日記
Ynas0003
2000年1月〜3月の日記です

2000/1/8
母さんの家出
母さんは、娘ににらまれたと言っては「私はこの家にいても仕方のない人間や、
本巣へ帰る」と言って フッと外に出て行ってしまう。そのたびに追いかけていっ
て、なだめて連れ戻してくる
この状態で別れてしまうことはあり得ないどんな状況になっても靖子は大事な人
だと思っている。
このさき靖子は一人でやっていけなくなってしまう今まで一緒に生きてきたもの
を状況が悪くなったからと行って見放すことは出来ない。長女もまだ高校生だ。
親娘なかがわるいからといって別々に暮らしてくれては 私は二人の面倒を見る
ことが出来ない。私の仕事も少ししかできなくて収入が減少してしまい3人の暮
らしを支えていくことが出来なくなってしまう。
2000/01/14
下唇の真ん中の内側に口内炎が出来ていた、のどから左耳にかけての内側が
ちょっと痛いと言っていた。アリナミンを飲んだ。「早めに寝た方がいい」と
6時30分ごろから、寝支度をした。
布団に入ってから「頭がちょっと痛い」と言い出したので華陽診療所からも
らっていたかぜ薬を飲んだ。
2000/1/17
妻靖子が小学校の頃の教師箕浦先生に会いに行った。妻の感想は「せんせい
なんかチイチャッコク なったみたい」と言った。
「はじめ奥さんが見えてね先生が見えた。箕浦先生 小さくなってしまって なに
かいすにすわってみえたけど、小学校5・6年生と言う感じで 座敷に上げさせて
もらって、いろいろしゃべったり、話 されたりした。」
思い違い1
「ここの土地はみとおおばあさんがとっておいたのだよ。みとお
おばあさんから聞いたことがあるもの」と言うことをこのごろ母さんが言っている
本当は違う。母さんが、多く、私が少し出資して、購入したものだ。
2000/1/18
1999/10月頃 「みんなで講をやるそうだけど私はああいうのはなんやいや
やわ 」と言っていた。
2000/01/22
文、学泉塾を休んだ。 二人で台所にいた。その間に 文がトイレに行くとて
そこを往復した。母さんが「文はいま塾にいっているんか?」と聞いた
「今ここを通ったに、今日は塾を休んだよ」
2000/01/23
朝起きて炊事をしているとき、靖子は言い出した。
「それで今日は何やるの、私は何をすればいいの、そうも大勢こやへんのやろ」
何を想定しているのかわからなかった。 一昨年やった中学校の職場見学のこと
かもしれない。靖子の中に描かれていることは、 何人かが集まって講習のよう
なものをする。自分が講師になってそれをやる。だけど自信がない から心配だ
ということらしい
◎「ここの土地はみとおおばあさんがとっておいたのだよ。みとおおばあさんから
聞いたことがあるもの。」とまた言っていた。
夜七時に家庭教師の松本先生が来た。 先生にお茶を出し台所で一服している
ときに言った。
「あやはどうしているの二階で寝ているの」
「あや?あやは今先生と勉強しているがね」
「あれはあやまんやがね」
「あや と あやまんはいっしょなの」というとなっとくしたようなしないような笑み
を浮かべて 「うん」と言った。
2000/01/25
「誰かが私を引き抜こうとしている。こんな紙にいろいろ書いてそれが29万円
ぐらいになる。そしてこの金と一緒に封筒に入っていた。」
と言って見せてくれたのは日々の売り上げを集計して入 れて有る財布だった。
「これは元々あんたはんの金やがね、毎日の売り上げをまとめておいた」
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◎本日 朝家出(=徘徊)、夕方も家出
2000/01/25
、文 学校を休んだ 本日も
2000/02/02、
文 学校を休んだ
2000/01/30から 敏子さんが10日間ほど休むということだ。
史佳ちゃんの大学受験の付き添いに行くためだ。
30日(日)には、母さんが一人で5人の客を仕上げた
31日(月)休日
1日 2日 3日 4日 5日 6日
7日休日 8日 9日 10日 11日
敏子さんが史佳ちゃんの大学受験の付き添いに行って13日間休暇。
母さん一人で仕事をした。健康時はいつも一人でやっていた。たまに手伝ってもら
うことがあるという程度だった。このところちょっと難しくなってきている。
でも仕事を続けてやってもらっているのは
収入のためでもあるが また痴呆の進行を防ぐためでもある
なにもやらないでいると急速に本当に何もできなくなってしまうおそれがあるからだ
2000/02/08
「何も毛染めやるくらいでそんな事しなくてもいいのに」と言った。
またなにか「想念」が涌いたなと私は思った。靖子の頭の中にはなにか
講習会のような説明をや ってから毛染めをやると言うことがイメージ
されているらしい。
私は「そういう行事はないよ、ひょっとして昨日車に乗っていて居眠
りしていて何かそんな夢を見たのでない。そんな行事聞いていないし、
計画もないから」と言った。 「ふーん、そうか」と納得していた。
2000/02/05
布団の上に座り込み、「私がここに来たのは間違っていた、本巣へ帰る」と
言って泣き出した。身支度を始めて小遣い の入っている財布を見て
「こんだけばかりでは帰れん」と言ってそれを投げ散らかした。
私は今までの売り上げの集計して有った数十万円の財布を出してやって
「お金ならここにあるよ。ここにあるのはみんなお母さんのお金だよ」
若干の貯金もないわけではない。本人もわかっている
「貯金もちゃんとあるよ」
2000/02/14
浜松医療センターへ診察に行った。 ポイントは21だった。
昨年同時期(2月頃)は24だった。6月で22だった。 金子先生は
「7・8年は持つでしょう。スポーツや、人の集まりへの参加、散歩はやりなさい、
ボーリングをやってるなら続けてやりなさい」と言われた。
二〇〇〇/〇二/一六
文は北高校の行事である「スキー研修」に朝から出かけていった。
長野県上水内郡山内町の志賀高原だ。
2000/02/19
いつもいる人は今日は来ないの おっちゃんが二人いる 塾先生はもう
帰ったの(実は今日は来ていない)
2000/02/21月曜日
店の掃除をした 「明日美容部員が来るかもしれない」
「美容部員はもう廃止になったからもう来ないよ」
「そうか 稲葉さんが来るだけか」、
2000/02/22
「今日 稲葉さんと美容部員が来るかもしれない」
「美容部員は廃止されたからもう来ないよ」
2000/02/23
介護の経験的教訓 70歳程度の痴呆は老化と痴呆が合併して現れるが
若年痴呆の場合は、痴呆のみ現れる。いまの ところ体力の衰えはない、
運動神経も弱化は見られない、例えばボーリングで181点を取った
ことなど。 このところ繰り返し現れてくる「幻覚」に うちの店でなにか
講習会のような催しをやるということだ。講習会をやると言うことが頭に
あっ て「あんなものチョコチョコっと説明したくらいではわからへんって」
「おっちゃんそれを説明するの」とか言うことがある。それを言い始めて
2週間ぐらいになる。 文の精神的自立の年代や不登校と妻靖子の痴呆と
重なって、2人の仲が大変悪くなっている。。 意識の正常なこどもの方を
説得する以外にない状況だ。
10月頃からか「あの子の本当の親はいないの」とか
「 史佳ちゃんは実の親子やからいいわなー」などと言っている。
(本日は散歩に行きその後喫茶ひらくへ行った。)
「明日ボーリングに行こうかな」と言っていた。明日のことを意識して希望
として行動の目当 てとして表現したことは喜ばしいことである。
「美容院はやりたくてやっていたのてはない おばあさんにいわれていやいや
やっていたのや文にはやらせたくない」
2000/02/24(木)
ボーリングをやりに行った。母さんの点数 131点
2000/02/29(火)
400年に一回の閏年の2月29日
朝飯前 「右手の指先がしびれるような感じがする」といった。
「寒かったから、血行が悪くなったんやろう、前にやったように
指先の訓練を時々やったら」
と言って指を折り曲げては開く事をやって見せた。
「よく知っていたねー」 とほほえんで自分もそれをやっていた。
朝敏子さんのことをいろいろ言っていた。
2000/03/01
夕方頭痛した。
2000/03/02
ボーリングに行った159点 文の件 大久保由希子先生にお礼の手紙を書いた。
2000/03/04
昨日3日 「ポケットに入れておいた1万円うちの中で落としてしまった」
と言っていた。
その金というのは 昨日のこと 靖子が売り上げをポケットに入れていたのを
売り上げを入 れる財布にまとめて既に集計されている金のことだった。自分も
見ている前で一緒に集計したものだった。
説明をすると納得していたが数時間間をおいてまた同じ事を言った。 今朝
5時半に「うーん、うーん」といつものようにうなりだして、
「1万円がない」と言いだした。
「それは昨日売り上げの財布に入れて集計したがね」と言うと
「そんなことはわかっている」
「どうしていちいちかまうの私のを私がどうしようと私の勝手やがね」
「自分だってそうやろ、自分のものを人にかきまわされるといややろそれと
おんなじゃ」起きあ がって座り話していた。
私が「あんたはんが間違わないようにと思って売り上げの集計をしてあげて
いたけど、不都合だったら、あとで起きてから自分で管理できるよう相談しよう、
あんたはんのお金を、俺がどう こうしようと思っているわけやないのやから」
靖子ももう一度ねたさっきのことを「もぞもぞ」と 口の中で繰り返していた。
20分ほどたって、
「さあ、下へ降りていってストーブ付けて朝御飯の用意しなくては」と起きよ
うとする と 小さい声で
「今までどうり財布預かっておいて、自分で持っているとわけがわからんよう
になってしまうとあかんで」言った。 「店の売り上げと経費の支払いの、
集計のところまでは今までどうり持っていてあげるから」
ということで一応収まってその日は始まった。
時折起こる 早朝の興奮状態の中で、お金のことで同じようになったことがあった。
売り上げから、靖子が1万円を抜いて蓄財したときのことだった。
個人店舗だから「店主貸し」 として処理すれば特に問題はないが、私にとって
は集計があわないのがわからないと言うこどだった。
靖子の処理習慣と通常のやり方とが違っていることが問題だった。
店主貸し処理で靖子の処理習慣に合わせて行くべきか?
2000/3/5 日曜日
朝から石橋さんが来た。朝から混んでいた。一人の若いお客さんに帰ってい
ただいて昼から来てもらった 緊張して、私に対しては、機嫌の悪い状態だった。
昨日のことと重なっているのかも知れない 機嫌が悪かったのは石橋さんから
の集金の件だった。と言っていた。
2000/3/6
今日は敏子さんと遊びに行った。
2000/03/09
あの日以来 文を学校へ送って行っている 帰りは迎えに行くときと
自分で電車で帰ってくるときとがある。
登校時に母靖子も一緒に車に乗っておくって行く、そのとき 歩いていた
女子中学生を見て のはなし 「いまの中学生の子泣いていたよ」
2000/03/15
特段の異常なし朝、仕事を(店を開店するのが)始めるのがつらかった。
2000/3/19
家族3人で安曇野の「ちひろ美術館」へ行った。朝8時30分に出て
、夜9時に帰ってきた
2000/3/20
夜 「お父さんお店で洗髪とかカットとか手伝ってよ」と言った。
「掃除とか、お金の受け取りくらいなら出来るけど」
2000/3/21
「お父さんのおねいさんに店手伝ってもらえないかな」と言った。
「そりゃ無理やろ、そうとう年やし」
2000/3/25
朝「今日は店を休む」と言ったので休業にすることにした。 お客さんから
電話がかかってきたが、休業である旨を告げたら「よろしいですわ」とのこと
だった。 文 1月の進研ゼミのテストで国語が学内でトップだった。
2000/3/27
靖子と私とおばあさんのところへ行った。 文は北校の友達のところへあそびにいった
このごろ「おとうさん すまないね いろいろやってもらって」
と何回も言っている 「なにいっているの家族やないか おれがそのくら
いやって当然やから」
2000/3/30
関ヶ原へ古戦場跡を見に行ってきた。 このごろ また財布がないと頻繁に
言うようになった
2000/3/31
早朝の体のふるえの状態が続いていた。途中 予約のお客さんが来たのでと
まっていたがその後またふるえが現れ、3時頃頂点になり 柳原功さんに
電話をかけた。柳原さんが会社から駆けつけてくれた。我が家に来てくれたと
きにはもう治っていた。