奥さんと、おしゃべりしていた。
◎昼休みの後、苧ヶ瀬の池に行き、散歩。さくらは日に日に咲いてきて変化を見る
のが楽しい。去年は、さくらめぐりをやったことがあった。
◎3時のおやつの時間、久しぶりに娘も家にいた。娘のおみやげ「ぶたまん」を
レンジで温めて食べた。母さん何を思ったかあるいは何も思わないでか、ぶたまんに
鰹のふりかけをパラパラとかけて 自分で「あっ」と言った。その「あっ」は
鰹のふりかけ そのもののことではなく「かけすぎてこぼれてしまった」こと
だった。
人間、驚きの心を持って物を見て世界を広げる柔軟な心が必要である
と同時に、何事を見ても動じない強靱な心も必要である。
◎当店の数少ない個人用パソコンのお客さんであるM氏の件。相手先の支払い能力
以外にはその事情には関心がないが、(M氏はもちろん万全)自分で語り始めたこと
だからメモしておく。彼56歳は、老後のことを考えて、仕事を中途退職し、
「介護福祉士」を目指して専門学校に去年から通学しているとのことだった。
娘の同級生も、以前は女性は医療系で言えば看護婦を目指す人が多かったのに、今は
介護福祉士や理学療法士、作業療法士、公式にはないが芸術療法士(絵画、音楽)
、その他検査に関係する医療技術系なども目指す人が多いと言うことだ。
M氏の人生への情熱に敬意を表する。
2002.3.27(水)
◎朝、「ちびさんがいない」と4回か5回言った。
「友達と旅行に行ったよ」と説明した。そのうちわかったようだった。
◎朝8時30分、母さんの親しくしていた人から「カットして欲しい」と電話あり。
私の判断で「おいでください」と返事。母さんに伝えると、張りを持って
動き出した。30分の平均作業時間で完了した。お客さん「ここが休まれて以来
ずーっと髪が伸びっぱなしで、3ヶ月ぶりなんです。ここの先生のように、
気に入ったようにやってもらえるところが無くって。」
お帰りの時は見違えるように若返って出て行かれた。 母さんも満足げだった。
昨年11月休業まぎわの時のように、必ず開店するのは困難のようだ。
たまたま、気分のいいときに申し込み連絡があると 仕事が出来るようだ。
以下は私の推測。適宜仕事をしているとエネルギーが発散する。
行動した実感と相手の謝意、またはお世辞によって快適度も増す。
仕事をしていないと、エネルギーが蓄積する。変化がないので快適さもない
外の刺激がないと頭の中の記憶を操作する。気分がいいものと悪いものとがある。
気分の悪いものを取り出して、蓄積されたエネルギーで興奮状態になる。
◎私が病院の診察日、今日は母さんは付添人で付いていった。
◎私が病院で、昼食つくりが間に合わずうどん屋さんで食べた。
◎事務所の整理
◎3時から ばっちゃのとこへ行く。でこぽんをもらってくる
◎5時30分、私が歯科へ
◎6時30分、一緒に夕食つくり
◎7時20分、娘を駅へ迎えに行く
◎夕食を食べた後8時30分、でこぽんと娘のみやげを持ってとしこさんのところへ
◎今日は、興奮状態になることはなかった。「しんこちゃんのはなし」など
いくつかの 昔話をしていた。午前中、2回「お腹気持ち悪い」と言っていたが
午後からは言わなかった。
2002.3.26(火)
◎昨夜、正確に言えば今朝1時30分ごろのこと。
母さんは昨夜は少し早め9時半に寝た。「うーん、うーん」とうなり始めた。
その声が次第に大きくなり、「こわーよー、こわいよー」と言っていた。
「どうしたの?」とか「ここにいるよ」とか言っても反応せず、やがてむくと起きあがり
階下へ行った。としこさんの所へ電話をしようとしたが、番号がうまく押せず、
通じなかった。「こわいこわい」の興奮状態になり、玄関を出ようとしたが、
あわてていて戸が開かない。戸を開けてやって、一緒に外に出でて としこさんの所へ
行こうとしていたので、付いていった。途中、静かな裏道ではかなり響く声で
「こわいよー」を連発していた。私の手を振り払おうとするそぶりもあったが、犬が
ないたりして、私の手にしっかりつかまったりした。国道の信号は今日はきちんと
待っていた。家の前まで行って「こんな時間では寝ているわ」と自分から言って、
戻ろうとしたので 一緒に戻ってきた。家へ入り10分ほど、うろうろしていて
一旦床にはいったが、2分ほどで起きあがり、また電話をしようとして通じなかった。
もっとひどい状況になるといけないと思って私が番号を押してあげた。
2分くらい「こわいよう」繰り返しているだけでほかのことを言わず受話器を
だらりと下げた。私がかわり、謝意を表し、「様子を見てみます」といって切った。
20分くらい、お茶など飲みながら起きていてその後横になった。1時間ほどして
また起きてかほそい声で言ったこと「男の人が鉄砲を持って立っていて、こわかったので
一生懸命走って逃げてきた。走って走って逃げてきた。こんなにこわかったことは
今までになかった。ちびさんたちが心配だ」と言った。ちびさんとはこどものことで
2人か3人いるようなそぶりだ。「そんなら、連れに行かなければ」と私が言った。
「こわいよーこわいよー」とまた言う。
同じ話をもう一度言ったがその時は、「ちぴさんに『しっかり手をつないで離さないでね』
と言うと『うん、うん』とみんな返事をしてくれて力一杯走って来たんや」言った。
私、「そりゃ良かった。そりゃ良かった。ちびさんも下で寝ているよ...もう大丈夫
だよ。お父さんがここにいるから」。母さん「ありがとう、ありがとう」と繰り返して
いて寝た。夢を見ていたのか、見えないものが「見える」幻覚なのかわからない。
◎9時30分、普通の顔をして、としこさんのところへ顔のぞきに、裏庭の
「もくれんの花」を切り花にしてもらって帰ってきた。
◎11時、サポート業務の仕事に付いていった。
状況に、変わったところ無く、挨拶なども普通にして待っていてくれた。
◎娘は卒業旅行と称して友達3人と計4人で、一晩泊まりの旅行に行った。
少なくとも3回は打合会をやっていたようだ。
「要所で連絡せよ」と言っておいたところ 駅に着いた時とチェックインした時
にメールで連絡してきた。
母さんは「ちびさんがいない」「塾へ迎えに行かなくっては」と繰り返していたが
何回も私が説明して納得した。
◎パソコンスーパーへ一緒に行く。小物商品はスーパーで買った方が早く、
当店は「設置・接続・動作確認」の技術料を戴くことにしている。
◎久しぶりに苧ヶ瀬の池へ行った。対岸の「寝ている人」と見えたシートが取り去って
あって見えなかった。「ようあんな事していると思ったけど...」と言っていた。
何回も見る物は記憶していたと言うことだ
◎夜8時頃「しんこちゃんが死んだ」話をしていて、恐ろしさにおそわれ静まらなく
なった。9時ごろとしこさんの所へ行って「世間ばなし」をしてきたら落ち着いた。
しんこちゃんとは65歳より後に病気で亡くなられた親戚の人
としこさんいわく「あんたたち会食に行ったら」私「それがねー家は2人とも
多すぎて食べきれないと言うのやよ」「○○○はそう言うの好きでよく行くよ」
とか言っていた。
2002.3.25(月)晴れ
◎今日は 現在の状況から言えば、基本的に大過なし。
◎朝食後、母さんはとしこさんのとこへ電話を掛け、○○さんが不在だったことについて
空想の情景を混じらせて怒って話していた。このことは23日にとしこさんが来たにも
話していたので すでに聞いていた内容だった。話の内容は次の通り、
「前々からわかっていたのに、ふたりともおらんのやて、待っとってもちっとも来ないし、
私留守番しているようなもんやった。ご飯も食べてないし、こうしていても仕方ないと
思って 出てきてしまった。腹が立ったもんで、ドアをバタンとけとばしてきてやった。
10分ぐらいしたらちょうど電車が来たんでそれに乗って帰ってきた。」と
としこさんには、だいたいのことは話していたので「ふんふん」と言って聞いていて
くれた。ようだった。
母さんの話は 合理性の立場からは処断できないし「そう言うものだ」と思えば、
べっにどうと言うことはないが、事実との乖離を付け加えると次の通り。
1)「前々からわかっていた」のでなく突然行ったので仕事で留守も当然。
2)「ふたりともおらん」のでなく 奥さんいて、終始接待してくれた。
3)午後2時半訪問で食事がないのも当然
4)「ドアをバタンとけとばして」なんて事はしなかった。上品に人当たり
よく振る舞っていた。手土産ももらってお礼も言った。
5)車だったので、電車で帰らなかった。
と まあ こんなぐあいの話をよくすることがある。
◎ 娘 制服で学校へ行った最後の日だった。
2002.3.24(日) 晴れ
◎最近の 母さんの身近な人間に対する、評価は鋭敏な感性によって行われている。
3月14日にとしこさんを見に行ったときに、朝起きがけで、目を合わせた瞬間の
表情が、笑顔ではなかった。すぐに笑顔に変わったが...。
本日最初の表情がずーと母さんの心に残っていた。
15日は電話をしたときに、出かけていて通じなかった。自分を世界の中心と考え
ている母さんにとっては、のけ者にされているような気持ちになってしまった。
以来3日間ぐらい「どこかへ出かけてしまって」とか「いろいろ言う」とか
「もう行かない」とか言っていた。18日旅行に出かけるころには、その気持も
なくなっていた。23日に仕事を手伝ってもらったりして、それもすっかり解消して
しまっていた。
◎粘着・綿棒=粘棒という物がある。娘が「買う」というので始めて買ってみた。
夕食後、家族みんなで耳掃除をした。「集団耳掃除現象だ、ああ立ち去りたい
気分だ。ハハハッ」と言って、娘は席を外した。埃が中に残らないし便利な物だ。
「集団」のおかげで母さんも自分で耳掃除をした。
自分のことだけど「あれやろう、これやろう」と言ってやらせるより、自分から
やった方が、良いだろう。
◎午後は、娘が靴を買うというので、母さんと一緒に夕方までつきあって、
靴や4・5軒をまわった。
◎先日は、○○○○さんは留守だったが、奥さんはいて接待してくれたのに、
母さんは「2人ともどこかへ出かけていて、会えなかった」と言っていた。
◎夕方ころ、娘が靴を買いにもう一度探索に行った。ので付いて行った。
4軒靴や、または靴売り場のあるマーケットに寄った。なかなか決めないので、
母さんは その間に 二足も自分の靴を買ってしまった。今使っている一足は
そこがすれすれになってしまっているので、一足は買う予定だったけれど...。
2002.3.23(土)黄砂 晴れのち小雨
◎生協の配送日。大過なし。
◎電話予約により、美容院の方3人のお客様あり、としこさんの応援を得て、処理した。
客人の顔を見ると 母さんの声はハイトーンとなり、しゃべることだけ聞いていると
病気であることがわからぬ。
◎そのおかげで、私が30分くらい昼寝をすることが出来た。
◎娘は今日は地元の中学が一緒だった友達2人を招き 我が家で一日中遊んでいた。
夕方は 高校のクラス会で夕食会に40人中20名ほど出席だったそうだ。
娘が言う「こんなに 20日間ものんびりしたのは生まれて以来だなー」
私「生まれて以来とは大げさだろう」
娘「だって、保育所は 春休み 夏休みってなかったやろ。小学、中学、高校と1日
とか2日は休みにしたけど、次のためになんか かんかやっていたやろ」
私「人間、時にはのんびりすることも必要さ」
「のんびりしている」と言いながら、3月13日以来、それぞれ別々の個人や
仲良しグループの”人脈”回復補強に結構 忙しいようだ。
◎本年2月8日に申請していた介護保険の要介護認定の結果通知書、3月20日付け
および介護保険証が 本日3月23日に送達された。
当面はリハビリに活用したい。今までやっていた「お絵かき」は去年12月で中断して
いるし
◎娘が見た夢の話。
−−−ぬいぐるみを売っている店先に 3メートル以上の大きな ねこのぬいぐるみが
1億9800万円で売っていた。50センチから1メートル以下の大きさのは数百万円
だった。そのほかのもあった。そのねこというのは 松本零士の「銀河鉄道999」に
出てくるねこだった。
ドアを開けて出ると そこは我が家の台所だった。そこにはお父さんも お母さんも
いた。母さんがパンに鉛筆で絵を描いていた。ケーキにチョコレートで字を書くような
もので、それは不思議に思わなかった。
雑誌の表紙の顔を写していた。特徴は似ていた。母さんが「似ているやろ」と言ったので
「うん まぁね」といった。
※※[友達だったら「すごい!似てる」と言うレベルだが家の中だ
から、それはこんなもんで良いが。]※※
今描いている絵なのに、母さんが「前々からわかっておったんやて この人が出るって
ことは それで描いて置いたら やっぱし出た」と書きながら言っていた。
※※[夢の中に母さんが出てきて、その病気を普通のこととしている自分がいたことが
発見だった。]※※
※※[○○]※※の部分は覚めてから思ったこと。
−−−
2002.3.22(金)黄砂 晴れ
◎本日早朝、ハードウェア障害のためこのホームページの表示が出来ませんでした。
”消滅”したかと ご心配をお掛けしましたが、事故も有りますので、出ないことが
あった場合でも、日を改めて、検索閲覧下さるようお願いします。
◎娘の高校の卒業生友達3人が、我が家で一日中遊んでいった。
◎午後から、母さんを連れて、システムメンテナンスの仕事に行った。
◎夕刻、私が歯医者へ治療に行った。母さんも一緒に行った。
1本歯を抜いてもらって、「今日は、ゆったりしていて下さい」とのことだったので
本日の日記はここまで...。
2002.3.21(木)
◎春分の日で、私の仕事は休日日、7時半まで朝寝した。
◎8:00から田圃方向へ散歩に出た。寒くなく暑くなく気候良し、8:35戻る。
「正弘さんに会えなかった」と繰り返す。
◎乳酸飲料の「あたり」マーク・まえおき。
配達牛乳の牛乳屋さんは最近では、牛乳はスーパーで安く買えるので牛乳の他に
工夫を凝らした乳酸飲料に力を入れている。我が家でもかつては牛乳を配達して
もらっていたが、いまはおつきあいに乳酸飲料を1日一本だけもらっている。
但し配達は週3回だから、一回に2本の日と3本の日がある。
ところでこの乳酸飲料には 紙キャップに印刷された「あたり」マークを集めると
景品がもらえる仕組みが付いている。「あたり」マークの日は2週に1回くらい
ありその日は2本でも3本でも全部あたりになる。
次回配達日が祭日だったりすると4本も来たりする。本日は4本配達された。
ここからが本題
朝 新聞と一緒に取り入れると、食卓の上に置いておく。朝飲むとは限らない
から適宜冷蔵庫に入れる事にしている
朝食時に母さんがキャップをとって飲み始めた。ここまでは普通のこと。
キャップを見て「これは あたりでなかった」と言う。
私「そうか残念!また今度 あたりがあるだろう」
少しして母さんが言う「全部白だった」と。見ると残りの3本もキャップを取り
「あたり」を点検してから再度キャップをかぶせていた。
今飲まないのなら、キャップをとってしまうと良くないと思ったが、ぐっと抑えて
「全部白か」と言って、一本をとり飲んだ。娘に一本「飲め」と言って渡した。
さして飲みたい感じてはなかったけれどもそれを飲み 残り一本は冷蔵庫に入れた。
◎娘が靴を買うというので付いていった。自分で探しているあいだ、私と母さんは
休憩所で待っていた。(気にいるものが無かったので買わなかったが)
私「高校は制服だったけど、卒業すると少しは服もいるようになるから大変だな」
母さん「ふーん、だけど本当の家があるんだから、お父さんがそこまでして
やらなくてもいいんじゃない」と言った。これはたまに出てくる幻想で「娘は
どこかの子を預かっている」と言う錯覚だ。そこで 私は娘が生まれた時の様子や
熱を出した話し、などをしてあげた。そしたら急に曇った顔つきになって、
歩き始めた。私の声も聞いていない状態だった。
「家へ帰ろう」とマーケットの外へ出たが、もう一度店の中へはいり、あちらへ
こちらへと歩いていた。もう一度「じゃー家へ帰ろうか」と外へ出て、串団子を買って
車に乗り、我が家の方向へ向かった。串団子を食べ、緊張が解けてきた様子だった。
途中、もくれんの花が咲いているのを母さんが見つけ「もくれんがいっぱい
咲いている、まっ白い」と言った。
私「おー、満開だね、今年は2週間ぐらい早いんじゃない」
と言うと「それはわからんけど、たくさん咲いていた」と言った。
それから後は気分が落ち着いていた。
このことで 私から見た場合、母さんが正しい、現状認識(過去を含む)にたって
いる時気分は不安定状態になり、そうでないとき気分は安定状態になると言う
ことだ。たぶん正しい、現状認識の時「自分のあるべき姿」あるいは「自分が
行動すべき役目」が覆い被さってきて不安になり、それだけが思考の中心となって
人の声も聞き得ないような状態に追い込まれるのではないか、と推察する。
2002.3.20(水)
◎市内のマンションの1区画が火事になり、こども3人の内2人が亡くなった。
新聞に大きく記載されていた。新聞によると、隣人が 小窓の煙に気づき、ドアを
たたくと中からこども声が聞こえ、「開けなさい」と言ったが、開けなかったので
119番に電話し、消防が来て外側から入りこどもを救出し病院へ運んだが助から
なかったという。こどもは 知らない人が来てもドアを開けないよう指導されていた
という。
◎母さんは「かわいそうに、かわいそうに」とその新聞を繰り返し繰り返し
声を出して読み、「火事はこわい、泥棒よりこわい」と言っていた。
私が「泥棒もこのごろこわいけど」と付け加えた。
◎我が家の娘は、ともだちと映画を見に行った。
◎映画から帰ってきて、4時から3人で ばっちゃの所へ、昨日のおみやげを持って
行った。
◎昨日、○○○○さんは留守だったが、奥さんはいて接待してくれたのに、
母さんは「2人ともどこかへ出かけていて、会えなかった」と繰り返し言っていた。
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◎○○県の O・Y様 お便り有難うございました。
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2002.3.19(火)
◎母さんの両親が今を去ること50年以上前、数年間○○に住んでいたと、ばっちゃから
聞いていた。兄○○○○さんが、○○の近くの都市に住んでいる。
○○へまわり、○○○○さん住む市へもまわった。2時半ごろ訪問したが
○○○○さんは前もってわかっていたことであるが勤めにでていて留守で奥さんの
三千代さんがいて接待してくれ1時間あまり 遊んできた。「きんかん」を砂糖で
煮つめたものを土産にもらって帰ってきた。
母さんはそこにいる間は、病気がわからないほどに、波に乗ってしゃべっていたが、
帰りの車では、ほとんど忘れていた。奥さんと会ってきたことは覚えていた。
◎午前中は、ポートタワー周辺を見物、3人で観覧車などに乗り、楽しんだ。
旅行中は、はぐれることもなく、無事故で帰ってきた。
2002.3.18(月)
所用があって、関西方面へ行った。家族3人で行った。
用件を済ませた後、家族旅行に切り替えた。
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◎○○県の K・F様 お便り有難うございました。
−−−−− K・F様 のホームページは当ホームページの
リンク欄からご覧になることが出来ます
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◎秋田県の 畑沢様 お便り有難うございました。
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2002.3.17(日)
◎朝から「本巣へ帰る」と言っていた。儀礼的に?「さむいさむい」も
「こわいこわい」も言っていたが...。
◎午後から、娘の服を3人で買いに行った。高校生のころは制服があるからと
ほとんど 服を買わなかった。母さんが健康ならば 今日は”出番”だったはずだ。
娘に新しい服を買ってあげることは楽しいはずだ。大きいとか 小さいとか
色が..デザインが 派手とか地味とか 材質とか 値段は抑えて、センスを
駆使して娘の気に入る物を選び、その過程を通じて選び方も教えていたはずだ。
代わりに私が「デザインはあんたのセンスで選べ、値段はその類の中で安い方に
属する物に」と言って自分で買わせた。母さんと私は別の売り場をまわり、
休憩所で待っていた。
母さんはそのことにタッチしようとしなかった。
◎母さんは今日もいろいろ過去の話をしていた。
2002.3.16(土)
◎生協の配達日。
◎「本巣へ連れて行ってください」と言った。
12時にばっちゃの家に着く、私 駐車場の車の中で昼寝。その間母さんが
コーヒーと菓子を車まで持ってきた。1時間後母さんとともにばっちゃの家を辞す。
ちょっと先へ足をのばし、道の駅で、花の苗とわさびの葉を買う。
今日は平穏無事にすぎた。
2002.3.15(金)
◎6度30分目覚める。いつもと同じ「こわいこわい」「さむいさむい」という。
室温(19℃)で外は雨、私にはぜんぜん寒くない。でも「ちょっとさむいかなー」
と言って起きた。「もうだめやわ。何もかも出来なくなった」と、冷静に言うかたわら
涙が耳の方へ流れた。行動機能が徐々に低下してきている。それを眺める目は
しっかりしていると言うことだ。しかし 「それならその上に立ってどうする」
との考えには進展しないのだが...。
◎起きてきて、台所で座っていながら「外は雨だよ」とか「バイパスの所は恐ろしい」
と母さんが言った。私「そうだよ、あそこの国道の所は危ないから気を付けないと」
「としこさんはまだ寝ているよ。あの人も体があまり強くないからゆっくり寝て
いないとね」と私は言った。
◎9時頃、としこさんところへ母さんが電話した。電話は出なかった。だいたいは
家にいるが 所用で外に出ていることもある。
「みんな私を置いてけぼりにして行ってしまって」と言っていた。意識の中心が
こども時代の、家族であったころに戻っているのか。
私「今日、一緒にどこか行く と言っていたわけではないし、としこさんも
いろいろ用事で 外に出ることもあるし、たまに母さんと一緒に行くけど、
そうは 毎日母さんと外へ行くわけにはいかないと思うよ」
そうしたらふてくされて「どうでもいけどそんなこと、」と言ったり
「本巣には ばっちゃもおるからええもん」とか言っていた。
いつも誰かと一緒にいないと、さみしいたちのようだ。
◎「としこさんが いろいろ言うでいやや」と言った。
私「それはきっと大事なことなんやろう」
先日は 私がゴチャゴチャ言うと言ってとしこさんに訴えていた。
今日はとしこさんのことを私に言っていた。これは いない人のことを言って、
現前の人の機嫌をとっているのでもなさそうだ。
私は 母さんが現状で、自分で出来そうなことについて、衣服替え、洗髪、風呂、歯磨き、
食事、などを促進するために言う。言われたことがいやなことだったり、言い方が
母さんの行動を起こすまでのテンポと合わなかったりした時に、反発する。
としこさんからも それに類することを言われたのだろう。でも 自分で出来る
うちは 母さんが反発しても 言ってやってもらわなければならないだろう。
2002.3.14(木)
◎今朝も「寒い」とか「こわい」とか言っていた。
「ごめんなさい」とこどもが言う ような言い方で言った。
私が「ごめんなさいなんて言わなくったったいいよ」と言うと
母さん「だって黙っているといかんやろ」と。
「何がどうなったの」と聞いたが、その話はそこでとぎれた。
なにか 失敗した夢か または幻覚を見たらしい。
6時、起床した。
「としこさんとこへ連れていって」と言ったが「まだ早いから」となだめた。
「バイパスのとこ、すごいスピードで走る、吹っ飛ばされてしまう」
「あそこは、危ない。」
「恐ろしい限りや。トラックの窓から『バカヤロー』って叫んでおった。
なにが バカヤローやと思って知らんふりして歩いとった」
「きをつけて。歩かんといかんよ」
話題は変わった。
「もうだめやは じぶんでわかるもの」
「たしかに、ダメになったことはある。だけとやれることもいっぱいある。
だめや、だめやと言って沈んでばかりいても、何も面白いこと無い。
仕事が出来なくなったことはあるけど、でも母さんはいままで40年間いっぱい仕事
をしてきた。これからは楽しみながらやっていくことだよ、ボーリングも
やりに行けるし、○○の○○○○さんとこへも旅行に行けるし、昨日北海道へ
行きたいと言っていたけど、計画してみようか、」
◎7時50分としこさんとこを目指して散歩。一目見て帰ってきた。
◎午前中、私の方の仕事につきあう。
◎午後からばっちゃの家へ行った。ひとしきり遊び、帰り道、半分ほど戻ったところで
「本巣の家へ行く」と言うので、もう一度戻ってやった。たった今もらった
あられの菓子を、袋を破って中身を半分ばっちゃにあげて「美味しいから食べや」
と言った渡した。「もう帰る」と言うので帰ってきた。
◎娘が夕方帰ってから、夕食後深夜1時までかけて台所の掃除をしてくれた。
「自立なんて、自立、自立って人に言われて出来るもんじゃない、親の限界を
感じて『私がやらなきゃしょうがない』と思って始めてやり出すもんだよ。ハハハッ」
冗談半分、これは真理だの気持ち半分でやっていた。きれいに洗い、要らない物は捨て
さっぱりした。
2002.3.13(水)
◎朝、「さむい」とか「こわい」とか言っていて「外は雨が降っているか」という。
私が「降っていない」と言うと「としこさんのとこへ行く」と言った。
「まだ早いから、もう少し後の方がいいよ」となだめると素直に従った。
6時少しすぎ、起きてたら、落ち着いた雰囲気だった。
「今日は税金の申告書を出してきたり、...」日程の予定を言うと
外へ行こうとはしなかった。
◎ 20分ほど 一緒に散歩をしてきて、7時半に もう一度「としこさんとこへ行く」
と言うので 近くだが車で行った。まだ寝ていたのでそのまま戻ってきた。
いろいろ話していて、「バイパスのとこ 怖い。ものすごくスピード出しているで」
と言った。「この前、トラックが窓から顔を出して『ばかやろう』って言った。
知らん顔していた。あそこは危ない」と言った。
ここ数日のあいだに、何回か一人で行ったから、その時のことだろう。場所は
国道交差点のことだ。どなられたと言うことは、たぶん、こちらが信号を無視して
渡ろうとしたと推測される。
私「あそこはスピード出しているから危ない、一緒に行くならいいけど、信号を
よく見て渡らないとね」と言った。
◎ ところで私自身のことだが、台所の整理や、洗濯干しをおっくうで忘れることがある。
昼の用意の時に、朝の整理をしたり、洗濯を洗濯機に入れたまま12時ごろまで放って
置いたりする。これは母さんが家出(=徘徊)するのを注意しているからだけではない。
前にはそんなことはなかったが母さんが自分にかまっていてくれないと、気持ちが沈んで
しまって、しゃべりかけても、反応しないようになったり、してしまう。そうならない
ように注意していて ついつい家事が後回しになる。しゃべりながらでも出来ることは、
それなりに進んでいる。としこさんがたまに来て母さんと話していてくれる時は、私も
ふっと疲れが出て、そのまま座っていることもある。と言うわけで家事が時々
おろそかになることがある。
◎娘、自分の部屋から掃除を始めて、それ以外の廊下、階段、壁も掃除をしてくれた。
◎夕方、私が歯医者へ、母さんは待合室で待っていてくれた。
2002.3.12(火)
◎朝から「としこさんとこへ行く」と私に言う。昨日も早かったし 今は少し落ち着
いているので「まだ寝ているかも知れないよ」ととどめた。そのまま待っていた。
8:00 娘を後期試験の以上へ送る
9:30 喫茶「チボリ」へ
10:30 帰宅 たっての頼みのお客さん一人。ドアを開けておくことを忘れた。
11:30 母さん突然泣きだした。
13:00 昼食、
14:00 迎えに行く
17:00 帰宅後本屋へ
18:00 夕食、
20:30 母さん「今日は疲れた」と言うので就寝さす。
◎昼間 泣きだした時の意識は現実に近く、明晰だった。
言っていたことは「もうだめだ、何もかも出来なくなってしまった。築きあげたもの
が崩れてしまった。」と。前にも何回か同じ事は言っていた。
母さんの病気の症状の現れには波があった。
物忘れ、お金の計算が出来ない、幻覚が現れる。意志・意図が通じないと怒る。
その他この日記の中に記されている事は、一週間、10日、2週間、1ヶ月、とかの
あいだをおいて現れていた。
「もうダメだ」と言うことも去年以来何回も言っている。今日は割合意識がはっきり
していたので、私はていねいに総括的にまとめて話した。
「人間100歳まで生きる人は少ない、母さんは80歳または90歳まで、特別の
外界からの変調が加わらなければ生きることが出来る。社会にはたらきかけ、
有形無形のものを残して 自分も楽しみながら、生きていくものよ。たしかに
母さんに今まで出来たことで出来ないようになったことが増えてきた。出来る
ことはいっぱいある。ボーリング178点なんてすごく出来ることだ。家の中の
ことは あんまり出来る出来ないと考えたこと無いけどいっぱいやっているやないか、
出来ないことは、いつも母さんが言っているように、俺に言えばいいよ。質素に
やっいけば、住まいや食べ物に困ることはないよ。母さんと ○○(娘)と俺と
力を合わせて仲良くやっていくんだよ。母さんもボーリングだけや無くて、絵を
描いたり、毛筆やったり、花植えたりしているやろ、車に乗ることも好きやし、
今までいっぱい働いてきたから、これからは、楽しんで生活すればいいよ」
話していたら、だんだん落ち着いてきて、普通に昼食を食べた。
このままの言葉でしゃべったわけではない。一気にしゃべったのでもない。
「車に乗るのが好き」というのは、「どっかへ行こ」と言って私の脇に乗り
近くの山沿い、川沿いをドライブすることだ。10年先までの計算された生活の
見通しを持っているわけではないが、切り開かなければしかたない。
2002.3.11(月)
◎朝6時「怖い怖い」と行って起きた。「としこさんとこへ連れて行って」と言うので少し
早いと思ったが、このところ不安定になっているので、思うようにさせようと思い
連れて行った。まだ寝ていたが、旦那さんが起きてきて開けてくれた。
本人が「後で帰る」というので、そのままあづかってもらってきた。
後から聞いたことだが母さんが言うには「私がどこかへ行くと付いてくるし、
いつもゴチャゴチャ言うし、うっとおしい」と言ったそうだ。
今朝は 自分から「連れて行って」と言っていたなー、と思いつつ、他方では、
いやいや、合理的思考からは超越しているのだ と思い直し、病気が進んできた
ことを感じた。
※「ゴチャゴチャ言う」とは、歯磨き、洗髪、着替え、風呂などを
指示したり、近くへ行く時でも「車に気を付けてね」とか「信号をよく見て
行って きてね」と言ったりすることだ。
昨年12月の時にも、仕事で当たり前のことを当たり前に進めるために、
としこさんから普通に言われたことに腹を立ててけんかをしたことがあった。
その時も「ゴチャゴチャ言う」と言っていた。
基本的動作が出来なくなってきて、まだ出来るか、もう出来ないか、
わからない場合出来るだけやっもらおうと指摘する。
指摘されることに腹が立ってしまうらしい。
7時半に迎えに行き、一旦帰ってきたが、食器を洗っているあいだに9時半ころ、
読んでも返事がないので、見ると靴が無くドアが開いていた。
としこさんのところへ電話すると「いま来た。」とのこと。「私も10時半に病院へ
行かならんし」と言われた。台所を整理し、洗濯を干し、母さんのふとんを干して
迎えに行った。公共料金等の支払いに一緒に行き、済ませ再度家に戻った。
、
◎11時00分ボーリングに行った。母さんの点178点。実力は落ちていない。
◎午後2時から、としこさんに、娯楽施設付き風呂に連れていってもらった。
これで私から「ゴチャゴチャ」言われていた項目の洗髪、着替え、風呂(10日ぶり)
の3点が解消され、本人も気が楽になったのか、その後「晴れ」の気分になっていた。
これらは炊事や洗濯などと違って、本人なしには、代替出来ない性格の問題であるので
今後も柔軟に執行していかなければならないが、行動力低下と共に、問題を残している。
◎ 夜は3人で喫茶・ケーキの「シャンポリオン」へ行った。
今日は変化に富んだ一日だった。
◎ひんぱんに「家出」するのは、頭脳の働きが活発になっているためである。
その過程で閉塞状況や迷子、興奮状態にならなければ本人にとっては、頭脳も生きた
延命をすることが出来る。伴(ばん)をする方がどれだけ持ちこたえられるかであるが..。
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※ 斉藤清昭様=「MONKICHI」
このホームヘージにつき、過分なる評価をしていただき、紹介していただいて有難う
ございます。斉藤様の奥さんも 散歩の歩数がのばせるほどに 足の力も回復の兆しとか
うれしいことだと思います。
※斉藤さんは、奥さんの介護をなさっています。ホームページを持っておられ
大変なことでありながら、 明るいご家庭の雰囲気が伺えます。演歌ほか多彩な趣味。
そのホームページは この我が家のホームページの「リンクの欄」からも
「MONKICHI 斉藤清昭」をクリックしていただきますとご覧になることが出来ます
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2002.3.10(日)
◎昨晩は9時30分ごろ二階へ行き床についた。10時例によって私は、下へ来て
雑用整理、11時、母さんはトイレに起きて、私がいないので下へ来た。一緒に二階へ
戻り、寝させた。いつもは就寝後3時間でトイレに起きるのに、昨晩は、1時間半後
だった。
◎今朝4時すぎ、母さんの「こわいこわい」に気づく、そのうち治まるだろう
と放って置いた。だんだん声が大きくなって、起きて座った。
「どうしたの、どうしたの」と声を掛けたが、返事はせず、そのままいた。私も起きて
肩をさすってやろうとすると、軽くそれを払いのけ「こわいこわい」と言い
続けた。立ち上がって下へ降りてきて、「こわいこわい」と「助けて」の声が
だんだん大きくなった来て、としこさんとこへ電話を掛けようとしたが、興奮状態で
プッシュダイヤルがうまく押せずかからなかった。声が絶叫状態になり泣きだした。
いろいろなだめるようにしゃべったが治まらず、「俺と母さんと○○がいるだけだよ」
と娘の部屋ものぞかせたが治まらなかった。娘が気づいたようだったので目で合図をし
て起こし、母さんを横からかかえ、肩をトントンさせたら、少し治まる方向になった。
母さんがもう一度としこさんに電話をしたら今度は通じた。何か少し話してもらって
いたら落ち着いてきた模様で、静かになった。娘は寝させて母さんと私は台所に
10分ぐらいいた。「としこさんとこへいって」と一緒に行ってくれと私に頼む。
「いいよ」と一緒に出かけた。途中「寒い寒い」と言いだして「寒いねー」と言って
歩き続けていたが犬が急に鳴き出して立ち止まった。「帰ろう」と言うので帰って
きた。様子を見て「そんなら二階へいこか」というと素直に二階へ
戻ってもう一度寝た。
7時に起こされた。それよりちょっと前に起きていたらしく、ジャンバーを着て
赤い手袋を手にしていた。状況からするととしこさんの所へ行くつもりだなと思い
私も即座に、着替え一緒に降りていき外に出た。途中母さんが「スズメがいる」と
指さすと数羽が飛び立った。空き地の草っぱらに霜が降りているのを教えてくれたり
道の真ん中にゴミ袋が置いてあるのを見て「こんなとこにゴミを」と言ったりしていた。
としこさんとこへ行ったが、日曜日でゆっくりしたいてまだ閉まっていた。
「戻る」と言うので戻りかけた。途中信号付きの国道交差点があり早朝から交通は
激しい。信号を見ないで渡ろうとしていたので肩を押さえたらそのまま待っていた。
信号を越えて戻り道を歩いていると、また気が変わってとしこさんの方へ行こうとした。
その時は信号は青だった。当然としこさんとこはまだ閉まっている。
帰りの時の歩行者信号は赤になったのに渡り始めた。危険と思い私も一緒に渡り
ジャンバーを引っ張って走った。「なにするのよ、服が破れてしまう」と怒った。
少し来ると3度目、向こう側へ行こうとした。信号は赤だった。母さんはそのまま
歩き続けた。私は手前で待っていた。幸い車がスピードを緩めてくれたり、
母さんを避けて通ってくれたりして事故は起きなかった。
もう何回も行き来してはダメだと思い、携帯電話で外から電話して開けてもらった。
私も一緒に少しいたが、預けておいて私だけ戻ってきた。
母さんは10時ころ、としこさんに連れてもらって戻ってきた。
1時間ほどして、もう一度 としこさんの所へ行った。あぶないので
娘に付いて行かせた。そのときは 何か泣いていたとのことだった。
1時頃、少し遅めの昼食。
◎3時から3人でプラネタリウムへ行って春の星座の解説を見てきた。
◎楽しく話している時もあるが気分は不安定だった。
2002.3.9(土)
◎朝8時から9時にかけて、「としこさんとこへ行く」と言って外へ出たが
到達しなかった。2回目に出た時、通り道の家の奥さんから「お宅の奥さん今一人で
西の方へ行かれたけどよろしかったかね」と電話があった。「あっ、西の方へですか、
有難うございます教えていただいて...」と礼を言って、迎えに出た。
母さんも戻って来かかったところで、電話をしてくれた奥さんの家の前で合った。
先程の奥さんは庭先の掃除をしていた。私、その奥さんに「先程はどうも」と言い、
母さんに「としこさんおった?」と聞いた。母さんはその奥さんに「こんにちわ」
と普通に挨拶「奥さんは「あったかくなりましたね」といわれた。母さんと一緒に
戻ってきた。近所30軒ほどは、私も 町内自治会や、家のお客さんに来られたり
して知っている。母さんの病気のことも話してある。全員一人ひとりに話さなくても
だいたい知ってもらえる。「母さん家出」の時、黙って出ていく時は、私が付いていく。
今日は近くであり行き先を告げて出たので、付いて行かなかった。
ご近所の人から電話をいただいたのは初めてのことである。
◎今日は生協の配達日、母さんも手伝った。当人はまじめにそのつもり。特に支障は
なかった。
◎本日、久しぶりに、知人のお客様、一人。
◎夕食は3人でラーメン屋さんへ。母さんの嫌いな寒い冬も終わり少し暖かくなり、
娘は高校卒業し、さしあたりはインフルエンザも治ったし、豪華夕食をというところ
だが、2人とも少食で和食にしろ、中華料理にしろ「そんなに食べられない」となん。
私の財布の要求とも一致してラーメン屋となったわけ。
娘が中学2年ころから2人の会話が成り立っていなかった。私が2人の通訳をして
意志交流を図っていた。今もそうであるが少しはしゃべることも出来るようになって
きた。そのうちに、2人がそれぞれの立場でそれぞれの保護者となった。
母さんは娘の保護者、娘は母さんの保護者になってしまった。
ところで今日は母さんが娘に 生活の安全について注意していた。「都会の生活は
危ないことがいっぱいあるから、気を付けないかんよ」と自分の思いつくかなり
古い例を出して諭していた。
母親として、娘の幸せを願って、力を振り絞って出してがんばっていた。
私は母さんが寝てから娘に言った。「例に出した話は古い、それしか思いつかない
のだからしょうがない。個別の話ではなく、母さんがあんたの安全を願って最後の力を
振り絞って言ったその気持ちを5年後10年後でもいい、思い返して欲しい」と
2002.3.8(金)
◎みどり病院診察。検尿、血液検査があった。結果は来週出る。
状況として 風呂、着替え、などいやがり、12月まではやっていた洗髪を
自分でできない。ことを言った。
◎「としこさんのうちへ行って来る」と出かけた。3回でかけたが3回とも
出会って来なかった。途中で行かなかったのか、到達できなかったのかは不明。
◎昼間は「やすよさんのはなし」とか「お父さんが病気でなくなった話し」とか
「英語が得意だった話し」とかしていた。
◎娘は本日も休養したが、熱は出なかった。見かけ上はほぼ治ったようだ。
夕食後、娘が「ひまだ、ひまだ」と言って、”たんご”を作ったのでおやつに食べた。
◎母さんの就寝時間(毎日およそ10時)にはいつも、私と一緒に二階へ行って、
着替えなどして、横になる。15分か20分で、母さんは眠る。様子を見計らって
私は再び起き出して、家事の後始末、娘の生活指導(しゃべっていることを聞く
だけだが)、などをする。本日は、母さんの就寝時間前に娘がしゃべり始め母さんが
そわそわしているのに、無視するような状態でしゃべっていた。10時15分頃
母さんを二階へへ連れて行き、私は横になっていたが、なかなか床にはいろうとせず
私の手を引っ張って起こし、下へ行こうとする。「どうしたの」と聞くと
「違う人がいる」と言う。「母さんと俺と○○の三人以外は誰もおらんよ」
と言って一緒に下へ降りていった。電灯はまだ付けっぱなしになっている。
当然誰もいなかった。娘は風邪で「早めに寝ろ」と言ってあったので寝ていた。
確認して二階へ戻ったがそれでも横になろうとしなかった。5回か6回下へ一緒に
降りていった。娘は向こうむきに顔が見えないむきに寝ていたので私が
「ちょっと顔を見せて」と言うと、ふりむいて母さんを見てニコッとしてまた寝た。
二階へ来て母さんは「○○は寝ていたわ」と言って、床につくとすぐ寝た。
娘のことで何か不安材料があり、笑顔を見て安心したらしい。
2002.3.7(木)
◎昨晩11時頃から娘の熱は下がり、今朝まで落ち着いていた。インフルエンザ
の病気が完治したのではないので、まだ休養の必要ある。熱はもう出ないだろう。
若者は治りが早い。インフルエンザのまとめ
−−3月3日−−一日中家にいた。夕方「鼻血」出す
−−3月4日−−学校へ行き、寄り道した後6:00帰宅。夕方熱発(38.0℃)
−−−−−−−−この日記の4日で「外で風邪を拾った」とあるが、拾ったのは
−−−−−−−−4日より数日前のはず。
−−3月5日−−朝7時−−熱(37.2℃)。9時病院へ。インフルエンザと診断。
−−−−−−−−帰宅後 熱上昇 午後3時頃熱は(39.0℃)まで上がった。
−−−−−−−−午後7時(37.7℃)。午後8時半(39.6℃)。12時(37.2℃)。
−−3月6日−−朝6時(38.8℃)。朝8時半、(37.3℃)。11時(36.7℃)。
−−−−−−−−午後7時(37.4℃)。午後8時(37.7℃)。午後11時(36.7℃)。
−−3月7日−−朝7時半(36.4℃)。午前少し外出。午後スーパーへ。引き続き休養。
−−−−−−−−午後7時(37.0℃)。午後8時半(36.8℃)。
−−娘は幼児のころ(40.0℃)を越す熱を何回も出したことがあるので熱には体が
−−耐性を持っているのか 食欲もあるし回復途上でも衰弱していない。人にうつすと
−−いけないので、外出は抑えた。
◎母さんは 娘が熱発しているのを見て心配のあまり混線していた。一昨日が一番熱が
上がり、今日はほとんど下がっていて「もう大丈夫だよ」と言っているのに、娘の
幼児期の記憶と重なっているのか、寝ているのを見て「いいやろか死んでしまわ
へんやろか」と心配して言った。少しして まんがを読んでいるのを見て
「大丈夫だよまんが見てたから」と言って安心していたようだった。
◎母さんのティッシュを備蓄する癖は今も少しづつ続いている。随所に備蓄してあり
ロールペーパーや箱のティッシュが無くなるスピードが速い。
2002.3.6(水)
◎昨晩のこと(つづき)
母さんが早めに寝て、静かになったころ娘の熱がまた上昇。
今度は(39.6℃)=午後8時半ころ
薬だ、濡れタオルだ、飲み物だ、と用意するあいだも
「キャラメルコーンが食いたい」「アイスボールが食べたい」「じゅーす飲む」
「梅干しが食いたい」 高熱で言うことが散漫になった。
9時頃になって、母さんが起き出してきて、「おなかが痛い」と言う。
娘の方を放って置いて、母さんを二階へ連れて行き寝させる。カイロなど当てて
尻を暖めた。「いたい、いたい」と続けて言う。私か下へ降りていくと母さんが
「怖い怖い」という。二階へ行くと、熱の手当が出来ぬ。
むちゃくちゃになってしまってはいかん と思い としこさんのとこへ
「緊急救援依頼」。電話には主人が出て「すぐ行く」と返事。5分くらいして
としこさんが「どうしたのや」と来られた。簡潔にしさいを説明して、
「インフルエンザがうつるといかんで 母さんのほうをばんしてて」と言って頼んだ。
その間に薬を飲ませ、近所のコンビニで必要物を確保して来て手当を済ませた。
母さんの はら痛 も こわい こわい も治まっていた。
はら痛は便秘の薬のせいだった。そういえば 夕食後便秘ぐすりを飲ませて
いたなー
30分くらいで処理が済んだので戻って行かれた。(昨日の分のメモおわり)
◎その後は 11時 12時 1時 2時と娘の様子を見に行った。
その時は母さんは目を覚まさなかった。
娘はふとんを蹴散らして寝ていた。熱は下がっていた。(37.2℃)
(ここから.3月6日)
朝6時に娘を見に行くと熱が上がっていた。(38.8℃)娘は薄く目を開けて
いたので 薬を与えた。私はもう少し寝るつもりだったが母さんがついて降りて
きていて もう寝なかった。「もう少し寝るから」と言うと「寝やー、私本巣へ
帰るで」とまだ薄暗いのに言う。しょうがないから起きておつきあいしていた。
と言っても通常の朝起きの時間なのだけれども。
◎諸事を済ませて8時半、娘の熱は(37.3℃)。ふと母さんの岐阜県立病院の
予約日であることに気づき、急行。このごろ月一回の注射が痛いからといやがる
ようになった。それと服をぼこぼこに着ているので上腕がなかなか出なくて、
廊下にいた私を看護婦さんが「ちょっとお願いします」よばれて腕を支えるのを
手伝ってやっと出来た。今日は無事済ませたが、次回が危ぶまれる。
戻ってくると、娘の熱は36度台に下がっていた。でも夕方までにまだ上がるだろう。
◎昼からとしこさんに頼んで、母さんを喫茶店やら スーパーやらに3時間ほど
連れて行ってもらい、その間に私は 能率良く雑用を処理し1時間ほど昼寝した。
娘には「熱が今上がっていないけどインフルエンザはまだ治っていない
のだから、寝てなきゃダメ」と言って寝させて置いた。
夕刻までに娘の熱は(37.4℃)まで上がった。
2002.3.5(火)
◎娘にはすべての日程を停止させ、医者に連れて行った。
医院の連れて行き、待ち時間があるので「両親」は家に戻っていた。
母さんはそれに同行していたのに、「○○は学校へ行ったのか?」
と何回も聞いた。
「インフルエンザ」と診断された。
娘は手当をして寝させて置いて、母さんのドライブは行った。
朝、熱は下がっていたが午後3時頃熱は(39.0℃)まで上がった。
そのあとが問題頭を冷やすタオルを持っていったり、飲み物や薬と手配して
いるあいだに、母さん脱出思考、「○○の熱が心配だ」と言いながら3回も
脱出、すぐ戻ってくるだけでは、再度出ていくので、ちょっと歩いてくる。
それで娘にタオルを持っていくことを忘れてしまう。
母さん脱出思考の元はいろいろあるが、自分がかまってもらえない時にも
出てくるようだ。
機嫌が悪くなるかも知れないと思いながら「今日は一人でお散歩に行かないで、
○○は熱出しているし、なるべく動かさないようにして、消化の良い食べ物も
作らんといかんし、母さんは一人で行くと道がわからんようになることもあるやろ」
と言った。(意味はこういう事だが、言葉はもっと多くしゃべったが。)
わかったか わからなかったか 事務所のイスですわっていた。30分ほどして
雨模様になってきたのでそのあとは 出ていこうとしなかった。
娘は薬が効いている間熱が下がっているが 少しするとまた上がり、一日中
高熱だった。
母さんは「今日は塾の迎えは行かなくてもいいよ」と言うと7時半にもう寝た。
今夜深夜に起きなければいいが...。
◎このごろの一日のようす。
2002.3.4(月)
◎娘は卒業したのに本日も登校。
◎母さんが家でなかなか朝食を食べないので、 喫茶「ひらく」へ行った。
◎家へ戻って母さんに「生協の袋」を次の会員の家へ持って行ってもらった。
無事戻る。食卓の整理をして、洗濯を一緒に干した。
母さんは 一緒に娘を学校へ連れて行ったのに「○○はどうした?」
「○○はどこへ行った?」と何回も何回も聞いた。
そのたびに「いま学校へ行っているよ」と答えた。
「いつ帰る?」とも聞くので帰宅予定時刻を言った。
◎母さんは、過去の思い出を繰り返ししゃべる。「うんうん」と上の空で聞いて
いる時もある。違った話はメモしてある。久しくしゃべらない「思い出話」もある。
そう言う時は、ヒントを示すとしゃべり出す、しゃべったことによって、記憶が
呼び覚まされる。そう言う話の一部がこのホームページの「つぶやき」の欄に
載せてある。このごろは空想話の比重が多くなっている
◎午後 苧ヶ瀬の池へ行った。視界の中に「安田屋」のパン屋さんがある。
そのことが母さんに知人の「安田さん」を連想させる。その人は「やすこ」と言う
名前である。母さんよりは年配のその安田さんが「あんたもやすこというのかね、
私と同じやね」と言われたという。「大笑いに笑ってしまって」と母さんが言った。
母さんは他にも同じ名前の人がいるとなぜか楽しく笑う。
苧ヶ瀬の池へは何十回も行った。「安田屋」のパン屋さんが見えてくると、そのたびに
必ずその話をする。対岸に住宅地がある。全く違う場所にある「安田さん」の住む
「城見が丘」住宅地との比較について話す。「城見が丘より 家数は多いし広い。
城見が丘は、大きい造りの家ばっかや」と
◎娘 外で風邪を拾ってきたらしく夕方熱発(38.0℃)。起きている時咳きも
少しあった。去年風邪を引いた時にもらってきていて残っていたの薬を飲ませ、
温かい食事をとらせ手当てして寝させた。
「咳きまき散らして、母さんにうつすなよ」と、注意してもしょうもない注意をした。
2002.3.3(日)
◎朝 岩戸公園へ行き、一周廻って散歩。梅の花が、咲いていた。
戻りに喫茶店「チボリ」へ。長屋さんは元気に働いていた。
店を出て、「あーっこんちわ」と声を掛けられた。私ではないと思い後ろを
振り返ったが誰もいない。「田口さん」と再びかけ声。私のことかと相手を
見たが どこであった人か 何という名の人か思いうかばなかった。
「岩田ですが...」と言われたので、「やぁー やぁー岩田さん。久しぶりです」
と相手の肩をたたき親好の意を表したが 思い浮かばず。帽子を取って、
「この通りです。」とかなり 薄くなった。頭を指し示した。
「お互い様だよ」と彼は言った。
会釈して車を出したが思い浮かばぬままだった。
◎おひなまつり=
私がこどものころ、小学生低学年向けの「がんどうち」という行事があった。
午前中に数人が ”がんどうち”と言ってよその家に行き、ごちそうを振る舞って
もらって食べるのである。
母さんの地域とは風習が違うが、私の地域の習慣の覚えで 母さんと娘に、
ひなまつりの 手料理を作ってあげた。
−−−
◎母さん 昨日から「ばっちゃが犬に喰われた話」を何十回となく繰り返し話し
てくれた。特に今日夕食時はそのことだけを話し30分以上話し疲れるまで話していた。
相づちを打つのも大変だ
−−−
2002.3.2(土)
◎生協の配達日。今日は母さん、後ろで控えめにしていて、私が渡した物を
かたづけていたので問題は起こらなかった。こういう形で実務行動から
遠ざかっていくのだなぁと感じた。
◎としこさんが生協に来たついでに、母さんの洗髪をしてくれた。
娘の髪もカットしてもらった。
◎卒業しても後期試験までは娘の「高校生活」は続く。自習のために登校
して良いことになっている。で今日も学校と塾へ行った。
塾が終わった後は、高校生ではなかった。塾を早引けしてきて友達とその母に
付き添ってもらって映画を見に行った。
母さんにはそのことを何回も言ったのに「9時で終わるから塾へ迎えに行かなくては」
と5回ぐらい言った。
−−−−−−−
−−−父親は英語がぺらぺらやった。私も英語が好きやった。
そのころ「お父さんがいたらこんなに苦労しなくて済んだのに」と思った。
「おとうさんがいたら」と何度も何度も言ったんや。
−−−−−−−
2002.3.1(金)
◎娘 高校の卒業式、母さん張り切って 前の晩から衣装の用意。病気以来
体重が増加気味で、どのスカートもスナップ(鍵ホック)が止まらない。
一応整えると、見違えるように「よそ行き」になった。
自分で気を使っておしゃれをしていたから、まだまだ大丈夫かな。
母親としての自覚を取り戻して、同じ中学出身のこどもの親と対面し
そつなく挨拶を交わしていた。
娘が中学3年の夏休みに始まった母さんの病気、いつまで持つかなぁと
案じていたが高校の卒業まで持ちこたえた。節目に立ち会わせることが
できて良かったと思った。
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本日の事件=事件名=リボン事件
高校の制服に紐ネクタイ状のリボンがある。それが朝服を着る時になって
「見あたらない。」と娘が言う。ちらかった部屋のもの影にあるはずだが..ない
娘がとしこさんとこへ電話を掛けた。理由はいま大学生になっている
いとこが2年前まで同じ高校へ行っていたからだ。整理の行き届いたとしこさん
とこだ 「あったからすぐ借りに行く」と娘。実はとしこさんは、自分とこの娘の
下宿へ4〜5日の予定で行っていたが 3月1日は我が家の娘の卒業式だから
「もしかして何かあるといかんので、夕べ帰ってきていた。そうしたら今
早朝電話で、やっぱし何かあったかと どきどきしながら電話に出た。ちがう”事件”
だったけれど、夕べ帰ってきていたのは正解だったな」と
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◎卒業式は済ませたとは言え、娘の高校生活はもう少し続く。
式が終わった後学校で遊んだ後友達数人と昼食。町なかを「徘徊」。
おつきあいを済ませた後は、6時から塾へ。我が家での記念撮影は帰ってから、
母さんの店で。母さんはもういつもの普段着になっていたが..
2002.2.28(木)
◎母さん、昨晩(2.27)久しぶりに風呂にはいった。どうしてこんなに
風呂をいやがるようになったのか、わからない。
以前に一部同じ衣服を着たことがあったので、はいっている間に、全部洗濯し
新しいのを出して置いてあげた。
◎午前中私の仕事に付いていった。今日の気分は、朝からはっきりしていた。
「母さんが 何か趣味的にやることを設定してやらなければ」と思っている
のだが 日々の仕事や家事に追いかけられて、発想ができないでいる。
種目は ボーリング、お絵かき、歌、毛筆練習、プランターでの花作り、
各種手芸 などあるが、共に長生きするために、肩代わりしてやってもらえる
方法も考えなくてはならないと思っている。
−−−−
◎周辺で私がよく立ち寄る喫茶店の比較
◇チボリ・・・330円..窓側に鯉の泳ぐ池と庭が良い
◇ヒーロー・・280円..庭園といえるくらい広い池付き庭あり
◇ひらく・・・350円..周りに建物が少なく借景の田園風景が庭の役目、
ユーモアたっぷりの兄さんが魅力
◇ボヌール・・350円..特に無いが結構はやっている
−−−
数字はコーヒーの値段、それぞれ特徴があって、甲乙付けがたい。
◎4時30分、「脇田自動車」へ行った。前にも書いたが「脇田」の奥さんは
元美容師で店をやっていた経験あり、店をやめ自動車の方を手伝うようになって
から、美容の方は我が家へお客さんとして来ていた。どちらも商売人で話題が
よく合う。「脇田」の奥さんには、母さんの病気のことは話してある。
30分あまりしゃべっていた。奥さんが出身地の新潟の話をすると、母さんが
新潟出身の別の知人の事を出して、雪や凍てつく道路のことなど話していた。
母さんは 生き生きしていて決したボロを出さなかった。不思議だと思った。
他にも母さんがおしゃべりできる人はいる。機会を作ってやると病気進行の
鈍化に役立つかも知れない。
2002.2.27(水)
◎朝「こわいこわい」も弱く言ったが、それよりも「お腹痛くない?」と聞いた。
「お腹は別にどうもない」と返事。一過性でもう治ったなと思った。
◎今日は、私の診察日。国立岐阜病院へ母さんを「付添人だよ」と説得して連れて
行った。検査室や診察室にはいった時も、それぞれ時間が5分程度と短かったので、
気分が動揺することもなく待っていてくれた。検査室に入っている間に看護婦さん
から用紙をもらって持っていてくれて出て来たら私に「これ」と言って渡してくれた。
私の「病気」は気管支炎でだいたい落ち着いていて問題なかった。
(私が国立岐阜病院へ行っている理由=昨年8月血痰が出た。疲れが重なって気管支炎
を起こし、それが悪化して血痰となった。その後月一度の検査の結果、肺炎では
ない。伝染性のばい菌は出ていない。「無理をしないようにやれば、支障はない」
とのことだった。)
◎空想話の種類
一部空想話
全部空想話
◇事実Aと事実Bがあってそれをつなぐ部分を忘れてしまった時、つなぎとして空想
が活用される。
◇「ばっちゃが自転車に乗ってスーパーへ行くというので『危ないでいかんて..』
と言って止めたんやて、何度行ってもやるもんで腹が立ってきて...」と言った。
10年くらい前に、自転車に乗っていったことがあったかも知れない。母さんが
腹が立つほど怒っていたのを見たことはない。ばっちゃを気遣っていることは確か。
人物−実在。光景−空想。感性−真実。
◇発病後3年半経った現在ではほとんど無いが、1年半ごろ 私が外出し娘と母さんが
家にいた時、
「セールスみたいな人が2人来て風呂敷をひろげて、中から何か出して ひろげていた。
ここで弱気を見せてはいかんと思って、いらない!と言ったら帰って行った。」
と言っていた。娘に確かめたら「今は誰も来なかった」といった。
−−−−
空想話で実害は何も発生していないので、遠い話はそのまま認め、日々関わりありそうな
ことは やんわりと否定する事にしている。
「やんわりと否定」を母さんがそのまま認める時と、認めないで失敗する時がある。
2002.2.26(火)
◎朝5時、私を起こし「お腹が痛い」という。 少しの時間「痛い痛い」と言い続けた。
こんな時間にどうした物かと対策に苦慮した。とにかく「トイレに行っておいでよ」
と行かせたが治まらなかった。
腹痛について言えば、母さんは1995年7月のある日食中毒になり救急車で運ばれて
入院した時に体験したことがある。声の響きからすれば それほどの痛さではないらし
い。結構この季節にしては暖かかったので、もしやふとんを払ってしまって寝たのでは
ないかとカイロを尻の下のふとんの側に貼り付けて、寝させた。そのうち「痛い痛い」
の声が弱くなって、すーすーともう一度寝てしまった。
いつもは6時前後に起きるのに、私が台所で朝食準備をしている物音にも起きず7時
30分まで寝ていた。準備が出来たので起こしに行った。気持ちよく起きた感じで
「こわこわこい」とかも言わなかった。カイロの暖かさでもう一度寝入っていたらしい
「お腹 痛い?」と聞くと、「今は痛くない」と言った。夕方まで普通の食事と行動だった
が再度痛くならなかったので、やはり冷え腹らしかった。
2002.2.25(月)
◎母さん「さっき○○さん来てたけど帰ったの?」と言う。
午前中のことだ。今日はまだ誰も、訪問客はなかった。それで
「今日はまだ誰も来ていないよ。朝ご飯食べてかたづけをして、洗濯干して、
一休みしているところだろう」と私が言った。
母さんはそれについて何も言わなかったが、何か納得できないような顔をしていた。
店の方やら台所やら行ったり来たりしていた。10分ほどして今度は、
「今の人もう仕事に出たの、顔も名前も知らんけど」と言った。
顔も名前も知らんけど と言う時は 私のもう一人の別人のことである。
母さんの感じ方に反して、事実を合理的に説明した時に、時として
私の別人が現れる。こう言う時は、別人にこだわらず話題を変えて
関心のありそうなことをしゃべっていると、消えてしまう。
本人にこだわって追求していると、別人の存在を私に認めさせようと
躍起になってしまう。
◎10時から私の サポートの仕事に付いていった。出張先では私の向かい側に座り
助手よろしく30分あまり待っていてくれた。1月19日の警察に保護してもらった
「事件」以来、車で待ってもらうことはしないようにした。
◎午後 ばっちゃのところへ行った。おやつを食べたりして、1時間ぐらいしゃべって
帰ってきた。
2002.2.24(日) 晴れ
◎本日、市長選挙と市会議員補欠選挙があった。動ける間はできるだけ社会的な活動に
参加するという意味で一緒に投票に行った。(朝7:30)
本日の投票のシステム。
1,受付をし「市長選挙投票用紙引き替えカード」をもらう。
2,市長投票用紙と「市会議員選挙投票用紙引き替えカード」をもらう。
3,市長の投票をする。
4,市会議員選挙投票用紙をもらう。
5,市会議員の投票をする。
このシステムはかなり前から行われていて、母さんも一年前にはとまどうことはなかった。
今回はかなりとまどった。 1,の後、投票用紙をもらわないで「記入卓」へ行った。
係りの人に促されて、用紙をもらって「記入卓」へ行った。選挙であるから私が後について
行ってさしずするわけには行かない。3,の投票の時に次の分の引き替えカードも
一緒に投票箱に入れようとして、係りの人に言われて、投票用紙だけを入れた。
係りの人が、ていねいで物腰柔らかだっので救われた。例えば「ダメダメ!」とかきつく
言われたら、むっとして出てくるような場面だった。
5,が終わった後、退路はそのまま進んで 会場出入り口へ向かうことになっていたが
母さんは受付の方へ戻って行こうとして、係りの人に促されていた。
ともあれ「事件」を起こすことなく投票を終えた。
◎日曜日も「モーニングサービス」のある喫茶「ひらく」へ行った。
◎2月21日の母さんが一日中家出思考があったことに対する推察。
便秘状態で、食欲がなかったし気分も優れなかった。私は事が先に進まないので
いらいらしていた。それで外へ出ようとする。戻ってくると「寒い寒い」と言うので
ストーブを付ける。また外へ行こうとするからストーブを消して出る。
あまり何度も繰り返され夕食も食べないし、私が「そんなに出ていくなら
今度はそれぞれ反対の方へ 歩いて行こう。母さんがなるべく気分良く過ごせる
ようにやってきた。車とか気を付けて行ってよ」と言った。
それでもしばらくすると、外はまだ明るかったがまた出ていこうとしていたので、
「それじゃ気を付けてね」と反対方向に歩き始めた。
道は直線だからどちらからも見える位置にある。
母さんは70mほど行って立ち止まった。私は30mほどの反対位置にいた。
いつも付いて来てくれるのに今は来ないと思ったかどうか、戻ってきた。
私も戻って行った。母さんが私に言った。「私そんなこと言ってないって。私何か
悪いこと言った?」と言った。さっきの私の言葉を覚えていて、それに対して言って
いるのだ。意味は−−私の母さんへの対応について、苦情を言ってはいない。そのほかに
なにか気に障るようなことを言ったか−−と言う意味だ。
私「いいや何も言っていないって、さあ家の中へはいろ」と中へ入った。
原因は便秘と思われる。
2002.2.23(土)
◎便秘の薬を飲んだ。朝一回だけ「気持ち悪い」と言ったがその後なし。
◎生協配達日、母さんせっせと手伝っているように見えて、家の物もよその物も
一つに集めていた。会員の人も病気のことを知っているが、あまり迷惑を掛けては
いけないと思い、室内へ引き連れてきているる間に処理してもらった。
美容の仕事のカットなどで手順を間違えることは今でもない、ボーリングに行っても
次にどうするかわかっている。20歳ころまでに身につけたことは、しっかりやれるが
30代後半以後にやり始めた事は、混線することが多い。
2002.2.22(金)
◎朝起きがけに「気持ち悪い」と言って顔をしかめていた。なかなか起きれなかった。
また便秘をしているのかなー
便秘解消の薬を飲み様子を見ることにした。
◎今日はハンカチを失くした。
このごろよく失くするもの、ハンカチ、赤い手袋、赤いジャンパー
2002.2.21(木)
◎起きがけに左足が痛かった。ずーっと以前に足が痛かったことがあったが、
最近では初めて。去年の夏以後はなかった。それ以前は調べないとわからない。
◎朝9時徘徊。付いて行った。100mくらい進むと、「寒い寒い」と言い出した。
「そりゃ寒いよ、いきなり出てきたのだから」と私。
そのうち「気持ち悪い」と言いだしたので立ち止まり背中をさすってあげた。
小刻みに震えだして「こわいこわい」と言いだした。昼中歩いていて
「こわいこわい」を言ったのは初めてのことだ。とにかくこんな路上では、
対応が出来ないので、「家へ戻ろう」とゆっくりと方向を変え、家へ戻ってきた。
ストーブを付けて部屋を暖かくし、とにかく何でも良いから 私がしゃべり続け、
気を引きつけて置いて、お湯を沸かしたり、パンを焼いたりして作業を進めた。
紅茶に厚切りパンを食べて、気分も落ち着いてきて ばっちゃのうわさ話などはじめた。
「寒い寒い」も「気持ち悪い」も「こわいこわい」も無くなっていた。
しかしその後本日は、外出思考が夜まで連続し、五回も出ていった。別に3回、
仕事や買い物で車で外出した。車の時は落ち着いていた。
気分が乗らずか、夕食を食べなかった。
夜は 苺など食べて、おしゃべりをしたりして、笑顔も取り直しゆったりとした
気分で就寝した。
◎介護保険認定の調査があった。係りは下地正也氏だった。
◎メモ 空想話あり
2002.2.20(水)
◎娘学校が休日日。高校が新入生受け入れの入試のため。
でも母さんは、小一時間、外に出ないと一日が始まらない、ので40分ほど
ドライブに行った。
朝食後一服していたら、母さんのお客さんの結構親しくしていたYさんから電話
「カットしてもらえるか」とのこと。母さんが「OK」だったので店を開けた。
店はいつも磨いているのでいつでもお客さんを受け入れられる態勢になっている。
Yさんのカットは無事終わった。
◎昼食の用意を私が始めたら、冷蔵庫の一番下野菜入れの領域が、くずが落ちたり露が
あったりで汚くなっているのを母さんが発見、母さんが中身を全部だし、ボックスを
はずして水洗いをし磨いてくれた。
◎シャッターを開けていたので、もう一人カットのお客さんが来られた。
このかたも無事終了。
適度の自分に適合した緊張があると、その日の気分は快調のようだ。
◎明日介護保険の認定調査に、○○老人ホームの○○さんが来られる予定。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
−−−うちのばっちゃもぼけてしまって−−−(※本当は耳が遠い程度)
−−−この間も同じことを何回も言ってさ「それは今聞いたよ」っていうと−−−
−−−「そうかえ」って言うんやて、しまいに怒れてくるよ−−−
−−−私がいるのに「誰かえ」て言うもんで「我が子の顔を忘れてどうするんや」−−−
−−−って言ってやったんや。おしっこ漏らすようになったり、おしめを−−−
−−−しんならんようになったら大変や。−−−(と大声で笑った。私もおつきあいで
笑った。母さんが笑ったのは空想の世界とは言え、ばっちやにおしめの可能性が
ないことを確信しているからだ。私は複雑な気持ちだった。)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎愛知県の お知り合いに介護をしておられる人がおいでの”焼き鳥天匠”様
お便り有難うございました。リンクの件承知いたしました。こちらのリンクにも
載せさせていただきますが、数日お待ち下さい
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2002.2.19(火)
◎夕方娘を塾へおくっていって家へ戻ったとたん「まだ学校から帰っていないのかな...」
と言うこと以外、特段の事件なし。
◎すぐ何でも忘れてしまうかと思うと、1時間も前に来た西濃運輸の配達の人の
ことを「今日の配達のお兄ちゃんは、細面のやせた人やったねー」
と ふと思い出したように言った。その人の特徴は言ったとおりだった。
◎新規売り込みの、営業に行ったが、知人の所だったので、母さんも一緒に行った。
2002.2.18(月)
◎浜松医療センターへ診察に行った。新幹線に乗って母さんは旅行気分。
到着したすぐに検査が始まり、検査の係りの人の質問が時間は規定どおりだか
呼吸が合わず、途中で回答しなくなった。検査の係りの人が 話の糸口にと
鉛筆を示し「これは何ですか」と質問。「そんな物見ればわかるでしょう」と言う答え。
「今は気分が乗りませんか」と促されると、「こんなばかげた幼稚園みたいなこと
ばからしいわ」といった。検査はそこで中止。私は「さもあらんわ」と思った。
30分くらい待って診察になった。先生がどういう診断をされるか注目した。
本人に、先生「元気でやっていますか。変わったことはありませんか」と質問。
私「12月で美容の仕事を休業しました。」
先生「ここへおいでになってから今まで、ここ2年半くらい安定していたようですが、
ちょっと状態が悪くなりましたかね」
先生「手先は器用に動くようですね....お手玉をやっみてください」
と先生が自分でお手玉の見本をやってから母さんに渡した。母さんはお手玉を
とって10回ぐらいやった。
先生「運動神経はしっかりしていますね」
私 「休業していますが、たまに友人のお客さんが来られて、カットだけやることが
あります。昨日も一人やりましたが、クレームはありませんでした。ボーリングも
150点〜160点くらい出ています」
先生「よく眠れますか。夜眠れないと言うことはありませんか」これには母さんが首を
横に振って「いいえ」と答えた。先生「食欲はありますか」「ええ、よく食べます」と私。
先生「歩く時、つまずいたり転んだりすることはありますか」
私 「それはありませんが ちょっと猫背になりました。」
先生「MMSは4ですが実際は15くらいでしょう。」
先生「アルツハイマー病にも幾つかの形があることがわかってきて、2年、3年くらいで
寝込んでしまわれるかたもいます。一方では足腰が強く、喜びの感情、笑いを持つ
状況にある人は、10年もそれ以上も 持ちこたえている人もいます」
先生「お料理なんかも、出来ると思いますから、火の番だけは旦那さんが見ていて
一緒にやってみられたらどうですか。」
先生「本人が楽しいと思うことをいろいろやってみて下さい」
(本日の記事の先生の言葉は筆者田口の要約で文の責任は筆者田口に属します)
2002.2.17(日)
−−−なにもかもだめだ−−じぶんにわかるもの−−−
−−−もうすぐ死ぬわ−−じぶんにわかるもの−−−
「すぐ死んでしまうと言うことはない。だめやと感じることは、ダメになって
しまっていないと言うことだ。今の内にやりたいことはやり、残したい物は残して
おくことや、大きい構想の仕事は出来ないだろう。あれ これ と思う程度のことは
出来るだろう。俺がいるんやから何でも言ってくれて、いっしょにやっていくことや」
若年性アルツハイマー病で、初期から中期へ進行状況の時の メンタルケアは
重要な問題だ。
現代の医療水準では病気が進行することしかわかっていない。
私が何をするか 何が出来るか といえば次のようなことになる
1−−何もしないで放っておく。
2−−生活を一般生活に合わせそれと同じように生活するよう努力する
3−−基本的生活習慣の諸作業は励ましつつ一緒にやり長続きさせる
4−−何がしたかったかを引き出して、それを残させるようにしていく
5−−「やりたいこと」も初期には お絵かき、ボーリング、散歩を続ける
旅行に行く、など まとまりとしてあったが、今では 思いつきのように
なっている。思いつきでも、「意思表示を実現する」ようにする。
6−−出来るだけ気分をまぎらせて、病気のことを考えさせないようにする
7−−心配の材料を出来るだけ、実際的にも取り除いて少なくする。(続く)
8−−一番問題は 病気の展望を聞かれた時、どう答えるか。
答えようがない。
9−−「暮らし向きについて」聞かれた時、どう答えるか。
何年も先のことは 誰も展望をもてるものではない。切り開いていくことも
内心に含みつつ「心配するな任せておき」と言うより他はない。
その時々の状況、雰囲気によって1〜9の対応をしている。
2002.2.16(土)
◎今日は生協の配達日、店を開けていたので、近所のばあさん○○さんが立ち
寄られた。私が店に顔を出すと「開いとったで、寄ったけど切ってもらえるかね」と。
事務所の方にいた母さんに、「カットして欲しいと言って見えるけど、どうする」
と小声で聞いた。乗り気でなかったのか状況が飲み込めなかったのかぐずぐず
していた。「近所のばあさん○○さんやけど」ともう一度言うと「○○さんか」
と立ち上がった。
こんなぐずぐずの動きで対応してくれてはちょっとまずいなと内心思いつつ
見守っていた。店に顔を出したとたんに「あっいらっしゃい、こちらのイスへ
どうぞ」とハイトーンの声になって準備を始めた。このばさま(婆さん)の
世間話にも耳を貸しながらカットは完了。一週間ぶりの仕事に満足していた。
◎小さな安倍川餅が3セットあった。セットの中身は、厚めの包装紙に包まれた
小形トレイの中に一口サイズのこしあんの餅3個と 親指大の きな粉餅4個が
あった。昼食後のおやつに一人1セットずつ配分。
娘は「あとで食べる」と冷蔵庫にしまった。私と母さんは「かたちがかわいいね」
などといいながら食べた。厚めの包装紙は元あったと同じ振りをして食卓の
上に放置されていた。
5分ほどして母さんがそれをつまみ上げ、「なんや空やないか、あや やろ
いたずらして」とそのまま置いた。
娘は私に目で合図をした。私は「えっ?」という顔をして見直した。
すると小さい声で「さっきのを出してやってよ」と言った。
私は娘がしまって置いた安倍川餅を出して母さんに「さあ食べようか」と言って
渡した。母さんは包装をはがし「かわいい安倍川餅」まるで初めて見るように
言って、食べ始めた。私は もう追加はない と思って包装紙を事務所の方の
ゴミ箱にまるめて捨てた。
娘は 2人の動きを ニコニコしながら見ていた。
2002.2.15(金)
◎一緒に台所の後片付け、洗濯干しをした。
◎「みんないなくなってしまったね」というとか、物忘れ、真っ赤な手袋の置き忘れ
はあったが、平静さを保ち、特段の事件なし。
◎ラーメンが食べたいというので 近くだけど一度も行ったことのない店「ちりめん亭」
へ行ってきた。
あとはいろいろしゃべって私の脇にいた。
2002.2.14(木)
◎本日、徘徊3回
◎午前中、食器洗い、洗濯干し、室内整理、昼食の前準備と今日は段取り良く
進めたなと思った。小休止してから事務所での仕事にとりかかった。
「ここの人たちはどこへ行ってしまったの」と言う会話から始まった。
−−−どこへ行くか、言って出かけんといかんわ−−−
−−−バラバラやね、こんなことではやって行いけんようになってしまうわ−−−
−−−つぶれてしまうわ−−−
−−−こんなことなら 来なければ良かった−−−
−−−お父さん これからどうするの−−−
(※母さんの条件設定は 2人ともこの店に雇われている、この店には2人以外
にも働いている人がいる。しかしその人たちが行き先も告げないでどこかへ
行くなど バラバラでは店が成り立っていかない。つぶれてしまう店にいても、
しようがないから どうするか と言う意味だ)
「どうもしないよ、細々とでもやっていくよりほかはないよ」と私。
前提が違ったところから話が出発しているということは言わなかった。
少し前までは母さんが「自分が病気であるので、店を閉め、人も来ないし活気がない」
と言うことを自覚していた。今日は自分の病気のことは外に置かれていた。
私は先程は言葉を濁していたことを付け加えて言った。
「母さんは、病気で いろいろなことが出来なくなってきたの。だから店を閉めて
お父さんの方の仕事だけやっているの。でも母さん、心配しなくていいの。細々と
やっていくのなら何とかやっていけるから、俺に任せておけ。母さんは好きなことを
やって気楽にしていればいいよ」
「そんなのはいやや」と母さん。
真剣に私の方を見ていた。何か言いたいようであったが言葉としてでなかった。
気晴らしに得意先への届け物に連れて行った。
戻ってくると母さんはその足で歩き始めた。行き先はとしこさんの家の方だった。
途中、軒先の犬の格好が面白いなどと言って歩き平静だった。
としこさんの家では、なんと言うことない話をしていてすぐにもどってきた。
ちょうど12時だったので「昼食にしようか」と言ったが「今は食べたくない」
と言ってまたすぐに外出した。もう一度としこさんの所へ行った。
先日京都へ行った話やら、想像上の正ちゃんの話やらしていた。
先日母さんが一人だけいる時お客さんが来てカットしてあげた話しとかした。
としこさんが「昼からは出かけるからちょっとのあいだいないよ」と言って
いるのを聞いた。
戻ってきて1時。「昼食にしようか」と言ったが「今はいらない」といった。
「どっか車に乗っていって来ようか」と言ったがそれにも反応しなかった。
また外に出て歩き始めた。私がぼそっと「迷うといかんで付いて行くわ」というと
母さんはごく普通に「としこさんとこなんか迷わせんわ」と言った。
車がなく外出中だった。母さんは呼び鈴を一度鳴らしてからあいだをあけてもう
一度鳴らした。私が「車がないし 今はいないよ」と言うと呼び鈴を立て続けに鳴らして
待っていたが、返事がないのであきらめて外に出た。50メートルきて
もう一度戻って呼び出していた。戻り道、私に言った。
「どこかへいくならひとこといっていかなあかんわ。こっちにも都合があるんやで」
これを聞いて私は、3回もとしこさんの所へ行った母さんの空想の世界の
仕組みがわかった。
−−−こんなことではつぶれてしまう−−−お父さんに頼り切ってばかりではいけない−−−
−−−店を開けよう−−−それについてはとしこさんもよんでこよう−−−
と言うわけだったようである。でもそれは無理な話。
2002.2.13(水)
◎今日は ビン、カンの収集日。正月以来積み重ねてあった新聞とちらし、縛って物置へ。
母さんと一緒に作業をした。ついでに室内の整理も。
◎午後から配達に一緒に行った。
◎としこさんのところのパソコンにインターネットを使用できるよう、セットアップ
作業に行った。ほぼ1時間あまり、母さんはとしこさんとしゃべったり、作業の横に
座っていたりして時を過ごした。とくに何事も起きなかった。
主人が、仕事で外国に行った来たので と家の娘におみやげをくれた。
◎外が寒かったせいか 徘徊の気配なし。
2002.2.12(火)
◎朝の「こわいこわい」は強弱の差はあるがずーっと毎日続いている。
◎10時頃、徘徊。付いて行き、行きたいところまで行かせた。
1時間10分ぐらい歩いてきた。
2002.2.11(月)朝方から小雪 昼間はずーっと晴れ夕刻5時30分より大雪
◎昨日夕方から小雪、道路は降るはなから溶けていたが 道路向こうの空き地や、
止めてあった車の上には2〜3センチ積もっているようす。
こどもが学校休みで7時起き。下へ降りてきていろいろやってるあいだ、母さんは
「寒い寒い」と言いながらも、家の中を「探索」か「点検」か一通り見て回っていた。
こっちへ来て「もうだめやわ」と言った。私は思わず「何が?」と聞いた。
いつもの「もうだめやわ」とはちがって、普通のしゃべり声だったからだ。
「こんなに雪が降っては、もう帰れない。ちょっと見てみい」と私を店の出窓の方へ
引っ張っていく。「あーっ、こんなに雪が降って、これじゃもう帰れないよ」と
驚いて見せた。「でも大丈夫やよ、少ないから明日になれば」と私をなぐさめてくれた。
なんのことや、立場逆転か。
「写真のピカイチがあって」「忠節橋を越えて」「左に曲がってサークルKがあって」
あり得ない「歩いて家へ帰る」話とかした。「家の方はもっと雪がある」とか
「揖斐の方は もっともっと雪がある」など それにまつわる話をいろいろして
二人で盛り上がっていた。
◎一日の習慣がある。朝7:45〜8:30はドライブの時間である。私がサボって
行かないと、母さんが不安定になる。散歩は母さんが「今日は寒いから行かない」
と言えば、無理には行かない。散歩は行かなくても不安定にならない。
今日はドライブしてきた後、「里帰り」をしようとうろうろ。私が「よしっ。
もうこうなった以上行くぞ」と元気づけにかけ声を掛けて、一緒に出かけていった。
100メートルほど行くと、「寒い 寒い」と言って、戻ってきた。その後は
家出しなかった。
◎夕刻5時30分より大雪。大雪と言っても積もった雪ではなくて雪降りの状態が
大雪だ。繰り返し降った雪でわかったことは、母さんがそのたびに
「こんなに雪が降っては帰れない」と言ったことだ。常に里帰り思考があって、
天候などに応じて言葉となって現れると言うことだ
2002.2.10(日) 晴れ 夕刻6:30ごろより小雪
◎今日は朝から4回 家出した。始めは戸の外で立ったままでいた。歩き出したので
付いて行き、そのうち一緒に歩いて、 この季節にしては暖かかったので
私からは「帰ろう」とは言わず母さんの行く所まで付いて行った。
一回目と二回目は母さんが「寒いから帰ろう」と言ったのでごく普通に「帰ろうか」
と言って戻ってきた。
戻ってきてトイレに行って、提げて歩いている袋をごそごそやってから、「寒いから帰ろう」
と言っていたのにまた出ていった。三回目だ。一番大回りの散歩コース当たり待て来て
「帰ろう」というので戻ってきた。12時少し前。台所まで行ったので、昼食を食べよう
と言って食べた。食事が済むとまた出かけようとした。
数年前 堂本剛と遠藤久美子の出演する テレビドラマがあった。堂本の青年時代が
一定の時まで行って また元の年齢に戻って別の場所に生きてはまた戻るという
繰り返し。それを知っているのは自分だけと言うドラマだった。
繰り返しを知っているのは私だけと言う意味で、なにか堂本の焦燥の気分だった。
4回目はずいぶん遠くまで行った。とても歩いていける道ではないが基本方向は実家の方
を向いていた。道々、目に映る光景について、おしゃべりしながら歩いた。片道40分
ぐらい歩いた。
途中、進路が違っているようだったので「どこへ行くの」と聞いたら
「家へ帰るんやがね」と言った。この家とは、実家ではなく今出てきたばかりの住んでいる
家のことだ。「ふーん」と私が言ったついて戻ってきた。その後は気分は元気で家出はしなかった
◎2月6日(水)の「レモンテイー1杯分で朝食済ます。」とはどういうことか
と言う質問。
私の住む地方の喫茶店でコーヒー、紅茶の値段は330円〜400円、多くの店は350円
ところで午前11時までに入店すると(日曜日以外の日)、モーニングサービスとして
パン、たまご、野菜(サラダ)フルーツを主材とした食べ物が無料で提供される。
この食材をどう調理するかはそれぞれの店の腕の見せどころである。
少食の人ならば結構朝食の代わりになる。私などにはちょっと不足であるが...。
と言う意味です。レモンテイーのあの液体で、朝食代わりにすることではありません。
2002.2.9(土)
◎美容院のお客さん○○さんの件。
昨晩お客さん○○さんから「化粧品が欲しいので 明日午前中に行く」と電話があった。
化粧品販売も、美容サービスも、技術が落ちていることをお客さんが承知の上ならば、
法的問題は全くない、都合により休店しているだけだから。
この○○さんも仲間みたいな人のうちのひとりだ。その時刻まで、母さんの気分が平静に
すぎて行くなら何も問題は起こらないはずだった。
母さん自身も店の掃除をしたり、「今日○○さんが来る」といって期待を込めてそわそわ
していた。ところで今日は生協の日。母さんも意欲的に手伝っている。
ところが の配分ミスがあって それを私がを指摘したことに腹を立て、脱出(AM9:30)。
私は追跡。さて、困った。○○さんは午前中にやってくる。
今来ても店には誰もいないのだ。ハラハラ………
ついに○○さんがやってきた。しかし大丈夫、今回の脱出は1時間ちょっとでおしまい。
帰宅時刻は10:40。その後○○さんを待ってる余裕があった。到着は予告通り午前中…
11:55のことだった。化粧品だけの予定のところをカットもする運びとなったが、
家族押しての心配をよそに無事本日の課題を終了したのである。
○○さんに帰り際「先生のカットが一番気にいっているんやって」といわれてご満悦だった。
◎夕方、徘徊した。その時の様子は、「そんなら帰るわ」まるで通勤者が帰宅するよう
、ごく自然にそう言って出ていった。追跡していって、行きたいところまで行った。
2002.2.8(金)
◎みどり病院、腹部エコー検査
◎市役所へ行き、介護保険の要介護認定の申請をしてきた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎お母さんを気遣っておられる S様 お便り有難うございました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2002.2.7(木)
午前中外出して戻ってきてふと言った言葉
−−−誰もいなくなってしまった−−−
しゃべったことを並べるだけでは、背景や意味がわからないので想像上のストーリーを
要約すると次のような話。このストーリーは以前にも何回か出てきて、
そのたびに「事務所には従業員は誰もいない」と話していた。その時は
納得していたが、時が経つとまた出てくる。
−−−−−−−
−−−母さんの店に、4・5人の働いている人がいた。私の事務所の方にも4・5人の
働いている人がいた。それが今戻ってみると誰もいない。
「どこへ行ってしまったんだろう。お父さん知っているの、どこへ行ったか」
私「わからない」
母さん「そんなこといかんわなー、黙ってどこかへ行ってしまって」
私「そうだね」
今日のストーリーは、店主の立場ではなく、2人とも従業員として使われている
立場のようだ。そしてそれぞれ仕事に出たのではなく、旅行にでも行ってしまった
のでここにいないようだ。
母さん「そんなのけ者にして行ってしまってはいかんわ。みんな仲間って気持ちでなきゃ
主の人は何を考えているんやろ」
一従業員である私の立場を そして母さん自身の立場も擁護して、主を盛んに攻撃
していた。力説する姿には熱がこもっていた。
母さん「これから京都へ行って見物してこか」
私「簡単には行けないよ」−−−−−−−−−
「ちょっと配達があるから一緒に行ってこようか」と配達に廻っていたら
想像上のストーリーはどこかへ消えてしまっていた。また出てくるだろう。
興奮状態にならなければ、想像上のストーリーも、害がある物ではない。
2002.2.6(水)
◎岐阜県立病院婦人科の診察日、注射をしてもらい漢方薬もらってきた。
「さむい さむい」と寒がることについての治療だ。
そういえば母さんは 3年より以前、健康時にも睡眠時の足のこたつを
5月中頃まで入れていた。私は冬でも足のこたつは入れない、当地の多数派は
3月末でこたつを片づける。元々寒がりであったのかも知れない。
◎ 帰り際「ひらく」喫茶店に寄る。レモンテイー1杯分で朝食済ます。
◎10時帰宅、母さん自分の店を覗いて言う
−−−誰もいなくなってしまった−−−
「そおう、今店休んでいるからね」
−−−誰もいなくなってしまった−−−
−−−みんなどこへ行ってしまったんやろ−−−
「どこへ行ったんやろ、居なくなってしまったね」
−−−お父さんの方も居なくなってしまったね−−−(元々居ないよ)−
「そうだよ居なくなってしまったよ」
−−−おかしいのやないそういうのって−−−(管理者としてかまえの気はい)
これはいかんとおもって、バックミュージックのスイッチを入れて音楽を流す。
◎傍らにいて、母さんが自分で毛筆の道具を、事務所の机に広げて書き始めた。
書いてある字、練習方法の良し悪しではなく、自分でやり始めたことを良しと
しなければならぬ。
◎午後苧ヶ瀬の池へ散歩。「安田屋」の駄菓子を買って、散歩。
駐車場は南側にある。対岸の北側には、左から池ノ神をまつる神社の付属建物、山、
三軒の住宅地、畑、墓地、畑、山、池とは別の むら神社、住宅地、畑、山、
一番右は五十軒ばかりの開発住宅地が見える。
その畑の一つに、赤と青と黒の物が置いてある。その物がまるで、女性が横になって
寝ているように見える。その畑は黄色く菜の花が咲いているように見える。
もう二ヶ月以上前から、そのようになっている。
−−−あの人何やって居るんやろうね−−−
−−−あんなことしていると風邪引くよ−−−
−−−雨に濡れてびしょびしょやろうに−−−
−−−寝るのなら家へ帰って寝ればいいのに−−−
−−−どうかしているよ あの人−−−
−−−まだ今日もいるよ−−−
−−−菜の花食べているのやろうかね−−−
−−−いいかげんにしとかなあかん病気になってしまうわ−−−
−−−誰も何とも言わんのかねー。−−−
それを見てこの二ヶ月に言った言葉。
その間に三回ほど この1周4`を散歩してきたこともある。
でその物は、ハサ(農用木具)か別の物かをシートで覆って必要な時まで保管して
ある物のようだった。菜の花に見えたのは、白菜の取り残しであった。
母さんも「なんやシートがかぶせてあったのか」と2回とも納得した物だった。
改めてみるとまた 人が寝ていることになってしまう。
2002.2.5(火)
◎娘が ○○大学の入試で名古屋へ行ったので駅まで送っていった。
◎午前中、チボリ喫茶店へ。
◎夕食後母さんは、店に折り畳み式の机とイスを置いて 毛筆の練習をした。
準備は私が手伝ってあげた。 新しい物に取り組んで、喜んでやっていた。
字は今までと同じように書くことが出来た
◎母さんは3年前までは、口ではとかく言いながらも自信に満ちていた。
服装も落ち着いた色合いで ピシッと決めていた。
このごろ猫背ぎみで、あまり服装も構わなくなった。
いろいろな動きが、かつての母さんと較べてしまって、もの悲しくてならない。
2002.2.4(月)
◎午前中あまりしゃべらない時間があった。
−−−みんないなくなっちゃった。−−−
−−−なにもできなくなってしまった。−−−
−−−じぶんにわかるもの−−−
−−−だれもいなくなっちゃった。−−−
と言った。
私は「出来なくなったことは 幾つかある。全部出来なくなったわけではない。
出来なくなったことがあっても 3人力を合わせて生きていくんだよ。もし出来ない
ことがあっても、俺に聞けばいい。何も心配することはないから、安心してやって
いこう」
病気のことは、「見通しが無い」という 見通しを伝えねばならない。
暮らしのことは、私が将来に不安を持つことと、母さんに安心して生きていって
もらおうとすること とは別のことである。私の心配事を母さんは受けとめることは
できない。むしろ混線を増すだけである。だとしたら60パーセントの展望かあれば
100パーセント展望がある物として、安心させるより他はない。
◎ホテルの部屋番号
昨日の受験付き添い、と「観光旅行」について話していた。
ふと 質問もしなかったのに「部屋は○○○だったね」と言った。
「そうだよ、○○○号だったよ、よく覚えていたね」
その番号は正しかった。銀閣寺へ行ったことさえ、はっきりしていなかったのに
部屋番号は正確に覚えていた
2002.2.3(日)
◎娘は入試会場へは自分で行った。帰りはホテル近くの停留場で待ち合わせること
にした。大学周辺で待ち合わせることは 車も多く人も多く至難のことだろう。
料金さえ払えばホテル駐車場が利用できたので、帰り際利用することにした。
試験終了は午後4時になっており、そのあいだ母さんと「観光旅行」に出かけた。
私も行ったことがあるし、母さんも行ったことのある銀閣寺・大原の三千院・金閣寺
と回り、参道の土産物屋さんを見て歩いたり、買い食いをしたりした。
日曜日ではあったが冬場このあたりは、観光客が少ないのにあわせて、天気予報で
「雪」と言っていたので、参拝客はまばらだった。のんびりと見物できた。
なお時間があったので30数年前何年間か、いたことのある、西賀茂と言うところ
に行ってみた。古書籍をやっていた店へ行ってみると、店はやっていなかったが
表札は以前と同じだったので、ベルを鳴らしてみた。奥さんが出てこられた。
5分ほど、立ち話をした。若かった奥さんは年配になっておられたが、声には
かつてと同じ張りがあり元気だった。夫君は数年前亡くなられたと言うことだった。
「知り合いに会われたらよろしく」とお願いしてその場を辞した。
住んでいたアパートの近くへ行ってみると、当時は田と畑ばかりで、家は少ししか
なかったのに、今日はぎっしり家が建ち並らび 田の中の広い道路だったところは
商店街となっていた。住んでいたアパートは、そこに あるにはあったが名称が
変わっていたのと、5階建てビルの一階部分は物置のようになっていた。時の
流れを強く感じた一日だった。
◎1分間の高速道路「事件」
受かったか受からぬかわからないが、娘の試験も終わり、待ち合わせも順調に行き
帰路に就いた。サービスエリアで「楽しく」夕食も済ませ、車の方へ戻ってきた。
娘は私に「試験」のことを一生懸命しゃべっていた。車まで10メートルほどの
ところで、後ろから来ているはずの母さんが居ないことに気づいた。
この前の徘徊の時の何倍も、驚いた。人が多い、車が多くて危険。自動車道を
歩いていこうとするかも知れない。悪い予測が、瞬時に頭の中を回転した。
今来た道を娘と一緒に食堂へ向けて戻り始めた。娘が「ここでまっているから.
その荷物、車に置いてきたら..」と言った。車へ近づくと 母さんが車の向こう
側から現れて、こちらに向かって近づいて来た。「ほっ」であった。
先に行っていたのだった。
2002.2.2(土)
◎母さんは10分以上は一人で居られない、状況になっている。この日記の中で、
ただ私の動きに見えることも、それにくっついて必ず母さんがいる。
◎娘の大学の入試のため、京都へ付き添っていった。試験は明日(2/3)
1時間ばかり、としこさんに来てもらって、母さんのお出かけの準備をした。
午後2時に出かけて、夕刻早めに着いた。母さんは旅行の気分だった。
娘は、以前は両親が付いて行ったりして「過保護」に見られることを、
気にしていたが、このごろ大分容認するようになった。
2002.2.1(金)
◎今朝も「こわいこわい」「さむいさむい」はいつもより 早く起きたので、
ついて起きてきて あまり長く言わなかった。
◎娘が ○○大学の入試に行ったので駅まで送っていった。
◎−−受験・余談−−「何を忘れていっても試験は受けられるようになっている。
受験票は言うに及ばず、鉛筆、消ゴム、時計までかしてくれていた。信じられん。『暖房は
熱すぎたら言ってね』とか」と娘が言っていた
◎墨俣城へ行ったが、大きな鶏の放し飼いがしてあって、飼い方によって突っついて
くる鳥もある。朝早く客は誰もいなかったが、車から降りて数歩歩いたら、こちらを
目指して近づいてきたので、つつかれると気分悪いと思って車の中へはいり、城は見ない
で帰ってきた。城の人は こういう風に思う見物者もいることを知っているのだろうか。
◎
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎沖縄県の Y様 お便り有難うございました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2002.1.31(木)
◎午前中は、私の仕事集金について行った。小切手等があるので 帰り際銀行へ
寄って家へ戻る。
◎1時頃 小休止をしていたら「つまらんねー、どっか行こ。これから京都へいこか」と言う。
「京都ったって、これからじゃ今日中に帰ってこれなくなるよ」と私。
「大丈夫やってまだ一時やもの、帰ってこれるよ」
京都と言ってもそれほど近くではないが、たしかに我が家的感覚からすると、
午後8時頃までに帰るつもりなら、行って来られないことはない。
「そうだね、でも、どこを見るか決めといたり、弁当もいるし、また今度にしよう」
と言うことになって、またまた 苧ヶ瀬の池コースへ行った。
駐車場から100mほどのところに「安田屋」のパン・和菓子の工場がある。
池の側には 入り口はないが一角にパンと和菓子と駄菓子を売っている店がある
さしずめ 「安田屋小売り部」というところか。
母さんが「お菓子を買って来か」というのでいっしょに買いにいった。
お菓子を自分で選び、自分の財布からお金を出して買っていた。
お上品なばあさんが店番をしていた。
「まんじゅうを2個おまけしてくれたよ」と店を出てから母さんが言った。
私も見ていたからしったいたが「そうだったの 良かったね」と言った。
◎−−−みんな居なくなって行っちゃう−−−
−−−あやまんもいなくなったし−−−
−−−さむいし こわいし−−−
−−−もうなにもできなくなってしまった じぶんでわかるもの−−−
「確かに出来なくなったことはある。だけど出来ることもいっぱいある。
店の方のことはできんこともあるけど家の中のことは何でも出来るし、
ボーリングの点数だって普通にあるし、わからんことが有れば聞けばいいし
3にん仲良く暮らしていくんや」
−−−みんな居なくなっちゃった。−−−
「だれがいなくなったの?」
−−−だれかわからんけどもっとおおぜいいた。−−−
2002.1.30(水)
◎実生活に支障のない母さんの「ノンフィクション+創作話」のおしゃべりは
あったが、気分は晴れで安定していた。
◎私が 国立病院の診察に行った。昨年8月気管支炎で、血痰が出た時以来診察
に行っている。気管支炎は治り、伝染性の病原菌は8月からいままで一回も出ていない。
とのことであった。今日は母さんが付き添いで私が病人だった。私がレントゲン室に
行っている間に、母さんが「喀痰検査」の容器を受け取ってくれた。
「今日出なければ、出た時に持ってきてくださいだって」
看護婦さんは「付添人に」何の疑いもなく説明し容器を渡してくれた。
2002.1.29(火) くもり のち みぞれ のち 雪 のち 晴れ
◎今朝も「こわいこわい」「さむいさむい」は言ったが 強くなし
◎「もうダメになった」「何も出来なくなった」と言うことがあるが、
運動機能または行動機能とはべつの機能の働きで、この段階での
自分の状態を認識し表現していると言うことだと思う。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎静岡県の S様 お便り有難うございました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2002.1.28(月)
◎深夜2:00ごろ目を覚まし、下へ行ったり戻ってきたり、娘の部屋を覗いたり、
下のトイレにはいったり、事務所を覗いたり、台所で皿を置き直してみたりしていた。
戻って床にはいっていたが、また起き出してじーっと座っていたり、降りていったり
していて3:00ごろまで起きていた。その後は床につき朝まで寝ていた。
◎1.26(土)の朝から、朝起きてからの行動に元気がない。
今朝の場合。6:30一緒に降りてきて、感じとしてはきっと寒いだろうに
「さむいさむい」とも言わず突っ立っていた。「柿むいて」と言ったら、柿をむい
てくれたが むいて皿に置くとまた元の無言。
朝ご飯を食べようとしないので 食べないまま、娘を送っていった。
戻って家に着いても車から降りようとしなかった。そのうちトイレに行きたくなった
ので車から降りた。いろいろしゃべっても、言葉や動きで反応しなかった。
その間に私は お茶を再加熱したり、ストーブを付けたりゴミを集積場へ持って
行ったりしていた。
「岩戸公園へ行こうか」と言ったのに対してだけ「いやっ」と返事をした。
食事はしていなかったが、「薬を飲もうか」と促すと、薬を飲んだ。
イスに座っているとき、私が自分からご飯を食べ始め、「美味しいぞ食べようか」
と言うと 先程母さんが自分でむいた柿から食べ始めた。ずいぶんゆっくりした
テンポで食べていて朝食を食べ終わるのに30分くらいかかった。
食べ終わったらいつものように元気になって私の言うことに反応するようになった。
言葉の合間にもう一度「岩戸公園へ行こうか」と言ってみたら、これには 先程
と同じように「いやっ」と言った。
それでも外へ行こうとするので「どこへ行こうか?」と言うと
「本巣へ行く」と言った。
洗濯を干した。このごろの洗濯模様は...。
母さんが二階の雨戸を開けられなくなってきた。雨戸を開けて、一枚目を
しっかり戸袋に納めてからでないと二枚目を開けられない、三枚目も同じ。
雨戸は私が開ける。
洗濯干しそのものは、母さんがほぼ100パーセント干す時と 私が100パーセント
干す時と、一緒に干す時がある。今日は母さんが100パーセント干した。
その時私は室内の整理をしている。
◎朝起きてから、無言、無反応の時間が、長くなってきている。
朝の無言・無反応の時の状態と、一旦元気になってからの無言の状態の時と違う。
一旦元気になった後は、こちらが何かを言うと、それに対応してしゃべったり動い
たりする
2002.1.27(日)
◎今朝は 私が遅寝していて母さんが先に起きていたので「こわいこわい」を聞かなかった。
◎ 娘が 某大学の下見に行くため付き添って関西方面へ家族みんなで行った。
行程中は 何事もなく予定どうり下見をして帰ってきた。
午前9:25に出発。東海北陸自動車道から名神高速へ。天候は出発時は、晴れ。
途中霧のような雨。こまかい雪のような雨。後方から日差しあり。
見事な虹を何回か見た。山合に立つ虹。田園の中の虹。家並みの中から出る虹。
防音壁の向こう側から出る虹。
帰り道 本日最後10本目の虹は街並みをオレンジ色の空気に染めた日没寸前の虹。
母さんは言った。「今日は4回も虹を見たねー」
私は「うーん 4回も見たねー」と喜んだ。2を越える複数であったことが
私が喜んだ理由だった。娘は後ろの座席で、本当の数を数えていた。
発見したことは、虹の出発点の地平線に対する角度は、太陽が高い位置にある
午前10時から11時には水平に対して目測35゜ないし 45゜であるのに対し
午後4時から4時45分には目測65゜から70゜になっていることだ。
◎京都御所の中に、軽食堂、売店が幾つかある。その中の一つにうどんだけある
食堂があった。ちなみに値段は かけうどん 290円
きつねうどん 390円
卵とじうどん 370円 作り方丁寧で、
テーブルまで持ってきてくれる
それに較べると、ハイウェイ自動車道のサービスエリアうどんは作り方粗雑で
セルフサービス、値段は110円から150円高値だった。
◎ 当面の課題は、母さんが残された日をいかに有効に過ごすか。と言うことだと思った。
2002.1.26(土)
◎今朝も「こわいこわい」「さむいさむい」はいつものとおり。それほど強くなし
こどもが学校が休日で、朝寝。生協の配達日。一日うちにいた。
◎先日の徘徊時の、ことをいろいろ話してくれた。ストーリーが若干変わっていたが..
◎何でも車から降ろす癖
例えば ボールペンとかメモ用紙、ティシュと小さいくずかご、などが車に載せ
てある。これらを家へ戻ってきて降りる時に 母さんは持って降りてしまう。
使おうとする時にないので、イライラ。
◎サービスする癖
妻が健康の時はどちらも別々の営業活動をして働いていた。私はなるべく男女平等で
有りたいと、なるべく自分のことは自分でやることを旨としていた。
とは言っても力仕事は私がやり、食事や洗濯は母さんがやる比率が高かった。
朝食は私が週2日 早く(5:30ごろ)起きる仕事があって、1時間でそれが
終わるので、その後の時間で朝食の用意をした。と言う案配だった。
ところで最近、事務所兼作業場へ お茶を持ってくるし、おやつを持ってくるし、
灰皿の掃除をしてくれたり、机の上の未開封の郵便物を、そのままではあるが、
手元まで差し出してくれたり、タバコをくわえると、私が手の届くところにあるのに
ライターをとってくれたり、する。お茶は飲みたければ自分でとってくるし、
郵便物は、思考の流れがそれに沿っている時に 私の流れに沿って処理しないと
紛失したりすることがある。タバコはくわえても5分も10分も火を付けないでいる
ことはある。火を付けないでくわえていたタバコを、灰皿周辺に置き直して、
1時間だって吸わないこともある。サービス過剰がイライラさせる。
でも善意だから、イライラした顔を見せてはいけないのだ。
母さんがまだ 若かったころ描いていた、「旦那様」に対するイメージかも知れない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎福岡県の K様 お便り有難うございました。
◎奈良県の K様 お便り有難うございました。
◎大阪府の I Y様 お便り有難うございました。
◎「ひまわり」様 リンクの件 有難うございました。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2002.1.25(金)
◎今朝も「こわいこわい」は言った。
◎朝起きてくると、「さむいさむい」と言うのでまずストーブを付けて
「ストーブのそばにおり」と言って促す。周辺に立っている。
朝食準備での母さんの仕事は フルーツの皮をむくこと。今朝は柿の皮をむいた。
◎お絵かきについて
本人はいろいろ、絵描きの先生への不満を言っているが、結局は 構成力が落ちて
絵が描けなくなってきているようだ。1月以来、お絵かきのリハビリは中止している。
◎お絵かきをしない分だけ、機能が落ちるといけないので、いままで不定期だった
ボーリングを週一回やることにした。一回行くと3ゲームやる。そのうち一番高い
点を当日の得点としている。 本日の得点は159点だった。
2002.1.24(木)
◎今朝も「こわいこわい」は言った。
◎今朝の麦茶事件について、お話しするには 前段の説明が必要である。我が家では、
麦茶を使っている。麦茶は、お茶っぱの全然はいっていない麦のみの麦茶である。
通常は朝わかして置いて、必要な時に加熱して用いる。
気かむいた時は、緑茶も入れることがあるこちらは 湯呑みごとに網でこして入れる。
今朝食時はすでに麦茶は沸かしてあったが、緑茶も入れるべく小やかんにも湯を沸か
した。気づいた母さんが湯呑みを出して、やり始めた。ここまでは普通のことだった。
出されたお茶を見て あっと驚く。お茶をいれるのは普通のことであったし、私は自分が
食べるのに夢中で母さんの動きにに注目していなかった。
湯呑み茶碗のお湯の表面全面に広がった麦のつぶつぶ。
思わず「ふふふっ」と笑ってしまった。母さん その笑いが自分と関係有ることとは思
いもせず「何が面白い」と。「いや ちょっと」の答えに対して、ここは笑うべき
ところと母さんが思ったか自分も軽く「うふふ」と笑った。
それでなるべく麦が口にはいらないよう注意して飲んでみたがそれでも5・6粒は
はいってきた。割り箸を2本茶碗の飲み口の所に横に渡して柵のようにして飲んだ。
「これぞ 裏百家 真正麦茶飲用作法なるぞ」と言った。母さんも裏百家の意味がわ
かって 自分がその元だと言うことも忘れて、大笑いをして終った。茶碗を洗う時、
湯呑みについてはいつもは残り湯が半分以上あると、なかみをそのままにしてラップ
などをかぶせてとっておく母さんだが、今日の「麦茶」は全部捨てていたから、
気づいたのかも知れない。
◎娘の言「夕べ お父さんが寝た後 母さんが降りてきて、袋を探していたよ、
『青い袋知らん?』って 聞いたけど わからなかったから 『知らん』って言って
おいたよ、私が探してもわかるものでないし」と。
事態を冷静に観察できるようになっただけでも、娘の成長としている。
◎仕事を休業したので時間が出来て、としこさんが、市役所の関係する介護講座に
毎週木曜日に出てくれている。基本事項だから私も出ていた方がいいのだが、
なかなか出られないでいる。
2002.1.23(水)
◎今朝の「こわいこわい」は 「こわいよー」「さむいよー」をひとしきり言っていたが、
起こしてあげて一緒に下へ行くように促したら止まった。起きて下へ来た。
◎昨晩のこと、一旦 横になってからまだ眠っていない内に起上がり、私の横に座って
言った。「もう限界やわ..」...「私一人では出来ない」
私「仕事のことかい」
−−−「ううん、何もかも出来なくなってしまった。どうしたらいいやろ」
私「限界は来ると思うけど、まだ限界ではないと思う、その間にやっておきたいこと、
残しておきたいもの、残して、楽しくすごすことだと思う。絵を描いたのは
あれから200枚くらい有るし、ボーリンクの点数も164点で、まだまだいけるし、
そうだ、遠いところへの旅行は行っていなかったな」
母さん「こんなふうで仕事が出来なくて、家へ帰ると、みんなバラバラになってしまうし」
(いろいろ出来なくなって、このままいても生活が維持できないと
思っている−−だから家へ帰る)
母さん「私お金なんかそんなに無いし」
母さん「おっちゃんどうするの」と言っていた。
私「それは 心配することはない。贅沢しなければ、細々と生活していくことは出来る、
わからないことや、出来ないことがあったら、お父さんに言い。手助けしてあげるから、
ホントにもうあかんと思ったら、何もかもお父さんに任しておき。
母さんと 俺お父さんと ちび(こどものこと)と3人仲良く暮らして行くのや」
母さん「わたしも ここ(の家)がいい」と言っていた。
昨晩の出来事だが、比較的 意識は現実に近く、心配事も現実に近いものだった。
◎みどり病院へ薬をもらいに行った。いつもの先生でない先生の問診があった。
「どうですか」私に質問があったので「変わりません」と答えた。
「本人さんは会話できるか」と言われた。そして母さんに「おはようございます」と。
母さんは「おはようございます」と答えた。
先生「大丈夫ですね..それじゃ 前回と同じお薬で..」と問診は終わった。
◎早く終わったので、帰り道に喫茶「チボリ」に寄った。(9:45)
「ながやさん」もいた。
たまたま、「アンケートに答えて電子辞書を」という、宣伝をしていた。
おいしいとか 速い 遅いとか 清潔かどうか 接客態度とかのアンケートを書いて
あげた。「その他」の書く込み欄に「ながやさんのクシャクシャ笑顔を見に
たまにここへ来ている」と書いた。ながやさんもかなり高齢だから リストラ
されないように支援した。ながやさんが この店にいなくなると、母さんがこの喫茶店
へ来なくなり、記憶の一つがなくなってしまうことになるから。
母さんはコーヒーが好きだった。いまは喫茶店へ行っても 紅茶にしている。
今日はコーヒーだった。
コーヒーを飲むと 本当に何か変調が出るのか。観察してみないとわからない。
1〜2ヶ月に一回、コーヒーを飲んでいるが 何か変調が出たのか、今のところわからない。
◎一年くらい前にこんなことがあった。
こども(高校生)がたまに 使用している枕(スポンジ状の枕で、そば殻枕は別にある)を
「私の枕をつかっている」といって、幾日か後に、実家の方へ持っていってしまった。
もう一件は 黒のセーターのことだった。
こどもが着ているセーターを「私のを着ている」と言った。セーターのことでは
「とってしまうと泣き出してしまうとあかんで、そのまま着させときゃー」
と言ってそのままにしていた。
母さんに映る「こども」は 現在の大きい子 と 小3ぐらいの小さい子の時がある。
この時は小さい子として見ていたので、紛争が起こらなくて済んだ。
2002.1.22(火)
◎朝の「こわいこわい」はあり。
本日、私は事務所内の仕事をしていた。
傍らで、母さんがいろいろしゃべったこと。
−−−どうしてみんな居なくなってしまうの−−−
−−−のりたけのちかくをあるいとったらおまわりさんがきてどこからきたかというので
−−−南から来たと言った。....
−−−南のどこや−−−
−−−岐南町のほうから−−−
−−−ほんなら気をつけてかえれや−−−
−−−みんなにおいけぼりになってしまった
−−−どうでもいいげど そんなことみたいな。−−−
−−− なんにもわるいことなんかしてない
−−−どうでもよくなってきたからここへくるのもいやとおもった
−−−北高の中へは はいっていけんし
−−−いつもおいてけぼりになってしまう
−−−わたしの人生はもうだめやとおもった
−−−みんな きゃ−きゃ− わーわーさわいているけど
−−−みんなのこころがわかってきた。
−−−北高通過して則武のちかくまで行ってきた
と言うことをしゃべっていた。
2002.1.21(月) 雨のち晴れ
◎朝の「こわいこわい」はあり。
◎雨で外出できずにいたが 3時ごろから金華山へ行って来た。
会話は しんこちゃんの話とか 何人かの知人の話 いつも言っていることの
繰り返しをした。
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◎大阪府の IY様お便り有難うございました。
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2002.1.20(日)
◎苧ヶ瀬の池 散歩、下葉栗の農協で野菜の買い物、夕食を一緒に作る
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◎沖縄県の Y様 お便り有難うございました。がんばって参りましょう。
◎和歌山県の S様 お便り有難うございました。
◎弟さんご病気の K様 お便り有難うございました。
◎ひろこ 様 お便り有難うございました。
◎ご主人ご病気の K様 お便り有難うございました。
励まされて、がんばっています。
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2002.1.19(土)
◎「家出」(徘徊)して11`先の警察に保護され、無事引き取ってきた。経過は後日記載
一日うろうろ
(以下1月20日に記入)
※ きっかけ
私の得意先へ パソコンメンテナンスに同行した。場所は川を越えた向こう側
私宅から8`の所(11:40)
「一緒に中へはいるか、車の中で待っているか」聞いたところ
「ここで待っている」というので、私はK氏宅へ入った。出てきてみると母さんが居
なかった。(11:50)
※うろうろさがす
その周辺をうろうろ探したが、いなかったので 車で大通りの方へ出て見回った
が発見できなかった。
※親戚へ救援依頼
としこさんに電話した。(12:30)引き続き範囲を広げて探索した。赤い
ジャンパーを着ていたが、赤いポストが遠くにあると「母さんか」と 少し接近し
よく見るとポストとわかり がっかり。普段気にとめていなかった赤いジャンパーを
着た女性も意外と多いことがわかった。いま母さんが自転車に乗っているはずはない
と知りつつも 赤いジャンパーの自転車の女性も近づいて観察。どの人も人違い。
※−けいさつに連絡
昼間は暖かいが夕方になると寒くなる時間が遅くなればなるほど遠くへ行ってしまう
恐れもある。駐在所に届け出ることを決断。途中 金華橋駐在所はあったが 車が止
まれそうにない。川のこちら側の忠節橋交番へ 捜索願いを出した。(14:00)ごろ。
一方 としこさんは としこさんの主人と連絡を取っていてくれた。
交番で書類を書いている間に としこさんの主人から 携帯に電話があり、
「仕事 ちょっと中断して これからそちらへ行く」と。「すみませんねー」と返事。
忠節橋交番の警察官は 会話は丁寧で、おおむね親切であった。
母さんを見失ったのは北署管内、届け出たところは中署、私の住所地は南署、どの
圏内も通過する可能性があるので、「中署から三署に連絡しますから、情報があったら
お知らせします」とのこと。「よろしくお願いします」と言って外に出て待っていた。
少しすると、としこさんの主人が現れて、相談、としこんの 主人に もう一度近くを
探してもらうことにし、私は「もしかして本巣方面へ言ったかも知れないので
303号線沿いに ばっちゃの所へ行ってみます」と ばっちゃの家の方へ車を進めた。
仕事が済んだらどこかで昼食にするはずだったから 母さんはまだ何も食べていないはず
財布は車に置いていっている。見つかったらすぐ食べられるよう、途中で おにぎりやら、
パン お茶 乳飲料 その他を買い込んだ
※M郡のK署に保護
14:40ごろ、としこさんから電話「いま M郡のK署に保護されているとばっちゃ
のところへK署から電話があったそうや『警察からばっちゃの家へ連れてくるって』」
とのこと。ばっちゃが 私の家へ電話をしたが留守なので としこさんの所へ電話を
していた。
「いまK署の手前100メートルくらいの所にいるからこれから行ってみる」
と言って電話を切った。
すぐ近くのM郡のK署に行くと警察に連れられて出てくる母さんの姿があった。
「あーっ いた」と駐車場の線を無視して車を止めて飛び出し走って行って、
抱きかかえてなぐさめてあげた。急に緊張がほぐれたのか、
「何も悪いことはしていないのにー」と言ってわーわー泣き出した。
ここまで歩いてきたかと思って「怖かったやろ、もう大丈夫だから」と言った。
どのような対応があったのか わからず 私は 目に見える状況がすべてであったが、
状況が自分でわかっていないことを承知の上で 母さんにいった。
「警察は 悪い人を捕まえるけれども こどもや年寄りなど弱い人を守ってくれることも
している...だから家へ連絡したくれたの」と母さんをなだめた。
少し落ち着いてきた。
一人の警察官が 私に「なまえは下野 なんていわれるの?」聞かれた。
「ゆり子です」と答えた。
その警察官 急に目線を鋭くして「ゆり子?この人の言ってるのと違う」と言った。
瞬時 私は何が違っているのか意味を解さなかった。
「なにか? ばあさんは 下野ゆり子で この家の妻は やすこですが」
「あっそうでか この人は靖子さんですね」
「そうですよ」
母さんは ここで 下野と旧姓を名乗っていた。(メモを確認済み)
最初警察官は 旧姓で母さんの名前を私に聞いた。
私は 旧姓で 下野 と言われれば、当然 ばっちゃの名前と思い、ゆり子と答えた。
その答えを母さんの名前とその警察官は思い、母さんが実際とは違う名前を言った。
と感じ 「この人の言ってるのと違う」となった。
常に 悪と戦い、正義を守る警察官としては、当然の対応か。
母さんも 見るからに 痴呆症 とは見えなかったし、逆に言えば
健康人として対応してくれたことに感謝したい。
私が家族であることを確認して「それではタクシー代を払ってあげてください」と、
ここで 私は 母さんが泣いていた理由と 先程の警察官の目線の鋭さの意味と
母さんがどうやってこんなに遠くまで来たかを 理解した。
F交通のタクシーが「6230円ですが 230円細かいのありませんか」
というので、時間を取らせたりしたので、7000円を支払った。
(翌日1月20日、私はM郡のK署に電話で「何らかの事件として処理されているか」
と確認した。昨日の係りの人はいなかったが別の人が書類を見てくれて「『保護』とし
て扱われています。後から別段のことはありません」と。私が「若年痴呆ですから、
その理由を付け加えて置いてください」というと「そうしたら これからは
名前とか 電話番号とかわかるものを 持つか 身につけさせるようにして
置いてください」)
タクシー代を払って、書類作成のためもう一度中へはいり、
私が「見つかったことを中署へ連絡しなければ」と携帯電話を出していると、
「中署の方へ捜索願をもう出していたのですか」と言われた。
「はい ちっょと前に」「それはこちらからやっておきますわ」別室で書類を書いて
母さんを引き取ってきた。「お手数掛けました。ありがとうございました」と礼を
言って門を出た。(15:00ごろ)門を出てから、忠節橋交番へ、電話を掛けた。
「良かったですね、怪我とか、体の具合が悪いとか有りませんでしたか?」
「はい、その点は大丈夫でした。ありがとうございました。」
そして母さんの、最初の目的地である「ばっちゃの家」むかった。
ばっちゃの家の電話番号は不要な宣伝電話などを避けるため、電話帳に載っていない。
それで M郡のK署では地図を探し、北隣の家へ、電話をして、連絡してくれたと、
ばあさんが話していた。
自宅へ戻ったのは16:00ごろだった。
徘徊の直接のきっかけは 車の中で 一人で待っている間に、私がどこかへ行っていなく
なってしまったと 思って探しに外に出た。大通りへ出たら、見知った風景だった。
まず自宅へ帰ろうと思ったが道順がわからなかった。「ばっちゃの家なら、わかるわ」と
タクシーで近くまで行ったが、細かいところで 説明できなくなってしまった。
※本人の行動推察
私の視界から消えた後の母さんの行動は Kさん宅(私ども自宅から8`地点)
周辺から F交通のタクシーに乗り、ばっちやの家(11`先=自宅から19`先)
を目指して進んだ、小形タクシー6230円分乗った。ほぼその近くまで行ったが
道順の説明があいまいで ばっちゃの家へ到達できなかった。最寄りのM郡のK署へ
連れてこられた。金はいつも20000円くらい持っているのに 「大事な」財布の
入った袋を乗っていた家の車に置いて行ってしまった。
状況はタクシー運転手に聞かなかった。母さんを引き取るのに精一杯で
そこまで気が回らなかった。どういう状況だったにしても、警察へ来たことは安全
という意味では安全だった。
その後私が引き取ってきた。
中署へ出した捜索願の内容は たぶん 人の行動範囲と時間経過との関係からか
M郡のK署へはまだ来ていなかった。
◎ その後の顛末
19:00ごろ 電話が鳴った。メンテナンスに行った川向こうのK氏からだった。
「奥さん見つかったかい、君が出て行ってから、近所を歩いて探してみたんだけど...」
「あっ。すみません、ご連絡して無くて。3時ごろ M郡のK署に保護されていて、
無事引き取ってきました。」
「そうか 見つかったなら良かったよ、たいへんだね」
「ご心配かけて済みません。」
K氏 74歳。その時は 仕事の処理が済んだので、いつもならしゃべっている
営業用雑談もそこそこに、「ちょっと、車の中にいないようだからこれで帰りますわ」と
早々に引き上げてきていた。探してくれているとは気が付かなかったので発見の
連絡もしていなかった。
※母さんのつぶやき
母さんに、「どうしたの、どうやって ここまできたの」とかは聞かなかった。
たぶん 言い表せないだろうし、無理に聞こうとすれば、混線が増すだけだろうから。
聞かないのに、思い出したようにしゃべった時に、相づちをしながら聞いたこと。
−−−アパートみたいな所へ入っていってね−−−女の人が入っていったり出たりして、
−−−男の人も出てきて−−−月の会荘のアパートみたいなところで−−
−−−見とったけど 置いてきぼりになって一人になって待ったもんで
−−− こっちへ戻って来よったのや−−−
−−−北高の前の方もずーと 通って こっちへ来たのや−−−
−−−私なんにも悪いことしていないのに 警察へ連れて行かれて−−
−−−あんたなまえはなんていうんや なんて言われて−−−
−−−どこから来たんや って 言われて−−−
−−−怖かったけど−−−
−−−私何にも悪いことしてません って言ったんや−−−
−−−余分なこと言うというといかんで だまっておったんや−−−
−−−なにもしてないから、怖いことないし−−−
−−−囲いはしなかった。−−−
−−−だって私が行ったころ誰もおらへなんだもの−−
−−− そんで本で私困って待って どこで集まるのかきいとらへんし−−−
−−−途中でポリさんにあって−−−まあ気をつけて帰れよと言われて−−−
−−−のりたけの方は そんなに車も通っていないよ ここらへんほど−−−
−−− それでもホントに優しい運転手さんやったよ−−−
−−−北の方へ歩いていって則武の方へ行ってしまってね−−−
−−−ここへ帰ろうと思ったけど、道わからへんし 本巣の方へ歩いとったんや−−−
−−−運転手さんが優しい人で どこからきたの と聞くもんで
−−− 南の方からって言ったんや−−−
−−−私お金もっとらへんし−−−
−−−金のことは心配せんでもええわ って言われて−−−
−−−昔学校があったとこに、今はないし、わからへんようになってまって−−−
−−−あんたなんていうのや−−−
−−−高富の方へあるいとったら ポリさんがおって
どこへ行くんやねと言ったもんで−−
−−うん ちょっとそこまで といって ほかした ー−
−−−あっそうかね 気を付けて行きゃーよ と言った−−
−−− そんで終わってまった。−−−
ちょっとわしとはなそうか て警察の中へ連れて行かれて−−−
−−−中へ入っていったら言われて−−−
そうか そうか まっいいや帰れと言われたので出てきた−−−
歩いて帰るから大丈夫ですと行って帰ってきた−−−
−−−あやの高校へはいっていくわけにいかんしね−−−
−−−あやが なにしにきたのといってびっくりするわ−−−
−−−あんただれときたんやね−−−だれもいないわたしひとりだけで−−
−−−どうしてまったかとおもったのやろ−−−
−−−保護しておるのでだいじょうぶやといわれた−−
−−−しかられるとおもったらそうでもなかった・。−−−
−−−北高を通り越しておくの方へ行った 高富の方面
−−−どうしようかなと思ったけどやっぱりこんなふうではあかんと帰ろうかな
−−−と思い帰ってきた。−−−
順序 ばらばらで 意味不明のところや 相反する見解やら、事実と空想の混じった話だが
しゃべっていたことをメモしておき後に整理したいと思う。
2002.1.18(金)
◎今朝は「こわい、こわい」と言っていたが、特に強くも言わず少し言っただけで
次に「さむい さむい」と言うようになって起き出したので、もう何も言わなかった。
外の仕事に付いて行くなどした。私の立場から言って平静を保っていた。
特に記すべき ゛事件゛なし
2002.1.17(木)
◎今朝の「こわい こわい」も一昨日(1/17)と同じように尋常ではなかった。
6時までしっかり寝ていたようだ。私が起き出すと目を開けた。静かだったので、
今朝は何も言っていないな、と思っていたら、それからうなりだした。
手をこぶし状に握り、そろえて胸に当て、震えながら「こわいよー」言っていた。
「お母さん助けてー」とも言っていた。こぶし状に握った手を頬に当て
「こわいよー」言っていた。涙が耳の方へ流れた。ムンクの「叫び」を連想させる
ような形相で。
10分ぐらいで静まった。
◎このごろ 母さんがよく口にする言葉。
−−みんな いなくなってしまった−−
−−誰も来なくなってしまった−−
母さんは 一人でも「みんな」という。
娘の考察に寄れば この「みんな」あり得ることだという
友達の一人が「みんなこういっているよ」「みんなこうやってしるよ」
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