日記Ynas0112
2001.10.1(月)
ボーリングに行った。
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夕食の用意をしていて、特に使う当てがないのに、ネギ5本を3センチ程度に
切ってしまった。
2001.10.2(火)
2001.10.3(水)
◎岐阜県立病院で診察、「先月の検査の結果異常なし」とのことであった。
◎母さんが このごろとみに風呂に入りたがらなくなった。一昨日も昨日も
風呂にはいるよう工作したが入らなかった。昨日は「明日病院へ行くから」とか
「ちいちゃんが遊びに来るから」とか
「首や顔がかゆくなるのも風呂にはいらんでや」とか
「体が臭くなるよ」とか言ったが入らなかった。
機嫌が悪くなって一人で外へ出て行ってしまった。戻ってきてまた出て行った。
2001.10.4(木)
母さんのいろいろなしぐさの変化が、見慣れないうちは「やっやっ」と思う。
そのしぐさが繰り返し行われて、見慣れてくると「病気なのだから」と思い、
それが普通のことになってしまう。
このごろは夕方母さんと食料品の買い物に行っている。食材の他に、おやつの
シュークリームを3個買った。3人だから3個だ。
娘が塾から帰ってくるので、9時頃お茶でも飲みながらおやつを食べることがある。
母さんが1個目を食べておいしかったのか、2個目も食べてしまった。
娘はニコニコ笑ってみて見ぬ振りをしていた。私ははらはらして見ていた。
母さんが2個食べてしまったことを自分で気が付くと、恥ずかしい気持ちが、
強く出て別の混乱を引き起こすからだ。しっかりしている時はこのごろでも、
何でも三つに分けて3人で食べるよういつもやっている。話しに夢中にさせて
その場を切り抜け事なきをえた。
しゃもじのこと
うちでは電気釜でご飯を炊き、保温にして おひつ がわりに使っている。
しゃもじはその中にいれたままにしている。普通は一本だが、今日は2本はいっていた。
一昨日のネギは、炒め物に使った。
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風呂をセットしていたがはいらなかった。
2001.10.5(金)
今朝も起きがけにうなされるようにうやうや言っていた。
「こんなばかげたことをやっていてもしょうがない。どうしようもない」
と言っていたので
「なにか夢見たの?」
「ゆめやない」と言っていた。
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風呂をセットしていたがはいらなかった。
2001.10.6(土)
朝家出した。2回出たが、2回ともすぐ戻って来た。
夕方何もはいってない洗濯機のスイッチを入れた。
「洗うものいれるよ」と声をかけたら、
「今は何もない」と言った。
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風呂をセットしていたがはいらなかった。
2001.10.7(日)
岩戸公園へ散歩に行った。
◎ 夕食時のこと。
私がサラダを作っていた。火にかけてゆで卵用を用意し、かぼちゃをレンジ
でふかし、トマトと緑色野菜を切って、と鼻歌交じりに作業を進めた。
いつもは母さんと一緒にやるのだが、今日は食卓のイスに座っていた。
卵が出来上がったので、手持ちぶさたの母さんに切ってもらった。うまく切って、
一旦皿につけた。私は、かぼちゃとトマトと野菜をマヨネーズで混ぜて、
ゆで卵もいれて、アレッ!ゆで卵が無い。今日はお腹がすいていたと見えて
さっさと食べてしまったのだ。
<ここが肝心なのだ、何事もなかったかのように作業を進める。
「あれっ 食べてしまったの?」などと聞いてはいけない。
まして顔をしかめて不快感を示すなどとんでもない>
卵の代わりにソーセージなどいれて、3人分の皿につけて、焼き魚とつけもの、
デザートをつけて出来上がり。「さあ 食べようか」と言って、もう一つの"事件"に
気がつく、自分の分のサラダを先に食べてしまったのだ。さっと 母さんの空の皿と
私の分をすり替えた。そして、一家団欒の楽しい夕食を迎えた。
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◎ 久しぶりに風呂にはいった。
2001.10.8(月)晴れ
本日 休日で 岩戸公園へ遊びに行った。
午後 3人で関市の「迫間不動」へ行った。ここは関市にあるのに、
通じる道路は、関市から行く道よりも各務原から行く道の方がよい道になっている。
母さんが久しぶりに娘の髪を洗ってあげた。
2001.10.9(火)
今朝も起きがけ 「もうだめやわ、もうだめやわ」 とつぶやいていた。
朝食の用意手伝う、母さんが キウイと柿の皮を剥き、台所のゴミの整理
をして、裏の一時保管場所に置いた。今日は落ち着いている。
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娘を学校へ送った後の帰り道のこと。
母さん「あそこに、大きな ハイビスカスが咲いている」
私 「あっ ほんとだ あの花っていつでも咲くのやねー」
母さん「いつでもか・・・もう夏になるからねー」
私 「・・・・・・」
2001.10.10(水)
今朝も起きがけ 「もうだめやわ、もうだめやわ」 とつぶやいていた。
午後、ケーキ喫茶のシャンポリオンへ行った。
2001.10.11(木)
みどり病院 リハビリ お絵かき
帰ってから、カーマへ行き、雑貨品を買ってきた。
2001.10.12(金)
2001.10.13(土)
◎ 朝起きがけにつぶやいていた。
「破れてしまった。こぼれてしまって ごめんなさい。」
聞こえるか、聞こえぬかの声で何回も言っていた。
もう一つは 「倒れてしまった。もうダメや」と言っていた。
※ 少し前にもあったが、「ごめんなさい」の発音がまるで幼児のような
言い方だった。今まで実際 あやまる場面があったとしても「ごめーん」
というような言い方で言っていた。
朝ごはんの時に 私が さっき「何か 破らかしてしまった夢でも見た」
と聞いたら「知らん 忘れてしまった。」 と言っていた。
ばあさんが出てきたので楽しかった。気候も過ごしやすくなったので 気分は快であった。
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(徘徊)今朝も 朝2回、黙って外へ行った。
2001.10.14(日) 晴れ
◎ 起きがけに「もうダメやわ」と言っていた。起床したのは いつもと同じ6時。
徘徊をしないよう散歩に行った。いつの意識した散歩は、20分程度だが、
今日は日曜日だったので40分ぐらいかかって距離を伸ばして遠くまで行った。
北側50m程のところに電車の線路が東西に走り、その北は、市街化調整区域で、
一帯が田圃で、所々に民家がある。
田はもうすぐ稲刈りか、初穂を刈り取っている人が見えた。
大通りは朝から車がいっぱい通る。脇道はそれほど通らない。
暑くなく、寒くなく、散歩には一番いい季節だ。
私たちと同じ散歩をする人、犬の散歩をさせている人に時折出会う。
すずめと鳩がいる、カラスもいる。
今朝 徘徊しなくてもいいようにと散歩に行ったが、その後すぐ黙って外へ出て行った。
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午後から、加茂郡八百津町の杉原千畝記念館へ行って来た。
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2001.10.15(月) 晴れ
◎ 今朝の起きがけのうわごとは「恐いよー 恐いよー・・・・元に戻してよ」と言っていた。
何が恐くて、何を元に戻してか、わからなかった。私が想像するに 記憶が薄れていき、
いろいろなことが出来なくなることが恐い、健康な状態に戻してよ
と言うことだと思った。
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◎ 起床したら もう恐くなくなっていた。
本日は休日で、恵那方面へドライブに行った。
2001.10.16(火)
◎ お客さんのシャンプーをやろうとして、お湯の出し方がわからなかった。いつも
やっていることだったのに。
◎ 私が5時から6時30ふんまで歯医者へ行った。母さんも一緒に連れて行った。
そのあと6時30分、娘を塾へ送っていった。母さんも一緒に乗っていった。
帰ってきて 娘の部屋をのぞき私に「あや おらへんよ」と言った。
私は「きっと 塾へ行ったんやろ」と言ってやった。
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(徘徊)今日は3回出ていった。自分で戻ってきた。
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◎ 母さんは、冗談を言うとよく笑う、今でもそれは変わらない、冗談の話と、
普通の話と 識別がついているようだ。
2001.10.17(水)
◎ 起きがけに「もうダメやわ」と言っていた。起床したらもう言っていなかった。
◎ 娘が母さんにシャンプーしてもらった。終わりがけにハンドドライヤーをかけて
結ぼうとしていたので 娘が 「結ばないでね」 と言った。
そしたら母さんは 髪ばさみで束ねてくれた。
後から娘は私に言った。
「もう 寝る前だから 束ねなくてもいい と言う意味で言ったのに、
束ねてしまって、だけど『結ばないでね』という 私の要求は受け入れている。
朝出かける時のように、ゴムひもで結んではいないのだもの。そして
母さんは自分のやろうとしたことはやっている。私の言ったことと、
母さんのしてくれたことは合っている訳よ。私の気持ちとはちょっと違っていたけど」
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◎ 今日は 沈み込みもなかったし、「つまらんねー」とも言わなかったし、
何かこそこそ動いていて 一人で外に行こうともしなかった。平穏無事。
4時頃「あや帰ってくるの遅いねー」と言っていた。
2001.10.18(木)くもり
◎ 今朝はうならなかった。朝食の用意を手伝ってくれたが、いつも
固まっているのに、今朝は動きが良かった。
◎ みどり病院 リハビリ お絵かき。 組みひも
◎ 娘が塾のある日は、夕食は母さんと二人だけで食べる。野菜を刻んだりして
もらって一緒に作っているが、お腹の空いている時は、食卓に座って、
出来たはなから食べて行っている。以前は礼儀正しく 一緒に食べ始めていた
のに・・・・。でもまあ、母さんの 頭以外の体調も良い と言うことだし
私のお料理の腕も上がってきたのだろう。「食べてくれるならいいよー」と思って、
私は何も言わない。そして私が食べ終わるのをおしゃべりしながら待っている。
皿洗いは母さんがやってくれる。
そして後かたづけかがむと まだ1時間もあるのに
「さあ あやを迎えに行こうか」と言う。
2001.10.19(金)晴れ
◎ 今朝のうなされた言葉は「やだもん やだもん」だった。
なかなか何を言いたいのかわからない。もしわかったとしても、
病気に関することだった場合は、何もしてやれないのがもどかしい。
◎ 朝 学校へ送っていって帰った後、”家出”しそうな雰囲気だったので、
先に散歩に出た。今日は少し遠くまで行った。
2001.10.20(土)晴れ
◎ 朝起きがけに、うなされなかった。私が聞き逃したのかも知れない。
◎ いつものように娘を高校へ送っていって戻ってきた。
家へはいって、「あやは学校へ行ったのかな」と言った。私はうろで聞いていて
「行ったんやろう」と言った。
母さんはあやの部屋へ見に行って居なかったので
「電車かバスで行ったのやわ」と言った。
20分〜30分前のことを全然覚えていない。
「今、一緒に車で連れて行ってやったがね」と説明すると ほほ笑み気味の顔で
「ううん」と言った。この顔は、覚えていないけれども状況を私が言った内容と
して認知する時の表情だ。
◎ 夜7時から、とある夕食会へ一緒に行った。話題に乗れなくて 大丈夫かなと
見ていたが帰ってから聞いたら「楽しかった」と言っていた。
2001.10.21(日) 曇り
2001.10.22(月) 曇り時々雨
◎ 朝 私が30分ぐらい寝過ごして母さんに起こされた。うわごとを言ったか
言わなかったかわからない。「もう起きようよ。」と顔をつつかれて起こされた。
◎ 娘を模擬試験に連れて行って、そこにおいて、戻ってきた。家へはいって、
私の事務所兼作業所の方をのぞいて「だれもいないよ」と言った。
(母さんのこの時の 頭の中のイメージは私の事務所に2〜3人一緒に
働いていると言うイメージだ。私の事務所に人がいたのは15年くら
い前に臨時雇いの人が1人だけいたことがある。その人がやめて以来人は雇っていな
い。このイメージがどこから出たのかわからない)
◎ 休日で ボーリングに行った。母さんの点数は 160点だった。平均を維持している。
◎ 散歩道の稲刈り進捗状況。刈り取った田がちらほら2割程度終了か。
2001.10.23(火)
◎昼2時30分「つまらない」というので岩戸公園へ連れて行ってやった。
◎娘、沢田歯科へ 塾へ、
◎母さんの誕生日で 夜9時30分に帰ってきてから ケーキを食べた。
◎11時頃 「もう寝ようか」と上へ連れて行ったが突っ立て居てなかなか寝よう
としなかった。
「風呂にはいろうか、たまには風呂へ入れよや」と言うとそれまでの
顔が急に険しくなって、ジーンズのうわぎをきて下へ行った。
一緒に降りていくと、外へ行こうとした「もう遅いから、暗いし恐いよ」と
言ったが行こうとした。実力で止めても後が良くないので、そのまま後について
散歩に行った。夜中の散歩である。
2001.10.24(水)
◎朝5時30分ごろ 「いややわ こんな仕事 やりたくてやったんやないし」
と比較的はっきり。そして 動く気配。起きるにはいつもより少し早い。
母さんが 服を替えて起きていこうとしていた。
「まだちょっと早いよ」と言ったが下へ降りていった。私も付いて降りていった。
下のトイレに行っていた。私は早めだったが朝食の用意を始めた。
外へ出たそうに そわそわしていた。「早く戻っておいで」とおくりだした。
黙って出て行った。2分くらいで戻ってきた。つごう3回出ていって戻ってきた。
◎娘を学校へ送っていって来てから、岩戸公園へ散歩に行った。
ドングリがいっぱい落ちていたのでドングリ拾いをしてきた。
◎娘が、母さんの誕生日プレゼントに 「いわさきちひろの絵」をあげた。
2001.10.25(木)
◎みどり病院でリハビリ。お絵かき
このごろ家では絵を描かなくなった。
◎その帰りに チボリ(喫茶店)に寄って紅茶。厨房に長屋さんがいた。
笑顔満面で、顔をクシャクシャにして歓迎。母さんは 手で合図。
(母さんは、長屋さんのクシャクシャの顔を確認するためにチボリへ来て
いるようなものだ。=長屋さんごめんなさい)
帰ってきて、洗濯を干して、昼食。
◎母さんは 以前は家でも絵を描いていたがこのごろあまり描かなくなった。
退屈してくると、「車でどっかへ連れて行って」 と言う。インターネットで
他のかたの経験を見ていると 自分の要求の意思表示さえしなくなるそうなのでやって
やれることは何でもやってやろうと、ドライブも連れて行ってやっている。
本日は 苧ヶ瀬の池 へ行った。休日でないので駐車場はがら空き、
池とバックの風景もよく見える。
私は運転席で30分ぐらい昼寝をした。
母さんは鳥の動きを見たり、母子づれの散歩しているのを見たりしていた。
乳母車の赤ちゃんや、おむつ もこもこの 歩き始めたこども 3歳くらいまでの
おとぼけ幼児が好きのようだ。
その後は迫間不動尊へ周り、スーパー三心で買い物をして帰ってきた。
2001.10.26(金)
◎朝 「こわいよーこわいよー」と言っていた。
◎ 朝 学校へ送っていって帰った後、”家出”しそうな雰囲気だったので、
先に散歩に出た。今日は少し遠くまで行った。
◎
◎夕方、私が歯科へ行った。母さんも一緒について来た。
◎3日に一回は風呂に入ってもらいたいが、なかなか入らない、励まし、
おだててもダメ、脅してもダメ、どうして入らないのかな・・・・・。
2001.10.27(土)
朝 「こわいよーこわいよー」と言っていた。
◎ 朝 娘をセンター模試に 学校へ送っていって帰った後、”家出”しそうな
雰囲気だったが、外へは行かなかった。
◎我が家の駐車場が、「生協」(=消費生活協同組合)の配送場所になっている。
我が家を含めて5名、土曜日は配送日。
取り込みを母さんも手伝ってくれる。
時々、注文品を確かめないで大袋ごと取り込むので ○○さんの「◇◇がない」
◇◇さんの「○○がない」という”事件”が起こる。
◎ 日差しも緩やかだったので2時ごろ散歩 途中コンバインで稲刈りをしていた
ところがあり、ボーと見物、「稲刈りのプロ」がコンバインを操作、そのやの主人は、
農道脇の車で 袋を開けて待っていた。
私は母さんに「昔は1反(=300坪=990u)刈るのに半日かかったよ。
今は早いね」と言うと
「今は何でも便利が良くなったよ」と言った。
刈り取りをして巻き上げ、すぐ脱穀しためておく、わらの処理はいろいろあるが、
眼前の処理は細かく刻んで、次年度肥料用にまき散らしているようだった。
そのやの主人に 私は大きな声で
「今は速いですね 昔はこれだけやるのに 半日はかかったのに」
そのやの主人は「15分で済む。15分」と言った。
そして80万円もする高い機械だと言うことと、見た目よりは総重量は軽い
と言うことなど教えてくれた。
春先の田起こしから始まって、田植え 日夜の水の管理、虫除け、病気除け、
雑草取り、台風の心配、途中機械化された行程があるとはいえ、稲が育つため
の自然日数だけは必要だ。それが15分の稲刈りで終了とはあっけない気がする。
2001.10.28(日)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー いやだもー」と言っていた。
食事 準備中に一人で外出。一回目2分ほどで戻る。
その後2回目の外出。10分後に戻った。
◎娘 本日もセンター模試に行った。
娘を送って行ってから散歩に出た。
稲刈りはほぼ8割方終了か。今日の日曜日で このあたりの稲刈りは完了か。
道々そんな話とか100羽以上いる雀の群とかカラス はと 2羽いる白鷺、
カラスよりも白鷺よりもちょっと大きめのいつもいる白い鳥など見てしゃべり
ながらいつもの折り返し点へきた。
その時、ガスの火を付けっぱなしだったことをハッと思い出したのだ。折り返し点
の手前で気づけばそのまま戻れば 時間短縮になるが、ここまで来てしまっては、
早足以外に縮める方法がない。
30分以内なら火事の心配はない。戻ると台所は煙もうもうだった。
下層部分は焦げ付いていたが、上部はまだ食べられるところがあるほどに水分
が残っていた。
◎さきほど まだ朝食前だったので、すぐ食べようと朝作っていた煮物に
火を入れるべく私がガスの火をつけた。そこを離れて、事務所の部屋にいたら
母さんが外へ出たそうにそわそわしていた。
一人で行ってしまうといかんと思って一緒に外に出た。
煮物のことはすっかり忘れて・・・。
家にいる時に、焦がした経験は10年来を振り返ると何度かある。
どの程度で、どのくらい焦げるかも経験的に知っている。
で車に「火はいいか 出かける前にもう一度」という標語をラベルで貼って、
確信のない時は戻って点検している。ホントに出かけた時の、失敗はなかった。
そのあと夕方もう一度お茶をかけすぎて焦がしてしまった。
2001.10.29(月) 晴れ
◎うわごと 今朝も 「こわいよーこわいよー いやだもー」と言っていた。
◎起きて下へきたら、朝食の準備にかからぬうちに外へ行きたくてそわそわしていた。
今日は休業日
娘を学校へ送ってから、遠くまで散歩。洗濯干しや 簡単な掃除やらしていると
もう11時。早めの昼食。
◎郵便局や銀行へ行って、公共料金などの支払いをして、帰り途中に下は栗農協で
買い物−−不揃い、虫食い、泥付きを気にしなければ結構値打ち−−をしてきた。
もちろん母さんも同行。戻ってきたら1時30分。母さんがお皿を並べて、
食事の器の用意を始めた。「昼食をもう一度食べるつもりだな」と思って、
既製品のおでんの具をそれぞれ三切りほどに小さく切って白菜を切って入れ
おでん汁作って「昼食」を食べた。
私は慢性睡眠不足で、ここで一時間ぐらい、昼寝をしたいところだが、
そして時々は30分ほど昼寝をする時もあるが 寝ていると 母さんが
「みんな寝てしまっている。・・・・つまらんつまらん・・・
・・・・こんな事なら帰る帰る」と機嫌が悪くなって、寝させてくれない。
よしっ と思い 苧ヶ瀬の池 へ行った。いつものとおり 池とバックの風景は
よく見える。 私は運転席で30分ぐらい昼寝をした。
母さんは鳥の動きや、母子づれを退屈もせず見ながら待っていてくれた。
◎ 斉藤氏よりメールあり。
2001.10.30(火)
朝からお客さんが見えたが、店に出ることを渋っていた。
2001.10.31(水)
みどり病院 森先生の診察。帰りにボヌールで コーヒー。実はコーヒーは、
半年ぐらいは飲んでいなかった。最近 喫茶店では紅茶専門だった。
「たまにはいいだろう」と。
窓の外側の庭、きれいに手入れがしてあった。蓑虫が垂れ下がってゆれていた。
この窓の外は、6月ころ、あまがえるがぴょこぴょこと窓をはい上がって
きたりする。母さんはこのあまがえるを見て可愛いと言ったことがあった。
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2001.11.01(木)
◎未明3時30分ごろ 母さん 突然恐怖におそわれた。一点を見つめてふるえて、
「恐いよう 恐いよう」割合大きな声。目つきから見ると恐い原因が 私らしいが
落ち着くまでそばを離れるわけには行かない。手を取って肩をさすったり、
「怖がることはないよ。俺はここにいるから、何にも恐くないよ」と声をかけたりした。
少し 静まってきた。静まりが緊張した静まりだ。静まったら起き出してきて、
服を替えていた。
「みそこなった。みそこなった」と言って下へ降りていき、玄関を出たり入ったり、
私が原因かと先に外へ出て駐車場でうろうろしていると母さんが出てきて
「こんな夜中にそんなところで何やっているの 泥棒と間違えられるよ。」とまともな
論理で、私を怒る、ここで 母さんのせいだよ と言いたいのを抑えていた。
なにか 若いころの 夫婦げんかのことでも思い出したのかなー・・・・。
みどり病院 リハビリ お絵かきと刺繍
高校時代の同級生の前川氏に会った。実は1ヶ月ほど前にもあっていたが、
その時は軽く近況を交わしたのみだった。今日は彼が「どこが悪いのか」と聞いたので
母さんの状況を話したら 彼のおふくろも晩年10間呆け老人だったことを話してくれた。
うちのおふくろもボケになってねー、おやじもやりたい放題でとにかく俺ら7人の
こどもを育て上げて来たんやけど、おふくろも相当苦労してきた 時には女も作っ
たり、いろいろとおふくろもそれに耐えておれらの面倒を見て来たんやね。
そのおやじが おふくろは病気でこうなっているのやということがわかると 急に
態度が変わって おふくろの世話をするようになった。
おふくろは今までため込んできた苦労を一気にはき出すように おやじにくって
かかるように攻撃的になった。
おやじは今までおふくろに苦労をかけすぎていたことを 自分でもわかっていたの
やろうね おふくろに尽くし始めたのや。
今までのおふくろには考えられない行動や言葉を発し おやじもまた今まででは考
えられないような 気を使った世話をするようになった。そのことで「呆けた人と
世話をする人の関係は今までの生活の総決算として現れる」と言うことを聞いたこと
があるけどその通りやと思ったね。
おふくろがあまり おやじを攻撃するので、見かねて おふくろが病気とわかって
いながら「もう いいかげんにしとき」と言うほどひどかった。
徘徊も頻繁で11qから15q程先まで行っていたりした。一度 階段をふみはずし
足の骨を折った時は徘徊しなかったが 足が治ったらまた徘徊し始めた。それが
だんだん体が衰えていくのに 徘徊する時のエネルギーはまた別だという気がしたね。
兆候が見え始めた時から考えるとかれこれ、10年おやじが世話をしてきた。
おふくろが亡くなると おやじも急に精気がなくなって衰えていき9ヶ月
後になくなった。
文(ぶん)ちゃんも体に気を付けてやってよ
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注※ 私の名前は 文機=ぶんき です。若い高校生のころは 「ぶんちゃん」と呼
ばれていました。それで ばったりあった高校時代の友人 前川氏が「ぶんちゃん」
と言いました。
私の娘の名前は 文=あや です。小さい時は 「あやちゃん」と呼ばれました。
上の日記を見て 娘から 抗議されました。
「文ちゃん って漢字で書いてあると 私のことだか お父さんのことだかわからない。」
そのため ふりがなと 注※ を付け加えました。
◎午後 織部の里へ コーヒー
2001.11.2(金)
◎うわごと 今朝も 「こわいよーこわいよー いやだもー」と言っていた。
今朝の徘徊の原因は、いろいろ出来なくなった。今やることがない、いたたまれなく
なった。それで徘徊。だと思う。
◎伊自良湖へ
2001.11.3(土)
◎うわごと 今朝も 「こわいよーこわいよー いやだもー」と言っていた。
私は返す言葉がない。
それで「大丈夫だよ、お父さんがここにいるや無いか、恐いものが来たら、追っ払って
やるから」と根拠もなく まるで居座りの押し売りを追っ払うような答えをした。
そしたら「うんうん」と返事をした。そしてまた「こわいよーこわいよー」と言った。
「どこかでたたかいみたいなことやっているやろ」と。
私は 何のことかなー と思った。近隣で争いごとはないし・・・・。まさかねーと
思いつつ「アメリカのやっている戦争のことか」ときくと「うん」と答えた。
気が向いた時は、新聞も読んでいるし、テレビも見ている。
私は 母さんが興奮するといかんと思って、変なニュースの話題は避けて 高橋尚子とか
山の紅葉とか どこかのイベントとか 楽しい話だけ話題にしている。
こどもや高校生が被害者の事件は、母さんの方から
「お父さん気を付けてよ」と私が娘に指導するようにせよと言ったりする。
昨日のことは忘れても あれだけ毎日アフガン戦争のことが書かれているのだから
2ヶ月も報道が続いて、記憶が蓄積したのだなーと思った。
私は母さんが わかるかわからないか わからないけれど、言った。
「アメリカは横暴だけど、テロは絶対良くない、無関係の人が死んだ。
アメリカの爆撃も良くない。誤爆だと言って、無関係の人が殺されている。
今のところ日本へは来ないだろう。だから心配ないって、それにお父さんも
『ごまめの歯ぎしり』かも知れないけれど 止めてくれって言うよ」
日本へ来るか来ないかは 根拠のない気休めを言って母さんを安心させた。
母さんは「うん うん」と言って聞いていた。いま大雨にしろ、地震にしろ
一時避難しなければならないような事態になったら 私の 母さん介護は崩壊する。
言葉足らずで 母さんに話したことの中身は次の通りだ。
「アメリカが外国で力による政策を進めたり 国内にもいろいろ問題を抱えていて、
そのことのためか 何千人もの人が亡くなったところの テロ事件が引き起こされた。
テロ殺人は良くない。何も解決しないし要求が実現する方向に進まない。
政策決定に関与していない一般市民を殺してしまった。
アメリカもいきなり戦争を始めてしまった。こちらも テロに関与して
いない一般市民を殺している。
高度の理念=人類の幸福=自由と民主主義=を実現しようとするものは、
その方法においても相手よりも次元の高い水準で行動しなければならない。
民主主義って気の遠くなるような気長のことなのだよ。
そう言う世論が作られない内に、駆け込みテロに駆け込み爆撃がやられた。
国連とか 言論と 法の手続きに沿って解決されるよう希望する」
ということ
◎今日は2人 お客さんが来られた。
昼から、暇になっていて「帰る帰る」というので、本巣へ連れて行った。
一時間ほどいたが「もう帰らなくては・・」と言ったので帰ってきた。
2001.11.4(日)晴れ
◎今朝も 「こわいよーこわいよー 」と言っていた。
3人で 明治村へ行って見学してきた。いろいろ見て回ったが、母さんは
知っている人の写真が貼ってあったりすると、
「あっ お父さん あそこに野口英世があるよ」などと教えくれた。
それから明治時代の髪型や帽子、服装などを熱心に見ていた。
場内で走っているSLや電車を見て喜んでいた。
娘は、伝染病予防の発達の説明などを見ていた。、
2001.11.5(月) くもり時々雨
◎今朝も 「こわいよーこわいよー 」と言い「本巣へ連れて行って」と言っていた。
起きてくると寒い寒いと言って立っていた。
私が「高見沢さんのところへ生協の袋持っていって」とたのみ持っていってもらった。
◎ 柿、トマト、きうい の皮を剥きお皿に付けてもらった。朝食の用意が出来たが
母さんは朝は食欲がないのか なかなか食べなかった。いつもこのごろはあさ食べ
始めないが、一日を通算すると食べているので心配はしていない。
◎みどり病院、リハビリ、今日も 花のお絵かき。終わるまで私が 車で待っていたら
途中で放棄、ひょこひょこ戻ってきた。「わかっちゃいないんだよ」と言う。確かに
「わかっていない」と言う側面はある。
母さんの側の病気の進行の側面だけについて言うと次の通り。
前回までは絵を描くとき、鉛筆でデッサンして 色つけをする。だいたい形もへんにな
らず、えのぐもそれらしく塗られていた。今回 まずデッサンのところで、一枝10個
ある菊の花を全部まとめて細部にこだわらず一枝として書くか、そのうち一つ、
あるいは3つぐらいをまとめて、絵にするか迷った。まとまらないので、見せかけの
作業をする。なにか ゴチャゴチャのものが描かれていく、手は動いていて何かやって
いるように見えるが絵は暗礁に乗り上げている。時間半ばで放棄することになった。
と言うわけだ。
見せかけの作業は 仕事の時にもある。例えば娘のシャンプーをする時、シヤンプー液を
付けないで洗って終了と言うこともあった。別の時には1度洗って、
再度シャンプー液を付けて洗う、娘は「3回洗髪された」こともあった。
◎みどり病院からの帰り途中、「トイレに行きたい」というのでコンビニか公園を探すも
見あたらなかったので喫茶店に入って用足し。
◎いったん家へ戻り諸々の雑用をすませてから、゛本巣゛へ出かけた。
ばっちゃの家までは40分かかり 2時ごろ行ったけど、どこか買い物にでも行った
らしく留守だった。しょさなく、農協の物産店をのぞいてきた。
柿が最盛期、200円から5000円までいろいろ、
20個−多少キズあり−200円を買った。「自分で食べる分には 10個−2000円
よりもいいね」などと話しながら。後10分、我が家へ戻るというあたりまで来て、
母さんが「ばっちゃは一人で寂しいんやは」と言った。
問題はその後の会話でわかったことは、今行って来て 留守だったことも農協の
物産店で柿を買ってきたことも、忘れてしまっていたことだ。私に時間の余裕が
あったので、もう一度引き返して、本巣へ行った。4時30分頃だったが
まだ 留守だった。もう一度我が家へ引き返した。
2001.11.6(火) 晴れ
◎今朝も 「こわいよーこわいよー 本巣へ連れて行って」と言っていた。
◎ 娘が「明治村に 工部省ってあったねー」と言ったら、母さんがそばにあった
゛明治村マップ゛を取ってくれた。。
◎お客さん 午前1人、午後1人。としこさんと仕事をやっていたので、
私が午後2時間ほど昼寝した
2001.11.7(水)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー 本巣へ連れて行って」と言っていた。私が「今日も
行ってあげるよ」と言うと「うん うん」と返事をし また「こわいよーこわいよー 」
を繰り返していた。私が娘の弁当と朝食の用意をしていると 母さんは帰るための準備と
して 枕(最近買ってあげた赤い縁取りのあるそば殻の枕で気に入っている)
タオルケット 白ブラウス2枚 ズボン2 冬用パジャマ(さっきまで着ていたもの)
ボストンバック 毛糸のセーター 絵描きセットの入った袋 意味あるものの入っていな
い袋 二つ を順次出口のところまで持ってきた。これは始めてのことだ。
以前にとしこさんに「帰ることになったらタンスやなんかどうしよう」と聞いていたそ
うだ。その時は「どういう意味かわからん ここはあんたのうちやないか」と言ってお
いたそうだ。 私は朝の仕事の合間を見て車に積み込んであげた。
◎朝 娘を学校へ送り、母さん岐阜県立病院、私 国立岐阜病院、と行って、午後から
本巣の家へ行った。ちょうど干したふとんを取り入れているところだった。母さんも
残っていた1枚のふとんをほこりをはらって取り込んでやった。ひとしきりはなしていた。
1時間ぐらい経って、私が母さんに「どうしよか」と聞くと「帰るよ」と答えた。車に
戻ると「荷物いっぱいやから」と言って枕をおろそうとしていた。
私が「帰るのならそれをおいていくと今夜使うのがないよ」と言うとそのまま また戻
していた。ばっちゃにバイバイをして本巣の家を後にした。
道々「おばあさんもひとりやでさみしいんやは」と気を使っていた。
2001.11.8(木)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー 本巣へ連れて行って」と言っていた。
今日は休み日だったので、朝のうちの家事を済ませてから、昨日と同じ 里帰りセット
を持って本巣へ行った。
ばあさんはいた。ひとしきりしゃべってから、「今日はボーリングに行くよ」と言って
出た。その時 枕一つのみを置いてきた。「泊まっていくなら枕ぐらいあるよ」とばあ
さんは言っていた。
農協の物産店などへ廻り、途中まで戻ると 母さんが「今日は行けなかったね」と言っ
た。私は えーっ と思った。物産店で買った100円の柿は手に持ちながら、ばあさ
んの家でひとしきりしゃべったことは忘れてしまっている。母さんの納得がいくように
もう一度戻ってあげた。ばあさんもそれなりに忙しくもうどこかへ出かけた後だった。
帰りの途中で「きょうはいなかったねー」「うん」と言う会話が5回ほど繰り返された。
◎ボーリング 本日の得点は172点。一年ぶりの高得点。母さんの標準点は150点
で、それより下はちょっと調子が悪い、上ならば調子が良いとなっている。
他の人と較べるのは 私の好みではないが「こどもの教育ではないから まあ いい
か」と思って言った。「隣のレーンでやっていた人 スタイルとポーズは決まっていた
けど、成績はいまいちだったようだね」母さんは「うん」と言っただけだったが、
ゲーム中 隣のレーンを意識していたことが感じられた。母さんの「自分」はまだ生き
ているとおもった。172点のことを 私が何回も言って、夕食の用意の時も積極的に
手伝って、今日一日盛り上がっていた。
2001.11.9(金)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー 本巣へ連れて行って」と言っていた。
今日は休み日ではなかったが、朝のうちの家事を済ませてから、昨日と同じ
里帰りセット−3点ほど追加−を持って本巣へ行った。ばあちゃんが「あら
おじょうさま いらっしゃい」と迎えてくれて お茶飲んだり、おやつ食べたり
して しゃべっていた。本人は もう帰らないつもりで出かけて来たが1時間
ぐらいすると、「帰る」と言うので戻ってきた。車の中で私は「ばっちや元気
だったな」とばあさんのこの時のようすについて 3分置きに10回ぐらい
しゃべった。今日行ったことは夜までしっかり覚えていて 同じ日にもう一回
行くことは避けられた。
◎母さんのもうひとつの「こわいよー」の中身は ばあさんが一人で田舎に
住んでいることだった。「夜中になると 恐くなるやろー」
「ばっちやも 恐いやろーと思うと よけい 恐くなるのやて」と
◎11時30分に戻ってきたら、客人がおられた。2時30分まで仕事をし、
その後 昼食にした。母さんが 昼食があまり遅くなったので
「昼食か 夕食かわからんねー」と言った。この限りでは普通の会話だった。
母さんの店の方はお客さんが無く仕事はないので、私の仕事の横に座らせて私は仕事。
4時から一緒に夕食の用意をした。里芋とイカの煮物、サラダ、自家製の漬け物、に
フルーツを付けた。5時より前に出来たので、30ぐらい仕事の続きをやってから、
「さあ 夕ごはんにしようか」と言うと、「もう食べた」という。
はて?私の仕事場で一緒に横に座っていたのに?「あっ そう」と言って私は
仕事を続けた。ご飯は 食べたのに 食べていないと言う時もあるが、食べて
いないのに食べたと言う時もあるのだなと思った。
娘が塾から帰ってきた時一緒に食べていたから同じようなものだが。
2001.11.10(土)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。
「なにもできなくなった。」
「どうしてこんなふうになったの」
「みんな調子のいいことばかり言って」「集団でも何でもない、バラバラや」
「ばっちゃも 恐いと思う」
「ばあちゃん助けてくださいよ」
「本巣へ連れて行って」と言っていた。
私は「うん うん」と返事をした。母さんが゛里帰りセット゛を下へ運んできたので
車に載せてあげた。
「いろいろ家の用事を済ませてからでないと行けないよ」
「いいよ」
生協など、済ませてうろうろしていると 近所のばあさんがカットに来られた。
それを済ませて 昼食にし 毛染めのお客さんが来たが お断りした。
娘を塾に連れて行き その続きに 本巣へ行こうと思っていたら、母さんは
車から゛里帰りセット゛を下ろし始めた。
私は「あれ 本巣へは行かないの」と聞くと、
「もう行かない」「だって私がいなくなると、文も お父さんも困るやろ」
「そりゃ困るけど」普通のトーンで普通にしゃべっていた。
待たされて怒って言ったのではないようだ。
「それがいいよ、いろいろ出来なくなってもそれは お父さんが手伝ったり、
助けたりしてあげるから」と言ったらにっこり「うん」と言っていた。
それで続きは 近くへドライブに行ってきた。
2001.11.9(金)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー 本巣へ連れて行って」と言っていた。
今日は休み日ではなかったが、朝のうちの家事を済ませてから、昨日と同じ
里帰りセット−3点ほど追加−を持って本巣へ行った。ばあちゃんが「あら
おじょうさま いらっしゃい」と迎えてくれて お茶飲んだり、おやつ食べたり
して しゃべっていた。本人は もう帰らないつもりで出かけて来たが1時間
ぐらいすると、「帰る」と言うので戻ってきた。車の中で私は「ばっちや元気
だったな」とばあさんのこの時のようすについて 3分置きに10回ぐらい
しゃべった。今日行ったことは夜までしっかり覚えていて 同じ日にもう一回
行くことは避けられた。
◎母さんのもうひとつの「こわいよー」の中身は ばあさんが一人で田舎に
住んでいることだった。「夜中になると 恐くなるやろー」
「ばっちやも 恐いやろーと思うと よけい 恐くなるのやて」と
◎11時30分に戻ってきたら、客人がおられた。2時30分まで仕事をし、
その後 昼食にした。母さんが 昼食があまり遅くなったので
「昼食か 夕食かわからんねー」と言った。この限りでは普通の会話だった。
母さんの店の方はお客さんが無く仕事はないので、私の仕事の横に座らせて私は仕事。
4時から一緒に夕食の用意をした。里芋とイカの煮物、サラダ、自家製の漬け物、に
フルーツを付けた。5時より前に出来たので、30ぐらい仕事の続きをやってから、
「さあ 夕ごはんにしようか」と言うと、「もう食べた」という。
はて?私の仕事場で一緒に横に座っていたのに?「あっ そう」と言って私は
仕事を続けた。ご飯は 食べたのに 食べていないと言う時もあるが、食べて
いないのに食べたと言う時もあるのだなと思った。
娘が塾から帰ってきた時一緒に食べていたから同じようなものだが。
2001.11.10(土)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。
「なにもできなくなった。」
「どうしてこんなふうになったの」
「みんな調子のいいことばかり言って」「集団でも何でもない、バラバラや」
「ばっちゃも 恐いと思う」
「ばあちゃん助けてくださいよ」
「本巣へ連れて行って」と言っていた。
私は「うん うん」と返事をした。母さんが゛里帰りセット゛を下へ運んできたので
車に載せてあげた。
「いろいろ家の用事を済ませてからでないと行けないよ」
「いいよ」
生協など、済ませてうろうろしていると 近所のばあさんがカットに来られた。
それを済ませて 昼食にし 毛染めのお客さんが来たが お断りした。
娘を塾に連れて行き その続きに 本巣へ行こうと思っていたら、母さんは
車から゛里帰りセット゛を下ろし始めた。
私は「あれ 本巣へは行かないの」と聞くと、
「もう行かない」「だって私がいなくなると、文も お父さんも困るやろ」
「そりゃ困るけど」普通のトーンで普通にしゃべっていた。
待たされて怒って言ったのではないようだ。
「それがいいよ、いろいろ出来なくなってもそれは お父さんが手伝ったり、
助けたりしてあげるから」と言ったらにっこり「うん」と言っていた。
それで続きは 近くへドライブに行ってきた。
2001.11.11(日)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。
私は「うん うん」と返事をした。今日も 母さんが゛里帰りセット゛を下へ運ん
できたので車に載せてあげた。
家事を処理して、11時、店は客人がなく、昼食を作り食べてから12時に本巣へ
出発。1時前に着く。家へ一度入ってから「車庫で昼寝しているから、中でゆっく
りしておいで」と母さんに言って、仮眠しようとした。ところが3分置きに出てき
て゛里帰りセット゛中身を出したり入れたりしていて ガサゴソ音がして、仮眠で
きる状態ではなかった。始めに仮眠すると言い、あと2回、ここでガサゴソしない
ように言ったが、意味を理解しなかった。私が中に入って普通に談笑しすごした。
「もう帰ろう」と言ったので、また物産店を廻ってから帰ってきた。戻ってから
「今日は疲れた。疲れた」と言っていた。
娘は駿台模試で名古屋に行った。
2001.11.12(月) 晴れ
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。「本巣へ帰る」 母さんが
゛里帰りセット゛を下へ運んできたので車に載せてあげた。本日 母さんは定休日。
一緒に私の外回りの仕事に就いてきた。配達やら、銀行やら、その他を廻って一端
家へ戻ってきた。昼食食べて 昼から行ってあげようと思ったら、゛里帰りセット゛
を 降ろし始めた。「だってじゃまやろ」「本巣へ行くんやろ」「今はいかへん」
◎途中 文房具の仕入れ先の ◇◇◇株式会社へ行ったら 休業日のように駐車場の
柵が閉じてあった。張り紙がしてあったので見ると「会社更生法の申請・・・・」
と書いてあった。従業員30名ほどの会社。前回来た時はそんな雰囲気はなかっ
たのに・・・倒産か、情勢は厳しいのだな と思った。
2001.11.13(火)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。「どうしてこんふうになって
しまったんやろう」また「なんか インチキみたいな気がする」・・「本巣へ帰る」
母さんが゛里帰りセット゛を下へ運んできたので車に載せてあげた。
しかし行ったのは夕方、ばあちゃんの車庫へ着いたのは6時頃、家の中に入らず
戻ってきた。今日はハイトーンで機嫌の良い一日だった。
◎車の ギア部分が壊れて、カリカリ ポンポンと音がする。
2001.11.14(水)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。
今日も 母さんが゛里帰りセット゛を下へ運んできたので車に載せてあげた。
だけど今日はみどり病院の診察日、血液検査と、尿検査、先週は胸部レントゲン
で 併せて 所見は「内臓関係は異常なし」とのことであった。
◎午後から 私の外回りの仕事に就いてきた。得意先で作業中、助手よろしく私の
横に座って、見ていた。得意先にはその旨言ってあるので、そっとして置いてくれ
て、母さんも機嫌良く、難なきをえた。
◎車のことの続き、
車は、今朝、カリカリ ポンポンと言わせながら、娘を学校に送っていき、
ついに帰り道ポーンと言って急停止、ギアの摩耗部分の ちょっとした摩擦で
時速10キロで移動し、公園横のパーキングエリアに寄せて、脇田自動車を呼ぶ。
朝 8時15分だったが 待つこと7・8分で出来てくれた。
レッカー車に同乗して、「さすが24時間体制の脇田自動車だね」とお世辞を言った
りして 自動車屋さんまで行った。
代わりの車を借りて、病院へ 予約時間に滑り込みセーフ。
この車H2−1990年1月24日
◎その代わり、夕方 私が歯科へ行くのをすっかり忘れていて、診療 終了時間
の一時間後に気づく、明日電話しなくては。
2001.11.15(木)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。
◎みどり病院、リハビリ、今日 花のお絵かきを始めようとしなかった。刺繍やって
いたが 手伝ってやるような形で 面白くなかったのか 途中で放棄、私が車で待っ
ていたら戻ってきた。
店は休日日であったが、午後から おにもとさん が見えて染めてあげた。
「先生 私ここでないとダメなの」と言われた。先生とは母さんのことです。
夕方 食料品と雑貨品の買い物に一緒に行った。
2001.11.16(金)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。
◎娘 風邪で高校、休む。微熱だったので、夕方の塾は行ったが、途中で熱発
8.4度になり戻ってきた。
◎今朝は 私が鍋を焦がした。ここ数ヶ月で三回目、俺って大丈夫なのかなー
いら いら いら!!!
◎ばっちゃが本巣から出てきて、遊んでいった。11時30分に着き、2時30分
ごろ帰っていった。
今日はお客さんも順次3人ほど見えた。その一人の方の作業中に ばっちゃは
かあさんに「元気でやれよ」とバス停の方へ行った。5分くらいして母さんが
「ばっちゃトイレか」とトイレをのぞいた。
「いないけどとこへ行っちゃったの、この辺車が危ないで」と心配していた。
としこさんが「今バスで帰ると言ってバス停へ行ったよ」母さんは外に出てバス停
の方を見て「いない」と言って中へ戻ってきた。
バス停の待っている人は、家の前からは、角度的に物陰で見えない。
私が「今バスで帰ったよ」と言ったら「そうか」と納得した。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
※見えた=来たの敬語表現=来られた=おいでになった等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この日記についての注釈
◎この日記では、母さんの病気から、出ていると思われる行動について
そのまま書いています。
その行動や言葉が、何を意味するか、その時はわからないこともありま
す。 現実を正しく反影した思いや、現実を錯覚認識した思いの表現や
ら様々です。
◎母さんの病気以外のことも書いてあります。どういう状況の中で、
母さんの行動が起こったのか、私がつかむためです。
◎機会があれば、病気の部分だけ拾い出して、行動や言葉の時間経過的
な変化、良くなる傾向にあったか、悪くなったか、整理してみたいと思
います。
◎日記には、病気から、出ていると思われる行動の ワンショットを書
いてあります。1日中、手に負えぬ行動が連続していた訳ではありません。
1日の9割の時間は、「本当に普通の生活」と「私が慣れてしまったので
『普通だ』と思っている普通の生活」とをしています。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
2001.11.17(土)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。゛里帰りセット゛を車に載せた。
◎娘 今日も 風邪で高校、休む。午前中たなか医院へ行き診察。風邪薬もら
ってきて飲ませて 寝さす。
◎○○にいる ○○○○さんが 月末に、こちらへ遊びに来ると言っていた。
一週間ほど前に電話で話した。つづきに母さんも電話で話した。電話の話を
聞いている限りでは、○○○○さんには異常は感じられなかったと思う。そう
言う風にシャキシャキとしゃべっていた。
そして今日も 夕方になると「○○○○さんまだ来ないねー」と言う。
私が「まだ今日じゃないよ、月末だからまだ日にちがあるよ」と言うと
「そうか」と言いながら5分くらい経つと「それにしても遅いねー」なんて
言っている。
2000年10月18日(水)朝「おなか気持ち悪い」と言った。
吐き気がする模様だった。その時のことは 薬のせいか、便秘のせいか
今ではわからない。
2001年2月9日(金) 朝起きた時に泣いていた。
「どうしてこんなふうになってしまったのだろう」と言っていた。
2001.09.30(日)
朝起きがけにうなされながら言っていた。
「いやだもん..もう死にたいよ...いやだもん...
だんだんわからんようになって行くし...もうすぐ死ぬわ....
私にはわかるもの....ありがとう...いやだもん...」
こう言うようなことをつぶやくように30分ぐらい続けていた。
ある時は「国語のテストなんかあるなんて聞いていなかったもの」と言い、
ある時は「そんなにいっぱい払うお金ないもの」と言ったりして怖がった。
母さんのこの病気の現れは、朝起きがけに、怖がったり、振るえたりする
症状として現れている。
頭脳の働きの、複雑な重層性の結果、どのときが正常で、どのときが錯誤である
と言うようなことは単純に言えないことがわかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎娘は 風邪で熱を出し、三日寝た。そろそろ良くなった。夕方五時ごろ、ふとん
にはいったままテレビを見ていた。母さんがそれを見て「あや テレビを見て寝てるわ」
と言う、私は「熱が出たから、寝させているのや」と言った。「そうだね」と。そ
のことは 風景であって、娘にとっても、母さんにとっても、私にとっても、別に
問題ではない。その後五分もしない間に母さん「あや まだ帰ってきていないねー
、迎えに行くのか」と、いつものように落ち着いて返答。言うようなことはこのご
ろ日常的にひんぱんにあるが、「普通のこと」なので特に日記には書いていない。
2001.11.19(月) 晴れ
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。゛里帰りセット゛は階下まで
持ってきたが、車に載せ用としなかった。それで、私も載せてやらず、12時まで
何となく過ぎた。
◎その12時までの間、私は、母さんとしゃべりながら、手伝わせながら、私の
事務所の、整理整頓と掃除をした。普段拭いていないところを、ぞうきんで拭いて
くれて「きたないなー」とか「うーっ きたな」などと言いながら、いたずらっ子
のように笑いをこらえて 黒くなったぞうきんを私に見せてくれた。
事務所が見かけ上 きたないわけでもないし、乱雑でもない。機能的に、
乱雑になっていたのを整理したと言うべきか。
◎母さんの行動で、あとからそれが収まってから、それが病気によるものだったと
わかることがある。
次のこともその一つ。
8月の便秘症状だった時、2週間ぐらい、起きていれば、1分から5分置きにトイレ
に行った。外出の時は、10分から20分、我慢できる時もあったが、それでもルート
は公園のトイレとか、駅のトイレとかがあるコースを選ばなければならなかった。
そのころに、ティシュケースのティシュをポケットティシュくらい大きさに畳んで、
゛備蓄゛し始めた。ロールペーパーもそれに加わった。駅前や銀行でくれるポケット
ティシュを出してあげてもそれを使おうとしない。せっせと゛備蓄゛を続けていた。
「ティシュがなくなったよ」とか「もうトイレペーパーがないよ」と言うので、どん
どんとってあげた。お客さんから見たら物陰だが、私や母さんにとっては 別に物陰
ではないところに どんと置いてあるので、いつでも自分でとれる状況になっている。
今までは気が付いた者が持っていってセットしていた。
トイレが近い(=オシッコがしたくなる)のはだんだん時間が長くなってきて、9月
末には収まった。゛備蓄゛の方は10月末まで続いていたが そのうち収まった。
私は笑いもせず、質問もせず、怒ることもせず、そのまま続けさせた。店の棚の一角
と、30センチほどのかごにいっぱい山盛りにたまっている。
母さんは、それを家の中で使い、外出時には、10個ぐらいポケットに入れて持って
いって使っている。
2001.11.20(火)
◎今朝も 「こわいよーこわいよー」と言っていた。私は枕元で肩をトントンして
やっていた。今朝の゛こわいよー゛は目を見開いて、天井や左右を見て、私の手を
しっかり握り、ふるえながら言っていた。
約20分間。言っていた言葉は「もうだめやわ」「おばあちゃん助けてください」
「お母さん助けてください」「いやだもん」とか。十一月下旬に入り、ちょっと寒
気が増してきたが、室内では 寒い と言うほどでもなかったが、 「さむい
さむい」と言っていた。
私が「朝ごはん 作らないかんで下へ行っているよ ストーブ付けて暖かくして」
というと「だめっ」とか「いやっ」とかいって、手を強く握りはなさなかった。
ようやく「トイレに行くから」と母さんの手を解き放し戻ってきて着替えた。
母さんも起き出して、私に合わせて着替えをした。
下へ降りてきても「さむいさむい」と言っていたが 少しすると落ち着いた。
◎゛里帰りセット゛は階下まで 持ってきた。
◎娘を学校へ送っていった帰り途中で「気持ち悪い」と言っていた。車を安全な
場所に止めて、聞いたが どういう風に気持ち悪いのかわからなかった。
母さんは このごろ 「いままだいらない」と言って 朝食を食べないで動き出
す、今朝はお茶も飲んでいなかった。缶飲料の自販機でミルクティーを買ってきて
飲ませた。
そして「ここにいても病院も行けないから 一旦家へ戻らないと行けないから、
ゆっくり帰るけどいいか」と聞くと「うん」と返事。
「じゃーちょっとがまんしていてね」と家へ戻った。
途中、散歩中の犬のこととか、通り過ぎる見かけない形の車の話とか、している
内に家に着いた。
家に着いて「とうや」と聞いたら「だいぶん良くなった」と言っていた。
お腹以外にも、異常を感じた時 どれもこれも「気持ち悪い」と言うので、ヒント
を出してよく聞き出さないとわからない。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎昨日から 口内炎あり
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
夕食時に「箸がない」と言った。先日、里帰りセットにしまい込んでしまった。
私が入れたのでないので急に言われても探せない。私は、おだやかに
「この間 包んで袋の中にしまったよ」と事実を言った。
「そんなとこに しまやへんも」と反論。
「だけど しまったんだから 明日探してあげるよ」と言ったが、顔をしかめて、
今すぐ 洗わなくてもいい皿を一枚だけ洗ってから、そろそろと出ていってしま
った。
3分ぐらいしてから 追っかけていった。追いついても「戻ろうよ」とは私は
言わない。母さんが行く方向に一緒に歩いていく。
路端の 目に映るものについて、話しかける。「スバルの看板がきれい」とか、
薄暗くても見える菊の花のこととか、話していると、母さんが自分で帰り道の方
へ 歩を進めている。
戻ってきたが まだ 箸のことは気にしていた。
2001.11.21(水)
◎今朝の 「こわい、こわい」はいつもと較べて 軽かった。
◎゛里帰りセット゛は階下まで 持ってきた。車に載せてあげた。
◎ 朝から 客人があり、母さんが 沈み込んでいる暇がないみたいだった。
日中は 気分 上 であった。
2001.11.22(木)
◎今朝の 「こわい、こわい」はいつもよりひどかった。「恐いよー」と言い出した
ので 私は上着を羽織って 横に座り手を取ってあげた。目を見開いて 私の手をし
っかり握り 小刻みに振るえていた。
「こわいよーこわいよー」......「助けてくださいよー」...
「お母ちゃん助けてくださいよ」..「おばあちゃん助けてくださいよ」..
「もうだめやわ」.....「何もかも壊れてしまった。」....
私は「こわいねー」...「恐い時は お父さんのそばにいればいいよ」。
母さん「ふーん」
私「こわい時は なんでもお父さんに ゆうてね、手助けしてあげるから」
ひとしきり同じ事を繰り返していたが 「さあ起きて下へ行こうか」と言うと
起きて着替えを始めた。
◎゛里帰りセット゛は階下まで 持ってきた。車に載せてあげた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
前と違っている点は「もうダメかも知れない」が「もうだめやわ」に変わった。
「何もかも壊れてしまう」が「何もかも壊れてしまった。」と完了形に変わって
いる点だ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎ 「忘れ物届け」
母さんが 食卓の上にあった娘の白黒ケースの弁当用の箸を見つけた。
弁当用の箸は 幾セットかあり、今日は別の箸を持っていっていた。母さんは
それをキッチンペーパーに包み「3年○組 田口さんに」とボールペンで書いた。
「お父さん これ持っていってやらなきゃ 弁当食べれないよ」
私「今日は赤白ケースの箸を持っていったから 大丈夫だよ」
「そうか じゃいいね」
私が仕事に取りかかっているとまた「箸持っていってやらなきゃ」と事務所を
のぞいた。「別の箸を持っていったよ だからいいよ」
「ふうーん」と台所へ行った。
2分経たない内にもう一度事務所をのぞいて
「だって 箸ないと ごはんが食べれないよ」
私 「うん 持っていったから大丈夫だけど もし忘れて行ったとしても
購買で5円か 10円で売っているから、それを買えば食べられるよ」
それでも一時間ぐらいの間に あと 何回か言いに来た。
◎リハビリはいやと言った。
◎−−−犬も風邪を引くし、ネコでも風邪を引く、くしゃみして首を振る。「なにしとるの」と言うと 私の顔をジーとながめる。前の マルは死んでしまった。何があったんやろな。私は知しらんけど。死んでまったでちがう犬をかったんや」「あっそうか」「家へ帰っていくとものすごく喜んでおるもんでさ...喜ぶなんてものやないんやて、膝の上からポリポリやるの 『わかったわかった』と言ってやるんや」
2001.11.23(金) 勤労感謝の日 晴れ
◎今朝の 「こわい、こわい」は昨日と同じくらいひどかった。私の対応も、
母さんの見た目の状況もほぼ昨日と同じ。「お母さん 助けてくださいよ」
「もうダメになってしまったわ」母さんの言ったお母さんとはばっちゃのこと。
「お母さん ごめんなさい」
◎゛里帰りセット゛は階下まで 持ってきた。車には載せなかった。
◎今日の出来事、今日の予約として、着付けがあった。母さんの「着付けの仕事」は
出来るけれども、前日や当日朝の、緊張と不安がひどいので 体に悪い。9割出来ても
1割の手落ちがあってはいけない。
それで最近では着付けはお断りしていたが あるお客さんからのたっての頼みで、
今回はお引き受けした。お客さんには としこさんが対応して無事送り出した。
母さんの心の動きを、会話を付けて再現して見ます。最近着付けは断っていてとしこさ
んが、請けたものだったので「やりたくない」気持ちと「少しはやる」と言う気持ちが
交錯していた。
お客さんの来店時間には、「やりたくない」気持ちが勝っていて、「散歩」に行ってし
まっていた。お客さん来店後5分後に戻ってきた。
髪は前日に済ませていたので 着付けの前にをメイクしなければならない。
「まずメイクを」ととしこさんが合図をしたので 私は 母さんに 「お客さんのメイ
クアップしてやって」と促した。
「いややもん」と言って、こちらの部屋で ぐずぐずしていた。私は母さんが
お客さんへの仕事を、今日はやってもいいしやらなくてもいいと思っていた。
「じゃー台所のストーブのところであたって休憩していなよ」と言った。
母さん何を思ったか 台所のストーブを持って店の方へ行った。
そこでは としこさんがメイクアップに取りかかっていた。
母さんは「少しはやってもいいな」と思い店へ出たのだが お客さんの時間に間に
合わせなければならないので、 当然作業は 母さんのその
気持ちにかかわらず進められていた。
母さんは機会を失したわけである。着付けの合間合間、としこさんは 母さんをたてて、
いろいろ促したが、母さんの思い進めていることと、いまやることとの違いがあって
かみ合わない。そしてこちら側の私の事務所の方へ出てきてしまった。「いややも」
と言った。
母さんは この件については はじめはやるつもりはなかった。途中からやる
つもりになったが、お客さんの時間との関係でその ゆっくりさに 歩調を合わ
せるわけには行かなかった。
この状況は 健常人の立場からすれば、感謝こそすれ、不平を言う筋合いのも
のではない。病人の母さんは、自らの作業機能が低下していることをわかっては
いても それを容認することが出来ない、不平や怒りの言葉として現れる。
「いややも」「自分でいろいろ考えていたのに、つぶされてしまった。」
「何の価値もない」とかいろいろ言っていた。
私の事務所には、ストーブがはいっていて、暑いほどで、興奮と上気で 鼻血が
ぽたぽたとこぼれた。私はティシュを10枚程ずつ、数回 取ってあげて、床に落
ちたのを拭いてあげた。そして「ちょっと2階へ行って横になっていたら」と言っ
て 二階へ促した。
母さんは2階へは行こうとせず、鼻血で汚れたままの顔で店をのぞこうとして
いた。「ねっねっ二階へ行こ」と店へはいるのを遮った。母さんは力一杯私を押
しのけて、店への通路の戸を ガラッと開けた。お客さんは少し前に帰られた後
だった。母さんは 興奮状態で「どうして わたしのやること 取ってしまって
いろいろじゃまするの」怒鳴った。としこさんは、静かに、しかし怒気を込めて
「わたしは あんたのために少しでもと 思ってやっているのに
わたしのどこがいかんの」といわれた。
母さんは 興奮状態で、いい意味でも、悪い意味でも答えることが出来ず、
意味不明の声を立てていた。母さんをなだめて引き戻した。としこさんは「もう
仕事はだめのようだね」といった。私「ダメと思う ダメと言うことを認めるこ
とが出来ないので人に指摘されると腹が立つ のだろうと思う」と答えた。
◎その後、泣いたり、怒ったり、沈み込んだり、夕方まで落ち着かなかった。
2001.11.24(土)
◎今朝の 「こわい、こわい」は昨日と同じくらい。私の対応も、昨日と同じ。
「お母さん 助けてくださいよ」 「お母さん ごめんなさい」
ここまでは昨日と同じ事を繰り返していたが、一旦 少し小休止の後
「お母さんに怒られる」と言いだした。ばっちゃが母さんを 怒る または
叱るようなことは 見たことのない光景で、小さいころのことを何か、思い出
しているのか、と思った。
私は「ばっちゃが母さんを怒るなんて事は無いよ」
「いや お母さんに怒られる」繰り返していた。
興奮状態を早く止めさせるため、外も明るくなっていたので
「そろそろ起きようか」と言い、両手を引っ張って「よいしょっと」と引き起こした。
今度は「さむい さむい」と言って、もう一度横になってしまった。
「もう明るいし こわくないから ちょっとトイレに行って来る」
と部屋を出た。もどってみると、着替えを始めていた。
一緒に降りて行き、朝食の用意を始めた。
◎今日は゛里帰りセット゛をは階下まで 持って来なかった。
◎娘が学校が休みで、まだ寝ていたので、二人で散歩に行った。日陰の田圃のと
ころが、露か 霜か 白くなっていた。カラカラの水路を飛び越えて、草葉をつ
まんでみたら、濡れた中に 氷があり 白く見えたのは霜だった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎昨日の着付けをやらなかった件で今日も怒っていた。
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3時頃から、おがせの池へドライブ、帰りの時の会話
「あやが この間風邪で熱を出して田中医院へ連れて行ってやった。
゛熱あるんじゃない医者へ行こうか゛て言ったら゛いやっ゛言うんやって。
゛早めに行って置いた方がいいよ゛と言うと゛うん゛と言ったもんで連れて
行ってやったんや、田中先生は見立てがいいんやて、すぐ治ってしまったよ」
私「そりゃ良かったねすぐに治って」と言った。私に新しい人にしゃべるよう
に話した。
近所の人が聞いても、ごく自然に見える会話だ。
事実は 私(お父さん)が 医者に行くように言い、お父さんが連れて行った。
母さんも付いて行った。田中先生は見立てがいい と言うのも確か。
すぐに治ったと言うのもその通り。母さんは ただ付いて行っただけ。
おがせの池から戻ってきて、母さんがトイレに行った。
私は「夕食は何にしようかな」事務所でイスにかけて、タバコに火を付けた。
母さんがトイレから出てきて「お父さん待っとった?」とりあえず「うん」と返事。
「夕方になると ひとりやと もの寂しくなるものね」.「えっ」普通トイレ
に行ったくらいで「待っとった」なんて いつもは言わない。
母さんが外出中、私は事務所で一人で待っていたことになる。
母さんは誰と ドライブに行っていたのだ。(^・^)
※ もう一人の私とドライブに行き 田中先生の話もし、帰ってきたら 待って
いた私に「待たせてしまって ごめーん」と言ったのだ、と考えると、筋が通る。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−(^・^)
休業はがき
常連のお客様に「12月2日を以って休業する」旨のはがきを出した。
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※ ※ 番外記事 ※ ※
「勇ちゃんのホームページ」 様 掲示板を読ませていただいています。
「痴呆について思うこと」ひとみ様 日記を読ませていただいています。
「MONKICHI」 斉 藤 様 掲示板を読ませていただいています。
「おめでとう、ありがとう」 様 ほぼ 全文を 読ませていただきました。
「痴呆性老人介護体験記」篠崎様 介護体験は読み、源氏は読み中、受験生の娘に゛講義゛
「アルツハイマー病の夫と」岩切様 ほぼ 全文を 読ませていただきました。
※ ※上記のホームページは 私のこのホームページのリンク欄から表示 読面する
ことが出来ます。
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2001.11.25(日)
◎今朝も 「こわい、こわい」と言って小刻みに振るえていた。
「こわいよーこわいよー」......「助けてくださいよー」...
「お母ちゃん助けてくださいよ」..「おばあちゃん助けてくださいよ」..
私が「うん こわいねー、もし『こわい こわい』が来たら お父さんが
やっつけてやるから 」と言った。母さんがイメージしている「こわい」
の内容とは明らかにずれているのを承知で言った。
母さんは「ありがとう でも 恐いものは こわいよ」と言った。
母さん「私もうすぐ死ぬわ、自分でわかるもの」
◎午後 ばあちゃんの所へ行った。柿をたべたりして、談笑した。
ばあちゃんが 手みやげに 柿 と 菓子と 大根1本をくれた。
車に乗ってから、母さんは、もらった大根を取って
「ばっちゃにあげてくる」と言って、車を降りた。もらった大根で
あることを忘れて。ばっちゃに
「これあげるわ、ぶりといっしょに煮てもおいしいし、きざんで一夜漬け
にしてもいいし」その大根を渡した。おばあちゃんは複雑な顔をして、
「なんや だいこはいらんのか」と大根を受け取りながら「バイバイ」
をしていた。母さんは その大根が おばあちゃんのくれたもので
あることを忘れてしまっていた。
おばあちゃんには耳が遠く 母さんのやさしい心遣いが通じてなかった。
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休業はがき を出していたが 休業のことで 安田さんから電話があった。
2001.11.26(月) 晴れ 休日日
◎今朝も 「こわい、こわい」と言って小刻みに振るえていた。
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休業はがき を出していたが 休業のことで 古川さん 池田さんから電話があった。
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2001.11.27(火)
◎今朝も 「こわい、こわい」と言って小刻みに振るえていた。
◎今日は゛里帰りセット゛をは階下まで 持って来なかった。
◎「おにいちゃんがちかいうち 来るかも知れないよ」と今日も言った。
◎今日は 母さん一日中仕事はやる気がなく、私についてNECへ行ったり、
私のお客さんへの出張について行ったりして一日すごした。
◎いろいろしゃべっていたことは、後日まとめて書こうと思う。
◎今日も「おにいちゃんがちかいうち 来るかも知れないよ」と言った。
いろいろなことの合間合間に「ちーちゃんが来たね」から始まって、その時
の光景を2分ぐらいにまとめて 数回話した。
母さんの30回、50回には及ばぬが。
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※ ※ 番外記事 ※ ※
2001/11/21.夕方18.00から21.00までの間 ウィルス
らしきものあり。差出人はローマ字綴りの同一名で一挙に7通あり
ひとつだけ開封すると Peace の一語のみ 「あな あやし」と思、
い7通を未開封のまま削除した。
、30分くらい後、知人から メールが来た。「添付ファイル」ありと。
「こんなややこしいことが出来るまでに上達したか」とメールを開くと
Peace の一語あり。「なんだこれは」変と思い 通常電話で直撃、
「今日は パソコンにさわっていない、朝から今までスイッチを入れて
いない」との返事、ウィルスか 人のメールアドレスを使ったいたずら
か不明だか要注意。
添付ファイルの名は半角で Whatever.exe であった。
未開封のまま削除した。翌日 知人からの テストを兼ねてのメールは、
正常に届き 添付ファイルもなかった。
※ ※
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2001.11.28(水) 晴れ
◎今朝の「こわい、こわい」は言うには言ったがインパクトも弱く長続きしなかった。
時間に着替えをし私と一緒に下へ降りてきた。
騒げば騒いだで 心配し おとになしいとおとなしいで心配になる。
私の得意先配達に付いていく。午後 石の博物館へ行く。
◎今日は「ちーちゃんが来たね」の話をこちらから切りだして、数回話した。
で 母さんは「おにいちゃんがちかいうち 来る」ということを言わなかった。
2001.11.29木)
◎今朝も「こわい、こわい」と言った。「せっかく作ったのに こわれてしまった」
...「つぶされてしまった」とも言っていた。
◎午前10時頃、結構しらふの状態の時、「だめになってしまった。」と言った。
私「仕事のこと?」
「仕事ばかりでない、他のことも」と言った。私は言葉に詰まったが
「そうだね 出来ないことが増えてきたね」と言った。言葉を続けて「だけど
家の中のことは 一緒にやればいいし、暮らしのこと、買い物のお金のことは
つましくやっていけば何とかなるから、心配しなくてもいいよ。お父さんに
任せておけって」と言った。母さんはそれには、答えなかった。
もちろん何年か先が心配なことは心配なわけだが、今母さんにそれを言っても、
利益効果はない。
◎今日は「おにいちゃんがちかいうち 来る」とは言わなかった。
2001.11.30(金)
◎今朝の「こわい、こわい」はインパクトも弱かった。
時間に着替えをし私と一緒に下へ降りてきた。
◎○○さんのところへ電話して この間のお礼を言い、母さんも話した。
弾んだ声でしゃべっていた。「そちらへも遊びに行きたいよ」と言っていた。
◎ばっちゃが本巣から出てきて、家の周りの草取りと掃除をしてくれた。
パンとぶどうを土産にくれた。
◎夕方スーパーで買い物。温室育ちの 大粒苺の前で にこにこ
「大きいよ おいしそうだね」これは買わないわけには行かない。
「よし買おうか いいのを選んで取って」というと 透明パックの下側からも
中を見て、一つを取ってかごに入れた。
だいだい 母さんが現役のころから、出盛りのものしか買っていなかった。
値段のこともあるし 温室育ちで、味も いまいち の時がある。
だが 来年の4月、5月まで待って「食べたい」と意思表示しなくなったら、
どうしようもない。
◎娘の高校 4日間の中間試験 今日で終わり。昼から夕方まで昼寝。夕方から塾へ
(このページの上へ戻る)
2001.12.01(土)
◎今朝も「こわい、こわい」は言った。8時30分から一緒に散歩に行った。
◎本日まで営業し、明日から休業となる。本日のお客様は3人であった。最後の日
は母さんが一人で仕事をさばいた。
ひとりは 近所のおばあさん。
もうひとりは 上野妙子さん、豪華な盛り花をプレゼントしてくださった。
上野さんがいる間は、笑顔で元気に対応していた。帰られた後 花を見てジーと
たたずんでいた。豪華な盛り花がもの悲しさを誘った。
仕事は続けようとすれば、やれないことはない。しかし タオル、ロット、
ピン、液、その他、種々の小道具の準備と整理、清掃、暖房、バッグランド
ミュージック、髪型の掲示物、ポスター、ダイレクトメール、金銭の授受、
その他の背景作業が必要である。
私は「総合的に判断して、休業することにしたのだよ」と言った。
最後のお客さんは 若園さんで作業はカットとセットアップだった。
2001.12.02(日)
◎今朝も「こわい こわい」と言った。「ダメになってしまった。」とも言った。
「お母ちゃん助けてくださいよ」.とも言った。
「ばあちゃんは なんとか助けてあげようと思って、ずーと前から、漢方薬やら 薬に
見せかけた健康食品なんか買って
゛いいと言われることは何でもやって見なあかん゛ と言って持ってきたくれて、
気にかけているのやよ。その気持ちが通じるといいね」
◎娘が大学へ行って、遠くへ行く場合の話し、母さんが私に言ったこと。
「あやまん いなくなると寂しくなってしまうね.....一人住まいになるとよけい
に寂しいもの...あやまんはどうするんかしらんけど...寂しくて泣かんならん時が
あるかもしれないげと...自分と自分でたたかっていかにやしようが無いと思うよ。
大勢いるところなにいいけど....
よその土地へ行くとこんなふうにかばってもらえやへんし.自分の里が一番いいんやって
....仲のいい子がいればいいけど 文は強いでそんなに泣くということはないと思
うけど...... あやはしんがつよい...ちょっとやそっとでは泣かへん.....
行ってやりたいと思っても行けれないときもあるしね....
...順番 順番にバラバラになってしまって じさま ばさま になって行くんや
あやまんひとりおるだけでだいぶん違う...」
◎母さんが ふと 自分のことについて言った言葉。朝の興奮状態の時ではなく
昼間の、落ち着いている時の会話。
「だんだん なんかダメになってきたような気がする。」
「なんかっ何が?」
「何がって、いろんな事が」
私は、何をさしてそう言っているのか、聞きたかったが、やめた。
◎としこさんのところへ仕事用に使っていたパソコンを持っていってあげた。
これで本人のいる前では言えなかった、事の一部でも、この日記などを通じて
見てもらおうと思っている。
2001.12.03(月) 晴れ
◎今朝も「こわい こわい」と言った。
◎今朝 こどもをおくっていって戻った後、家に入ろうとせず、駐車場の前を
行ったり来たり、線路の北側あたりまで(約100m)行って戻ること2回、
これを徘徊と言えば徘徊。3回目は付いていき散歩コースを廻ってきた。
◎母さんの店は、継続していたとしても今日は月曜日で休日日。私の仕事に付
いて行った。得意先、岐阜コクヨでの仕入れ、銀行、と廻った。岐阜コクヨで
店員さんを待っている間に 母さんが「ここがあの○○さんのいる会社か?」
と聞いた。○○さんのいる会社とは、例の倒産した会社のこと。「いや あそ
ことは違うよ」と答えた。倒産を知った時にも同行していたので、道順が違う
点、会社の見かけ上の光景と看板が違う点、普通は違いがわかるはずだが、わ
からなかったらしい。でも文具系小物の仕入れ先という点では 種類が合って
いたので○とすべきか。
戻ってきた後「今日は○○へ行ってきたね」とひとつひとつ行った先を言って、
確認すると「うん うん」とうなずいていた。
夜寝る前には「今日の出来事」をやっていたら、「そんなとこ行っていない」
と言った。だいたいはその日の事は覚えていることが多いが今日は覚えていなかった。
◎「古来 人間は原因のわからない事柄に 不安を覚えいらだつものである」
アルツハイマー病をこの角度から見てみると、本人も周りの者も、病気の原因
がわからないので 不安といらだちを覚える。本人の個々の奇怪な行動は、
周りの者に不安といらだちを覚えさせる。
そして 周りの者は科学と神ともうひとつの立場でそれに対応する。
1,原因を知りまたは原因を推測し再発を防ぐ。
2,「病気だから仕方ないね」と言って本人をなだめる。
3,本人の危険を防ぐためと 人間をベッドに「固定」する。
◎朝の徘徊の原因は、遅刻しそうになった娘のそそっかしい動きと ぶつかった
ためらしい
2001.12.04(火)
◎今朝も「こわい こわい」と言った。
◎本日で休業三日目、休業だから再開できる、どうしてもと頼まれていた人が
いて、お客様一人のみ請ける。としこさんもいた。
後は 私の作業場で、いろいろ話しながらすごし、外回りの時は付いていった。
記憶がないことや、「創作=空想」はあったが、特に興奮状態になることはなく、
平穏な一日だった。
2001.12.05(水)
◎今朝も「こわい こわい」と言った。「ダメになってしまった。」とも言った。
「お母ちゃん助けてくださいよ」.とも言った。
この件は 毎日ほとんど同じことだか、記録の必要から記してある。
◎9:00 母さん、岐阜県立病院へ、更年期障害の治療。
10:00 私、国立岐阜病院へ、7月にかかった気管支炎、の予後。
2週間ほどでほとんど治り、その後 咳や 痰も出ていないが、喀血したと
言うことは、血管が薄くなっているので、様子を見ている。
◎午後1時30分 脇田自動車へ ここの奥さんも10年前までは 美容院を
やっていた。店は 自動車屋とは だいぶん離れた別の場所だった。
その後は自動車の方で、事務兼営業をしている。
自分が仕事を辞めてからは、うちの美容院へ、お客さんに来ておられた。
元美容院で母さんの病気のことは話してあるので、この奥さんも聞き上手。娘
の話になって「もうすぐ高校卒業だけど、一人で下宿させるとなると それが
心配でねー。病気した時どうするかとか、何にも出来ないからちょっとしたこ
とがわからんことがあるし、このごろいろいろな事件もあるしねー」
この奥さんは、自分の妹の娘が下宿した話を出して「その子も 妹が
『何にもしない』と心配していたけど、ばあちゃんがたまに泊まりがけで行った
りして。何とか卒業したようだよ」とか話していた。
一ヶ月くらい前 この奥さん「ちっともおかしいところはないがね」
と言っていた。
今日も 会話を聞いている限り、おかしいところはない。
◎車に乗っていて、一人の若い女の子が歩いていた。母さんが「あの頭」
と言った。ごく普通の子だったが髪のセットが、「バクハツ頭」で不規則に
全方向に向かっているものだった。母さんの店では やらないセットアップ
のタイプだった。
ここでの問題はその頭のことではなくて、次の会話だ。
私が「あの黄色い服の子か?」と確かめると
母さんは「クリーム色のセーターを着た女の子」と言いなおした。
確かに その子は 黄色っぽいがクリーム色のセーターを着た女の子だった。
人の名前が出てこなかったり、地名が思い出せなくて、会話が先に進ま
なかったことがあるのに、人のスタイル=色、形については即座に訂正
できる、まだ保持しているねと思った。
◎夜、私が「じゃ歯磨きして寝ようか」と言うと「私の 歯ブラシがない」
と言って、歯を磨かなかった。
「私のは 薄紫のやもん」
「あれはもうブラシの先が開いてしまったから、捨てて 新しく青いブラシ
にしたがね。昨日もおとついもそれで磨いたよ」ジーッとその青い歯ブラシ
を見ていたが納得いかないようすだった。「そうか じゃ明日新しいブラシ
を買って来ようか」と言って二階へ行った。
2001.12.06(木)
◎今朝も「こわい こわい」と言った。
◎みどり病院でリハビリ。途中で出てくるといけないので私も付いていた。
今日の絵の題材はピンクのカーネイションだった。鉛筆デッサンのところまで
進んだが、不服があったので、色塗りはしなかった。
「塗らない」と言ったので完了と言うことで中止した。
◎洗濯干しをした。
◎昼から得意先への配達に付いて行った。
◎午後 苧ヶ瀬の池 までドライブ 夕食は けんちん汁、根菜の一口サイズ
の切り方が母さんの作業に 合っていた。いそがしくフル作業をした。
私は 味付けと、火の番のみ。
−−−−−−−−−− .※12.05(水)追加−−−−−−−−−−
夕方ころ母さんがこんな事を言った。「今朝方 誰か名前も知らん男の人が
『みどり病院へ行かんかね』と誘ってくれたけど、『今日は行かへん』って
断った。こういう事ははっきり言った方がいいと思って、はっきり言ったのや」
背景はこうだ。
★最近、みどり病院のリハビリに 飽きがきていやになってきている。
★11/15は途中で放棄して、出てきてしまった。
11/22 と 11/29 は 私も一緒にいて、やってきた。
★明日12/6に行くことになっている。
★けさは 予定日ではないので私は、「行こうか」と言っていない。
★また、今日は 男性の訪問者もなかったので、人違いに想像を加えた
のでもなさそうだ。
推測=「リハビリに行きたくない」と言う願望が強くあって、上記の
イメージのことが事実のこととして、頭に浮かんだのかも知れない
明日のリハビリはどうなる事やら
2001.12.07(金)
◎今朝も「こわい こわい」と言った。「もうだめやわ、自分でわかるもの」
と言った。「お母ちゃん助けてくださいよ」.とも言った。
私は「うん うん」と返事をし、「でも俺がいるから一緒に生きて行こう」
と言った。
◎薄紫の歯ブラシ。先日捨ててしまった歯ブラシと 同じデザイン、同じ色の
歯ブラシを5本買ってきた。
◎私が、得意先を訪問する時、営業用は背広、作業の時は作業服としている。夏
ごろ買った作業服の斜めに入る脇ポケットの入り口付近の深さが浅いため、ちょ
っとした動作の時に入れたものが落ちてしまう。いらだつのであまり着なかった。
一方を洗濯した時にのみ着ていた。今日もう一着買おうと、午前中 早くから
母さんと一緒に出かけた。3軒ほど廻った。脇ポケットは浅いものが多かった。
適当な深さのものは、胸ポケットにチャックがなかったり、内側にポケットが
ひとつも無かったり、だった。私の必要に 合うものが無かったので結局作業服
は買わないで戻ってきた。
いつも着ている作業服は脇ポケットの入り口付近の深さが8センチあったが、
いつも着ない方は4センチだった。奥の方の深さは問題ないので、針箱を持って
きて、縫い目に沿って3センチ程かさ上げをした。
母さんは対面に掛けて、私の手の動きを見ていた。時折、何かしゃべりながら...。
試着してみて、ポケットに手を突っ込んで試したが抵抗感はなかった。白糸の
縫い目も目だたなかった。
「よし! 上出来だ。」
そう言えば 母さんが 早くからやらなくなったこと(出来なくなったこと)は
縫い物だったなー。夏ごろ(2001/8)「ボタンとれてしまった」と言うの
で、見ている前で ブラウスのボタンを2個付けてあげたことがあった。
◎ 別の店に寄り、母さんのセーター2枚買った。気に入ったのを自分で選んだ。
一枚は黒、もう一枚はグレーで胸には 華やかな バラの花の刺繍入り。戻って
きて、刺繍入りに着替えて一日中それを着ていた。昼食後に ふと
「誰のか知らんけどこれ着ている」と言うので、
「さっき一緒に行って買ってきたセーターだよ。よく似合うよ」と言うと
「ふふっ」と笑って、その後は「誰のか知らんけど..」のことは言わなかった。
2001.12.08(土)
◎今朝も「こわい こわい」と言った。「もうだめやわ、自分でわかるもの」
と言った。「お母ちゃん助けてくださいよ」.とも言った。
内容は 昨日と全く同じ事。
◎ 娘が学校が休日で、私も1時間遅く7時に起きた。
◎ 午前中、休業中だが としこさんも来て古くからの知人で、特別に
頼まれている人がいて、一人だけ髪をやってあげた。
私は 心密かに「これは 武家の商法だな」と思った。
◎ 午後2時30分から出かけて、本巣のばっちゃの家へ行った。ばっちゃ
手作りの 干し柿をもらって、お腹がすいていたのか、立て続けに数個食べた。
「自分の家に来た」と言う実感だろう。
朝 うなる時には 「お母ちゃん助けてくださいよ」と言っているのに
今 面と向かっては 母さんはばっちゃの保護者の立場で対面し、いろいろ
教えてやるように話していた。朝方の「こわい こわい」の気持ちを訴える
ことはなかった。頭脳の中央司令塔が移動しているようだ。
ばっちゃは母さんの病気のことを知っているので、母さんの言うことを聞き
つつも、実は保護者の立場だった。どちらも相手を気遣っている。
干し柿と、柿とまたもらってきた。家へ戻ったのは 5時40分だった。
2001.12.09(日) 晴れ
◎今朝は私が気づいた6時30分ころは すーすー 寝ていた。私がトイレに起
きると 物音で 母さんが目を覚ました。
続けて着替えをして起きてきたので「こわい こわい」は言わなかった。
ただ 私も熟睡していたので5時とか5時30分ごろ言ったのかも知れないし
言わなかったのかも知れない。
通例 母さんの「こわい こわい」は 早い時は3時30分ころの時もあるし、
5時半ごろの時もある。まだ外が暗い時に言う。
時間が早い時は 私が小声で答えたりしゃべったりして、肩をトントンたたいて
いると、もう一度寝てしまう。5時半ごろの時は、6時まで待ってから起きる。
起きてしまうと、もう言わない。
◎日曜日 休業にしたので母さんは休み。従来母さんが仕事をしていた時は、
私の方の店は、対事業所の仕事なので 表向きは休みだが中では仕事をして
いた。
◎午後2時から 苧ヶ瀬の池へドライブ、散歩コースを一周すると およそ
4キロメートルあると掲示板に書いてある。駐車場から1キロメートルあたりに
だんご屋さんがある。今日はそこでだんごを買ってきた。2キロメートル歩い
たことになる。母さんは 光景を鑑賞しながらだんごを食べ、私は昼寝。私は
15分あれば、実質10分昼寝が出来る特技あり。
◎
2001.12.10(月) 晴れ
◎今朝は「こわい こわい」を言わなかった。
◎「みどり病院のリハビリに行こうと言われたけれどもことわった」と言った。
月曜日だから予定日ではなかったので「行こう」と言われた事実はない。
◎洗濯とか整理の後 脇田自動車へ。
◎その後 母さんは私の仕事場で一緒にいた。店を
続けいるならば今日は休日日だ。店を休んでしまってやることが無くなった。
いつもやるように、店の清掃、整頓、タオルや小道具の整理をしていた。
いくつかのことが出来なくなって、店を「休み」にしたが、やることが無く
なってしまうと、退屈をしてしまい「つまらん つまらん」と言い出す。
3時から、今日も 苧ヶ瀬の池へ行って、見物してきた。帰り道、スーパー三心
で、買い物をしてきた。
2001.12.11(火)
◎今朝は「こわい こわい」を言った。起きようとしたら右足が痛かった。
前々からだが、静脈瘤が両足にある。それが時々痛いのかも知れないし、
他の原因かも知れない
◎「みとおばあさんは ホントに働き者屋よ」と母さんが言った。
「そうだったねー....でも亡くなられてしまったねー」
みとおばあさんは1995年7月に、亡くなられている。母さんも葬儀に参列した。
「はははっ みとおさんは元気だよ.」まるで私が冗談行った時のように
笑い飛ばした。
「...だれやろ...そういううわさながすのは....あんまり無理は
出来ないけれど、掃除したり、洗い物したり(食器類)こちょこちょ 動い
ているよ」
私は「そうだね、年取ると あんまり無理しないようにしないといかんね。」
と言った。
「そーや」と母さん
最近まで、亡くなったことになっていたのに、いつの間に「生き返って」し
まったのかな。
今日 明日の現実生活に、あまり影響しないから訂正しないことにした。
(錯誤認識ではあるが)その場で すぐに証明できないことに限って、
深い確信を持っている。だから笑い飛ばすことになった。
すぐにわかることは、確信弱くしゃべる。訂正するとたいてい「そうか」と
言って受け入れる。奇妙なものだ
◎ここ一ヶ月くらい前から、私が早口でしゃべると聞き取れないことがあ
るようになった。私の言ったことが聞き取れない時は「えーっ」と聞き直
しているし、響きは同じだが 全く違う言葉「○○○○って言った」と
聞き直してくれるので会話にさして支障はない。
◎ 母さんにとって 生きる とは 病気が進行してきた現状に立って
生活の質を維持することが、延命にもつながる事となっている。
QOL=Quality of Life=クオリティ オブ ライフ=生命の質
2001.12.12(水)
◎今朝は「こわい こわい」を言った。
◎通常通り 6時30分起床。9時にみどり病院で本日は診察。「異常なし」
だった。この「異常なし」は「頭以外は」の部分が省略されているのである。
それを言う先生も 聞く私も暗黙の前提である。手足おなかの異常と違って
本人を前にして言いにくい部分もある。次回来月には
下腹部の超音波撮影による診断をすることになった。体調は本人が明確に、
表現できない事が多いので周りが気を付けてやらないと、気が付かない部分から
悪くなっていってしまうことがあるといけないので。
朝食を食べていかなかったので 帰り道 喫茶店に寄る。
11時に帰宅して、もう一度、食事(朝か?昼か?)
ふと 母さんが「みとおさん元気だよ」と言った。
私「そうだった」
「いろんなこと こちゃこちゃ やって」と言った。
◎母さんと一緒に 家の中の雑用を処理し、昼から 私の仕事の配達と仕入れ
に付いて行った。仕事に付いて行くことは 今のところは 体調にいいようだ。
本日の診察でも「内蔵関係は すこぶる健康」と言われて、車の乗り降りや、
相手先へはいる時などに 母さんの「ゆっくりテンポ」にあわせて行けば、問題
は起こっていない。ほとんどの得意先へは「妻が呆けの病気であることを知らせ
てある」ため、私が 偉そうに 「秘書」を連れて歩いても問題は起こっていない。
荷物が二つある時は 私が全部運べる時でも母さんに一個持ってもらって行く。
母さんは車の運転は出来ないが、乗せてもらうことは好きだ。
◎ 昨日のことだが、「柿」のはなし
★前提。
スーパーでの 柿の値段
贈答用 一個 250円〜200円 一個一個薄紙で包装してある
購入者食用 出始めは 一個 150円 だんだん下がって 今は80円〜40円
ところで、ばっちゃの近くの 本巣の農協へ行くと安いのがある。規格品は、
販売店のことも考慮して、20円〜10円の違いだ。が、規格品はずれのもの、
小さかったり、ちょっとしたキズがあったり、赤くなりすぎていたりした柿を
量や質の違いによって、ひと山 300円〜200円〜100円で売られてい
る。一個 20円〜5円とさまざま。
我が家にも もらった柿や、自分で買ってきた柿で、数十個はあった。
順次食べて結構大きいのが10個あまりあった。
★事件。
私の仕事場に一緒にいたのだが、台所の方へ行って、柿一個を剥いて
8切れにして「食べない?」と持ってきた。「この柿はあまいね」とか
「みずみずしくて美味しいね」とか言って食べた。少しすると、もう一回剥
いて持ってきた。
そして夕方までに10個あまりを二人で全部食べてしまった。
★結論。
1,胃腸の調子が良くなっている。2,私の表情が豊かすぎた。
3,昔のこども時代の世界に戻った。4,でもどこかおかしい。
5,が 自分も 生産活動に参加し(柿の皮を剥く)、人を喜ばせ、
自分も喜び(「つまらん」と言わなかった。)幸せな日だったから まっ いいか
2001.12.13(木) 雨のち晴れ
◎今朝も「こわい こわい」を言った。起きがけに 肩のあたりが痛かった
ひょっとすると、コレステロールを少なくする薬(メバロチン)のせいかも
しれない。
休業連絡の行き届いていないお客さんから、電話があった。母さんの意志を
確かめたら、「今日は休みにしているからやらない」と言ったので、丁寧に
お断りした。
◎ 昼から、物置の 粗大ゴミ(ウインドファンやら壊れて使用できないもの)を市役所
に申し込みをしてから処理場へ捨てに行った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
母さん「あや も結構兄弟が大勢いたんやないかな」と言った。
私 「どうして そう思う」
母さん「たいして別にないけど」
あや は うちの子で 一人っ子 兄弟はいない。
あとは深く追及しなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎今日「お腹(なか)気持ち悪い」と言ったことが 午後から5回ほどあった。
原因不明。
※推測。朝食を時間に食べないで、お菓子系のおやつを食べていて 今日も
11時頃、食事をし、途中また おやつをバカバカ食べた。そのせいかも知れない。
◎ 午後7時、私のお客さんのところへ、パソコンの修理品を届けに行った。
2001.12.14(金)
◎今朝は「こわい こわい」を言わなかった。
◎今日も「お腹(なか)気持ち悪い」が朝から、何回か、あった。
昨日から出ている、今回は、便秘ではない。ひょっとすると、胃腸風邪かも知れ
ない。だけど 下痢はしていないから、風邪ではないかも知れない。薬は、過去
にもらってきた薬の残りが、あるから、ちょっと様子を見ることにしよう。もの寂
しい時に「病気」になることもあるし。
◎9時、みどり病院でリハビリのお絵かき、始めようとしなかった。
今日は、無かったことにして帰ってきた。
◎母さんがみかんをストーブの上で焼いて食べた。8個焼いた。おのおの4個
食べた。母さんが 今までみかんを焼いて食べたことはなかった。
◎スーパーで買い物の時、誰かがカートを通路に置いたまま少し離れた陳列棚の
ところで探していた。 こちらもカートを押しているので、通り抜けが難しかった。
母さん「こんなところに置いたらあかんのやよ」と言った。その主に聞こえそうな
位置だったのではらはらして、別の品物の方向へ移動した。「こんなところ..」と
言うこと、自体は変なことではないが、紛議が起こりそうなことを 聞こえそうな
位置で言う母さんではなかった。
◎冬タイヤに交換するため、午後6時、母さんと共に 脇田自動車へ行った。
ここは工場・店舗で 車で30分のところから夫婦で通勤している。従業員も
少しいる。待っている間、事務所で奥さんとおしゃべり。
「遅くまで大変ですね」私が口火を切る。
脇田の奥さんは「会社勤めの娘が 先に帰っている時は家が明るくていいけど、
私が先に帰った時は、暗くて寂しい」とか「夕御飯の支度も 結構面倒で」言った。
母さん「なにつくったらいいかねーってねー」
脇田「時間のかかる煮物なんか最近やったことがない。煮豆なんか時間がかかるし、
肉じゃがなんかもねー」とか「炒め物とか、鍋物が一番簡単やね、けど 娘が鍋物
があんまり好きでなくてね」
母さん「炒め物が一番簡単やねー」
脇田「でも このごろは 炒め物でも 野菜を添えたら 簡単に出来るものが
いっぱい出ているので時間のない時はそんなので手抜きしてしまうけど、」とか
「これがホントの お『袋』の味やね。ハハハッ」
母さん「ハハハッ」
脇田「後かたづけが面倒でねー」
母さん「そう後かたづけが面倒なの」
解説=私から見ると、最近の病気の進行にもかかわらず、この会話が普通で
あることが不思議なのだ。「なにつくったらいいかねーってねー」と言うのも、
実際は作りはしないが、食事時間が近づくと、「お昼何にするー」と聞きに来るから
考えつかないのだけれども考えているようだ。「炒め物が簡単...」と言う
のも、私が作るのを見ていて実感。「そう後かたづけが...」というのも、
今も皿洗いは 母さんの仕事になっている。
脇田さんが 母さんが病気と知らされていなければ、気が付かないほど普通なのだ
解説2=「お『袋』の味」=スーパーのおかずは、みなビニール袋に入っている、
だから「お『袋』の味」と言うわけです。蛇足ながら。
2001.12.15(土)
◎今朝も「こわい こわい」を言った。3回だけ言った。今日は私が先に目を覚
ましていた。私が起きようとする物音で母さんが目を覚ました。その時「こわい
よーこわいよー」と言ったが、私が起きているので続いて起きたので、その後は
言わなかった。いつも聞いているのでなければ、「寒い」と言っているのか「怖い」
と言っているのかわからない声だったが...。
◎「お腹(なか)気持ち悪い」が今日は 朝から、1回だけあった。後はなかった。
◎ 対人との感覚のずれはいろいろある、昨日に続いてもう一つ。数日前のこと
スーパーで、レジを並んで待っている時、直前の人が 母さんより太っている人
だった。その上ズボンの方は、さらにゆとりのあるズボンだった。
母さんが 聞こえる位置で「だばだばや ねー」と。
そのかたは 明らかに聞こえていそうなのに聞こえぬふり。聞こえぬ振りしてくれ
てありがとう、どこかの方(かた)。冷や汗通り越して、「瞬間移動」したいくら
いであった。
◎バラの花の刺繍入りセーター今日は着ていた。「これ誰かにもらったの」と着て
いるセーターを指さしながら教えてくれた。私「このセーター このあいだ、一緒
に行ってあかのれんで買ってきたのやがね」と言うと、「ふーん」と言っていた。
◎本日 生協配達日、
◎どうしてもと頼まれていた客人2人あり、としこさんが来て手伝って処理してく
れた。
私の得意先から電話あり、「ちょっと行って来る」と母さんに告げた。私は客人も
いることやし母さんは当然家にいるものとして言ったのに、ニコニコ笑って一緒に
行くことは普通のことみたいな顔をして、靴を持ってまわってきた。
それで一緒に行った。相手先は ちん の犬を飼っている。この犬を見て、母さん
がここへ行ったのが2回目であることを、理解した。
私が仕事をやっている間中、この犬と遊んでいた。
帰り道 本巣にいた「まる」と言う名の 犬のことを話してくれた。
「雪が降った日、よろこんで走り回っているうちに、ズズーっと滑ってこけてしま
うんやよ『まるとうしたの』と言うとキョトンとしておってね」うれしそうに楽し
そうに教えくれた。母さんの中では この犬も、健在で生きていることになっている。
2001.12.16(日)
◎今朝は 一時間遅く起きた(7時に)うなっていた。が意味不明
◎ 8時20分頃、朝ご飯も食べていないのに、財布と小物の入った袋を持って、
外に出た。「寒い」と言って すぐに戻ってきた。
目つきで 一緒に行けと促す−−家出のおつきあいかい−−いいけど−−
市中心部目指して30分間ドライブ
◎このごろ朝食を時間に食べにかからないので11時頃になる。今日は、
9時15分に食べかけた。今日の場合は、みそ汁を3回温め直した。
「3回温め直したね」と言うと「暖かい方がいいからね」と客観的に 笑顔で
私の善なる意図を評価していた。自分との関連性は別として。
◎ 昨日と今日は ハイトーンの日、けたたましく笑いながらしゃべり、落ち込む
ことはない。
◎ 私の仕事は日曜は本来休日だが、得意先から電話あり。昨日行った ちん
の犬を飼っている、事務所からだ。「月曜日に持っていく必要のある図面
を作っていのだけれども旧データが出なくなってしまって、何とかなら
んでしょうか」と。
午後から点検に出かけた。私の点検中 母さんは ちんの犬と遊んでいた。
2001.12.17(月)
◎今朝の「こわいよー こわいよー」はかなり長く言っていた。そばによって
ひたいとか肩に触っても 覚醒はしているようだが起きなかった。
そのうち「こわいよー」は止まって起き出した。
◎午前中は、私の事務所で、仕事をしている傍らのイスにかけて、いろいろしゃべ
って時を過ごしていた。事務所は暖かくしてあるので居眠りをしたようだった。ふと
話し出した。
「今ここにかわいい幼稚園くらいの小さい子が お母さんと一緒に
来ていてね、みかんを落としてしまって『みかん 落としてしまった』
と言っていた。 お母さんと一緒に買いに行ったのかな。
ここにいたみたい。何かあげようかと思ったけど、
何をやっていいか..と思っていて、あげなかった。」
と言っていた。(これは夢か 空想)
「へーっ そうやったの」
2001.12.18(火)
◎今朝も「こわい こわい」を言った。
◎午前中に 昭和コンピュータの横家社長 来訪 15分ほどして帰られた。その間 母さんは
台所のイスで待っていたようだったので 「帰られたよ」と言いに行った。お盆と湯飲み二つ
が出してあった。
「お茶を出してくれようと思ったの、ありがとうね」と言ったら「うふっ」と言った。
途中まで、お茶を出そうと思ってがんばったが、出来なかったようだった。でも指図をし
なかったが やろうとした意図を、喜ぶべき。
それと、5分と一人でいられないのに、待っていたことも評価すべき。
◎その後 得意先から 依頼があって同行した。
◎午後からは 高校生の娘の個人懇談があり私は学校へ行った。母さんは 近所に住む母さん
の姉さんと映画を見に行くはずだった。気が変わって、本巣の ばっちゃのところへ 二人で
行ったそうな。
ものがたり−−事実とも言えないし、事実でないとも言えない話−−
「店に行って あやがね 気に入ったものを見つけたようだけど、ちょっとさわってそのまま
来てしまって何にも言わないのね。これではいかんと思って(別の時に)見ておってやったの
ジーと見ていたら、(レジーの方へ)持っていったのね。よしよしと思って見ていたの。だって
何にもわからなくてはねー。このごろ(自分で買い物することに)だいぶん慣れてきたよう
だけど」
2001.12.19(水)
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番外記事
「呆け」「アルツハイマー病」でいろいろ知りたい方。このホームページのリンク欄
にあります。「呆け老人をかかえる家族の会 」のホームページも見てください。
会名は「..老人..」となっていますが。若年性の方の記事もあります。病気の
段階も初期 中期 後期とそれぞれあり、施設や制度についての記事もあります。
ぜひ ご一読下さい。会員になると、ニュースも送ってきます。
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◎今朝も「こわい こわい」を言った。今朝は「こわいよー こわいよー」と言って
「もうだめやわー、もうだめやわー」を繰り返していた。
◎9時から9時半まで朝食
◎その後、小休憩の後、一緒に洗濯干し。母さんの店の方はシャッターを半分だけ開け
在宅を示した。
母さんは私の作業の横にいて、いろいろしゃべったりしてすごした。
郵便局と商品仕入れに行き、戻ると12時だった。
◎カチカチのめし
電気釜を おひつ 代わりにしていると 2日で食べきれなかった時など、周辺の釜に
接した部分からご飯がカチカチになっていく。4日目になった時は「枯れ飯」のごとく
である。以前は「腹にさわる」と言って捨てていた。かみ砕けないほどカチカチだ。
これを お茶漬けにする方法を編み出した、小鍋に にんじん さやえんどうなどを
細かく刻んで入れ 沸騰させる。そこへこの「枯れ飯」を入れ、最後に 市販の
お茶漬けを入れて出来上がり。「ほとびにけり」である。
2001.12.20(木)
◎今朝も「こわい こわい」を言った。今日は短かった。
◎娘を学校へ 送って行った。戻ってきて、朝食。その時母さんが「あやは
学校へ行ったのかなー」と言った。今一緒に連れて行ったことを、もう忘れていて、
記憶にないようだ。私「今一緒に送っていったから学校へ行っているよ」と軽く答
えた。「じゃーいいけど」と言う。
ちょっと前だったら、一緒に行ったことを、思い出させる立場で、そのことを強く
言っていた。今は 忘れたものは 忘れたのだから、
現状を伝えるか、または、現在の疑問を過去にとらわれず解明してあげることが
大切と思った。それで軽く答えた。昨日のことでも覚えしてることがある。おぼ
ろげに覚えていることもある。全く覚えていないことがある。どういう時、ある
いは どういう話題がそうなるのかわからない。
◎ このごろリハビリで絵が描けなくなった。うちでは気ままにいる時、たまに
描くのだが。今日はリハビリの予定日だったが、予約はせず、行かなかった。
◎朝食後、私の髪をカットしてくれた。動作に不自然はなく、できあがりも普通
だった。表情も普通だった。
◎その後は、一緒に洗濯干し。
◎母さんが 「休業」以後は、得意先出張や仕入れに付いて行き、そのほかの時は
私の仕事場で 私が仕事中 傍らに掛けておしゃべりをしながらすごすのが日課
になっている。
◎夕食後は こどもは まだ塾にいる。私は ゛残業゛母さんは 室内が暖かい
せいか 時折 居眠り。
2001.12.21(金)
◎今朝は「こわい こわい」を言わなかったし うなされもせず起きた。
病気が進行し、病気が作り出した、結果に対する恐怖から解放されつつあるのかも
知れない。発病7ヶ月から8ヶ月目くらいから始まった。起きがけの恐怖は2年半
続いている。(1998年8月発見、診断はそれ以後、今日現在3年4ヶ月)
朝 うなったり、振るえたりするようになった当初、どういう理由からかわ
からなかったが「怖いよう」と言うようになって、先行きに対する恐怖感か
ら来るものであることがわかってきた。
◇お金をもらう時の、計算に関する不安。
◇仕事で 軽いミスをしたことがあり、今日ミスしたらどうしようと思い、
店を開けることへの不安
◇人を錯誤認識しての不安、(私を別人と思い、外に出て10分後に戻ってきた私
を本物と思う)
◇周囲の人々、対応に関する不安(「あやがにらむ」とか「としこさんが怒る」
と言ったりして。)
◇どうして病気になったかという疑問
◇将来を予想しての恐ろしさ
◇体調の不調は別個のものであるが、それもアルツハイマー病の結果出た、
と見て恐ろしがる。
◇死期が近づいていると予測しての恐ろしさ。(死期が近づいているという
兆候はない)
◇家族関係が壊れた=健康時の家族関係ではない。(娘の保護者の立場でいろ
いろ教えてあげなければならないとの気持ちを強く持ちつつ、それが出来ない。
娘が母親を保護する状況にある)(私との間柄はかつて対等の立場であった
のに 今は従属的立場にある)
◇最近では店を維持できなくなって休業した。
◇「バラバラに崩れてしまった。お母さんごめんなさい」
◇「何も出来なくなった。」
◇「私はもうだめやわ、自分でわかるもの」「お母ちゃん助けてくださいよ」
◇いろいろ出来なくなってきたことを 自覚しての恐怖
◇まれに、人まちがいでの恐怖や 幻想の結果見えた世界の恐怖もあった。
強い恐怖の中を通過してきたということだ。
◎頼み込まれて 予約した お客さん一人あり。
◎
「津谷さんの話」をした。
「みどり病院へ行かない話」もした。
◎柿の皮むきの話
柿でもリンゴでも、皮をむく時 丸みに沿ってむいていき、むいた皮は一本に
つながる。一周 二周 三周とむいていく時、うまくむいていかないと、筋状
または帯状に むき残しが出来る。
母さんが健康な時はむき残しなどなかった。このごろ むき残しの帯がいっぱい
ある。そう言うことに目を見張っているのでなければ、一回目でも二回目でも
あまり気が付かない。気が付いたのは最近のことだ。病気の初期のころもそう
いうことはなかった。六ヶ月または一年くらい前からのことだ。
一回や二回、だけではわからない、機能低下が他のことにもあるかも知れない。
2001.12.22(土)
◎こどもが学校が休みで、私が7時まで寝過ごした。ふっと目を開けると、母さんが
「さむいさむい」と言って立っていた。トイレから戻ってきた後らしい。「こわいよー」
と言ったか、言わなかったかわからない。
時間的に起きるつもりだったが、私がまだ寝ていたので突っ立っていたらしい。
着替えて下へ降りていった。今朝は生協の配達日。
◎3時30分から 苧ヶ瀬の池へ
◎そう言う癖なのか、病気のせいなのか、車に乗っていて 目に見える看板とか、
自動車に書いてある社名とか コマーシャルメッセージとか、ナンバーフレートの
ナンバーとか、を読むことがある。「きれい 速い ○○写真プリント」と言うの
で私も繰り返して、「そうや きれい 速い ○○写真プリント だ」と言うと、
次のを読む。
◎今日も 一人 お客さんあり、店用の顔をして、出入りしていた。
◎書き忘れていたが、一週間ほど前から、店にクリスマスツリーを飾っていた。
季節を実感させるためだ。プラスチック製で、毎年 枝を幹に差し込む 作業が
大変だが、その作業が「お祭り」気分を盛り上げる。一緒にそれをやり、飾り付
けをした。ちょうど お客さんが来た時にツリーが飾ってあって良かった。
2001.12.23(日)
◎今朝も「こわい こわい」を言わなかった。
◎話題に入ろうとする。
こどもと私と話していると、その話に入ろうとする、努力をしている。それは積極的
でいいことだ。こどももよくそのことがわかっている。ただ単なる世間話でなく、こどもに
時々の指針を与えなければならない時、母さんが 似ているけれども、内容の違う話を
してきた時、私は聖徳太子になって、別々の話を聞き、瞬時 瞬時に切り替えて別々
の話をしなければならない時がある。
◎おやつをガバガバ食う。
昨日から今日にかけて 食事は普通に食べて おやつをいっぱい食べている気がする。
◎今朝方起きて少したって朝食前 何も 匂わないのに 「匂おう」と言って、気持ちが
悪いと言った。軽い吐き気がともなっていた。時間をおいてもう一回あった。その後はな
かった。8月の便秘したころ一回あった。今回は便秘はしていない。今年初めころ、1回
あった。辞書にはないが「悪感」と言うらしい。熱発時の「悪寒」とは別の症状。
アルツハイマーの症状ではないし、事態急変の予兆でもないので、静かにしていれば治る。
◎日曜日、母さんは 私の仕事の傍らで、おしゃべりをしたり、「居眠り」をしたりして
すごす。何か母さんにぴったりの、ことをやって、くれる「デイケア」はないかと探して
いるが、なかなかつかめない。何もしていないと速く悪くなってしまう。
◎娘が言っていたこと。
「ずーっと前のことだけど、中学2年ぐらいの時(注−発病より8ヶ月前)
『夕食後にケーキを食べても太らない』と言う話をした。そう言う話は10回ぐらい
聞いていた。それで半分に加減して 『同じ話を5回も6回もしないでよ』と言っ
たら『そんなに何回もしていないよ』と母さんが逆ギレした。」
発病1年前、ころに、母さんが同じ話を何回もすることに気が付いていた。私も自覚
して同じ話をすることがあるので、「お互いに 年やな。前の話を何回もして....」
と言うようなことを言った記憶がある。自分も同じ話をすることはあるし、母さんの
「同じ話」が今のように、その日のうちに何回も繰り返されるわけではないので、
別に不自然とも思っていなかった。新聞の「健康記事」では、同じ話を繰り返すのは、
老化現象などの記事を見ていたので、ちょっと早いけど単なる老化と思っていた。
2001.12.24(月)
◎母さんが 深夜1時30分に起きた。
母さんはいつも 夜 1時から4時 当たりに一回トイレに起きる、寝てから3時間後、
から5時間後である。私は10時ころ、母さんを寝かせて、仕事を再開する。母さんが
トイレに起きるまでにもう一度寝る。下にいる内に母さんがトイレに起きると 隣に私
がいないことに気づいて下に降りてくる。その時でも「あー、来たのか」とか かけ声
を掛けて一緒に二階へ戻っていくとそのまま寝てしまう。
この時は年賀状を作っていた。試し刷りの印刷が出てくるのを待っていて、母さんが
入口に立っているのを気づかなかった。いつも音もなく歩く。本当に音を立てないで歩く。
印刷機の印刷が遅い。私が気づかないでいる時間がちょっとあったらしい。
「あー、おったの」と言っても、全然反応がない。「寒いから二階へ行こ。」と何回か
言ってようやく 二階へ行ったが、すぐさま降りてきて、寒いのに外へ出ていって
しまった。
私も続いて外に出た。SPのごとく付いて行った。50メートルほど行って戻ってきた。
階下で、少し立っていて、「寒いから二階へ行こ」と言うと二階へ一緒に上がっていった。
私が横になっていると、15分ぐらい、ふとんの上に座ってごそごそしていたがもう
一度トイレに行って横になって寝たた。朝まで静かだった。
◎今朝も「こわい こわい」を言わなかった。
深夜の事件はもう忘れてしまったのか 機嫌良く起きた。
◎「流し」「ガス台」の周辺を 一緒に掃除した。油汚れを取り、アルミ製敷き物などを
取り替えてさっぱりした。
◎今日は 母さん用の ふとんを干した。干場の関係で全員分干せない。
◎日本的お祭り「クリスマス」の日、テレビのある方の部屋で、ビデオ「となりのトトロ」
など見ながら夕食。母さんはビデオを見て疲れたのか「眠たい」と言って、7時半
ごろ寝た。明日朝は その分早く起きるはず。
◎町内自治会の小組(15軒)の忘年会があったが欠席、母さんを一人置いていけないし、
一緒に出ることも出来るが 2時間もいることは無理みたいだったので。
病気介護者の先輩諸氏、知恵に従って、発病1年目(アルツハイマー病とわかった後)ごろ
町内のかたには、出会う人に、知らせていた。
町内と言えば 昨年度(2000年度)「年行事」の役が廻ってきそうだったが、
「勤めさせていただくべきところですが、...」母さんの病気があったのでお断り
したことがあった。
「年行事」とは役職名。一般任意団体で例示すると、理事 会長 を支える
事務局長が居るみたいなもの。
ここの町内では 会長は居て それを支えるのが「年行事」である。およそ
200軒が町内自治会で、いくつかの小組に分かれている。それぞれの小組が
順番に、年行事を分担し、10幾年に一回 「年行事」役が廻ってくる。
「年行事」役が廻ってきた小組では、「年行事」を選び、小組全員が協力して
会長と共に、会活動を進めていくわけだ。
2001.12.25(火)
◎今朝は「こわい こわい」を言った。
やはり早く起きた。5時頃 私がトイレに行くと、もう起きると思ってか その間に
着替えをして起きる支度をしていた。
◎朝8時散歩に、田圃には 霜が降りていた。昼間たくさんいるスズメ、カラス 鳩が
見あたらなかった。見かけぬ鳥が2羽いた。
◎「不審船と銃撃戦」の新聞記事を見て、「また何か恐ろしいことが起こっているね」
と言った。
◎みどり病院へ薬のみもらいに行った。混み混みで普段診察した時よりも時間がかかっ
た。普段45分、本日1時間半。昨日振り替え休日だったのと、「年末年始が、休診に
なるので、早めに行っておこう」と言う人が多かったらしい。
◎午後から家族3人で、町へ出た。郵便局、ホームセンター(日用雑貨品建材の
スーパー)、電機屋、パソコン屋、食品屋、ちょっとした消耗品を買って、後は見て
来ただけだった。どこもかも大変な師走の人混みだった。
3年より以前 母さんが健康だったころは、食品 被服以外の買い物は私がして、
母さんは休日に買い物に行くというパターンだった。いまはどこへ行くにも一緒に
行っている。結果的には 母さんが、生活感覚を忘れないように、との訓練にもなっ
ている。
◎夕方、クリスマス関係食品が昨日の半額以下、いちご598円が248円など
「おつとめ品」を買い求めて「豪華」に夕食
2001.12.26(水)
◎朝5時30分、母さんが「えこひいき」とか言って私をつついて起こした。
私が目を開けると 自分の方へ戻り 続けて「えこひいきがあるんやない」
「どうしてえこひいきするのやろ」とつぶやくように言った。
私は「そうだね」返事をしながら聞いていた。架空のことにしろ、に何をイメージして、
そう言っているのかわからなかった。
それで「何かえこひいきされたの」と聞いた。
そしたら「そんなことわかっておるやろ」どうやら攻撃の矛先は私らしい。
「勝手気ままにやっていて」とも言った。家族は3人、母さんと娘には
それぞれに即した、対応と保護をしている。やはり架空のイメージに怒っているようだ。
架空のことでも、感性的認識として固定するとぬぐえなくなる。
私は言った。「えこひいきと言うけど、家には俺以外には 娘と母さんだけだ、
食べ物 着る物 小間物も 必要と思われる物は 最小限だけどなんでもあるや
ないか。ここ3年間は 特に母さんには気を使ったやってきた。どこがえこひい
きだ」とちょっと怒って言った。たぶん話はわからないだろうと思った。
話がわかれば何か反発して言うだろうと思った。が それには 内容的に反発を
表現できなかった。
「面白いやろ」とか「グループ作っておるんやろ」とか「どうせ私は貧乏人やから」
とか言って、自分にこもってしまった。
6時すぎ 私が起きてくると一緒に起きてきた。
◎朝食の用意は出来たが、先に「ビン カン」の処理をして雑用を進めていた。
母さんは沈んだままでいた。
7時30分「...おわりやね」と言った。こういう時わかっている部分を
「おわりやね」と繰り返すと 母さんはもう一度言う。
「あやまんも もうおわりやね」と言う意味だった。
起きがけの不機嫌はどこかへ行ってしまっていた。もし..ふたりも もうおわりだね..
と言っていたとすると「母さんはどうするの」と 重大なことになってしまう
ところだったが、そうではなくて安心した。
「寂しくなっちゃうね」を繰り返していた。
゛あやまん゛とは むすめの呼び名。゛もうおわり゛とは高校も卒業という意味。
卒業すると、どこか他地方の、大学へ行って家に居ない と固定的に考えいる。
それで何回も 何回も次の言葉が出てくる。
◎10時
「あやまんもいなくなってしまうし」「あやまんはうれしいけどこっちは寂しく
なってしまうね」「ほんと 寂しくなっちゃうね」「距離が離れすぎておるもの」
「もうあやまんと会えなくなるね」「みんなばらばらになっちゃったわ」
「みんないなくなっちゃった」「つまらん」「みんなどうするんかね」
「なんかむなしくなるね」「(学校案内の入った袋を)見ているとよけいに
むなしくなるからしばらく見ないで居たら」
「ほんとさみしくなっちゃうね にぎやかな子ばかりだったのに」
私が「近くの学校で 試験が受かれば 家から通うよ」と母さんの言葉の合間 合間に
言っているのに「あっそうかそんならいいけど」と返事をして、次の瞬間には、
また前の言葉を繰り返していた。
◎11時
娘は高校は冬休みだが、塾へ行って家にはいない。
母さんは私の傍らに座って「なんかあたまのなかがからっぽになったみたい」
「荷物なんかどうやって持っていったのかなー」
「こんなに早くあやまんが向こうへ行くとはおもわんかった。寂しすぎるね。
近々に行こうか向こうへ、そうするとよろこぶわきっと」
知らぬ間にどこかに下宿している ことになってしまっていた。
◎ビンカンの収集日。
ビンを出す時に ビンのふたは取り去って ゴミとして処理しビンだけを出す
ことになっている。私がペットボトルや プラスチック系のビンのふたを取って
ゴミかごに捨てびんを袋に入れていた。
母さんは 捨てた先からふたを拾い ビンに栓をして袋に入れ直していた。
「ふたは はずして 出すのやは」と言ってもう一度取りはずした。
「そんなん 最初からきちっと言っておけばいいのに」と言った。
何年も前からそうなっているのに....。
2001.12.27(木)
◎今朝は「こわい こわい」を言った。
朝から、娘を下宿をさせると心配だ。と言う意味のことを 何回も繰り返し言った。
私は「家から、通える学校へ行くと 自分が言っているから、心配ないよ」と言った。
娘には「よその地方の学校へ行ってもいいよ。希望するところがよそにあれば..」
と言ってある。
◎ガス台の下と、バックに貼ってある、アルミ板を貼り替えた。(前日はアルミ箔を
使用したので、ガスを付けようとして下がすべったり、クシャクシャになったので
ガス周辺専用のアルミ板にした。)流し台周辺の掃除完了。
◎午後から、私の得意先の、配達と集金に付いて、母さんも一緒に行った。
◎今日は、昔のことをよくしゃべった。事実のことも、架空または 願望の世界
のことも、別にまとめて書きたい。
2001.12.28(金)
◎今朝も「こわい こわい」を言った。
◎午前中、岩戸公園へ散歩に行った。
「みんないなくなってしまった」「なんかさみしくなっちゃうねー」
「いっきにこうなってしまうとむなしすぎるよ」
「離れていった人はいいかも知れないけれど」「気力がなくなっちゃう」
「もうだめやわ」「こういうときはどうしたらいいんやろね」
「ほんと まがぬけたみたい」
◎ 娘が どこかに下宿しているという イメージが 残ったままになっている。
私が「まだどこにも行っていないって」とそのたびに訂正しているが 何回もど
こかに下宿している ことを前提にしゃべっている。現実から出発すると、
トンチンカンな話になる部分があるが、私が眼前でその話を聞くと 動き
表情 しゃべり方の中に 成長期の娘の現在と未来を案じている気持ちが伺える。
意味不明の言葉も、母さんが 「生きていた」と言う記録として残しておこうと思う。
よくしゃべる日と、ほとんどしゃべらない日と、波がある。よくしゃべる日の、
会話のすべてを書くのはとても無理だが、同じことの繰り返しもあるので、要点は
書き留められると思う。
◎午後から、苧ヶ瀬の池にまた行った。
◎本人への告知について
告知については、それぞれの状況で 一概には言えませんし 慎重であらねば
なりませんがが、私の場合は 告知いたしました。病気発見後 1年経過して
アルツハイマーの診断が出た後です。その後は 状況に即して その立場で
対応したり話したりしています。
1,楽しく生きる。2,やりたいと思うことをやる。(お金のかからないことで)、
3,生きた証を残す。4,何もかもわからなくなった後のことは俺に任せろ。
と言うのが私の立場です。
小動物を「かわいい」と言います。我が家では飼っていませんが、散歩の途中で
小鳥とか よその飼い犬、猫とかを見せています。
ゆったりしている時は 私が冗談を言って笑わせたりしています。
2001年8月(発病後2年)に、再度 病気の内容・現状について、言い、一緒に
有意義に生きていこう と言いました。一週間、毎朝泣き続けました。
いま、病気については認知しています。お絵かきは中断していますが、一緒にやる仕事
はそれなりに一所懸命にやっています。
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番外記事
本年4月、ホームページを作って以来、大勢の方々に読んでいただき、
たくさんの方々から 励ましのお便りを メールで いただきました。
ありがとうございました。同じ苦労をかかえる、大勢のかたがた からも
お便りをいただきました。そのお便りは、自分の体験からして重く受け止めて
おります。人生「何が起こるかわからない」わけですが、この苦労も含
めて、切り開かなければならないもののようです。社会制度的なものの改善、
施設の改善、もあります。
娘が私にくれた「誕生日カード」に、買ってきた既製品でしたが、
イラストと「どんな夜だってのりこえられるよ」との言葉が印刷して
ありました。
お便りいただきました方 一緒にがんばって参りましょう。
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2001.12.29(土)
◎生協配達日
◎洗濯を一緒に干した。
◎母さんの店は 毎年200枚ほどの年賀状を出していた。今年は50枚出す予定で
宛先を書きかけた。10枚ほど書いたら疲れて中断した。
◎母さんのイメージの中では、娘が京都へ行っていることになっている。
それがずーと行った切りになっているのか。一週間ぐらい行っているのか。
試験を受けに一日だけ行っているのか定かでない。
私が「今日は塾へ行っているよ」と言っても その時は「そうか」と返事をしても、
観念は変わっていない。
「いまごろどうしているかなー」「岐阜のようないなかと違うし」
「友達がいればいいけれども」 「体の弱い子やし、医者なんか行けるやろか」
「」「」「」
◎母さんの冬用の靴は、秋から春にかけ 気に入った同じ靴ばかり長年はいていたので
底がすり減ってしまった。イトーヨーカドーの靴屋さんへ行き、新しい靴を買ってきた。
大きさ、デザイン、値段、すべて自分で、選ぶようにし向けた。私は別の靴を見ていた。
適正な時間の間に、気に入ったデザインで、ぴったしの大きさの靴を 半額セールの中
から見つけだし、「これなんか良いと思うけど...」と言ったので その靴を買った。
私は 母さんの 買い物感覚は、崩れていない と思った。
入り口のそばの花屋さんで お正月の飾りにと 大きな かにサボテンを買ってきた。
健康なころは、というか 病気になってからも 去年までは12月30日などは、とて
も忙しくて お正月の飾りのことなど考えておられなかった。こどものためもあるので
31日午後からは予約を取らず、掃除 買い物(食品以外)飾り付けを
一気にやった。
今年は母さんにとって せっかく 得られた、心のゆとりのある日々だが、自分の意識
を持ちながらの、ゆとりのお正月の準備をこれから何回やれるかな。
◎スーパー三心へも寄った。
◎
2001.12.30(日)午前中晴れ 午後から曇りのち雪
◎午前中に、その季節には、美しい花を見せてくれたが いまは枯れた、
植木鉢、プランターの周辺を整理、清掃した。花を買って来ると付いてくる
プラスチックの植木鉢などをゴミとして処分した。
◎差し出し日がだいぶん遅れたが私の店の年賀状を、母さんにも手伝ってもらって
処理した。
一緒に外出して雑務処理。夕方生協の特別配達日。スーパーへ行き。年末の買い物。
積雪1センチ。「雪が舞う」程度の雪はあったが積雪は本年初。
2001.12.31(月)
◎今朝も「こわい こわい」を言った。
下へ降りてきても「こわいよー」と言うので「なにがー?」と聞くと
「あやが今頃どうしているかと思って」と言う。
「そこで寝ているよ。もうすぐ起こしてやらなくては」と私。
「そうか、ならいいれど」
◎ 塾へ送っていって、帰り道(塾は12月31日も授業あり)、
「あやは高校へ行ったのかな」と言う。今車から降りたのを見ていたのに、と思う。
「いま あの階段のぼったところの 塾へ行ったがね」
「そうやったね」
◎戻ってきて、何かうろうろ探しているようす。
「何か探しているの」「うん ま いいわ」と自分で探しつづけていた。
少ししてまた探しているようだったので、
もう一度「何探しているの、何かないの」と聞いた。
「何を探しているのか、わからなくなった」と。
思わず吹き出してしまって「ついに 捜し物の境地に立ったね、ハハハッ。」
母さんも怒りもせず、つられて「ハハハッ」と一緒になって笑った。
◎「娘がよそで下宿している」件。
私が「まだどこにも行っていない」と何回言っても、当の娘を毎日見ているのに
どこかに下宿していると思って心配いてしまう。
そのように思っていても、母さんには、現実的支障は何も起こらない。
周囲の側、つまり私の問題だ。
現状では、病気が、訂正も何もしないで放っておくというレベルまでは
来ていない。ある事柄は訂正し 別の事柄は訂正しないことがある。訂正すべきことが、
訂正を貫徹できないといらだつことになる。そこで補足思考をいれて、私が自分の
気分を安定させることになる。補足思考とは「そうだね もし下宿したら、そう言う
ことが心配になるね。よく言って置いてやらないと」
そして 次々と心配事を述べることになる。
−−−どうしているのやろきになってしょうがないんやて−−
−−ちょっとやそっとではなかまにいれてもらえんとおもうんやて−−
−− 今週末ぐらいに行ってやろうか、 喜ぶわそしたら、
「おっちゃんがきたよ」とかいって−−
−− あやが ここが一番いいもんって言っていたし かわいいもんや−−
◎私が雑用をして家の中とか 外とか こちょこちょと動いていた。
母さんは店を休業してしまった今はひまで しかしやることは病気のため思い付かず、
現状のまま保持してある店で かたずけものをしているつもりであちこちと動いていた。
母さんが「昼何にする」と聞いてきた。 「そうやなー なににしょうか」といっていたら
台所の方へ行った。私は事務所でガサゴソ。母さんが「食べようか」と言ってきた。
平静を保って「うん」と言って 後に従った。昼食のおかずは「おでん」だった。
練り製品主体の既製品のおでんを袋から出して お湯を煮立てて温めるだけ。
「おーっ おいしそうだね!!」と実際にもいつもより美味しく食べた。
これが最後の 母さんの食事の用意かもしれない。
◎夜、娘が塾から帰ってきてから、「年越しそば」など食べながら 一年の
締めくくりをした。
娘が暗号で 冗談を言う。母さんも笑う。まっ いいか さしせまって、
困難や、危険が 眼前にあるわけではないし。暗号は 母さんの状況を
娘に報告する時に使うし、娘が見ていたことを 私に報告する時にも使う、
暗号を使ったり、早口言葉でいうのは 本人を、傷つけないためである。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
◎先輩諸氏の経験教訓
3年前 突然 母さんにおそってきた「アルツハイマー病」途方に暮れて、
経験者や 医者の 本を読んだ。あっているところと、どうも違うと言うところがあった。
基本的な病気の現れは、同じだが、どの症状が先に現れるかは、病人個人によって違う。
進行速度も 病人個人によって違う。と言うことがわかってきた。
こころの動きを、大切にして対応する、先輩諸氏から学んだところである。
このホームページの図書の欄に記載されていない本もたくさんある。
インターネットは仕事柄、何年も前から活用していたが、これと母さんの病気と
つなぎ合わせることはなかったが 2年経過したころ、偶然 アルツハイマー病
のことを見て、次々と、先輩諸氏の経験教訓を見ることになった。
これも このホームページのリンクの欄に記載されている方々を始めとして
記載されていない 方々の経験も垣間見た。
状況の許す限り こころの動きを、大切にして対応して来られたことが伺えた。
私が 比較的安定した気持ちで対応していられるのも先輩諸氏の貴重な
経験教訓によるものだ。
楽しいことがあったら お知らせしたいと思います。