日記Ynas0109
2001.07.01(日)
2001.07.02(月)
朝から沈みがちだった。みどり病院へリハビリに来たら治った。
2001.07.03(火)
2001.07.04(水)
2001.07.05(木)
谷汲へ行った。朝、黙りこくっていた以外は悪い兆候はなかった。
5時頃少し疲れた様子だった。
2001.07.06(金)
朝6時10分、ほとんど同時に起きた。
階下へは少し遅れて降りて来て、黙って立っていた。私が「おはよ」と言うと
「おはよう」と言った。声をかけると笑顔の表情を作った。朝食の用意で、母
さんが キゥイフルーツをむき、サラダ用のきゅうりをむいて、切った。調理
は私がやった。黙って居たのは機嫌が悪かったためではなかったようだ。
10時ごろ本巣のばあちゃんが来た。ヤマブシダケを持ってきた。「頭に
効く、くすりのようなものだ、3万円もしたが いいと言うことは何でもやっ
てみると良い」と言っていた。
2001.07.07(土)
朝元気なし。朝食の果物むき手伝ってもらう。
「行こうか」と私が言ったら「どこへ行くの?」と聞いた。疑問に思う思考力はまだある
と言うことだ。散歩に行った。
鬼本さんが来た。としこさんに手伝ってもらうために電話をかけた。「すぐ行く」と言う
返事だったようす。5分ぐらいして、一度電話したことを忘れていて、もう一回電話した
が通じなかった。そのはずだ。すぐにとしこさんがはいってきた。
夜、9時50分から10時35分にかけて、「暑い暑い」と言って寝ないので、
岩田から長良橋方面へドライブに行った。
2001.07.08(日)晴れ
朝起きがけに、「足が突っ張って痛い」と言っていた。起きて来て階下まで行ったら
治っていた。娘は、日曜日なのに学校があった。
2001.07.09(月)
あゃを送っていく時母さんの気分が悪かった。みどり病院でリハビリ。絵を描く時右腕が痛かった。
本巣町 道の駅 織部の里へ行った。ざるそば を食べてきた。
2001.07.10(火)
朝起きがけに、えらそうに唸っていた。朝食の用意をいっしょに進めた。話しもしたし、
今日一日は総じて機嫌が良かった。「としこさんが黙って帰って行ってしまった」と
ぶつぶつ言っていた。本当は「もう かえるよ」と言って帰ったのだがそれを忘れて
しまっていた。
私の仕事で得意先へ付いていった。
前日のこともついさっきのことも、忘れてしまうことが多い。いろいろ話していた
ヒントから思い出すこともある
「昨日ざるそば食べてきたねー」
・・「えぇー知らん」
「本巣へ行った時食べてきたがね」
・・「ううんそうかも・・・」
「大きな ドライブインみたいなところがあって」
・・「・・・・・・・・・」
「・・トイレに寄ったねー」
・・「・・・・・・・・・」
「・・・・そうだ、まだ出来たばかりで、中は杉の木の香りがしたねー。」
・・「中は 大勢座れる席があって、外は 木や 山の景色が見えて、
あそこのそばおいしかったよ」
思い出してくれて、わたしもうれしくなった。本当は「杉の木」だったか
「檜」だったか、別の木だったか知らないが、「木の香り」で、思い出し
たようだつた。
2001.07.11(水)
朝外出を渋ったが 日中は元気よし。「暑い暑い」午前3時頃まで寝なかった。
2001.07.12(木)
朝から元気はなかったが、会話の受け応えは良かった。
お父さんついに発病か?洗面所で2センチに広がるほどの血痰が出た。
朝一回 昼一回そのほか痰をティッシュでぬぐう時、少しずつ出た。
2001.07.13(金)
母さんを預けて 私が国立岐阜病院へ。
検査と診察の結果「気管支炎の悪化したものです。肺炎はない。結核性でもない。
しかし 一週間ぐらい入院して治療した方がいいでしょう」
「えっ!!。入院は出来ません」
「血痰と言ってみえますが、お聞きした状況では、喀血です」
「入院となると 段取りするのに3日から5日かかります」
と言ってしまってから、私は何を言っているんだろう。病気が「じゃ3日だけ
待ってやろう」なんて言わないよ。と思っていると先生は、
「5日たつと 病気が進行しているか、ほぼ安定の方向に進んでいるかどちらかです」
と言われた。30分時間をもらって、考えた。
「通院治療でお願いします。」と言った。
「じゃ 注射をし お薬を出します。一週間ぐらいは、体に無理をしないように、
可能な限り、休んでいて下さい。もし再度 喀血とか悪くなった時は、連絡してから
すぐ来て下さい。私がいなくてもいいから、今日診察したことを言って、くれれば
解るようにしておきます。」
その日は帰ってきて、ずーと寝ていた。
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母さん、一日中留守番だったが機嫌は良かったとのこと。
娘の 枕が無くなった。いろいろなものが無くなるが枕が無くなったのは初めて。
2001.07.14(土)
朝 起きがけ少しだけ唸った。母さん「右肩が痛い」と言った。冷房のせいか
メバチロンのせいか
朝 散歩に行った。刈谷さんの西側にある はす田で はすの写真を撮ってきた。
朝食後 「麦茶だからこれで薬飲んでいいよ」と言って薬を出してやった。
「私は 麦茶ばかりやった。ここへ来たらここも麦茶やったから良かった。」
と言った。
「初めからここは俺と母さんが居たんやから麦茶になるのは当然やがね」と
言ったら笑っていた。
私の方は本日も血痰が少し出てつとめて横になっていた。
2001.07.15(日)
朝うなされたが普通に起きた。今日も「肩が痛い」と言っていた。
家族3人で岐阜市科学館でプラネタリウムを見てきた。コナンの星にちなんだ
ストーリーをやっていたからだ
母さん、夜比較的早く(9:30)床についたが なかなか寝つかれず11時
まで起きていた。
2001.07.16(月)
朝起きは普通だった。母さんは 保健所で検診の日だった。美容従事者の
年1回の検診。出かける前に母さんが「今日は日曜日だからやっていないか
も知れない」と言ったが(本当は月曜日)
「うん、でもこのお知らせの紙に書いてあるからやっているかも知れないよ」
と言って連れて行った。問診と胸部レントゲン撮影があった。異常なしだった。
昔はレントゲンと言うと、2〜3日後でないと結果がわからなかったが、
このごろは、その場でわかる。
帰り道 母さん「コナン コナンと言っていたけど満足したわ」と言った。
娘のことを言っているのだが、いつのことの感想かわからない。
「としこさんとけんかした」とも言っていたが、近々けんかしたような形跡はなかった。
2001.07.17(火)
「あやの顔みたくないにらまれるだけや」と言っていた。
私は国立岐阜病院で胸部CT撮影をしてもらった。
夕方 すごい雷雨で 娘ずぶぬれで帰宅。
母さん夜は平成で機嫌が良かった。
2001.07.18(水)
母さん本日気分良し。天気は晴れていた朝から涼しかった。
2001.07.19(木)
みどり病院 リハビリテイーション。
古津へ行ってぶどうを買ってきた。長良から上流の古津にかけて ぶどうを作っている
農家が多い。長良川右岸の道路沿いのそれぞれの小屋で、今までは 苺 これからの
季節はぶどうを売っている。
2001.07.20(金)
2001.07.21(土)
2001.07.22(日)
起きがけ、今日も「あやの顔みたくない」と言ってえらく怒っていた。
2001.07.23(月)
母さんは 今日としこさんに、映画「千と千尋の神隠し」に連れて行ってもらった。
私は国立岐阜病院で気管支鏡検査してもらった。1_から3_の黒いごみがおよそ
30個ぐらい出てきた。古い血塊とか埃の集積だということだった。
2001.07.24(火)
2001.07.25水)
母さん みどり病院で診察。肩が痛かったことを報告しておいた。
2001.07.26(木)
リハビリ途中で放棄。
今日は「うちわ」描くことが題目だった。モデルのうちわの図柄である花火
を書き始めた。うちわが描けそうにないほど花火が広がっているので「うちわ
を描くんだよ」と言ってあげると「うんうん」と返事をしているのに消して
描いたものはやはり大きかった。3回描き直した。いつも花を描く時は
「花びんはいらない」と言うのに花びんを描いていた。うちわの場合は中の花火
の絵にこだわっていた。いつものように私が席を離れて車に戻って休憩して
いたら、飛び出してきてしまった。
2001.07.27(金)
2001.07.28(土)
娘とエイデンに行った時、店で、昭和コンピュータの横家社長に逢った。
「いま組合の会合の帰りなんですわ」と言っていた。
2001.07.29(日)
2001.07.30(月)
本巣のおばあさんのところに行った。いちょうの葉のお茶をもらってきた。
母さんはこのごろ元気が無くて10時頃になって普通になってくる。
おばあさんのところで予定の時間がずれ込んでいてわたしの
歯医者さんへ行く時間が30分遅れて、歯医者さんの事務の人に、「もう閉
めようと思ったんです。今度から遅れる時は、れんらくしてくださいね」、
強く言われた。
2001.07.31(火)
2001.08.01水)
2001.08.02(木)
。
2001.08.03(金)
昼食 ひやむぎ。
今日のこと 私が黙っているとじっと座っていることが多い。
「つまらないつまらない」と言うので各務原方面へドライブに行った。
ドライブの途中「いまは田植えの時期なのに雨が降らないねー」と言った。
訂正すべきかどうか迷ったが訂正しなかった。
論理的認識が、十分出来ない分だけ、感覚的認識が鋭くなっていて、その場の
状況を鋭く感覚的につかみ自分を現場の雰囲気に合わせて(適合)いるように思う。
2001.08.04(土)
お手伝いのとしこさんは 11時頃帰った。本日は客人は一人もなかった。
私は昨夜遅かったので、「30分昼寝する」と行って寝た。
15分ぐらいすると、のぞいて「みんなねてしまってつまらんつまらん」
と言いだした。「もう 家へ帰る」とも言った。
起きていって、何か話し相手になってやろうとする気持ちをぐっと抑えて、
後15分、横になっていた。きっかり30分、すっくと起きて、にこやかに
「今日は花火があるねー」とか話していたら、機嫌がなおった。
このところ、朝起きたすぐは、黙りこくった様子である。
起きる時間は私と一緒に7時に起きる。それで、その時刻までに脱水まで
してあった洗濯物を「せんたくやろうか」と言って干しにかかると一緒に
干してくれる。今日は、店に一人で居ると黙ってじっとしている状態が続く。
30分でも一時間でも続く、私は私でこちらの作業場で仕事をしている。
「これはいかん」と思って、時折何かを話しかけてあげる。話はきちんと対応
した返事があり、対話は成り立っている。現実生活に差し支えない程度の事実
誤認が混じってはいるものの。
2001.08.05(日)
あやは河合塾の模試に行った。
8時30分、車で岩戸公園へ行き、園内をぐるっと散歩してきた。蝉の抜け
殻がたくさんあった。保護色の蝉がいた見たところ桜の幹に止まったまま固ま
ってしまい そのまま こけむしたように見えた。「どうしてこんな現象が起
こるのだろう」と近づいてさわってみようとしたら、飛び去った。
こんな保護色もあるのだ。始めて認識した。
9時5分家に戻った。
母さんは、家に戻ると フーッと言って、冷蔵庫の前にへたへたと座り込んだ。
「二階へ行って休もうか?」と足をさすりながら聞いたが 目をつむったまま
返事なし。「そうだ、ご飯食べようか、ごはん?」それでも返事なし。
1〜2分座り込んで休んでいたが「さあ、ご飯食べようか」ともう一度言うと
ゆっくりと立ち上がりゆっくりと椅子に腰掛けた。
その時店で人を呼ぶ声がした。「はーい」大きな声で応えて店の方へ行った。
母さんと同年輩の客人が一人いた。
「どうなさいますか?」客人は髪を触ってもぞもぞしていた。
「おかけ下さい・・・カットですか?」と言って、作業を始めた。
その人は「藤元さん と言う人だよ。足が悪かったのでやっと見えなかった。
たしか男の子がいるよ」と帰られてから言った。
私が思うのは 散歩から帰ってきてぐったりしていた母さんが、客人の声
を聞いて、店へ出た時からの、この急激な変化は何なんだろうかと思った。
ぐったりは体がだるいとかしんどいとかでないように思う。
一つの仕事も 細かいいくつかの構成部分があって、洗濯をする とか
おかずを作る とか お客様のカットをする とかの一つの仕事として表現
される。それを今やるべきかどうか判断できない状態になってきている。
2001.08.06(月)晴れ
浜松医療センターの金子満雄先生の所へ診察に行った。MMSテストは=19点だった。
これは昨年8月の19点と同じだった。「MMSの点数は1年間下がっていないので
ボーリングとか散歩1時間など 継続するように。仮名拾いテストはかなり混乱
している、社会性のある仕事は出来なくなってきている」
漢方薬などについて、私の理解するところでは次のような意味のことを言われた。
−−−漢方薬や、漢方薬まがいのものは、アルツハイマーには効き目がありません。
何万円とお金を出して買ってもどぶに金を捨てるようなものですからやめた方が
いいでしょう。本当に効くものならば我々も活用しています。
他の病気が出たときにそれを治すことや、体調を保つ、目的に添って、飲むのは
いいでしょうけれど、−−−
−−−アリセプトの効き目は およそ1年−−−
2001.08.07(火)雨
私が歯医者へ行って治療してもらった。もう一回行く。
昨日の浜松のことで思い出したこと。仮名拾いテストであいうえおの行でない
文字に印を付けたところがかなりたくさんあった。丸をつける作業で、外側から
見ていると 手を動かして何かやっていると言うことを見ることが出来る。中身
が何も解らない人が見れば 何かをやっているように見える。作業をしているこ
とを見せようとする心の働きがあったのかも知れない。ちなみに仮名拾いテスト
は前回2月と比べるとかなり低下していた。
2001.08.08水)
母さんの話で現実生活に直接影響しないことについては、わたしは
「そうなの そうだったの」と返事をしてあげることにしている
2001.08.09(木)晴れ
朝起きる前「手がしびれている」と言った。みどり病院でお絵かきにリハビリ、
あや見学。みどり病院で高校生1日医師という行事があって、岐阜高校の子が来ていた。
2001.08.10(金)晴れ
11時ごろ客人一人あり。昼食後、店でボーッと客待ちをしていた。
「おっても何もやることないし帰る帰る」と言いだした。
3時ごろ「つまらん、つまらん」というので各務原の鵜沼の住宅地まで
ドライブに行った。かなり広いところだ。
2001.08.11(土)晴れ
10時ごろ客人一人あり。
「手伝ってくれる人 いないし何もかも一人でやらんならん疲れる 帰る帰る」
12時ごろ「いやになってきた。つまらん、つまらん」というので藤橋城へ
行って来た。
アルツハイマーの症状の基本は、脳の機能低下である。最初は、会話の中で
物忘れが発見され、手抜きかと、思われる、仕事の結果によって行動機能の低下
が発見される。そして様々に現れる問題行動は、残っている 力 がその人を「人間」
たらしめようとする悲痛、悲壮な努力の表現と結果である
就寝前に何回かトイレに行った
2001.08.12(日)雨
本日はお盆前の日曜日、かつては 大忙しの日であった。
だけど今日は休み日にした。
「やっぱし帰る」というのと「帰る帰る」も三日目になったので
本巣の ばっちゃ(靖子さんの母親)所へ行って1日遊んできた。ばっちゃ
を買い物に連れて行ったり、めしを食べたり、世間話をしたりなどなど。
2001.08.13(月)
8月13日と14日、高山から、長野県の安曇野をめざして3人で旅に出かけた。
高山駅前で「桃のジュース」を飲む。一路乗鞍へ、山頂の霧は前年よりも少なかった。
霧は岐阜県側に多くて、長野県側は全くなかった。
ホテルに泊まったその夜も、何回かトイレに行った。
2001.08.14(火)
2001.08.15(水)
2001.08.16(木)
2001.08.17(金)
今朝は「うなり」は少しだった。起き出してきたら気分はなおっていて、洗濯を
いっしょに干した。
あやを、まきちゃんのところへ連れて行き<みどり病院へ薬をもらいに行って来た。
本日は機嫌良し。乾燥している日は機嫌がよいのか?
2001.08.18(土)
朝「腹が突っ張っているような気がする」と訴えた。8時30分から 徘徊
いっしょに出て散歩に行ってきた。
夜 細畑のぼんおどり
2001.08.19(日)
朝7時「くさい」と言ってしかめた顔を 手でおおい私を起こした。トントンして
やっていたら治った。そのあといっしょに起きてきて岩戸公園へ散歩に行った。
今日の気分は重く「あつい あつい」と言っていた。
突き上げるような吐き気があった。朝のから散歩に行って帰ってくる時間のうち
だけでも、朝2回、車の中で5回、戻ってきて4回有った。午前から夜まで続いた。
そして「恐い恐い」と言っていた。
夜8時20分から10時20分まで連続してトイレに行き「吐き気がする。
恐い恐い」と言って寝た。
2001.08.20(月)
6時ごろ起きてトイレ。「恐いよー」と言い続けた。
休み日だったので、本巣のおばあちゃんの家へ行ってきた。
きょうも突き上げるような吐き気が何度(7〜8回)かあった。
夜10時から12時まで連続してトイレに行き続け、寝たのが12時だった
明日台風が来るという。
2001.08.21(火)
夜 8時40分から12時までトイレに行き続け回数50回ぐらい行った。
自分でも「なんかトイレが近いわ」と言いだした。
本日台風が東海地方へ最接近の日。子供の塾は休日になったが。曇り空、雨で、
夜九時以後到来か?と言うことになった。
2001.08.22(水)
めずらしいところで「はっとりくん」に逢った。はっとりくんは私の高校のころの
同級生だった。私が自動車の車内灯を買いに「イエローハット」へ寄ったところ彼がいた。
彼は今岐阜市にある「イエローハット」7店の社長をやっているそうだ。
台風は岐阜地方へは暴風が現れなかった。本日、関東東北方面で、暴れていた。
2001.08.23(木)
2001.08.24(金)
車に乗って少し出かけていった。
「途中にトイレが無くて 中で漏らしたらどうしよう」と言った。
「30分や1時間では、お漏らしするほどオシッコが溜まりはしない。適当にトイレ
を探すさ」
2001.08.25(土)
「やまぶしたけ」というものがある。母さんがこれを飲んでいて ひどい便秘に
なってしまったようだ。
その「健康食品」を作った会社に問い合わせたところ 「コップ2杯ほど水と
いっしょに飲んでください」だって。便秘のおそれがあるなんてどこにも
書いてなかったなー。
便秘の薬を1錠飲んだ
2001.08.26(日)雨
「こわいこわい」と言って、朝4時半に起こされた。トイレに付いて行ってやった。
5時半ごろから「起きよう、起きよう」と言って私を起こした。便秘の薬を朝と
夕食後の二回飲んだ。
2001.08.27(月)
今朝も5時半に起こされた。
母さん便秘らしいのでみどり病院へ行った。らしいと言うのは、少なくとも3日は
大便が出ていないようだが、それ以前のことは本人の言葉だけでは真実かどうか確認
できないからです。
便秘の薬をもらってきて飲んで、夕食後少し便が出た。私が確認をした。
本日の就寝前のトイレは(「さあ寝よう」と言ってから2階へ来てからのトイレに
行った回数は)3回だった。3時間行き続けた8月21日と比べる非常に少ない。
「ふとんの中で漏らしたらどうしよう」と言った。
「毎晩寝てから3時間後ぐらいに、自分で起きてトイレに行ってるから、その心配
はないと思う。30分や1時間では、お漏らしするほどオシッコが溜まりはしない。
それでも漏らしたら漏らした時だよ。俺がいるから心配するな」と言ってやった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
食欲少なし
2001.08.28(火)
朝3時半ごろ起こされた。「こわいこわい」と言っていた。
その後私は7時まで寝ていた。その時母さんはもう起きてうろうろしていた。
私が「うんこ出た?」と聞くと「出た」と言った。
「あるか」と聞いたら「もう流してしまった。」と言っていた。
便秘は治りかけたらしい。午前2時まで寝なかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
食欲少なし
2001.08.29(水)
朝4時30分に起こされた。
「まだ早いから 寝てなさいよ」
「だって眠れないもの」
「おふとんで 横になっているだけでいいよ」
「だって眠れないもの・・・・眠れないし オシッコが漏れてしまうような気が
するし どうしたら良いかわからないもの」
と母さんは自分の現状をボケの病気にしては的確に表現していた。
私は2時に寝て4時30分に起こされたことにイライラしていて
「オシッコなんか漏れてもいいからとにかく寝なさいよ、腹痛がするし
俺が病気なになって死んでしまっても知らないぞ。」と怒ったように言った。
そうしたら母さんが 小さい声でまるで幼児が言うように
「ごめんなさい ごめんなさい」といった。哀れな感じがした。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
食欲少なし
2001.08.30(木)
朝6時30分起き。文を送っていってから。朝食、せんたく、新聞、雑誌の片づけ、
昼食後 久しぶりにボーリングへいった。3ゲームやって、母さんの一番いい点は
154点だった。ちなみに私の点は、母さんよりも10点から30点、低かった。
ボーリングをリハビリとしているし、運動神経のバロメーターともしている。
154点、というのはほとんど運動機能は低下していないことを示している。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
食欲少なし
2001.08.31(金)
昨夜は10時頃寝た。未明3時半ごろから 聞こえるか聞こえぬかの声で、何か
唸っていた。4時トイレに起きて戻ってきてそのまま座り込んでいた。
「こわいよーこわいよー」と言っていた。
「どうしたの もう少し寝ていようか」
「誰もいないかと思った」
「お父さんはここにいるがね。こわいこと何にもないよ」
それから6時半ごろまで寝た。いっしょに起きてきて台所の椅子で座っていた。
「わたしもうだめやは」と言っていた。
客人、片山さんが来ていた。
「本巣へ帰りたい」と言っていた。
「帰りたいと言っても ここが母さんの家やし、もし母さんが本巣へ帰るとして、
お父さんは あやの高校のこともあるので いっしょにいけないし お母さんは
おばあちゃんの分まで何もかもやらんならんけどいいのかな。おばあちゃんの分も含
めて買い物に行ったり ご飯作ったり洗濯したり、初めの一週間ぐらいはいいけれど
そのうちそうやあやあ言われなくなっていやになってしまったりして」
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
食欲少なし、、気分−中程度
便秘の件
便秘は解消の方向に向かっている。思い返すに8月15日くらいから、
大便が出ていなかったらしい。
1, 8月17日「お腹が気持ち悪い」何かの薬のせいかと気にかけていなかった。
2,次の日18日「お腹が突っ張るような気がする」と言ったが
「痛いことはない」と言ったのでそのまますごした。
3,3日目19日 突き上げるような吐き気があった。
4,4日目20日 同じような吐き気が7〜8回あった。 それでも 私は便秘と
は気づかなかった。
21日、
22日、
23日、
24日、
25日 この日に
なってようやく 便秘の薬を1錠飲んだ。8月15日から数えて10日目だ
解消の兆しが見え始めたのは27日で12日目だ
私は便秘を体験したことがない、自分がかかったことのない体の不調は、
ひとから訴えられても気づかないものだなーと思った。
5,この3年間にも、「お腹が気持ち悪い」と言うことが数日間から10日以上
続いたことが何度かあった。この時も便秘だったのかも知れない。
2001.09.01(土)
昨夜は、9時頃寝た。今朝も未明3時半ごろ起きた。唸り声があったかどうか、
私が寝ていたので確認していない。「まだ早いから もう少し横になっていようよ」
と言うと今朝は素直にもう一度ふとんを掛けて横になっていた。6時まで
おとなしく寝ていた。
朝から客人が来て、忙しかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
食欲少なし
2001.09.02(日)
昨夜は10時頃寝た。今朝は4時ころ起きた。再び床に入って静かに横になっていた。
昼ごろになって言っていた。「このごろ 朝早く目が覚めてしまうんやて、まだ早いか
ら人を起こすわけにはいかんし、何でやろかと思う」と言っていた。
10時ころから2時ころまで、柳原さん夫婦が遊びに来てくれた。(お相手をしてく
れたと言うこと)
客人1人が来られた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
食欲ちょっとだけ増加か?。本日の気分は上中下の上
2001.09.03(月)
2001.09.04(火)
2001.09.05(水)
娘の高校の文化祭を見学に行った。娘のクラスは「ハンドベル」の演奏をした。
2001.09.06(木)曇り
◎今朝も「もうだめやわ、もうすぐ死ぬ」と言った。
「死にはしませんよ、少しくらい不自由になっても、俺がおるやんか」
「ありがとう」
◎またもや 娘の高校の文化祭を見学に行った。娘の部活は文芸部であった。
2001.09.07(金)雨
◎今日は 娘の高校の体育祭を見学に行った。朝方 雨は降り始めたが
体育祭は開始された。
しだいに大降りになってきたが、体育祭は途中プログラムを間引きしながら、
昼食は終了後にして最後まで続けられた。保護者のかたは 傘を差して見学。
私と母さんが見物していたところは屋根のある軒下の保健係の横。途中3人ほ
ど別々に相談に来ていて念のためにと体温を測っていた。さすが受験校「一日も
無駄には出来ない」ということか と思っていたら違っていた。
姉妹校になっているアメリカの※**校から 十数名の生徒のお客様を迎え
ていて この子たちが明日は帰らなければならないので体育祭は本日中にやって
しまうと言うことだった。かわいそうにその子たちも 泥はねでずぶぬれに
なって参加していた。
2001.09.08(土)
2001.09.09(日)
2001.09.10(月)
2001.09.11(火)
台風は、8月21日とよく似て、中心は県を通過せず、雨とゆるい風のみだった。
朝起きの時の「振るえ」は無かったか、気が付かなかった。めずらしく朝食を
その時間に食べた。
ここ1ヶ月くらい朝食は、7時ではなく10時か10時半あるいは12時頃になって
食べていた。むくみなし。便秘もしていないもよう。天気良く機嫌良し。
2001.09.12(水)
2001.09.13(木)
朝起きがけにうなされた。
「前は こんなふうではなかった。もうだめやわ もうすぐ死ぬわ
私にはわかるもの」と言った。
「すぐ死ぬなんてことはないけど動けなくなるかも知れない今のうちに
残すものを残しておくのやね。 したいと思うことはやって 旅行や お絵かき
ボーリング カラオケそのほか何でも・・」
2001.09.14(金)
2001.09.15(土)
今朝起きがけは、うなされなかった。「いろいろなことがだんだん出来なくなって
きている」と小さい声でぽつりと言った。
2001.09.16(日)
2001.09.17(月)
朝 「何もかも出来なくなった。生きていても何にもならない。死んだ方がよい。
死んじゃえばずーと楽になるだろう」と言っていた。
2001.09.18(火)
朝 8時20分 「どうして私ばかりがこんな病気になるんだろう」と言っていた>
2001.09.19(水)
2001.09.20(木)
2001.09.21(金)
朝 起きがけに 「私が死んだ方がいいんやわ」と言い「お父さん私を殺して」
と言った。「それは出来ない、母さんの言うことは、何でも聞いてあげるけど、
それは出来ない」と言った。母さんはそれ以上は言わなかった。「死にたい」と言
っていたことがあるので、こういうことも言うかも知れないと思っていたが、言った
のは初めてのことだ。
2001.09.22(土)
2001.09.23(日)
朝から客人がないのでじーっと座っていた。二階へ行って一緒に洗濯を干した。
相手をしていないと、固まってしまう
2001.09.24(月)
夕食の用意で 私が「柿剥いて」と言って出した。ちょっと大きめの柿を4個
全部剥いてしまった。今までの習慣からするとちょっと変。
2個程度を小さく切って3人で分けるか、1個づつならば3個剥けばよい。
2001.09.25(火)
朝から元気なし、朝食も「さあ食べようか」と促してやっと食べ始めた。
車に乗っていって帰ってきた時降りようとしないので外からドアを開けてやって
やっと降りてきた。洗濯干しは積極的にやった。
店と 部屋の境目にすわってままだった。客も今日は来ないので 終日 暇があると
そこに座ったまま。じっと黙ったまま座り込んでいると良くないので 何かやって
やらねばと思うのだが、急に思いつかず、車に乗せて1時間ばかり、ドライブ、
車に乗って出ることを喜ぶ、車に乗っていると 昔話やら 自分の思っていることやら
なんでも普通のトーンでしゃべる。
楽しいと思うことは何でもやってやろうと私は腹を決めている
2001.09.26(水)
2001.09.27(木)
◎朝から元気なし、心はまともだった。
◎みどり病院 リハビリ。リハビリの時、私は、駐車場で待っている。
家族の居ないところでもすごすことが出来ることは大切と思う。
◎このごろの私は自分で主体的に動いていることが少なくなってきている
ような気がする。母さんが機嫌が悪い時や、家出(=徘徊)した時や、
「どっか行こう どっか行こう」と言って 母さんが私をドライブに誘う時、など
その日その場での思いつきで動いている気がする。
思考の定まらぬアルツハイマー病の人を相手にしているのだから、そのよ
うな臨機応変の行動も大切なことではあるが、反面欠如する物や事が、
例えば整理整頓などが出てくる。
月の計画 その日の計画 週の献立のポイントなど しっかりたてて進めること。
2001.09.28(金)
2001.09.29(土)
朝起きがけにうなされた「もう 私だめやわ」と言った。
2001.09.30(日)
朝起きがけにうなされながら言っていた。
「いやだもん..もう死にたいよ...いやだもん...
だんだんわからんようになって行くし...もうすぐ死ぬわ....
私にはわかるもの....ありがとう...いやだもん...」
こう言うようなことをつぶやくように30分ぐらい続けていた。
順調にいけば、20年は生きることが出来る。
「先生も言っていたでしょう、『症状の変化が緩やかだ』からって、
だから20年くらいは生きるよ、20年経てば76歳だよ、
76歳になれば誰だってポツポツ死ぬ人も出てくるよ、
平均まで生きていられるってことだから、そう心配しなくてもいいよ」
聞いていたようだったがまたひとしきりつぶやいて静かになった。
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楽しいことがあったら お知らせしたいと思います。